風雲舎刊行の本
(風雲舎6月新刊)
わたしは意識の粒子となって浮いていた
…それが「本当のわたし」だった…
(コンビニ店長の不思議な旅)水谷フサエ著
ISBN 978―4―910545-04-2
定価(本体1500円+税)
内容
粒子おばさんから「新しい人」へ
著者はコンビニの店長さん。
夫の病没後、三人の子どもを抱え、コンビニ経営をすることになったのです。
見かけとは大違い、この仕事は激務。一日15、6時間の勤務、連日の睡眠不足。
疲れ切って自宅にたどり着き、バタンとベッドにもぐり込んだある夜、不思議な体験をします。
寝ている自分と、その天井あたりに白い雲のようなものが浮いています。白い雲は自分だと直感で分かりました。自分と白い雲の真ん中あたりで、両者を見ている意識がいます。それもわたしでした。わたしは三つに分解されていたのです。翌朝驚いたことに、身体が浮くように軽くなって、ひどい肩こりも消えていました。
別のある夜、エネルギーの波のようなものが足元から腰までやって来ました。「至福」としか言いようのない波。それはわたしを抱きかかえ、部屋いっぱいに広がって、天井を越えて出ていきました。
もっと驚いたのは、このわたしが粒子となって宙に浮いていたのです。浮遊する埃のように、粒子となって、意識を持つ粒子となって浮いています。わたしは意識のある粒子だった! この体験を機に、わたしは粒子おばさんとなり、「新しい人」に生まれ替わりました。
でも、これはいったい何? 何と呼ぶの? どうしてわたしに?
その答えを求めて、著者は長~い旅に出ます。トランスパーソナル、チベット仏教のお坊さん、森の暮らし、facebookの世界。ようやくたどり着いたのは、映画監督の白鳥哲さん、そして『ヒマラヤ聖者の生活探究』という一冊の本。 さて、そのつながりは?
映画監督白鳥哲さんのコメント
……筆者が、現代の象徴的な生活の場である「コンビニ」の世界で、肉体を最大に酷使し、それによって体験したことは、「人がエネルギーの存在である」ことを証明しています。
本書は、愛の粒子を感じ続ける「新しい人」に脱皮するためのガイドブックであります(「解説」より)。
ポイント
著者は、コンビニの実状をきちんと描きながら(「コンビニ店長の細腕繁盛記」としても読めるくらい)、そのうえで自分の意識の変化を丁寧にまとめています。瞑想の仕方、意識の目覚め。それらを一つひとつ確かめながら、「本当の自分」にたどり着くそのプロセスが読みどころ。瞑想家でも行者でもないアマチュアがここまでやれるのか、と驚きます。読み手にも、「ほら、あなたもやれそうでしょう」と誘っているみたい。嬉しくなります。
目次
(はじめに)不思議なことが続きました
(第1章)満月とボタン雪の夜
(第2章)三層になったわたし
(第3章)部屋いっぱいに広がったわたし
(第4章)粒子体験
(第5章)トランスパーソナル
(第6章)「何もすることはない」
(第7章)コンビニの小さな窓から
(第8章)森の暮らし
(第9章)クロスする二つのヴィジョン
(おわりに)森の呼吸に合わせて
(解説)人はエネルギーの存在なのです 白鳥 哲
著者略歴
水谷フサエ(みずたに・ふさえ)
1947年福岡県英彦山(ひこさん)の麓で生まれる。20歳で結婚。夫の発病を機に専業主婦から居酒屋経営へ(35歳)。「知らない世界」を垣間見る(42歳)。コンビニ店長に(43歳)。自分の意識と初めて出会う(49 歳)。「エネルギーで満たされた部屋いっぱいのわたし」を観る(50歳)。意識の粒子となって浮いていた、本当の自分は「意識の粒子」だったと知る(51歳)。その後、一連の体験の意味を問う旅に出る。コンビニ店長引退。森の生活へ(70歳)。『バガヴァッド・ギーター』に出合う(72歳)。本書を書き始める(74歳)。2023年5月脱稿。「わたしの人生すべては、この本を書くために用意されていた」と実感。すべてに感謝。
ゾルバとブッダ 中村有佐(学校心理士)
まず、ゾルバになる。
ブッダはゾルバの中に眠っている。
OSHOの道場(アシュラム)で学んだことが、
人生の羅針盤となった。
中村有佐(学校心理士)著
ISBN978-4-910545-03-5
定価 1760円(1600円+税)
内容
ゾルバ・ザ・ブッダ(仏陀であるゾルバ)
「『その男ゾルバ』っていう小説知ってる? 映画にもなったみたいだけど」
「いや、知りません」
「ゾルバは貧しいけど、とても自由な男なのね。酒を飲んでは、歌い、踊り、女性を愛し、大変な目に遭うんだけど、それに動じることもなく、そのすべてを楽しんだんだって」
「へえ、ステキですね」
「そう、いいよねえ。でね、OSHOは〈New Man〉新しい人間になりなさい、って言うのね。
その〈New Man〉はゾルバ・ザ・ブッダ(仏陀であるゾルバ)だって言うの。
感覚や煩悩を楽しみなさい、同時に、大いなる意識、〈目撃者〉でいなさい、ブッダでいなさい、って」(本文より)
……OSHOが私の「第三の目」に触れる。
「ああ、OSHOが私に触れている」と思った瞬間、気が遠のいていった。
誰かに抱えられたのを感じる。
気がついたときには、椅子に座らされていた。(本文より)
山川紘矢・山川亜希子さんからのメッセージ
直接OSHOの話を聞き、ダルシャン(聖者との面会)を受け、その後の人生を深く、濃密に過ごすことになった著者の心の成長記録。ひとりひとりが覚醒して、自分とは何ものか、生きる意味とは何なのかなどについて、それぞれに答えを見つける時なのです。この本はその意味でもとても意味深い本だと思います。OSHOのファンである私たちは、とても楽しく読みました。
編集部から
大学1年生の著者は悶々としていました。生きる意味が分からなかったから。
OSHOの本を読んで驚きました。今まで読んできた本と全然違う。
彼の言葉を直接聞きたかった。インドへ、OSHOの道場(アシュラム)へ行った。
すごい! ビシビシ言葉が突き刺さってきた。
とりわけ驚いたのが、「ゾルバ・ザ・ブッダ(仏陀であるゾルバ)」。
……まず、ゾルバになる。この大地の花になる。それによってブッダになる力を得る。「目撃者」になれ、と……。
あれから40年。著者はゾルバになれただろうか、ブッダになれただろうか?
著者略歴
中村有佐(なかむら・ゆうすけ)
1960年神奈川県生まれ。同志社大学文学部在学中に、OSHOの道場(アシュラム)をはじめインド、ネパールを歩く。
この旅が人生に大きな影響を与えたことを描いたのが本書。
卒業後、精神科ソーシャルワーカーをへて小学校教員に。
マレーシアの日本人学校教諭、JICA横浜で研修講師、小学校英語専科教員、公立小学校長を歴任。現在も現場に立つ。学校心理士、メンタルケア・カウンセラー。
新しいわたし(二戸依里著)
龍の大風に乗って、こんなところまでやってきました。
わたしは今、わたし史上、最高の仕上がり(スペック)です
著者の二戸依里さんはこんな人
ある日彼女はふとやってきて、そっと誰かの胸にともしびを灯し、気が付くとすっと消えていきます。神出鬼没というか、そこら中にいつもいるというか、声高ではなく、静かで不思議な人。小さなともしびは、だんだん大きくなります。二戸さんはそんなふうにしてこのうん十年、みんなと触れ合ってきたようです。行き届いた所作と、やさしさで。こんな人がいると、空間が、場が、世の中が変わるのですね。なるほど、こうして世間は変わっていくのですか……よくわかります。
二戸依里(神奈川県公立中学校非常勤講師・やまゆり生協理事長)著
(定価1600円+税)2022年6月21日 発売
ISBN 978-4-910545-02-8
この本について
☆ 浅川嘉富さんは激しい口調でこう言いました。
「ここに来たいと思っても来られない人もいるし、来てもわたしに会えない人もいる。でもあなたは会えた。きっとご先祖に徳のある人がいたんでしょう。だからあなたはギリギリ間に合ったんだ。
もう時間がないんだ!」
☆ このひと言にガツンと打たれ、わたしはポロポロ涙を流しました。
大きなものに覚悟を迫られている、そう感じたのです。
☆ このひと言をきっかけに、わたしは迷っていた、ある生協の理事長を引き受けるという決断をしました。すると、出会う人、起こる出来事、生きる世界が、ぐんぐん変わっていったのです。
☆ そのころからです、「あなたには白龍がついていますよ」「遠い星からたくさんの魂を引き連れていますね」などと言われるようになったのは。……これは一体どうしたのでしょう?
変化の大波に「よし!」と乗った著者はどうなったのか?
編集部より
二戸さんは中学校の非常勤講師。さらに、ある生協の理事長を兼務しています。
年齢は50代。ですが、純粋で、軽やかな何かを纏っているようで、まるで十代半ばの女の子と話をしているようなのです。ピンと感じたら、誰でもどこでも、後先考えることなくすぐに行きます。
するとそれが思いがけない人や場所との出会いに繋がっていく。
そして、いつの間にかステージが変化し、誰かの役に立っている——そんな方。
「アセンション」と呼ばれる変化の渦に同調し、自然と乗っかって、気がついたら、
「わたし史上、最高のわたし」になっていた——
いま、著者と同じように「史上最高の自分」を体現している人たちが増えているのを感じます。
この本には、「こうすれば幸せになれる」「引き寄せのやり方」そんなことはありません。
この世の動きとリンクした著者の大きな変化、それがそのまま描かれています。
それを感じたら、きっとあなたの内側にある何かと共振するかもしれません。
あなたは、どんな「新しい自分」「新しい世界」を選びますか?
目次
(まえがき)大きな変化の風
(第1章)二足のわらじ
(第2章)伊豆の海で見たUFO
(第3章)龍にいざなわれて
(第4章)シンクロニシティ
(第5章)縁起の糸を辿る
(第6章)「もう時間がないんだ」
(第7章)魂の教育
(第8章)神名をいただく
(あとがき)大きな力に揺さぶられて
著者略歴
二戸依里(にと・えり)
青森市生まれ、横浜育ち。実践女子大学文学部国文学科卒業後、神奈川県公立中学校教員(国語科)に。体調不良で一旦退職したのち、臨時教員として再び公立中学校、ろう学校、特別支援学校等に勤務。教員歴30年を越える。他方、オーガニックな暮らしを求める活動に共鳴し「やまゆり生活協同組合」理事長に就任。そのころを境に新しい出会いが増え、シンクロ体験が頻発し、見知らぬ人から「あなたには白龍がついていますよ」と言われるなど、新しい自分を発見することになる。本書はその変化を記したはじめての本。好きなことは、風に吹かれることと、空を眺めること。
売れ行き良好書心・体を癒す青木 秀夫 (青木クリニック院長)
「バイオサンビーム」で病気が治った(青木クリニック院長 青木秀夫著)
”治る治療”を追求してきた
ある医師の物語
青木秀夫(青木クリニック院長)著
(定価1600円+税)
この本について
著者19歳。受験に失敗して浪人中、鬱屈していたある日のことです。
ぶらり入った本屋で、一冊の本に出会いました。
『人間の運命』(新潮社)。
ふーん、人間の運命……?
作家芹沢光治良の自叙小説です。
主人公の名前は森次郎。
強い意志をもって人生を切り開くその姿に深い感動を覚え、著者は
「自分だって社会に裨益する人間になりたい」と深く心打たれます。
全14巻をむさぼり読んだころ、著者の魂にカチッとスイッチが入りました。
学業成績「中の下」程度の青年が、
「自分の使命を私利私欲なく忠実に追求すれば、道は開かれる」
という芹沢光治良の言葉に押され、「よし、病気を治す医者になる」
と志を立てたのです。
『人間の運命』――この本が青年の運命を変えました。
芹沢先生は人生の師となりました。
とはいえ医大受験は失敗続き。
一浪、二浪ならまだしも、ようやく八浪の末に医大に合格し、
なんとか呼吸器内科の医者になります。
五年ほど後、臨床にも慣れ一人前になったと思っていたある日のこと。
「自分は本当に患者さんを治しているだろうか?」
という疑問が湧きました。
患者さんの病気の原因を突き止め、きちんと治るべく対処しているか。
病気を治す医者に向かっているか、漫然と医者らしいことをやっているだけ
ではないか……と。
目の前にある医療現場は「治らない現代医療」の集合体のようです。
治らないままずっとそこにいる患者さん、治らないで退院していく患者さん、
亡くなる患者さん――。
それを横目に見ながら、医者たちは自分の研究テーマに精を出し、目先
の仕事をこなし、対症療法に労力を費やしているように見えました。
紛れもなく自分もその一人です。ガーンと一発頭をぶん殴られたようでした。
——————–
治っちゃった
——————-
こんなざまじゃ“病気を治す医者”なんかになれない――
新規まき直しとばかりに、著者は「食」を学びなおし、東洋医学、漢方
へ目を向け、導かれるようにバイオレゾナンス医学(矢山利彦医師の提唱)
に出会います。
人間をエネルギー体としてとらえ、バイオ(生体)が発するレゾナンス
(波動共鳴)を診る――医学です。
これぞ求めていたもの。夢中で取り組みました。
ある日、思いがけないアクシデントのおかげで、「バイオサンビーム」という
療法を思いつきました。患者さんの胸に紙カードを付け、漢方中心の投薬を
する――基本はこれだけです。この療法で、「治りません」と言われた病気が
次々と治っていくのです。
●脳下垂体の腫瘍の40代女性。脳に溜まった歯科金属が原因と診断。歯科
治療で金属を除去、デトックス漢方薬の服用で、2年後にがん消失。
●80歳の前立腺がんの患者さん。前立腺がん対応のカードと漢方薬を処方。
病因を取り除く生活(乳製品・生ものを摂らない、電磁波対策など)を徹底
することで、4カ月で完治。
●新型コロナウイルス、リウマチ、アトピー、皮膚病、乳がん、すい臓がん
等々、よそで「手の打ちようがありません」と告げられた患者さんが、カード
を身に付け、漢方薬中心の処方を受け、生活改善することで、「治っちゃった」
のです。
著者の「青木クリニック」は静岡県富士宮市内房の田んぼの真ん中にあります。
富士川が流れ、見慣れぬ角度で富士山が顔をのぞかせ、里山がぐるりと
周りをとりまき、のんびりゆったりした風景の中にあります。
クリニックがうまくいかなかったらここで自然農でもするか……そんな覚悟を
決めての開業でした。
新幹線「新富士」駅から車で30~40分、身延線「芝川」から徒歩20分。
交通至便とはいいがたく、辺鄙なところです。
でも開業以来18年間、診察した患者さんは1万8千人。
片田舎の小さなクリニックに、全国から患者さんが押し寄せています。
東洋医学では古くから医者のランク付けがあるそうです。
「上医は未だ病まざるものの病を治し、中医は病まんとするものの病を治し、
下医はすでに病みたる病を治す」
著者の目指すのは、「未だ病まざるものの病を治」す上医への道です。
下医から、中医、上医へと進む光の道――予防医学への展望です。
予防医学としてのバイオレゾナンス医学が普及すること、
それが青木さんの目指す地点です。
志を立てて、そこを目指す。
芹沢光治良の『人間の運命』(全14巻)『神の微笑』『神の慈愛』
『神の計略』他を、改めて読み直ました。若いころ流し読みした印象とは違い、
青木さんのこの本を読んだ後で読み直すと、芹沢さんという作家の大きさに、
深く打たれました。こういうすごい作家がいたんだなあと。
いい本、まっとうな本、社会に裨益する本――
自分も初志を思い出さなければいけないなと。
一歩進んだ医学です。
「あなたの病気の原因は分かりません」
「打つ手がありません」などと言われたら、この本をご一読ください。
きっと展望が開かれます。
目次
(オマージュ)仮想現実から覚醒したわが同志 矢山利彦
(はじめに)「病気を治す医者になる」
(第1章)社会に裨益する医者になる
(第2章)治る医療を求めて
(第3章)バイオレゾナンス医学へ
(第4章)バイオサンビームの世界
(第5章)現代病へのアプローチ
(第6章)見えない世界を可視化する
(あとがき)
(著者のこと)医療と神のスピリットをつなぐ本 井手 恵
著者略歴
青木秀夫(あおき・ひでお)
青木クリニック院長。バイオレゾナンス医学会認定医師。
1950年静岡県沼津市生まれ。沼津東高校卒。浪人中に芹沢光治良『人間の運命』と出会い、社会に裨益する人間、とりわけ「病気を治す医者」になる志を抱く。早稲田大学理工学部に入学するも、芹沢文学に触発された初志を貫き、八浪の末、浜松医大に合格。卒業後、浜松医大第二内科呼吸器内科、榛原総合病院、焼津市立総合病院、共立蒲原総合病院に勤務。この間東洋医学、漢方を独学で学び、治る医療を求めて、矢山利彦氏率いるバイオレゾナンス医学に出会う。2003年静岡県富士宮市郊外に青木クリニックを開業。2011年、精神的な活動の場として医院隣に「長寿の館 森次郎」をオープン。
『落ちる! ーー そこから第二の人生が始まったーー』
自分を磨きたい、高めたいと思って私はまじめに生きていた。
でもある日、それだけじゃない、別の人生があるんだと気がついた。
新谷直慧 著
ISBN 978-4910545004
定価(本体1500円+税)
3月末発売
『落ちる! ~そこから〝第二の人生″が始まった』
帯津三敬病院 帯津良一先生がご紹介くださいました。
~後半生の輝き 老境のまばゆさ~
永年の友人である風雲舎の社長、山平松生さん から一冊の新刊本が送られてきた。
『落ちる―そこから“第二の人生”が始まった』(新谷直慧著) である。著者の新谷直慧さんは昔、何度かお会いした記憶のある色白の美人。年の頃は60歳ほどか。現在は出版企画、編集、ゴッドライターとして本の制作に携わっている。この本のテーマは「落ちる」。永い人生の間には誰もが何度か経験する突然起きるアクシデントである。
▼ 続きを読む最初は「どうしてこんなことが起こるの?」と落胆し、戸惑い、悩んだものの、結局は受け容れるしかないという。そうして受け容れることを重ねていくことによって、新たな道が始まる。すなわち、生まれる前に決めてきた魂の道が立ち上がってくるのです。それに気づき、 歓びに満たされること、それが「第二の人生」だと思います。
そして、「落ちる」ことの最初の体験は、ロッキー山脈にヘリスキーに出かけたときのことで、
――初日早々に滑落して、私のスキーは岩の前でかろうじて止まりました。あと1メートル超えていたら死んでいたかもしれません。命拾いしたものの、その恐怖感は思った以上に巨大でした。それを仲間たちに助けられて乗り越えられたとき、大きな解放感を経験し、「落ちる」ということは「飛ぶ」ことだと気づきました―― と述べている。さらに、人生には二つの旅があるとして、カトリックの神父であるリチャード・ロール氏の 言葉を引用している。
〝一つの旅は、あなたの人生を充実させ完成させるもの(前半生) 。もう一つの旅は、そこから降りることでスタートするもの(後半生)。 後者は、これまでなかった方法で、人生をまったく別の熟成に導くもの″ (『上方への落下』 ナチュラルスピリット)
さっそく『上方への落下』を買い求めてみた。なんと副題に、人生後半は〈まことの自己〉へと至る旅とあるではないか。これは貝原益軒の『養生訓』の「人生の幸せは後半にあり」 とぴたりと一致するではないか。貝原益軒の言葉がますます輝いてくるというものだ。
さらに前書きに、〝人生には少なくとも二つの大きな課題がある。第一の課題とは、強い『器』というかアイデンティティを作ることであり、第二の課題とは、その器に入れるべき中身を見出すことです。ほんとうの人生というのは、日々のさまざまなできごとの下にひっそりと流れているものです。この深い人生の発見こそ宗教者が 『魂の発見』と呼ぶものです″とある。
今度は心理学の河合隼雄先生の言葉、すなわち、
〝人生80年のうち、前の50年は自我の確立の時代。あとの30年は自己実現の時代″
これまた、ぴたりと一致するではないか。そして、問題の落下も普通の落下ではなく上方への落下、前方への落下であって、より深い世界に入っていくのだという。後半生とは、老いること、健康問題にわずらわされること、肉体的活動を手放すことではなく、魂が花開くことだったのだ。
まばゆい老境を手にすることこそダンディズムの粋か。(帯津良一 帯津三敬クリニック名誉院長)
(賃貸経営ニュース「和楽」5月1日号)
この本について
著者は、編集者兼〝ゴッドライター″。
40年以上本の制作に携わってきたベテランです。
自分を磨きたい、高めようと思いながら、本づくりにすべてをかけてきました。
ある日、彼女は驚くような言葉と出会います。
「人生には二つの旅がある。
一つの旅は、あなたの人生を充実させ完成させるもの。
もう一つの旅は、そこから“降りる”ことでスタートするもの」
これだ! これが私のテーマだ……!
というのは、これまで、何度も「落ちる」を経験してきたからです。
最初に「落ちた」のは、ロッキー山脈でのヘリコプタースキーでした。
青白い凄みを帯びたアイスバーンに身体が引けたのか、最初のターンで転んで頭から滑落。
ものすごいスピードでどうにも止まらない。死ぬんじゃないか!?
大きな岩にぶつかる直前で、私の身体は奇跡的に止まりました。
命拾いしたものの、その恐怖感は思った以上に巨大でした。
以来、仕事相手との相次ぐ決裂、裏切り、親の介護、自分の病。
思いがけないことが続きます。
最初は「どうしてこんなことが起きるの?
こんなに真面目にやってきたのに」と落胆し、戸惑い、悩みます。
なんとか立ち上がるものの、「落ちる!」は何度もやってきます。
受け止めるしかありません。
そのうちに、そこから始まるであろうストーリーを
心のどこかで楽しみにするようにもなっていきます。
コツは、たったひとつ、
「いいことなのか、悪いことなのか判断せず」に「受け入れる」でした。
起きたことをただただ受け入れていく。
自分のさかしらで道を選ぶことをあきらめたとき、
生まれる前に決めてきた魂の道が立ち上がってきます。
それに気づき、よろこびに満たされること、
それが「第二の人生」です。
著者だけではなく、この本に登場する人たちもみな、 「こんな人生を歩こう」と懸命にやってきた道が崩れてしまえば、 アインシュタインの言葉を見つけました。 文明の端境期をどう生きていくか、 目次 新谷直慧(しんたに・なおえ) 岐阜県飛騨市神岡に生まれる。東京女子大学短期大学部卒業後、シンクタンク、出版社勤務。36歳のとき、ある一冊の本をきっかけに本の役割を再認識し、編集制作会社リエゾンを設立。56歳、会社をたたんでフリーランスに。現在は出版企画、編集、ゴッドライターとして本の制作に携わるほか、トークイベントやセミナー等のコーディネーターとしても活動中。 http://liaison-ten.jp 「こんな本を書きました」と送られてきた原稿を一読したとき、 失敗や転落のさなかにあって、 原稿を10回は読みました。 頭で理解するというよりも、文章を通して五感で感じ、共鳴し、納得するような、 「タイトルは『落ちる!』です」という著者の強い意志も驚きでした。 大変化の時代、どう生きていくか。 ……あ、こういうことなのかもしれない。 世の中の見え方が、ぐるんと変わる、
一度ならず何度も「落ちた」経験をしています。
お金、健康、仕事……、
それまでの自分の努力が全否定されたように感じるかもしれません。
でも、そうではないのです。「第一の人生」の努力も無駄ではなく、
それがあってこその、「第二の人生」なんだ、と気がつきます。
「人は、自分以外のもののために生きられるようになって、初めて〈生〉のスタートを切る。
自分自身に向けたのと同じだけの関心を、仲間にも向けられるようになったときに」
あなたも私も、これまでとは違う世界を歩むことになるかもしれません。
「第二の人生」にシフトする。
さて、あなたは、どう生きますか?
第1章 落ちる
第2章 病気の原因は心
第3章 人の目は存在しない
第4章 仕事は次々と変遷していく
第5章 お金は生き方
第6章 人間関係の原点は家族
第7章 愛しかない著者略歴
出版社から
文章と行間からあふれ出てくる情熱の大きさに驚きました。
落ち込んだり自分を責めてしまっている人に、
「そうじゃないんだよ!」と伝えようとするその意思が、
色鮮やかに、温度をもって伝わってくるのです。
短期間でそんなに読めば飽きると思うのですが、
まったく感じませんでした。不思議。なぜだろう?
読むたびに、目に飛び込んでくる、いや、心が反応する箇所がちがうのです。
前回はスッと通り過ぎたページが、こんどは鮮やかに飛び込んでくる。
著者や登場人物たちが身体と心すべてで伝えようとしている、
「生きる本当のよろこび」が、自分の身体に響くようでした。
そんな本になったなあと思います。
本の表紙に「落ちる」なんて! それも、世の中が落ち込んでいるこんな時代に!
でも、読んでみて、ああ、そうだ、タイトルはこれしかない、と納得しました。
外側に答えや救いを求めるのは、違う。というより、答えなんかない。
自分にダメ出しをしたり、あきらめるのも、違う。
これは、とてつもなく大きなシフト。
ぜひ、それを体感してほしいです。
—白隠さんの『延命十句観音経』を読む
汝のこころを虚空に繋げ (帯津三敬クリニック院長 帯津良一著)
――白隠さんの『延命十句観音経』を読む――
帯津良一 著
ISBN 978-4-938939-98ー4
定価(本体1500円+税)
この本について
著者帯津良一さんは、食道がん専門の外科医。
多忙な日々を過ごしながらも、西洋医学だけではなく、中国医学、さらに
人間まるごと見る「ホリスティック医学」をエネルギッシュに実践しています。
大きな転機は、白隠さんと出会い、「虚空」を知ったことでした。
40年前のことです。
白隠さんの人生は苦悩の連続でした。
地獄に落ちる恐怖、
悟りを求めての厳しい修行、
富士山の大噴火、
大飢饉、
禅病といわれる難治の病、
ようやく治ったら、今度は弟子たちが病に倒れ……。
どう乗りきろうか?
弟子たちや、貧困にあえぐ庶民のために残したもの、
それが、
「『延命十句観音経』を読め。そうして「虚空」に繋がれ」
のメッセージでした。
――病気が治るとか治らないとか、生きるとか死ぬとか、
そんなことはささいなことだ。
私たちは虚空からやってきて、虚空に帰っていく存在だ。
虚空は「いのち」の故郷。
生きる目的は虚空と一体になること。
生きながらにして、虚空と一体になるくらいの覚悟で修行しなさい――
そんな白隠さんの檄(げき)を、帯津さんはわが身のこととして受け取ります。
「病気を治すことが、生きる目的になっていないだろうか?」
「仕事や、目の前の問題にとらわれて、
大事なものを見ないようにしていないだろうか?」
「人生の目的をどこにおけばいいのだろうか?」
「忙しくすることで、日々をやり過ごすだけでいいのだろうか?」
そんなふうに、白隠さんに魅せられていきます。
虚空とは、生命の根源である完璧なエネルギーの源であり、
生きとし生けるものすべての大いなる「いのち」そのもの。
虚空とのパイプが繋がれば、虚空のエネルギーがどんどん流れ込んできて、
自然治癒力が大いに働き始め、あらゆることがいい方向に流れ始める、と。
「いのち」そのものである虚空と繋がることで、
いま、この瞬間から、
「生きる」意味を知り、「生きる」意欲が湧き、生と死を統合し、
その上で本当に「生きる」人生が始まる――
と納得したのです。
帯津さんによれば、
「なぜ生きているんだろう?」
「この世で何をしたいのだろう?」
そんな問いを耳にすることが増えているそうです。
自分の生まれてきた目的を知りたいと思うのは、虚空と繋がりはじめたしるし、とも。
「人間の場」をみるホリスティックだけでは不十分だ、
必要なのは、さらに、素粒子から虚空まで、「場の階層」のすべてを
網羅する「大ホリスティック」だと、さらに進化する
帯津医師84歳、転換点の渾身の一冊。
目次
(はじめに)~不安な時代を『延命十句観音経』で乗りきる
第一章 なぜ『延命十句観音経』か
第二章 『延命十句観音経』を読む
第三章 白隠さん
第四章 大いなる虚空
第五章 祈りの力
第六章 内なる虚空
第六章 地球の場
(おわりに)~こんな時代だからこそ、虚空に思いを馳せる
帯津良一(おびつ・りょういち) 1936年埼玉県川越市に生まれる。1961年東京大学医学部卒業。 虚空は、天の遥か彼方にあるのではなく、 外の情報や、意識に惑わされず、 どんなに忙しくても、いつも朗らかな笑顔の帯津さん。 「では、どうすれば虚空に繋がることができるのですか?」 虚空と繋がるには、 帯津さんのいう「いのち」とは、著者略歴
帯津三敬病院名誉院長。がん治療に中国医学を取り入れ、
さらには「からだ」ばかりではなく、目に見えない「こころ」や
「いのち」を含めた人間まるごとを見るホリスティック医学を実践。
さらに2016年からは、人間の場だけでなく、すべての宇宙を
包み込む空間「虚空」にある「大いなるいのち」との繋がりまで
視野に入れた大ホリスティック医学を提唱している。
虚空と繋がることで「生まれてきた理由」「生きる意味」が見えてくると。
自らも、気功や『延命十句観音経』、さらには仕事が終わったあとの晩酌
といった日々のルーティンから虚空に思いを馳せて、いのちのエネルギーを
高める日々を過ごしている。診療、執筆、講演など、さまざまな活動を通して、
虚空と一体化する道を説き、それをライフワークとしている。担当者から
自分のうちにあるもの。
内の虚空と繋がる――
繰り返し読むことで、灯台のような明かりが灯るようでした。
あ、何かに気づきそう、と。
と聞くと、
帯津さんは満面の笑みで、三つの習慣を話してくれました。
ひとつ。気功、太極拳を舞う。
ふたつ。腹から声を出して『延命十句観音経』を唱える。
そして三つ目が、仕事をやりきったあとでの晩酌だと。
晩酌は、生の総仕上げ。日々、今日が最後の日だと思って
盃を傾けるのだそうです。
私の単独の「命」ではなく、
おおきな「いのち」だと、
それと一緒になって、いのちを生ききろう、
そう思うようになり、
私も毎日、『延命十句観音経』を声に出して唱えています。
(編集部 山垣忍)
『愛まく人 次元を超えて』
――“不争・不食の弁護士”は なぜ、どのように変身したか?――
定価(本体1800円+税)
ISBN 978-4-938939-97-7
内容
ホヤホヤ弁護士のころ、司法浪人中に「代替医療」に助けられたことから、
まじめに勉強してみたいとホメオパシー学校に入学。
その仲間とイギリスのストーンサークルを訪れたときのことです。
あれ? ストーンサークルの中のある石が
「ウォーン、ウォーン」とパルス(振動)を放っています。
「なに、これ?」と近づくと、パルスはどんどん大きくなって、
突然その石から「パーン!」と強い衝撃音とともに、
何かが体の中に入ってきました。
すると音はスッと止み、元の静けさに戻りました。
その直後、「ありがたい」という想いとともに、なぜか涙が溢れて止まらないのです。
(スピリチュアルなんて言葉も知らなかったのに、初めて体感した瞬間。)
笑顔に惹かれて行ったジャスムヒーンさんのワークショップ。
ものを食べずに「プラーナ」だけで生きていけると知り、
「不食の弁護士」になりました。
アマゾン熱帯雨林の保護活動に動き、
パレスチナ、イスラエル両国を訪ね、
平和の祈りをする。(なんで? どうしておれが……?)
ChieArtのChieさんの「光の絵」にひとめぼれ。
忘れていた「魂の始まり」を思い出しました。
絵なんて嫌いだったのに。
上江洲義秀先生の「光話」。
敵も味方もない。あるのは、ただ愛。
闇の世界だって、愛を送れば争いはなくなると確信。
「争わない弁護士」に。
和真音さんのシンギング・リン。
その音色を聴いた瞬間、懐かしさが込み上げ、心地よさに包まれた。
音は、言葉を超えた波動だ、波動は共振・共鳴し、伝播する――
すごい!
気が付くと、インディアン・フルート、石笛、ディジュリドゥなど、
古くからある楽器がどんどん届くようになった。
自分が楽器を鳴らすなんて!
神社や祈りの場で音を奉納することになるなんて!
へえ、不思議。
環境活動家の山田征さん。
自動書記を朗読したCD「るしえるのうたえる詩」を聴いて、涙が溢れて止まりません。
彼女との出会いが、闇の過去生を思い出すことにつながりました。
真っ暗闇のどん底から光の世界へ。
神聖幾何学綿棒ワーク。
ただ手を動かしていくだけ。それなのに、深い内観へと導かれていく。
そうして、運命の人、「桃子」というツインレイとの出会い。
不思議な人・もの・こととの出会いを経て、
「不争・不食の弁護士」から「愛まく人」へ。
「人生は、その人の魂が決めています。私に限らず、誰でも。
外側の状況に振り回されず自分の中心から離れずにいれば、
魂の意図から離れることはないでしょう。
余計なことを考えず空っぽな器でいれば、空っぽになった分だけ入ってくる。
多分私は、ゼロに近い超微細なエネルギーに向かって昇華していくのでしょう。
《愛まく人》として、桃子とふたりで」
秋山佳胤(あきやま・よしたね) 弁護士・医学博士(代替医療)。1969年東京都生まれ。92年東京工業大学理学部卒業。 05年英国グラストンベリーへの旅で「波動の世界」を知る。 著書に、『誰とも争わない生き方』(PHP)『不食という生き方』(幻冬舎) 1 過去生で、私は最強の戦士だった! 著者・秋山さんは弁護士。 秋山さんを評する言葉に、「不食の弁護士」があります。 もうひとつ、「争わない弁護士」という異名もあります。 「不食・不争の弁護士」もかなりユニークですが、 「どうしてこんなところまで来たんだろう?」といぶかしがりながらも、 こんなふうに語っています。 秋山さんは自らアセンション(次元上昇)しているのです。著者略歴
95年司法試験合格。2008年ロータス法律特許事務所設立。
09年ホメオパシーによる健康相談を始める。12年ホメオパシーの実績で医学博士号。
以後、不思議な人・もの・こととの出会いが続く。
Chie ArtのChieさん、ジャスムヒーンさんのプラーナを知り不食の道へ。
上江洲義秀先生。熱帯雨林保護ミッションでアマゾン入り。
地球サミットに参加。平和使節団としてパレスチナ・イスラエル訪問。
15年「皇居勤労奉仕団」の団長として天皇皇后両陛下に会釈を賜る。
シンギング・リンの和真音さん、磯正仁さん、
17年山田征さん、18年トッチさんとの出会い。神聖幾何学綿棒ワークを始める。
19年ハワイ島キラウエアとマウナケアで夏至の祈り。
言霊、音霊、形霊(神聖幾何学綿棒ワークによる瞑想)を経て、
“不食・不争の弁護士”から、次元を超えて“愛まく人”へ。
世界各地を行脚している。
『選べば未来は一瞬で変わる』(Chieさんとの共著 ヒカルランド)
『神聖幾何学とカタカムナ』(吉野信子さんとの共著 徳間書店)など多数。目次
2 誰とも争わない生き方
3 魂の仲間
4 ホメオパシーの健康相談
5 ジャスムヒーンさん
6 ChieArtのChieさん
7 我すでに神なり……上江洲義秀さん
8 森の女神との出会い
9 音と波動の世界
10 日本のルーツ・伊勢神宮と皇居へ
11 神々の花園
12 パレスチナ・イスラエルを訪ねて
13 エリ・コーヘンさん
14 世界一幸せな国ブータ
15 山田征さん
16 魂の兄弟
17 神聖幾何学の世界
18 過去生を知る
19 闇から光の世界へ
20 ツインレイ
21 仏陀がいた
22 地上の楽園
23 連鎖する
24 令和は「有事」の時代?
25 コロナウイルス
26 愛まく人担当者から
特許や著作権などの知的財産が専門でした。
あるきっかけで、プラーナという空気中にあるエネルギーを知り、
人間生きていくのにプラーナだけで十分だとして、「不食者」(ブレサリアン)になります。
以来、「不食の弁護士」と呼ばれるようになりました。
弁護士就任当初は、もちろんビジネスライクに戦う材料を準備し、
最大限に相手を叩いたりしていたのですが、経験を重ねるうちに嫌気ざします。
依頼者や相手方のことを考えれば、裁判になる前に和解で解決するほうがお互いのためになる、
同じ地球という星に暮らす人間、究極的には仲間、
潜在意識的には皆ひとつにつながっている――と分かったからです。
だから相手に、いつもこんな言葉を送っていました。
「あなたのおかげで私がいます、ありがとう」
すると不思議と和解が成立し、相手方からもお礼を言われるようになったのです。
やがて著者は弁護士卒業を宣言して、大きく飛翔します。
波動の世界、言霊、音霊、そして形霊、闇と光の世界へと。
そのどれもが自分にとって必要不可欠だったそうです。
次元を超えるように、何ものかに惹かれるように、変身するのです。
著者は、「不食・不争の弁護士」から愛の語り部、「愛まく人」へと舵を切りました。
それが自分の役目だ、と信じて。
……「愛まく人」とは、ある意味、導管(パイプ)になることだと思います。
「私」をなくし、我(エゴ)を消し、自然そのままに、天からの愛の波動を他に伝えること。
むろん弁護士になった当初は、お金や地位、名誉など人並みの望みがなかったわけではありませんが、ここ数年来、雲散霧消してしまいました。自分の気持ちがもっと大きなものに向かい合うようになったからです……
ジュネ(Noel Spiritual)売れ行き良好書本当の自分を発見する
——魂につながる物語
アカシックレコードと龍(ジュネ著)
――魂につながる物語――
ジュネ(Noel Spiritual)著
定価(1500円+税)
ISBN978-4-938939-96-0
内容
運命を観て、心を読む家系に生まれたジュネ。
でも聴こえてくるのは、人の悪口や嫌な声ばかり。
それでも祖母や仲間たちに支えられながら、
ジュネはめげることなく心を探求し、
いじめや悩みを乗り越えていく。
成長したジュネは、運命に導かれてフランスに渡る。
魔女やシャーマンたちと出会い、
ある日、モン・サン=ミッシェルの大聖堂で、
スフィアというエネルギー存在から、
「アカシックレコード」のデータを受け取る。
……以来、不思議な出来事が続く。
最後にジュネの前に現われたのは、
すべてを知っている大きな金色の龍だった……。
「心って何だろう?」
「どうしたら幸せになれるんだろう?」
という疑問を持ちながら
ジュネが出会った「アカシックレコード」。
さらに、胎内記憶にあるという「ブループリント」
(命の設計図)。
すべてを知っている龍の正体とは?
帰国後、ジュネはサロン「Noel Spiritual」を開く。
アカシックレコードを人々に伝え、
「ブループリントを思い出して……」と語り、
「魂に添った歩き方」をささやいている。
あれから8年。
「Noel Spiritual」は、「本当は教えたくないけど」と噂され、
予約が取れない不思議なサロンとなった。
美しいカラー写真と共に、おとぎ話のような実話。
本文より
(モン・サン=ミッシェルで)
気持ちよく晴れた午後。
遠くに見えるモン・サン=ミッシェルに向かい、
一人歩く。
スカイブルーの空と穏やかな風を楽しむように、
カモメが気持ちよさそうに飛んでいく。
15分ほど歩いただろうか。ようやく道の半分まで
きたところで、ふと空気が変わったように感じた。
ふんわりと暖かく、すべてが愛しくなるような、
ホカホカとした不思議な感覚に包まれていた。
まるで見えない境界線を越えたかのようだった。
あまりに気持ちがいいので、その場に立ち止まり、
ゆっくりと周りを見渡す。
すると、驚く光景が目に入った。
「空気が変わった」と感じた場所で、歩いていた
カップルたちが、微笑み合い、キスしはじめたのだ。
家族連れは示し合わせたように、笑顔で一斉に手
をつなぎはじめる。
このゾーンに入ったとたん、みんなが愛という魔法
にかかったようだった。
(龍)
龍の声がした、
《お前は特別ではない。だから選ばれたのだ。
だが、お前は自分を勘違いし、走ろうとしたであろう》
《玉はしかと受けとった。お前の望みはよぅくわかった。
お堂の近くに大きな杉の木がある。そこへ行け》
龍は一言そう言うと、悠々と富士山へ去っていった。
お堂のほうへ降りていくと、龍の言うとおり、
大きな杉の木が天に向かって真っすぐそびえ立っていた。
その周りには囲いがあり、木に近づくことはできない。
木には触れられない。
どうすればよいのか思案していると、突然頭の中に、
アカシックレコードのデータがダウンロードされた。
著者略歴
イトウジュネ
神奈川県出身。シャーマンの家系に生まれ、幼少
より「心を読む」ことに親しむ。産業心理学を学び、
商業デザイナーとして独立。フランスの旅で「スフィア」
と呼ばれるエネルギー体に出会い、アカシックレコード
をダウンロードする。その後、胎内記憶にある「ブルー
プリント」の存在に気づく。それぞれの「命の設計図」だ。
以来、アカシックレコードを読み伝え、「なぜ生まれて
きたのか」というブループリントの記憶を蘇らせるサロン
「Noel Spiritual」を主催。病気や人生の仕組み、命の
記録などすべてを網羅するアカシックレコードをベース
に、具体的、詳細でリアルなセッションを行なう。誰もが
アカシックレコードにつながれる――と提唱するワーク
ショップは、さまざまな能力に目覚める奇跡体験を生み
だし、瞬時に満席となり好評を得ている。
目次
(龍の言葉)……《お前は特別ではない。だから選ばれたのだ》
(はじめに)見えない世界
(第1章)心って?
(第2章)自分の心の見つけ方
(第3章)フランスへの旅
(第4章)魔女たち
(第5章)スフィア
(第6章)アカシックレコード
(第7章)龍
(第8章)ブループリント
(第9章)目に見えない世界とあなたの力
(おわりに)ブループリント――魂につながる旅へ
担当者から
スラっと背の高い、びっくりするような美人がわが
社に姿を現わしたのは2年ほど前のある日。
陋屋(ろうおく)には、似つかわしくない。
掃き溜めに鶴?
話してみると、まさしく新人類。
「クリスタル・チルドレン」?
いや、それも超えている。
言うこと、なすことがまるで違う。
前世、過去生、生まれ変わり、魂……。
何でもよく知っている。
全部知ったうえで、この世にスッと舞い降りた、
という感じ。
それもそのはず、これまで経験した旅の内容が
すごい。
(こりゃ、すごい!)と感じたのが、以下の場面。
「スフィア」と呼ばれるエネルギー体との会話のシーン。
声が聴こえた。
《私はスフィア。すべてを司るエネルギー》
(……何の声? )
そう思ったとたん、あらゆる角度に光を放って
いる巨大な、丸いホログラムが映し出された。
映像の中に私がいた。
私が体を動かすと、巨大なホログラムが光を発し、
私に合わせてバランスをとろうとするように動く。
これは何?
(このホログラムが、あなたなの? )
《私はエネルギーだ》
静かな返答が返ってきた。
次に、
(アカシックレコードについてのシーン)
《この世のすべてはエネルギーでできている
物質も、お前も、この星も、目に見えないものも。
すべてはエネルギーが基にある》
……すべてがエネルギーでできている?
そう考えた瞬間、見たこともない奇妙な記号の羅列
が、ザーッと脳裏に走った。
プログラムのような映像は次第に形を成し、
人生の記憶として走馬灯のように流れ出した。
原始時代、中世のヨーロッパ、アラブ、チベット、
エジプト、アラスカ、アメリカ大陸。
男だったり、女だったり、さまざまな時代、さまざまな
国々を転々とした生まれ変わりの記録が映し出される。
大変なことに気づいた。
これらすべてが私だったのだ。
どの場所にも、どの時代にも、どの星にも、
命の記憶のすべてに、私が宿っていた。
何から何まで私の経験だった。
すべてが私だった。
……私が今、見たものは?
《アカシックレコード》
スフィアの声が、また、美しく響いた。
こんな調子で著者は、自分の物語(ストーリー)を語ります。
ほんまかいな?
夢見がちな女の子がでっち上げた夢物語じゃない?
とも一瞬考えた。
いや、それにしてはディテールがしっかりしている。
夢物語では、こうもうまく構成・展開できはしない。
こんな調子で物語は展開する。
ルルドの街で会った魔女との対話、龍との対話素晴らしい。
おとぎ話のような、実話です。
担当者はおかげさまでずいぶん物知りになり、
「魂に添う生き方」を選択しようと考えるようになりました。
ありがとうございます。
『宇宙人タマの「魔法の教室」』
……あのね、
だれだって心の奥に
「内なる小さな私」がいるんだよ。
「小さな私」に会いに行こう!
奥田珠紀(「魔法の教室」校長)著
定価(本体1500円+税)
ISBN978-4-938939-95-3
…………………………………………………………………………
「潜在意識の本をずいぶん読んだけれど、
『宇宙人タマの「魔法の教室」』ほど、
わかりやすく、すっと心に入るものはありませんでした」
(高松市・榊原佳代子さん)
…………………………………………………………………………
自分の中の二人
自分の中に「ウハネ」と「ウニヒピリ」という二人がいます。
「ウハネ」は、しっかり者のお母さん。
「ウニヒピリ」は「内なる小さな私」
著者タマはこう言い換えます。
しっかり者のお母さん(ウハネ)は「顕在意識」
「内なる小さな私」(ウニヒピリ)は「潜在意識」
「こう言い換えるだけで、タマの頭の中でイメージがどんどん膨らみ
ました。ウハネとウニヒピリ、この親子が、あるとき仲良しだったり、
しばらくすると喧嘩したり、自分の中で、さまざまなドラマを繰り広げ
ているのです」(本文より)
著者タマは、ウニヒピリ(潜在意識)の塊、みたいな子でした。
好きなように、思うがままに生きていました。
幼少期は、「宇宙のお母さん」とお話ししたり、精霊、動物や物と
会話する“宇宙人のような子”。小・中・高は、世間の常識や規則に
なじめず、”ヘンな子“呼ばわりされていました。なんで勉強しなけれ
ばいけないのか、まったくわからなかったのです。
だからお勉強はまったくダメ。美術のみ「5」。ほかはすべて“赤点王“
でした。
ずっとそのまま生きてきました。
でも大人になるにつれて、ウニヒピリのタマはどうにも生きづら
さを感じます。介護など福祉の仕事でようやく「生きている自分」
を見出した時期もあります。常識や社会のルールを超えた、本質と
本能がぶつかり合う場では、ウニヒピリがパワーを発揮するからで
しょう。
……困った
本当に困ったのは、結婚して子供が生まれてから。
4児の母。二人の障がい児。
病院、施設、学校、市役所、世間さま――賢い母を目指すものの、
タマは“本来の自分ではない生き方“にどうしても違和感が付きま
とうのです。どうしてこうなんだろう……?
「タマはコンプレックスの塊でした。学歴がない、資格もない、
結婚はバツがついているし、目をひくような美人でもない。
育児も家事も、自慢できるようなレベルではない。ないない
だらけでした。それでもタマは、自分を雑に扱うのはやめよう
と思いました。
大人の仮面を脱ぎ捨てよう。タマはタマのまま生きよう。
「内なる小さな私」(ウニヒピリ)を大切にして、そのメッセー
ジを聞きながら、毎日をていねいに生きようと決めました。
そう考えると、心がすーっと楽になったのです」(本文より)
統合
そんなタマを救ってくれたのが「潜在意識」でした。
本なんて読んだこともないタマがふと手にしたのが『マーフィ
ーの法則』という一冊の本。すらすら読めました。まるで自分の
ことが書かれているみたいに。以来、赤点王のタマが、潜在意識
というタイトルがついた本なら、むさぼるように読みました。
バリ島で出会ったシャーマンの一喝もショックでした。
「あんたは、どうしてそんな要らないエネルギーをまとっているの?
あんたは、もっと天真爛漫なのに」
ガツンと頭をぶん殴られるようなひと言でした。自分を取り戻す道しるべとなった「潜在意識」。
ウニヒピリだった自分。
ちょっぴり社会のルールに慣れてきた自分。
ウニヒピリとウハネの統合です。
それでいい、とわかったのです。
大事なことは、「そんな自分を愛すること」でした。
潜在意識とヒプノセラピー
「これだ、潜在意識だ」と思ったタマは、ヒプノセラピストの道へ進
みました。ヒプノセラピーと潜在意識は密接につながっています。
これがめちゃくちゃ面白い。勉強嫌い、本を読むと吐き気がしていた
タマが600冊をこえる関連本を読み漁りました。
自分と同じように、多くの人が本来の自分に帰る道を探していること
に、タマは気がつきました。タマは自分の体験と知識をもとに2017
年、自分らしく、幸せになるための方法を伝えようと「魔法の教室」
を開きました。
これが大当たり。受講生は3千名を越えました。
好きなように生きるのよ
タマは宇宙人です。
タマのお母さんが「どうしても子どもを授けてください」と願掛けした
場所が、鞍馬寺。650万年前に、金星からきた「サナート・クラマ」
が降り立ったところです。タマはそのお力をもらったようです。
タマはこんなことを言いたいのです。
「自分の中のウニヒピリに気づきなさい。
それと仲良くなって、好きなように生きるのよ。
すばらしい人生が待ってるよ」と。
宇宙人タマは、いま翼を得たように世界中を飛び回っています。
「せっかく地球にやって来たんやから、たっぷり味わおう」と。
主な内容
(はじめに)タマは宇宙人です
(第1章)不思議な生き物タマ
(第2章)介護というタマの天職
(第3章)タマの愛しい家族たち
(第4章)タマらしく生きる
(第5章)潜在意識とヒプノセラピー
(第6章)ウハネとウニヒピリ
(おわりに)自分の生きたいように生きる
著者略歴
奥田珠紀(おくだ・たまき)
1974年12月17日 奈良県生駒市生まれ。幼少期、「宇宙のお母さん」や精霊、動物や物と対話する“宇宙人のような子”。小・中・高、世間の常識や規則になじめず、美術のみ「5」。ほかは“赤点王“。
高卒後、介護を含む福祉の仕事にようやく「生きている自分」を見出す。24歳で初婚(25歳で離婚)。男性恐怖症を乗りこえて30歳現夫と再婚。4児の母。二人の障がい児と向き合い賢母を目指すも、“本来の自分ではない生き方“に違和感。自分を取り戻す道しるべとなったのが「潜在意識」と「自分を愛すること」だった。
その後ヒプノセラピストへ。自分と同様、多くの人が本来の自分に帰る道を探していることに気づき、その体験と知識をもとに2017年、自分らしく、幸せになるための方法を伝える「魔法の教室」を開講。
受講生は3千名を越す。
(奥田珠紀オフィシャルページ)
https://www.okuda-tamaki.com
ガンは悪者なんかではない
病歴30年のガン患者がつかんだ知恵
― 一部を犠牲にして全体を生かす善玉である ー
大野聰克(大腸ガンで人工肛門に。
ガンとは何かを問い続ける)
(46ソフト 204p)
ISBN978-4-938939-94-6
定価(本体1500円+税)
2019年2月20日発売
ガンは、その人を助けるためにできた!
これが著者の言いたいことです。
ガンは悪者だ、体内に巣食った悪魔だ、憎むべき敵だ、
だから、やっつけなければいけない……これが世間のガン感覚です。
著者は、「ガンとはいったい何者か?」を30年近く考えつづけてきました。
医者でも学者でもないのに、なぜかというと、ガン患者だったからです。
45歳のときに、第4期の大腸ガンと診断され、直腸とS字結腸、それに転移のあった
まわりのリンパ節を切除。人工肛門になりました。その後、肝臓にも転移があり、
手術は難しいと言われ、目の前が真っ暗になり、絶望していました。
著者は今ピンピンしています。
「あれから長い年月が流れましたが、私は再発もなく、元気に生きています。
元気なだけではありません。ガンを契機に、生活が一変し、自分が大きく変わりました。毎日が楽しくてたまりません。自分の命が躍動しているようです。残りの人生が
こんなすてきになるとは思ってもみませんでした。ガンになったおかげです。
ガンは、敵に回すととんでもなく恐ろしい病気ですが、味方にすると何と頼もしいことか。そのことを私は実感しています。どうやったらガンを味方にできるのか。
ガンになった人は、
“なぜ自分がこんな病気になったのか”
“何も悪いことはしていないのに”と嘆きます。
自分の体の中に巣食う悪魔だと思っています。
私もそうでした。
ガンと診断されると、死の恐怖や不安に打ちのめされます。
恨みごとが出てきます。
そんなふうにとらえていては、ガンは味方になってくれません。
私は“ガンは何者なのか?”と考えつづけ、自分なりにガンの正体が見えて
きたつもりです。
ガンは悪者なんかではなく、一部を犠牲にして全体を生かす善玉であり、
ガンと仲良くなりました。今では、「その人を助けるためにできたもの」
と断言できます。
老木の「うろ」
「山歩きをしていると、一本の太い老木が目に入りました。
長い間ずっとここにいたのかと思うと、尊敬の念さえわきあがってきました。
根元を見ると“うろ”と呼ばれる空洞がありました。うろというのは、幹の細胞
死んで、空洞になっている部分です。なぜ、うろがあるのだろう。
そうだ! と手をたたきました。
庭木が葉を落とすのと同じことなのです。
老木になれば根から水分や養分を吸い上げる力が落ちてきます。
平等に養分を分けてしまったら、どの細胞も水分・養分不足になってしまいます。
それでは、木の命が維持できません。
なるほど、老木は、養分を使わなくていいところを設けているのです。
最初は必要最小限の葉っぱを落とすことで乗り切ろうとしたかもしれません。
しかし、それだけでは追いつかなくなりました。それなら幹が犠牲になろうということで、うろができたのではないでしょうか。
以前は、この空洞が大きくなって木が枯れてしまうのではないかと思っていました。
空洞は木を枯らす悪者だと考えていたのです。
しかしそうではないのです。
空洞は木を生かすためにできるのです。
人間にとってのガンも老木のうろと同じなのではないでしょうか。
わかった!
「ガンはその人を助けるためにできたもの」と考えると、私のガンがなぜでき、
なぜ完治したのかということもきちんと説明できるのです。
私の体にガンができたのは、毎日、大きなストレスを抱えて暮らしてたためです。
それに、冷たいコンクリートの上での仕事でしたから体も冷え切っていました。
食事も不規則、睡眠不足、一日中工場の中にこもっていましたから運動不足。そんなことが重なって、血流はとても悪くなっていたはずです」
「ガンは悪者なんかではない」
そうとらえれば、治療にも迷いはありません。
仕事をきっぱりやめ、ストレスとおさらばして、気功で汗を流し、大声で笑い、
仲間のために動き、血流を良くして、ときめくことに精を出し……
こうして私は全く別人になりました。
帯津良一医師(帯津三敬病院名誉院長)が絶賛
「この人の生き方を見てください。
これぞ、自然治癒力を活かした最良の帰還例です」
主な内容
(はじめに)「ガンとはいったい何者か?」
(第1章)自然治癒力を高める道(対談)帯津良一vs.大野聰克
(第2章)私のガン体験
(第3章)人生が変わってきた
(第4章)すべての存在に意味がある
(第5章)ガンは悪者なんかではない
(第6章)ガンには血流を良くするのが一番
(おわりに)希望が見える
著者略歴
大野聰克(おおの・としかつ)
1945(昭和20)年長野県下伊那郡山吹村(現・高森町)生まれ。飯田工業高
校電気科卒業後、民間企業勤務を経て、1980年埼玉県川越市にて、電気機器、
高周波関連機器を製造する「フィールドビッグ」を設立。1991(平成3)年、
帯津三敬病院にて直腸ガン4期と診断され手術、人工肛門となる。それを機
に生活を一変。仕事人間から抜け出し、ストレスを減らし、気功や仲間との
語りを大事にする、楽しい暮らしに入る。1999年(53歳)帯津三敬病院職員
となり、患者相手に気功、ビワの葉温灸をしながら、札所巡り、登山、ブド
ウ狩り、患者仲間で作った「患者会」の運営などに専念。他方、告知以来、
ガンとは何かを考えつづけ、「ガンは悪ものではない、一部を犠牲にしなが
ら全体を生すかためにできた善玉」との結論を得て、「血流を良くする」暮
らし方を周りに勧めている。
担当者から
編集子が帯津三敬病院を最初に訪ねて、もう25年ぐらいになります。
元の場所、埼京線の線路わきにあるころからです。帯津三敬病院には
100回ぐらい通ったと思います。
帯津先生の原稿を頂戴するため、と言えばかっこいいのですが、実際は
先生と一緒に飲んだり食ったり、川越の街に繰り出しては酒を飲むのが
主目的でした(飲む行為の代償として帯津先生の本が5冊あります)。
「帯津先生は現代の聖人だ」とぼくはずーっと思っていますから、先生
との場にいると、心が安らぎ、癒されるのです。
あるとき、ふと気が付きました。
この本の著者・大野さんの存在です。
気功のときも、ビワの葉温灸のときも、帯津先生の講話の際も、いつも
ひっそりとその場にいて、目立たぬように、いつも誰かのお役に立って
います。人知れず”菩薩行”をしている人なのだろうか、とぼくは思って
いました。
「あの人、何者?」と先生に聞きました。
「ああ、大野さんね、すごい人だよ」と先生。
最初、大野さんは患者としてこの病院に入院。手術を受け、人工肛門になります。
手術後もよく病院に通いました。気功が面白くなり、患者仲間との語り合いに、
よく顔を出すようになりました。これが楽しかった。
それまでの仕事仕事の暮らしに、こんな楽しみはありません。
その後大野さんは会社を閉じて、帯津先生に「この病院で自分が働けないだ
ろうか」と相談します。電気は強いのですが、病院関連には何の資格もあり
ません。でも人様のお役に立つことはできます。
帯津先生も困ったことでしょうね。
飯が食えるだけ、という報酬で、大野さんは職員になります。
その後の暮らしは、以下のとおりです。
「ガンは悪者なんかではない。その人を助けるためにできた」という確信が高まり
ます。ポイントは血流を良くすること、そう狙い定め、仕事をきっぱりやめ、
ストレスとおさらばして、気功で汗を流し、大声で笑い、仲間のために動き、
血流を良くして、ときめくことに精を出し……こうして全く別人になりました。
「そうなったらやってみよう」と思わせてくれます。(文責・風雲斎)
1日100回ありがとう
……自分を大切に、人を大切に、自然を大切に……
アメリカで芽生えた「ありがとう道」
南サンフランシスコ
金光教布教所センター長 川初正人著
ISBN978-4-938939-93-9
〈46判並製 272p〉
定価(本体 1500円+税)
💛著者は金光教の教師です。
両親も同じ金光教の教師です。
少年のころ、家に帰ると、教会の片隅に座り、一日中信者の人々と話している父の姿があります。
「なんと陰気な生き方だろう。あんな風にはなりたくない。
いつか必ず教会からも両親からも自由になって、世界に飛び出したい。そのためにしっかり勉強し、身体を鍛え、海上自衛官を目指そう」。それが希望でした。
さっさと飛び出したかったのです。
💛意気揚々
あこがれの海上自衛官になりました。世界一周航海の乗組員に抜擢され、著者は意気揚々としていました。ところがいざ出港という前夜、まるで臨死体験のような、とてつもない出来事に襲われます。
自分の臨終のさまを見せられたのです。
みじめで、絶望的な死にざまでした。
💛「お前もこのとおりになりたいか?」
大勢の人がとぼとぼ同じ方向に向かって歩いています。
みんな重い足どりです。お金やモノの欲望のまま生きてきた結果、本来の生きる目的を見失っていたことに気付いた人たちです。その姿は、人生の行きつく先を見せているのでした。
向こうに断崖絶壁があり、人々はまっすぐその断崖絶壁まで歩いてきては、次々と底知れぬ暗闇に落ちていきます。
凄まじい光景でした。
目をそむけたくなったとき、声が聞こえました。
「すべて終わりがある。例外はない……」
その声に、思わず問いかけました。
「……そうです。それはわかります。……ですが、このような形で終わるしかないのでしょうか」
声はこう続けました。
「お前もこのとおりになりたいか?」
愕然としました。
「この人生で本当に達成したいことは、モノの豊かさではない。
心の豊かさこそ、自分がこの人生で手に入れたいものだ。
この世の、目先の小さな物質的な成功を追い求めている暇などない。この世を終えるときには、満足でいたい。大満足でいたい。胸を張ってあの世に帰りたい」
そう思うと、いてもたってもいられなくなりました。
ふと、教会の隅に座り、迷った人々と話をしている父の姿が脳裏をよぎりました。「……あそこに解決の糸口があるかもしれない」
自分の人生の目的を思い出さなくてはならない。その糸口が見つかるなら、どこにでも行こう、何でもしようと思ったのです。
遠洋航海を断り、海上自衛官を除隊することを申し出ました。
あれほど逃れたかった両親のもとに帰ることにしたのです。
そこに、救いの糸があると思ったからです。
💛アメリカでの布教
著者は根性を入れ替え修行に励みました。
人生の目的、それをつかみたかったのです。
ご本部でお勤めしていたある日、「アメリカでの布教」を命じられます。
ちょっとのつもりが、結局、在米46年になりました。
慣れない暮らし。通じない英語。いいことも悪いことも続きます。
難儀が襲いかかるたびに、著者は神に「あなたの存在を見せてくれ」と、命がけで神に祈ります。神は、確実に応えてくれました。
こうして著者はまっすぐに、神との対話の暮らしに入っていきます。
サンフランシスコ、ハワイ、サクラメント、またサンフランシスコへと移り、だんだんお勤めにも慣れ、サンフランシスコ教会の教会長に任ぜられました。周りの様子も見えてきました。
💛ゴミ拾い
いま現在、著者は布教のかたわら、武道や書道、漢字を現地の人に教え、一方で、ゴミやたばこの吸い殻を拾って歩く毎日です。
拾い始めたころは、誰も理解できなかったらしく、「市の掃除夫ですか?」「どうしてそんなことをしているの?」とよく聞かれました。
「乞食野郎」とののしられたこともあります。
でも、かまわず続けました。
賛同者も現われ、今ではサンフランシスコの掃除大臣と呼ばれるようになりました。
💛「1日100回ありがとう」
もう一つ、取り組んでいるのが「ありがとう」です。
布教をしていくと、難儀な状況がいろいろやってきます。ありがたくない状況をありがたいそれに変えるために、「ありがとう」を唱え始めたのです。1日100回から1日千回へ。今では1日1万回になりました。もう20年になります。
「ありがとう」という言葉こそ、心の救済に必要不可欠であるという考えにたどり着いたのです。「ありがとう」という言葉それ自体に力がある。そう確信することができました。そして「1日100回、ありがとうと唱えましょう」という運動を始めるようになりました。
目次
(オマージュ)私心のない、まっすぐな道 江田道孝
(はじめに)自分の臨終の姿を見た
(第一章)両親
(第二章)修行
(第三章)アメリカへ
(第四章)北米での金光教
(第五章)天国は地獄の下に
(第六章)生死一如
(第七章)「ありがとう」の力
(第八章)「ありがとう」の人たち
(結びに)今この時を生きる
編集部から
著者を駆り立てたのは、金光教の教師になることではありま
せん。何のために生きるか、生きる目的は何か—という本源的
な衝動でした。モノや名誉やお金ではない何か。それをつかみ
たかったのです。
教会の教えや社会活動、ゴミ拾いや「ありがとう道」を通して、
著者は何か確かなものをつかみつつあるようです。もう臨終の場
でおろおろすることはないでしょう。
この本の主題は「ありがとう」ですが、何のために生きるのか、
生きる目的を考える――これが隠されたメインテーマかもしれ
ません。
著者について
川初正人(かわはつ・まさと)
1946(昭和21)年9月7日山口県防府市に生まれる。4歳から、父が始
めた金光教中島教会(瀬戸内海・中島)に移り住む。64年海上自衛隊呉教育
隊に入隊。遠洋航海の一員に抜擢されるも、感ずるところを得て依願退職。
中島教会に戻る。金光教教師の資格を取得。71年12月サンフランシスコ教会
に赴任。73年ハワイ・ワイパフ教会長。82年再びサンフランシスコ教会へ。
89年サンフランシスコ教会長。95年日米宗教連盟会長に就任。現在、サン
フランシスコ教会長老教師、南サンフランシスコ金光教布教所センター長。滞米
46年を越えた。
この間、武道クラブ、書道教室などを主宰。2000年ごとから「ありがとう
一日一〇〇回運動」を、「地球を助けましょう運動」を推進。ゴミ拾い、タバコの
吸い殻回収などで、2018(平成三〇)年サンフランシスコ市から表彰さる。
著書に、『ゴールデンライト(金光)を全世界に』(日本語版 発行・牟田満正金光
教門司教会長)『1滴の水』『永遠の旅路』(いずれも英語版)などがある。
1624Laguna St. San Francisco Ca. 94115
Mkawahatsu97@hotmail.com
ぼくはエネルギー体です
動けない。
しゃべれない。
でも、妖精や精霊と話せるし、
天の声も聴こえる。
(天の声を聴く詩人)神原康弥(著)
ISBN978-4-938939-92-2
4月5日発売 定価(本体1400円+税)
著者の神原康弥さんは25歳の青年。
2歳半のとき、「脳症」と宣告された。
以来、動けない、しゃべれない。重度の障がい者。
だから、自分で自分をダメ人間だと思っていた。
でも、著者はこんなことができる。
浮遊霊と話せる。
妖精や精霊と会話できる。
「あそこに行こう」と思って意識を集中すると、そこへ飛ぶ。
時間も空間も超え、あっちこっちへ飛んだ。
こうして「宇宙根源」と出会ったり、昔の偉い人や、著名人の声も聴いた。
退屈しのぎに、10年後、100年後の世界も見てきた。
だんだん、宇宙のことや、地球や人間のことがわかってきた。
そんなことを人に話すと、「へえ、そうなの」と聞いてくれる人が増えた。
誰かに何かを相談されると、著者はその人の魂と会話する。
魂のほうが、本人の事情に詳しいことが多いから。
魂と会話することを「リーディング」という。
リーディングの内容を本人に伝えると、なるほどと納得してくれた。
こうしてセミナーや講演会で話す(指談という方法で)ことが多くなった。
もうダメ人間ではない。
そこには、宇宙的な叡智が溢れている。
目次――こんな内容です
この子は、私が見ている以上の何かを見ている……神原ひで子
1・脳症になって見えたもの
2・コミュニケーション
3・見えない存在に助けられて
4・意識情報体との出会い、そして宇宙へ
5・転換期
6・東日本大震災
7・魂の貢献
8・リーディング
9・ぼくの仕事
10・時空を超えて
11・ぼくはエネルギー体です
本文より
この子は、私が見ている以上の何かを見ている
三年生、四年生ごろになると、散歩をしているときの気持ちや、目にする自然を詩に書
くようになりました。その描写が、母親の私から見ても、子どもらしく、生き生きしてい
ます。そして、康弥が感じとっているものは、私が見ている以上の何かだと気づいたので
す。その証拠に、木の葉が揺れる様子を康弥は十分も二十分も飽きずに見続け、小川のせ
せらぎにもまた、同じようにいつまでも耳を澄ませて聞いているのです。
母と二人で
夏の日は、早朝か夕日が沈むころに散歩した。
体温調節がうまくできないぼくはすぐに暑くなり、顔を真っ赤にしては母をあわてさせ
た。秋が来てイチョウの葉が黄色くなると、母は喜んで、「ほら、見てごらん。ね、ね、見てごらん」とぼくに何度も声をかけた。
その声が少し弾んでいるようで、嬉しいような、でもちょっと疎ましいような、複雑な
感じだった。「ぼくは生きていてもいいのだろうか」と自分に問いかけると、ドングリがぽたっと落ちて、「当たり前だろ」と言った。
宇宙の中で眠る
いつもどおり、母と弟と川の字になって寝た。
夜中にふと目が覚めた。
そのまま、白い天井をじっと見つめた。
天井は、びくとも動かなかった。
どこまで行けば星に届くかな、とふと思った。
思った途端に、天井がぐらっと動いた。
見ているうちに少しずつ透き通っていき、夜空が見えた。
僕の身体はふわりと浮いた。
優しいものに包まれる感覚を覚えた。
僕は浮いたまま、上へ上へと、昇って行った。
夜明けの日
わたくしは
一生のお願いをした。
「母とともにお役目を
全うせし日には
歩ける足が欲しいのです」
神は言った。
「歩ける足が何になるか。
あなたの足はそばに眠る母が用をなすだろう。
母とともに生ける日に
足なぞいらぬ、
足の代わりに
真理を見る目を授けよう。
真理の目を足にせよ」
「真理の目の代わりに
指に伝わりし力は永遠なり。
ふたりの宝になるだろう」
その声を聞いて眠る母の目に
涙があふれぬように
私は眠る。
真実を見し友が
集まる日を夢みて
百年後にジャンプしてみた
意識を飛ばして、百年後の日本を見に行ってみた。
百年後、日本の人口は、今の二分の一になっているだろう。人々は都会を離れ、新しい
暮らしを求め、地方都市というよりは、里山や山奥といった人口の少ない場所へと移動し
ている。あちらこちらに、小さな城下町のような集落ができている。
なぜ、都会を離れて地方へ移住し、自給自足の生活になっているのか、その途中の様子
を眺めた。すると、東京都内に大きな水害がもたらされている映像が見えた。今から数年のうちだと思う。洪水なのか、津波が押し寄せるのか、原因ははっきりと見て取れないが、ぼくの頭の中には、都内が水浸しになっている映像が、何度も浮かんでくる。東京都心から海沿いにかけて、広い範囲に影響は及んでいる。電車は線路上で止まり、人々の逃げ惑う姿が見えた。東京全体が大パニックにおちいっている。働く場所を失い、食べるものは極端に減り、病気が蔓延し、東京都全体はその大水のため、しばらく人の住めないような状態になると思う。経済も政治も大きく混乱し、東京は大打撃を受けるだろう。
東京の水害のほかにもう一つ、原因が見えた。世界的な気候の大変動だ。数百年のサイ
クルで起こる小氷河期と、地球温暖化が、この十年、二十年のうちに大きく影響を及ぼす
ようだ。高温の年があれば、小氷河期の影響で寒い年があったりと、年ごとに気温のばら
つきが大きくなる。また、降水量が多い年が続くとも思う。近年も極地的に寒暖の差が広
がっているが、さらに、その傾向が強まるようになる。それに伴って、病気も増え、環境
の変化に適応できずに、亡くなる人も増えるだろう。
これらのことが要因となって、都市を離れ、食べるもの、衣食住を自分たちでまかなえ
るように、自給自足の方向へ移行していく流れになるようだ。百年後の人々は、自然と向き合いながら丁寧に生活するようになっているだろう。仲間と一緒に必要なものを造り、子が生まれれば皆で育て、年寄りや弱い者がいれば、皆で見守る。そうして子孫を繁栄させることが、人々の大きな喜びだ。孤独な生き方をする者は少なくなっている。これこそが、宇宙が求める豊かな生き方、真の人間の姿だ。
プロフィール
神原康弥(かんばら・こうや)
平成5(1993)年5月10日生まれ。2歳半、脳症と告げられ、生死をさまよい、重度障がい者となる。6歳、母と「筆談」というコミュニケーション法を会得し(その後、「指談」へ)詩を書き始める。8歳、特別支援学校の教員に体罰を受けたことがきっかけで、宇宙根源の存在に気づく。小中学生のころは、妖精や精霊とよく会話した。20歳の正月、宇宙会議の夢を見る。ふつうの人に見えないものが見える――そのことを世の中に広めていこうと決心。お話会を始める。22歳、母とともにオフィスKOUを設立し、コンサルティング、また、意識改革を目的とした、連続講座、講演会などを行なっている。
e-mail: officekou@kouenergy.com
「ぼくはエネルギー体です」をご紹介いただきました!
-
『EIGHT STAR』Vol.93 にて
本書の内容を抜粋紹介
-
『veggy』Vol.58 にて
幼いころから“見えない世界”の存在が見えていた神原氏は、
人の心や魂の声を読み取る「リーディング」ができる稀有な能力の 持ち主。2歳半で脳症となり、四肢体幹機能障害という重度の障が いを持ちながら、現在は手のひらに指で文字を書く「指談」という コミュニケーションを使い、ご自身の能力を活かしたセミナーや講 演会を母・ひで子さんと共に開催しています。魂についての色鮮や かな描写や、死後の魂がどのような道を歩むかについての記述は、 かつての本にないほどわかりやすく鮮明。私たちは誰しもエネルギ ー体であることを伝え、心を浄化してくれる一冊。
食に添う 人に添う
食は、いのちです。
安全安心で、
まっとうな食べものを、
探してきました。
(「食といのちを守る会」代表) 青木紀代美著
ISBN978-4-938939-91-5 定価(本体1600円+税)
著者がはじめて授かった子どもは1700グラムの未熟児でした。健やかに、人並みに成長するようにと、安心して飲める牛乳探しが始まります。そこから米、有精卵、野菜、味噌、醤油など、安心安全な、まっとうな食べものを求め、農業の生産現場を訪ね、生産者と話し込む暮らしに入ります 以来45年。この本には、45年かけた、まっとうな食べものについての知恵がいっぱい詰まっています。
他方、自分の手から出る不思議なパワーで、他人様の体に手を当てること数千人。”菩薩のような人“との声も聞かれます。
本書の内容 ――(はじめに)現代に生きる菩薩(七沢賢治) (第1章)ひとり息子 (第2章)学ぶ(第3章)心のふるさと(第4章)すばらしい食べもの (第5章)手を当てる (第6章)感動する人に出会う(あとがき)母へ
七沢賢治氏が激賞!
「青木さんを見ていると、高度情報化社会における最も稀有な人材、現代に生きる菩薩、と言いたくなります」
青木紀代美(あおき・きよみ)山梨県甲府市生まれ。「牛乳問題研究会連合」代表。「食といのちを守る会」代表。「NPO法人子どものいのちを守る会(kdm-mamorukai2002.net)」
副理事長。本書ははじめての作品。
ギスギスしたこの世に、こんな人が生きているなんて!
世の中捨てたもんじゃない。ホカホカしてきます。
青木さんのことを紹介するとキリがないが、彼女には手当て療法 これまで、ノーベル賞受賞者や上場企業経営者、芸能人など各界 『大無量寿経』には、釈尊が阿難という仏弟子に教えを語って聞 すでに古希を超えているというのに、彼女の活躍はまだまだ終わ 夫がやってきました。 生まれたときの体重は一七〇〇グラム。当時は二七〇〇グラム 淳は私に似て好き嫌いが多く、いったん嫌いとなるとそっぽ 担任の三浦先生は快く許してくれました。お弁当持参の淳にも、 息子に飲ませる牛乳をきっかけに、私は食べものに関わるようにな 最近では、果物でも何でも種なしがもてはやされています。種なし 東北新幹線で郡山まで行き、磐越西線に乗って会津若松へ、そこか 三島町に行って驚いたのは、有機農業を旗上げしようとする青年たち 小松正信さんたちは、このような町興し機運に盛り上がった環境で、 ところが米作り農家の老齢化の波を受けて「代わりにやってくれ」と 私は市井の黙々と働く人が好きです。たくさんの人と人との関係のなかで、 新しい食材を扱うとき、私は必ず実際に作り手にお目にかかり、生産 最初に感じるのは、香りです。 私たちの農作物選びには、化学肥料や農薬を使っていないかを 農作物は、人のいのちをつなぐもの。農作物に添うことは、人に Yさんは乳ガン治療のため、四、五年前から聖路加病院にかかって 私は誰にでも同じことしかできません。手当てという術を練習した ▼わが社はビルの5階にあります。道路を隔てた向かいのビルに 縁があって青木紀代美著「食に添う人に添う」を読みましたが、実に素晴らしい本でした。青木さんには何度かお会いしたことがあり、とても素敵な方だと思っていましたが、 素敵なお父様やお母様、そして品格のあるご主人に恵まれたことにもその淵源があるのだなと実感させられました。 感嘆させられたのは青木さんの文体です。なんの気負いもてらいもなく、ただ淡々と流れるような簡明な文章。 私も多少は文章を書きますが、どうしてもそこに飾りを入れたくなり、「気負い」や「てらい」が入り込みます。それが全くない文章というのは本当に稀なのです。比較的近いのはアフガニスタンで民を救うため大規模な用水路を建設しているペシャワール会の中村哲先生の文章でしょうか。簡明だが硬質な文体で、火野葦平先生の甥にあたりますが、その才能を受け継いでいるように感じます。ただし読むと疲れるので三日では読めませんが。 私は九州の片田舎の一開業医ですが、大腸癌の手術ミスによる後遺症を抱えており、医業の面でも保険の改定による施設診療費の大幅な減額などで年々収入は減り続けていて、後継者もいないため2020年ころには廃業しようと考えています。政治や経済にも失望させられることが多く、現実の世界では余り良いことはありません。 (東道夫・医師) 未熟児で生まれた長男に、日本一安全でおいしい牛乳を探して飲ませたい、という思いがきっかけで食の安全を追い求めるようになった著者。以来、四十年以上、自然農法家など多くの出会いと学びを経ながら、食と命を守ることに献身的な努力を続けてきた。 本書では、自らの足跡を振り返ると同時に、手当て療法というもう一つの活動も紹介。不思議なパワーで人々の苦しみを癒す著者を「菩薩のような人」と呼ぶ人もいるという。「(相手に)添って、添って、添いぬく」という言葉に、その人生観が象徴されている。「現代に生きる菩薩」
専門家としての顔もある。私自身も若いころから、甲州の「腱引
き療法」をはじめ、日本内外のさまざまな整体法や治療法を研究
してきたが、そのような視点から青木さんを見ると、表の顔は
食のプロとして常に消費者の先頭に立つ一方、他面では相当な腕前
を持つ治療家であることがわかる。
の著名人をひそかに治療し、実績を上げてきた。もちろん一般の
方々であっても無料でそれを引き受けている。彼女の温かい人柄、
母親の手のようなぬくもりに、数多くのファンがいるそうである。
青木さんの手当てを受けた方々は、彼女を「菩薩のような方」と
表現する。
かせるシーンがあるが、彼女が活動するさまは、まるでそこに登
場する法蔵菩薩のようである。人類すべてを救済するまで自分は
仏にならないと誓願を立て、後に阿弥陀如来となったあの菩薩で
ある。そうでなければ見ず知らずの人間に対し、何時間も、とき
には朝まで治療の手を休めないというようなことはできないであ
ろう。
ることを知らないかのようである。青木さんを見ていると、現代
に生きる菩薩とでも言いたくなる。高度情報化社会における、
最も稀有な人材として、こうして彼女とお付き合いできることを
幸甚に感じている。青木さんの菩薩行も今世が最後であろうが、
かりにそうであったとしても、姿を変えてまたここに戻ってくる
ような気がしてならない。その時は、人々が彼女を癒す番である。
人類の輝ける未来を予感して――。(七沢賢治――前書き)本文より
「未熟児」
「ねぇ、かわいいでしょう?」と赤ちゃんを見せると、何もいわ
ず怪訝な顔をしています。
しばらくしてこういいました。
「なんだか……サルともカニともつかない子が生まれたね」
「え?」
「だっておまえ、顔は毛むくじゃらだし、口からは泡を吹いてい
るし……」
あんまりな言いようです。「なんてこというのかしら」と思って
赤ちゃんを見ると、確かにそのとおり、本当におサルさんです。
鼻のあたりは白いのですが、それ以外は毛むくじゃら。黒っぽい
産毛がいっぱい生えています。それまでかわいいとしか思えな
かった赤ちゃんを、夫のひと言でやっと冷静に見られるようにな
ったのです。
改めて赤ちゃんを見てみると、確かにその顔や表情はおサルさん
です。ときどきカニのようにピュッピュッと水を吐いています。
でも不思議ですね。それでも、それなりにかわいらしいのです。
ああ、いい子ね、かわいい、愛しい。この子のためなら何でも
しよう。
ぐらいが平均だったようです。とても小さくて、しわくちゃの、
いかにも栄養が足りないといった赤ちゃんです。栄養剤の注射を
することになりました。赤ちゃんの細い太ももに皮下注射です。
「ギャー!」
あのときの火のついたような泣き声を、今でも覚えています。
翌日、注射したところが栄養を吸収できず、太ももが硬く化膿
していました。おむつを替えるたびに「ギャー!」と悲鳴をあげ
ます。「これは膿を出さなければ。お母さん、しっかり抱っこ
していてください」。私は震えながらひざの上に抱きました。
先生は看護師にドライアイスのスプレーを持たせ、膿んだところ
にシュッと吹きつけます。間髪を容れず先生がメスを入れ、膿を
絞り出します。
「ギャー! ギャー!」
息子はありったけの声で泣きわめきます。
ごめんね、ごめんね、私は何度もくり返し謝りました。「僕、牛乳大好き!」
を向いてまるで箸をつけません。小食、偏食のまま育って、動
きも遅く、周りの友だちについていくのも大変なようでした。
どうしたらたくさん食べるようになるのかしら? 「おいしい」
といって飛びつくものは何か? どう工夫したらそうなるのか
と考えていましたが、二年生になって給食が始まりました。偏食
の淳が給食を全部食べられるでしょうか。ちょっと不安です。
「この子は体が弱いので、少しのあいだ、お弁当を持たせてくだ
さい」
給食のおかずや牛乳など、本人が食べられそうなものを食べさせ
てくださったようです。淳は牛乳をちゃんと飲んでいる様子でした。
「牛乳好き?」と聞くと、
「ぼく、牛乳好き!」という答えです。
この子にも好きなものがあったのです。
そうか、牛乳か。どうせなら、日本一おいしい牛乳を探して飲ませ
たい。淳はお肉やお魚をあまり食べません。タンパク質不足が心配
でした。
「牛乳を飲むと大きく育つ」
そんなこともいわれていました。これからだって大きくなれるかも
しれない。好きな牛乳でタンパク質やカルシウムを摂れるようにし
よう。光が差しました。稲葉さんの有精卵
りました。牛乳からスタートして、まっとうな食べものを探す旅が
始まりました。牛乳の次に私たちが扱ったのは卵、有精卵です。
最初はヤマギシ会のハネ玉をわけてもらっていましたが、自分たちで
扱う卵を自分たちで探してみようと思いました。
岡田先生に連れられて千葉県三芳村の稲葉愨さん宅に伺ったのは、
四五年も前のことです。
岡田先生の提唱を受け入れた三芳村は、自然農法による米や野菜の
生産のほかに、稲葉さんのご尽力もあって、有志による平飼い卵の
生産が始まりました。有精卵の「いい卵」を作るのが目的です。
狭いケージの中に詰め込む飼育ではなく、平飼いを中心とした
自然養鶏の有精卵です。
今日の養鶏の主流は、囲いの中で飼う、いわゆるケージ飼いです。
これ以上詰められないほどぎゅうぎゅうケージに押し込むさまは、
まるで満員電車さながらです。さらに、食べたエサの栄養分が
余計なところに行かないようにトサカを切り落とし、隣の鶏を
つついて傷つけたり餌を飛び散らせたりしないように、くちばし
を丸く削ります。いたたまれない光景です。そのような状態で、
鶏たちはいのちのない無精卵を産みつづけます。
一方、平飼いは広い鶏舎を区切らず、鶏たちは好きなだけ動き回り、
自由に虫をつついたり、砂浴びをしたり、水を飲んだりして、
元気に育ちます。そのなかに数羽の雄鶏を入れることで、有精卵が
生まれます。
なぜ有精卵なのでしょうか?
有精卵には、ヒナに孵らせるいのちが宿っています。私たちが食に
ついての活動をするとしたら、そのような、いのちある食材を提供
しなければ意味がありません。現代人は食べものを商品にしてし
まったために、いのちの価値を忘れています。私たちはみんな、
いのちをいただいて生きています。卵も肉も魚も野菜も、そこには
すべていのちが宿っています。食事のとき「いただきます」といって、
両手を合わせます。これは、「あなたのいのちをいただきます」と、
食べものに対して感謝の気持ちを伝えているのだと思っています。
ということは、いのちは宿っていないニセモノの食べものです。種なし
の果物を作るため、ホルモン剤が使用されています。いのちをいただく
はずの食べものに、いのちが宿ることがないようにしています。栄養
分は遜色ないかもしれませんが、いのちというものを最初から持ち合
わせていない食べものです。
いのちを持たない食べものを、食べものと呼べるでしょうか?
私たちはすっかりそんな食べものに慣れきってしまいました。そして、
目の前の食べものにいのちが宿っているかいないかすら気づこうとし
なくなっています。会津の小松米
ら只見線に乗り換えてトコトコ揺られ、六時間をかけてやっと着く
のが新潟との県境に近い三島町です。その後何度も出かけて交流す
ることになりますが、遠すぎて誰も行きたがりません。「紅葉がす
ごいのよ」「山菜採りに行こう」とあの手この手で声をかけ、よう
やくみんなで行くようになりました。
がいっぱいいたことです。村興しをしようとパワーのある佐藤長雄
町長が先頭に立ち、みんなを率いていました。昭和四九(一九七四)
年から「特別町民制度」を設け、首都圏の人たちにふるさと興しへ
の参加を呼びかけました。その後一〇年かけて「生活工芸運動」や
「有機農業運動」を育て、その勢いで地域の産業興しに発展し、
「花嫁の来たくなる町」を目標にがんばっていました。
お米、タバコ、ソバなどを作っていました。本来お米専門ではなく、
タバコと養蚕の農家でした。幼いころは家中にお蚕さまがいて、
横になると、お蚕さまのサワサワと動く音が気持ちよかったそうです。
やがて家の百姓仕事を手伝うようになり、見たままに覚えていったとか。
小松さんは次男ですが、お兄さまが早くに亡くなったため、家を継ぎ
ました。小さな田んぼを持つ小規模な農家です。
依頼されたことをきっかけに、現在、一二町歩(一町歩は三〇〇〇坪)
まで田んぼを増やしています。有機農業は難しいといわれますが、
小松さんは大量に収穫しようとがんばらなかったそうです。太陽の力
と地力のバランスで収穫量は決まる。それ以上採ろうとすると、作物が
病気になってしまうのだとか。
「食べものから歩き出す会」のメンバーで私が片腕としてもっとも信頼
していた松本万樹子さんが、それから間もなく小松正信さんと結婚しま
した。小松正信さんは、訥々と語り、軽薄な言葉は口にしないお人柄。
もし万一、小松さんから「どうしても今年は化学肥料を使わざるをえな
くなった、農薬もどうしても必要だ」と相談されたとしたら、私は決し
て否定しないでしょう。それもよしとすると思います。すべては人から
始まります。
自分の思いを貫きつづけるのは、簡単なことではありません。これは、
私がこの運動を通して学んだひとつです。「収量を増やすためにはこうし
ろ」とか、「効率を上げるためにはこうしなきゃ」とか、そういう横槍
を一切脇に置いて、「自分が信じるのはこの道ですから」と黙ってそれを
続ける。そういう人に、私は感動し、感謝の念を感じずにはいられません。
こうして作りつづけられる小松米は、「乳研連合会」や「食といのちを守
る会」のメンバーにいちばん喜ばれます。食卓に並ぶ食材の中で、お米
はやっぱりメインなのですね。年に二トンほど会員と関係者にお配りし
ています。年に四回搗いていただく白米・玄米のお餅も大好評です。
特に、お歳暮の贈答品として喜ばれています。じかに、作り手に会う
現場を見させていただき、食材を味わいます。じかに会って、現場を
見ることで、作り手の思いを確認するのです。採れたての作物に触り、
香りを嗅ぎ、味を確かめます。
本物の香りは私たちを圧倒します。本来の香りです。最近の野菜は農
薬や化学肥料のせいでしょうか、香りの乏しいものが多いようです。
そういうものではなく、土中の微生物と共に育った、本来の香気を
放つものが理想です。理想というより、それが当たり前の、本物の野菜
です。農家には当然いろんな方がいらっしゃいます。農作物を工業製品
と同じような商品として扱い、効率優先で作るような方は、こちらが
ご遠慮いたします。自分の子どもを育てるように、丁寧に作物に向き
合ってくださる方が大切ですし、ありがたいのです。そういう人とは、
すぐに通じ合えます。心が、同じ方向を向いているからです。
私の出会った生産者の多くは、はじめてなのに、挨拶もそこそこに
「はら、へってないか」と、採れたばかりの野菜とあり合わせの食事
を出してくださることがよくあります。小松菜の炒め物、芋の煮っ転
がし、ふろふき大根――おいしいおいしいと喜んで食べていると、
一つひとつ食べものについての話が続きます。
はじめ、確認すべき項目がいくつかあります。旬のものかどう
か。在来種(自分で採ったタネ)かどうか。自分で堆肥を作
っているかどうか。水の豊かなところか――。しかし、チェック
項目にはない部分、つまり、生産者の思い、その人柄、作物へ
の愛情、そういったところを私は大切にしたいと思っています。
添うのと同じこと。だから私たちは、必ず作り手に直接会いにま
いります。すばらしい作り手に出会えると、嬉しくなります。
私たちが望んでいたのは、あれもこれもではなく、せめて毎日の
食卓には、まっとうな志ある人の作った食べものを乗せたい、
安全安心な食べものを家族に供したいという思いです。手に来る反応
いました。お医者さんからしきりに手術を勧められたそうです。
「ガンは怖い。でも、手術はしたくない」
彼女は拒んでいました。そんなとき、ある人のご紹介で私のところ
へ来るようになりました。
彼女のお住まいは東京・中野です。私の事務所は神楽坂ですから、
その気になればすぐに来られます。Yさんは気立てがよく、働き者
で、女優さんだったのかと思うほどきれいな人です。彼女の悩みは、
昔から胸が大きいことでした。それが嫌で、だんだん猫背になった
そうです。胸の大きい人ほど、なぜかそうなるみたいです。そこを
注目されるのが嫌という心理が働くのでしょうか。彼女は乳ガ
ンと宣告されました。でも、どうしても切除する気持ちになれ
なかったそうです。思い悩んでいるときに私の手当てのことを
知り、やって来られるようになりました。きっと、何かのご縁
ですね。
足裏から手を当てて彼女の胸まで来たとき、ちょうど赤貝かち
ょっと大きめの蛤ぐらいの大きさの何かが、ぴたっと私の手の
平に収まります。皮膚の下は、ギザギザ固い貝殻のような感じ。
私の手にはそう感じました。
最初のころ、Yさんに手を当てても、私の手には何の反応も伝
わりませんでした。「大したことないのね、手術したくないって
いうのがよくわかります。いいと思いますよ、しなくても」なん
ていっていました。本当にどこかが悪い場合には、私の手にいろ
いろな反応が起こります。三回手を当てましたが、何もないから
大したことはない、もうこれで終わりにしようと思っていました。
三度目を終えたあと、「青木さんに手を当ててもらって自宅に帰
ると、よく眠れます。翌朝、気持ちがいい。それだけでも嬉しい
から続けてほしいのです」と電話がありました。
「そう。それなら、どうぞどうぞ」四回目、いつものように彼女
に横になってもらい、手を当て、足の裏をさすっていると、私の
右手に雷が落ちたような、閃光が走ったような痛みが来ました。
「あ、痛い! なんだ、これは?」と驚きましたが、しばらく続け
るとそれは消えました。
わけではありませんから。足から脚部、そしておなか、胸、背中
と回って、手の平でさすり、温める。これだけです。彼女に対し
ても、同じことです。すると、ふと気づきました。あの固いものが
少し柔らかくなっているような感じがします。それを彼女に伝え
ました。「胸の固いのが半分消えていますよ」
「そうなんですよ、柔らかいんですよ」と彼女。へえ、そう。
さっき私の手にピカッと来たのは、良くなっているという証拠か
もしれない。
大勢の人に手を当ててわかったのは、触って違和感があると、
私の顔のあたりがもやもやして、鼻先に綿あめかクモの糸でも
くっついたようにベタベタします。最初は気にもしませんでした
が、具合の悪い人に手を当てると、そういう感覚が残るのです。その
うち筋ジストロフィーをはじめいろいろな重い病いの人に出会うよう
になったのですが、そういう人に手を当てると、重油のような、ドロ
ッとしたものが私の手から入って腕の付け根まで上がってきます。
正体はわかりませんが、そんなものが入ってくるとどうしてよいかわ
からないので、そのまま三〇分でも一時間でも手をそのまま置いてお
きます。気長にそれを続けていくと、あのドロッとしたものがふっと消
える瞬間が来ます。そこでまた別の場所に移ります。するとまたドロ
ッとしたものが入ってくるので、ああこの人にはまだ悪いところが
あるんだなと感じます。そうやって何カ所か手を当てていくうちに、
いつしか癒されていくようです。Yさんに触っていて実感しました、
「そうか、私の手に来たら、悪いところが治るんだ」と。編集者より
青木紀代美さんの事務所があります。「青木さーん」と呼ぶと
「なーに」と返ってくる距離▼彼女は、牛乳に明るい。食べものに
詳しい。ろくでもない食べ物といいものの違いを熟知している食の
プロ。さらに、手を当てることで、人を癒す達人。お代は取らない
▼お金にならないことばかりやっている風で、へぇ、こういう人が
まだこの世に生きているんだと思って、「一冊書いて」と原稿を依頼
しました▼その仕事、その人間に魅せられていたのですが、いったい
何者なのかよくわかりませんでした▼ある日、彼女のご紹介で七沢
賢治さんという人がわが社にやってきました。チラッとぼくを見た
その眼力に、ぼくは「あ、斬られた!」と感じました。ただ者では
ない。ひと目で相手を見破る、おっかない人。「青木さんってどう
いう人ですか?」と尋ねてみると、答えは簡単。「彼女は菩薩行を
やっているんです。現代に生きる菩薩です」と。……そうだったの!
凡夫にもやっと彼女の本質がわかりました。
▼というわけで青木紀代美著『食に添う 人に添う』がギリギリ
昨年末に完成。ほっと一息▼昨年は、こうして菩薩さまと幸せな時間
を過ごしました。今年もいいことがあるような気がします▼皆様にも
良き年でありますように。(山平松生)「食に添う 人に添う」の書評をいただきました!
医師 東道夫様
文章というものは、そこに作者の「魂」が入っているかどうかが、その価値を決めるような気がします。青木さんのこの本には魂が込められているのを感じました。文章とは何かというテーマについて、改めて深く考えさせられるものでした。
それでも私は想うのです。「この世界にはたくさんの不幸や悲惨もあるけれど、ワクワクすることもまだ一杯あるのだ」と。それを感じるのは美しい夕焼けを見たとき、星々を眺めたとき、咲き誇る草花や木々を眺めたとき、素晴らしい芸術に出会えたとき、良き友や好きな女性や心の師匠(私が勝手に思っている)と対話するとき、素敵な本や映画に出会えたときなどです。「ああ、世の中はまだ捨てるには惜しい」と実感します。
私は健康面の不安もあり、もう長くは生きられないだろうと思っています。けれども自分がまだ知らない素晴らしい世界がまだこの世には一杯残されているのなら、それらに一つでも多く出会ってから死にたいものだと思います。私は学生時代に司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』(文藝春秋)を読んで深く感動しました。その時から「人はいつか必ず死ぬ。死は多くの場合突然彼方からやってくる。いつ死んでも悔いのないように今を精一杯前向きに生きよう。」というのが私の生き方の基本になりました。
あとどれくらい生きられるかわかりませんが、今後も素晴らしい出会いを求め続けて死の瞬間まで(できれば惚けずに)精一杯生きたいと願っています。「到知」2018年7月号 書評
あなたは私 私はあなた(清水義久著)
あなたが苦しんでいると私も苦しい。
あなたが楽しいと私も楽しい。
あなたは私、私はあなた。
みんな繋がっている。
――あなたの心には、アインシュタインの、ゴッホの、モーツアルトの、つま
り全人類の記憶がそのまま共有されている。ユングはこれを「集合的無意識」
と呼び、宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得
ない」と言った。そう、みんな繋がっている!
気を感じてみる! (本書の主な内容)
★気の体 ★チャクラはあなたの命を守っている ★包み込みの発想 ★千年続く会社 ★北野武さんが気づいたこと ★神の資本論 ★すべては繋がっている ★どん底から立ち上がる方法 ★イチローの小周天の力 ★大野将平選手の大周天 ★モモは能力者だった ★無敵のマントラ「オン シュダ シュダ」 ★ホワイトブックのすすめ ★あなたは私、私はあなた ★想像は創造の始まり(ほか)
気を使ってみる
人にはにっちもさっちもいかない時がある。どうしたらいいだろう。
あなたの意識を書き換える究極の方法がある。たった一日でいいから、騙されたと思ってやってみるといい。
町の雑踏に立つ。いろんな人が通り過ぎていく。この人は貧乏そうだな、つらそうだな、独りぼっちだな、仕事がなさそうだな、悲しそうだな――と分かる。
病気だと感じた人には「健康になりますように」、お金で困っていそうと思った人には、「仕事が成功しますように」、運が悪そうな人には「あれ」と言葉に乗せ、天にその祈りを送る。ポイントは、見ず知らずの人の幸せを祈ることだ。
世界はあなたと共に姿を変えていく。
清水義久(語り)山崎佐弓(聞き書き)
ISBN978-4-938939-90-8 定価(本体1600円+税)
本文から
舩井幸雄先生の最大の功績
真理は役に立つ。時代が変わろうが、状況が変わろうが、どんな世に
なろうが、いつどんなときにも。それは物事の筋道だからだ。舩井幸雄
先生に教えていただいたのも、そんなひとつの真理だ。
昭和六十年代、高度経済成長のさ中に舩井先生が打ち出していたコンセ
プトは、さまざまな分野で大きな成果を上げていたと思う。旧価値観が
崩壊し、とって代わる新たな理念が勃興する瞬間まで、誰にも先のこと
は見えない。社会的、経済的、文化的状況がどんなふうに変貌するのか、
通常人には分からない。舩井先生は、実業の世界だろうが、人生論だろ
うが、非日常の世界だろうが、茫漠と広がるこの世界に対して、統一的
なコンセプトを展開した。そのひとつに「包み込みの発想」がある。
「同意せず、共感せず、仲間でもなく、愛してもいないけれど、共に存在
することを許し合おう。そして、共に生きていこう」
というものだ。新世代と旧世代、右翼と左翼、保守と革新――互いに対極
に位置すると考えられている社会構造の中で、こういう「包み込みの発想」
という論を唱えた人間は他にいなかった。
ぼくたちは普通こう考える。
あいつとは許し合えて、一緒に生きていける。あいつは友であり、仲間で
あり、愛し、愛される者。なんらかの意識が自然的、社会的に共有され、
そして統合された関係だ。
もうひとつは、上下の関係、支配する者と従属する者との関係である。
それ以外は、無関心か、新たな関係を結ぶには未知数という余地が残る
ことになる。舩井先生は新しいアイディアを展開した。主義、主張、政治
的理念、考え方、価値観――それらを一旦ブラックボックスに入れて触れ
ずにおこうと言ったのだ。つまり、良し悪し、善悪を判断しないこと。
判断の中止である。哲学者のE・フッサール(一八五九〜一九三八)の
言葉で言えば「カッコにくくる」ということだ。
Aさんがどんな宗教を信じていても、どんな文化的背景を持っていても、
肌の色が何であっても、あなたはAさんと主義主張を戦わせたり、譲歩し
たりする必要はない。もし、Aさんがあなたにとって異分子なら、その
ままでいい。AさんはAさんのまま、私は私のままでいい。喧嘩したり、
排除したり、無視したり、奪ったり、支配したり支配されたりすることなく。
もし仲間になれなくても、一向に構わない。それでも、Aさんと一緒に生き
ていく――そういう考えだ。
そもそも人の判断というのは公平ではない。詮じつめればただの主観にすぎ
ない。例えば、部下にB君とC君がいる。B君はC君の仕事を大きくカバー
し、B君のほうができる人間に見え、C君はいらないやつだなと低く評価さ
れやすい。でもよく見ると、C君しかできないオリジナリティがある。C君
にはC君の良さがあるということだ。誰でもできる部分を同じように見てい
くのではなく、個々の良さを見ていく。これが「共生」(ともいき)だ。
空海さんのマンダラ論
物事を軽々に判断してああだこうだと断定するのではなく、それもこれも一緒
に包んでいこう――ざっと言えばこれが包み込みという発想だ。この包み込み
の発想は、弘法大師、空海さんのマンダラ論に根拠を持つ。これは矢山利彦
先生が教えてくれた。
マンダラでは、宇宙の根本を表す大日如来を中心にして、四〇五もの諸仏が、
共に同じ場で生きている。「胎蔵界」で仏の周りに描かれた円は、いろいろな
菩薩や明王の、それぞれの価値観と生き方と力をひとつの世界に閉じたもの
だ。この一つひとつの円がそれぞれの仏の主義主張のテリトリー(領域)で
ある。
それぞれの異なる力、考え方、文化、宗教、肌の色などが、同じ一枚の地図の
中に分散され、同時に成立している。大日如来だけでいい、とは考えなかった
のだ。それぞれが独立国家でありながら、それぞれの価値観のなかで共に生
きている。適材適所にその異なるものを配置し、その力を借りようとして、
他のものを打ち消さない。人間の死体にへばりついている悪霊たちさえも
ここでは否定していない。修羅、夜叉、餓鬼たちもちゃんとマンダラの世界
に描かれている。底辺の片隅で生きているものを含めて、すべてのものが一枚
の絵柄となり、お互いに支えながら連続してひとつの宇宙になっている。取り
替えもしない、排除もしないというアイディアだ。空海さんは、そういった
ものまで、宇宙の構成原理として省くことができない重要なものだと考えた。
大日如来の存在の光の中で、森羅万象の宇宙ワールドの中で、無用の存在、
いらないもの、役に立たないものなどは存在しない。すべてが必要なのだ。
無駄だから、いらないから排除しようとするのではなく、ありとあらゆる
ものが必要必然で、必ず役に立つ要素を持っているがゆえに、この世に共
に存在するのだ、と。
ぼくは、マンダラの外枠のところに描かれたさまざまな小さな存在に
感動した。自分がどんなにちっぽけだと思っていても、そのままで宇宙
を支えている。そのアイディアがこのマンダラ論だ。
空海さんはマンダラと言い、法然さんは「共生」と言い、同じことを
舩井先生は「包み込み」と表現した。
さて、他人を認めず、許さない――これがあなたの世界観になりうるだ
ろうか。「俺の言うことを信じろ、お前は間違っている」となったら、
爆弾を持ったテロになり、搾取になり、戦争になってしまう。だけど、
ひとつ退いてマンダラという思想を眺めるとき、そこに長い歴史を貫く
客観的な世界観が成立しているのではないだろうか。どちらが上かでは
ない。平面上のそれぞれが独立した世界をそのまま持ちながら
一緒にやっていく――この「包み込みの発想」は有り得ると思う。
宮沢賢治の言葉(章タイトルの後に著者の大好きな宮沢賢治の言葉を
入れました)
わたしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です(「春と修羅」)
風とゆききし雲からもエネルギーをとれ(「民芸術概論綱要)」
天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。
ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなきゃいけないて
僕の先生が云ったよ(「銀河鉄道の夜」)
あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません(「注文の多い料理店」)
ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから(「ポラーノの広場」)
どれも気が溢れています。
宮沢賢治は気功の達人です。
著者略歴
清水義久(しみず・よしひさ)
1962年生まれ。気功家。少年の頃、中国の歴史に興味を持ち、気功の存在
を知る。矢山利彦氏の気功をはじめ、中国気功、レイキ、古神道などを学び、
実践と知識から「気」を追及すること30年。さらに真言密教、陰陽道、仙道、
道教、レイキ、九星気学、断易、周易、ユダヤ秘教、西洋占星術、タロット、
宿曜占星術、バッチ・レメディの他、心理学、哲学など、幅広い分野に精通し、
独自のスタイルのセミナーを20年以上開催している。本書は、前著『この素
晴らしき「気」の世界』(小社刊)に続く第二弾。ほかに、『「出雲の神さま」
にまかせなさい』(大和出版)、『お金と幸運がどんどん舞い込む! 神様に願
いを叶えてもらう方法』(宝島社)など。
facebook:この素晴らしき「気」の世界
山崎佐弓(やまざき・さゆみ)
福島県いわき市生まれ。山梨県北杜市在住。東京女子大学文理学部卒業。
ホロトロピック・ネットワーク会誌『まはぁさまでぃ』編集制作。フリー
編集者。
編集部から
博覧強記――著者にはこの言葉がぴったりする。道教、仏教、
古神道をマスターし、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教を調べ、
神智学、西洋魔術、占星術に通暁している。何を聞いても正確な答えが即座
に返ってくる。その根っこにあるのが「気」。知識としてではなく、実践の
「気」だ。そこがすごい。
天才気功家の発する「気」エネルギーのほとばしりを、直に感じてください。
本書は、『この素晴らしき「気」の世界』(2016・5月刊)に続く第2弾です。
前著も併せてごらんください。
よかった、脳梗塞からの回復!(血管研究50年(脳血管医) 金澤 武道 著)
脳梗塞でも、あきらめなくていい
よかった、
脳梗塞からの回復!
脳血管を若返らせ血行を良くする
「金澤点滴療法」
血管研究50年(脳血管医) 金澤 武道 著
定価(本体1500円+税)
ISBN978-4-938939-89-2
この療法で、多くの人が救われています。
(回復例)
脳梗塞でも、あきらめなくていい……
ヨタヨタ歩きが、まっすぐ歩けるようになった
手足のしびれが消え、歩行困難が良くなった
言葉が出るようになり、手も上がるようになった
左半身の不随、視力低下からの回復
スタスタ歩けるようになった
弱っていた握力が元に戻り、歩行も楽になった
顔の歪みが戻り、動かなかった左手が動くようになった
うつ状態がなくなり、気力が出て、歩くのが楽になった
25年前に脳梗塞と診断された。この療法で、動かなかった右手が上がり、
左足もスムーズに動くようになった。趣味の射撃に復帰した。
☆この療法を行なうと、脳全体の血流が良くなり、機能が回復す
ることがあります。
(金澤点滴療法とは?)
人体の血管の長さはおよそ10万キロ。地球を2周半する長さです。
血液は血管の中を時速216キロというものすごいスピードで心臓
から送り出されます。その圧力が血管にもろにかかります。血管が
詰まり(狭窄)、その先に血液が運ばれなくなると、脳梗塞となります。
狭窄した血管を若返らせ、広げ、血流を良くするのが金澤点滴療法の
目的です。通常、10日間の入院で、点滴治療を行ないます。点滴液に
は4種類の薬剤が含まれていて、血小板の凝集を防ぎ、血管壁の炎症
を抑えるなど、症状の改善・回復を目指します。
詰まった血管が元に戻ることはなく、その先にある死んだ細胞が蘇る
ことはありません。しかしこの点滴療法で脳全体の血流が良くなり、
機能が回復することがあります。動かなかった手足が動いたり、
出なかった言葉が出るようになるの効果が現われます。回復率83%
という数値を得ました。
(本書の内容)
(1章)倒れても、あきらめない
(2章)回復した人たち
(3章)金澤点滴療法とは?
(4章)脳梗塞は未病のうちに治せ
(5章)脳梗塞にならない、再発しないために
(6章)命を見つめて
(あとがき)ちょっと良くなると、暮らしが変わる。
私が生まれて育ったのは青森県の西津軽郡というところです。 生まれたのは昭和12(1937)年ですが、子どものころ、 母方の祖父もその一人でした。漁師でしたが、頭も良く腹も 屈強な、スーパーマンのような祖父があっさり死んでしまったの 当時、私の育った村やその周辺では、祖父だけでなくたくさんの 私は9人兄弟の5番目でした。父も漁師でしたから、本当なら そんな体験がベースにありますから、脳梗塞を未然に防ぐことや、 1937 年青森県生まれ。67 年弘前大学大学院医学研究科卒業。79 年弘前大学 こういうお医者さんがいるとは嬉しい限りです。 ぼくの周りに、脳疾患で倒れ、ろくに声も出せないでいる友人が タイトルは最初、『脳梗塞からの回復』でした。著者について(本文より)
青森県の北に向かって二つの半島があります。左が津軽半島、
右が下北半島です。下北半島は斧のような形をして、恐山が
あるところなのでご存じの方も多いかもしれません。それに
比べて津軽半島は地味な存在ですが、竜飛岬とか十三湖、それに
太宰治の記念館「斜陽館」といった観光スポットがあります。
その津軽半島のへんぴな漁村で私は生まれました。
東北地方では働き盛りの人が脳卒中でばたばた倒れていました。
貧しくて十分な栄養がとれなかったこと、塩分の多いものを
たくさん食べていたこと、酒が好きだったことなどが原因だと
思います。
坐っていて、漁獲高も飛び抜けて良かったので、津軽半島一の
漁師だとまわりから一目も二目も置かれていました。自慢の祖父
でした。その祖父が、私が小学校低学年のときに、脳卒中で
あっけなく亡くなりました。まだ70歳になっていませんでした。
酒飲みで、漁のない日には朝から飲んでいたのを覚えています。
には、ショックでした。昨日まで元気だった祖父がいきなり倒れ、
そのまま旅立って行きました。子ども心に脳卒中の怖さを痛感し
ました。そして、祖父の命を奪った脳卒中とはどういうものなの
だろうと興味をもったのです。
人が脳卒中で亡くなりました。村の人たちはだれかが亡くなるた
びに悲しみ暮れ、働き手がいなくなることで貧しさに突き落とされ、
希望をなくし、自分も倒れるのではないかと不安に怯えていました。
たぶんそのころ、私の頭に脳卒中を何とかしたいという思いが芽生
えていたのだと思います。
兄たちと一緒に魚をとって一生を過ごすはずでした。ところが私は
船酔いがひどく、漁に出てもまったく役に立ちません。漁師に向い
ていないと思いました。幸いなことになぜか勉強はできました。
中学時代の成績はいつも上位で、地元の中学から二人だけ青森県で
も進学校である青森高校へ進学し、その後、弘前大学医学部に進み
ました。当時は弘前まで出るだけでも大変なことでした。仙台や
東京の大学へ行きたいという思いもありましたが、そんなことは
夢のまた夢でした。母親から医者になるなら脳卒中か心臓をやれと
言われました。母も、祖父の死のことが心に残っていたのだと思い
ます。
脳梗塞を起こした人が後遺症から回復して喜んでくれることがうれ
しくてたまりません。自慢だった祖父が「よくやった」とほめて
くれているような気がするのです(本文より)。金澤武道(かなざわ・たけみち)
医学部内科学助教授。81 ~ 82 年、86 ~ 87 年米国シカゴ大学大学院病理生
化学(主に細胞分子生化学を研究していたGodfrey S.Getz 教授)の下に留学。
88 年~ 2011 年医療法人芙蓉会村上病院院長。07 年国際未病科学センター所
長。12 年~ 14 年医療法人耕潤会ハートフルふじしろ病院院長。14 年~医療
法人大坪会東和病院にて脳血管内科医として現在に至る。日本内科学会、日本
循環器学会、日本動脈硬化学会評議員、日本老年病学会評議員、日本脳卒中学
会評議員、日本未病システム学会理事、日本高血圧学会、日本フリーラジカル
学会等に所属。主たる研究テーマは、動脈硬化の成因――とくに酸化LDL と
脳梗塞の成因と治療。診療・研究のモットーは「挑戦――改革――初心」。編集者から
編集子は、実際に入院して点滴治療を受けました。自分でもふら
つく、めまいなどの自覚症状があったからですが、何より、友達、
仕事仲間、後輩などが脳疾患で倒れるケースが多く、なかには、
ぼくと碁を打っていて、その最中にぐらっと横倒しになった友人も
います。15分後に近所の厚生年金病院(いま名前が変わっています)
へ運びましたが、脳梗塞でした。ぼく自身は入院治療でずいぶん
すっきりしました。バンバン遊び、かつ仕事をしています。あの
体験後、一年に一度、入院しようかなと思っています。
3人ほどいます。一度金澤先生の診断を受けてみたらと薦めている
のですが、なかなか腰を上げません。この本を真っ先に送ろうと
思っています。
金澤先生と仲良くなって以来、それに不安を持つかなりの友人を
病院に紹介しました。不快な言葉が返ってきたことはなく、むしろ
感謝されています。
でも何かが足りません。そこで、先生のお許しを得て「よかった、」
と付け加えました。ありがたい、よかった――と本当に感じたから
です。その不安を感じている人が、こういう医師に直接出会うように
祈っています。「よかった」と言われるように……(編集担当・山平)。
「ありがとう」100万回の奇跡(工藤房美著)
「ありがとう」はサムシング・グレートへの感謝の祈り (筑波大学名誉教授 村上和雄)
「遺伝子スイッチ・オンの奇跡」②
「ありがとう」10万回でガンが消えました。
以来ずっと、「ありがとう」を唱えていたら、不思議なことが続出するのです
工藤房美〈語り〉 木下供美〈聞き書き〉
ISBN978-4-938939-88-5
定価(本体1500円+税)
☆「ありがとう」10万回でガンが消えた
工藤さんは48歳の主婦。ある日「あなたは子宮頸ガンです。「余命1ヵ月」と告げられました
その病床へ『生命の暗号』という本が届きます。一読して驚いたのは、「人間のDNAのうち、実際に働いているのは 全体のわずか5%程度で、その他の部分はまだよくわからない」というところです
え、それなら?眠っている95%のDNAのうち1%でもオンになったら、私だって少しは良くなるに違いない――そう思いついた瞬間、著者は「ばんざーい!」と叫んでいました 病んでない目、鼻、耳、その他の臓器の細胞に「これまで私を支えてくれてありがとう」とお礼を言い、ガン細胞にも「あなただって支えてくれたのだから、ありがとう」と感謝を伝えました
ガンが消えてなくなるように祈ったのではないのです 10ヵ月後、ガンは消えました(12年前のことです)。
☆「ありがとう」100万回を超えた頃
以来、著者は「遺伝子が喜ぶ生き方」を生活の基準にします。
人にもモノにも一木一草にも、「ありがとう」と感謝し、それを日々実践する――そんな生き方です
そうすることで、遺伝子をオンにしていったのです
「ありがとう」が100万回を超えた頃です、不思議なことが続出します
妊婦さんのおなかの赤ちゃんが話しかけてきたり、見ず知らずの人から「久しぶり、元気だった?」と声をかけられたり、亡くなった人との魂レベルでのコミュニケーションとか、宇宙人がお店にやってきたり…… 意識が宇宙まで飛び出し、ますます不思議なことが続出しています。
☆目次
(オマージュ)「ありがとう」はサムシンググレートへの感謝の祈り(村上和雄) (プロローグ)「あとどのくらい生きられるとですか?」 (1章)遺伝子が喜ぶ生き方 (2章)宇宙とつながる (3章)希望を届ける (4章)元気になった人 (5章)大地が揺れた (6章)命を見つめて (エピローグ)楽しく、ワクワク生きる
著者の近況
前著『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』(5刷り)の出版の後、著者のところには病に悩む人がたくさん訪ねてきました。著者は一人一人に自分の経験を伝え真剣に対応し、中には「ありがとう」を唱えることでガンが消えた人もいたそうです
著者は熊本でカレー屋さんを切り盛りしながら全国を歩き、「遺伝子をスイッチ・オンにすると、いいことがある」という村上説を、自分の経験とともに語り歩いています。東京、埼玉、秋田、北海道と、どんどん広がっています。今年はロス、サンフランシスコも回る予定だそうです。熊本の工藤から全国区の人になりました。お声がかかれば、小さな集まりにも出ているようです。
出版社から
眠っている遺伝子をスイッチ・オンする――この村上学説は大切な真理かもしれません。そうだとすると、テーマは絞られます。どうしたらスイッチ・オンできるか。
村上和雄先生は、「工藤さんの変化は、すごいねえ」と激賞しながら……
原稿を一読した村上先生は、「この人の進化は、すごいねえ」とべた褒めです。その先生から工藤さんに「あなたの弟子にしてください」という(ジョーク交じりの)電話がかかってきたそうです。先生は数年前の脳梗塞で舌がもつれるなどの後遺症があります。どうしたら実際に遺伝子をスイッチ・オンすることができるか、師匠は実践者である工藤さんに、その秘策を尋ねたかったのかもしれません。工藤さん、すごいですね!
毎日ときめいてますか?
☆ガン名医の健康放談
『毎日ときめいてますか?』
……いのちが躍動している……
それがいちばんの健康です。
数値なんて、まあ、どうでもいいのです。
帯津良一(帯津三敬病院名誉院長)
ISBN978-4-938939-87-8
定価(本体1400円+税)
☆ときめく……
朝から酒を飲む、
タバコを一服する、
好きな人に想いを馳せる……
生き生き、ホカホカして、いのちが弾んでる。
数値なんて、まあ、どうでもいいのです。
☆ポイント
いくら人間ドックの成績がよくても、それはたまたま値が正常値だった、ただそれだけのことです。逆に、生命の躍動さえあれば、少しぐらい乱暴なことをしたり、異常値が出てもいいのです。
☆内容
(はじめに)酒は朝から飲むもよし(1章)人間を「まるごと」診る医学(2章)生と死と悲しみと(3章)ときめいている仲間たち(4章)飲む、食べる(5章)ハメバラばなし(6章)さまざまな病(あとがき)健康ってなんだろう。
☆なるほど、思わず膝を打つ名医の放談!
(さわり)
胸に燃え立つもの
医者になって半世紀以上たちますが、健康を考えるうえでいちばん大切なことは、内にあるダイナミズムです。これがないとダメなのです。これはフランスの哲学者ベルクソンが唱えた「生命の躍動」を指します。青雲の志や情熱と呼んでもいいでしょう。内に「ときめき」を秘め、志を持って生きる。そして、社会の一員として、他者に思いをやりながら粋に生きる。――これが理想です。
胸に燃え立つものを持っていなければ、「健康」とは定義しません。いくら人間ドックの
成績がよくても、それはたまたま値が正常値だった、ただそれだけのことです。逆に、生命の躍動さえあれば、少しぐらい乱暴なことをしたり、異常値が出てもいいのです。
射精は、エントロピーを捨てること
何歳になっても常に恋心、いわゆる性欲を持っていれば、免疫力が高まり、若さも維持できます。これは過去の偉人たちも証明している事実です。ドイツを代表する文豪ゲーテは七二歳のころ、一七歳の少女に恋をしました。フランスの画家ピカソは八〇歳のときに二度目の結婚をしました。ホメオパシーの父である医師ハーネマンが三度目の結婚をしたのは八〇歳です。彼らがその年齢までパートナーとセックスをしていたかは定かではありませんが、私が言う「恋心」とは、形を問いません。恋人のように心を通い合わせることができる存在がいるだけでいいのです。
だからといって「接して漏らさず」というのも体によくありません。これは『養生訓』の
貝原益軒先生の言葉ですが、率直に言って、私はこの言葉には賛成できません。なぜなら男性にとって精液を出す行為は、エントロピーを捨てることにつながるからです。エントロピーとは、「乱雑さの尺度」を指します。エントロピーが増大すると、体内に無秩序を引き起こす要因が大きくなり、病気になる比率が高まるのです。ですから精液を放出することは、息を吐くことや、汗をかくこと、大小便を排泄することと同様に、とても大切な行為なのです。人間の体の中で作られ排泄するべきものは、出すほうが自然ということです。
何かひとつ、行をやろう
50歳過ぎたら、何かひとつ行をやるといいですね。
私の大好きだった詩人の加島祥造さんは、生前、伊那谷のおうちに行くと、「これがおれの健康法だ」と、50年間続けた自彊術をやっていました。私の場合、最初、東大のころ始めたのが空手でした。初段を取り、卒業してもやるつもりでいました。ところが外科医というのは暇がない。おれは無理だなと思い、空手から足を洗いました。
楊名時先生は私の太極拳の師匠ですが、特にこれといって教えてもらったことはありませ
ん。酒ばっかりです。酒がぴったりなのです、二人には。
そもそもの接点は、うちの家内です。
家内が更年期になり、不定愁訴が多くなったとしきりにこぼすものですから、「太極拳で
もやったら」と楊名時先生を紹介したのです。彼女は一生懸命やるので、面白くなった。これは素晴らしいということがわかって、当時、作ったばかりの病院で取り入れようと院内に道場まで設けたのです。ところが患者さんに気功を教えようとしても、患者さんは自分が重症だということがわからない。当時はガン告知をする時代でなく、患者さんは誰も来てくれません。閑古鳥が鳴いていました。これじゃだめだと、「太極拳の教室を開け」と家内に言いました。すると入院している患者さんではなく、健康志向の近所の人が集まってきたのです。すぐいっぱいになりました。
一方、患者さんは消灯が九時ですから、朝が早い。みんなうろうろしています。これはも
ったいない。家内に「朝の教室を開いて、そこでも教えて」と頼みました。自分の子供のことや家の中の仕事もあるので、とんでもないと断られました。それじゃ俺に教えてくれ、休みの日に四時間もあれば覚えるからと頼みました。空手をやっていたから太極拳はなんとなくわかる。家内に教わった次の日から、私も教えるようになった。家内は家内の時間帯で、私は私の時間で教えるようになったのです。
諦めない
どんな大きな病を宣告されても、諦めず、失望せず、ときめきを持って生きる――他人か
ら「みっともない」「いまさらそんなことをしたって」と思われたって良いではないですか。
大病の宣告は「第二の人生」の宣告です。そこから「ときめき」を見つけ出すチャンスを与えられたことなのです。
だからこそ、宣告されたら、できるだけ酒を飲み、うまいものを食し、足腰を鍛え、敬意
を持って他人を敬い、他人に愛される生き方をしようとあがいてみましょう。
ガンはミステリアスな病。だからこそ、何が生命に作用するかわからないのですから。
医者の冷たい言葉で、絶望の淵に立たされている皆様に「ときめく」時間がありますように。
(編集者のメモ)
ガン医師の帯津良一さん。
知り合ってもう20年を過ぎた。
100回ぐらい酒を飲んだ。
しんどい患者の声を聞き、元気づけ、闘病戦略を語り合い、
うまくいったら、また世の中に送り出す(そうでない場合も多々あり)。
大変な仕事だな……といつも思っていた。
でもこの人は、まん丸お月さま。
怒鳴ったり、語気を荒らげたり、めげたり、しょげたりする場面を
見たことがない。
穏やか、乱れない、明るく、いつもにこにこしている。
天性のものだろうか、訓練のたまものだろうか。
えらいなあ、この人は――と、いつも思う。
でも、まん丸お月様にも、少し欠けたところもある。
まん丸の端っこに、ちょっとギザギザしている部分がある。
ぼくがそれを指摘しても、そうなんですよと笑ってる。
ギザギザ、欠点を補って余りある大人。
この人のそばにいると、なぜかホッとする。
つらいときには、元気がもらえる。
この本は健康“放談”、
朝から酒を飲むもよし、
タバコを一服するもよし、
好きな人に想いを馳せる、
生き生き、ホカホカして、いのちが弾んでる……。
それがいちばんの健康です、
数値なんて、まあ、どうでもいいのです、
という主旨。
週刊誌で“放談”中の長い原稿を、
帯津さんから「好きにしていいよ」と許可をもらい、
あるライターに手直しを頼んだ。
ネタは豊富にある。好きなところを勝手に選び、つなぎ
順序を替え、不足部分は帯津さんに書きたしてもらい、
再構築した一冊。
僕がライターとして選んだ人は、優れたドイツ語の翻訳者。
でもこの人、2度の手術を経た、闘病中のガン患者。
自分の経験に照らしながら、「なるほど、なるほど」と、
原稿を読み、合点できる部分をピックアップし、まとめ、
ようやくまとまった。
「いいまとめだね」と帯津さんのオーケーが出た。
巻末で、帯津さんはこんな風に締めている。
「たとえ余命一カ月と宣告されても「死に至る病は絶望」なのです。
今日の免疫と心の関係を知るはずもない時代の哲学者・キルケ
ゴールのこの言葉は実に正しい。
どんな大きな病を宣告されても、諦めず、失望せず、ときめきを持
って生きる――他人から「みっともない」「いまさらそんなことをしたって」
と思われたって良いではないですか。
大病の宣告は「第二の人生」の宣告です。
そこから「ときめき」を見つけ出すチャンスを与えられたことなのです。
だからこそ、宣告されたら、できるだけ酒を飲み、うまいものを食し、
足腰を鍛え、敬意を持って他人を敬い、他人に愛される生き方をしよう
とあがいてみましょう。
ガンはミステリアスな病。だからこそ、何が生命に作用するか
わからないのですから。
医者の冷たい言葉で、絶望の淵に立たされている皆様に「ときめく」
時間がありますように」
病人に、それが無理なら病人のそばについている人に、読んでほしい一冊。
元気が出ます。(文責・山平)
マイケル・A・シンガー伊藤 由里売れ行き良好書本当の自分を発見する菅 靖彦
——自分を明け渡し、人生の流れに身を任せる
サレンダー(マイケル・A・シンガー著/菅 靖彦・伊藤由里訳)
森の中で瞑想していた隠遁者は、
なぜ、どのようにして
巨大なIT産業の経営者になったか。
アメリカを代表するスピリチュアル教師(ティーチャー)マイケル・シンガーの「気づき」と成長のストーリー。
『サレンダー』
(THE SURRENDER EXPERIMENT)
my journey into life’s perfection
— 自分を明け渡し、
人生の流れに身を任せる —
マイケル・A・シンガー
菅 靖彦・伊藤 由里 訳
46ソフト336p
定価(2000円+税)
ISBN978-4-938939-86-1
風雲舎
世俗的なことと、
スピリチュアルなことを
分ける考えが消えた。
流れに任せると、
人生はひとりでに花開いた。
自分の自己実現の道は、瞑想以外にないと
私は信じ切っていた。
だが、それは間違っていた。
人生は、他人への奉仕を通して、自分自身を
解き放つ方法を指南していた。
発売(2015年6月)以来、「ニューヨークタイムズ」のベストセラーに昇りつめた話題の一冊です。
山川亜希子さんが、『サレンダー』についてコメントしてくださいました
~私の大好きな本です。本の読めない私が、あっという間に読んでしまいました。
~本当に読めないのです。目も良くないし、それ以上にじっくり本とむかえない。私は本から学ぶタイプではない、と言われてほっとしたことがあるほどです。(2017年11月、フェイスブックで)
~私たちがかなり前に訳した本、タデウス・ゴラス著『なまけ者のさとり方』には、人生のコツ、生き方の大切なルールとして、「抵抗しないこと」というルールがあげられています。起こってくること、宇宙があなたに差し出すことに、抵抗してはいけない、それを素直に受け入れなさい、すると人生はとても穏やかで楽で、しかも生き生きしたものになる、と書かれています。ちなみに、この本は薄くてすぐに読める本ですが、とても深い内容が愛を込めて書かれています。どんな方にもおすすめの一冊です。
もう一つ、最近読んだ本に、マイケル・シンガーという人が書いた『サレンダー』があるのですが、この本にはもっと詳しく、「受け入れの法則」を使ってみたらどんなことが起こったか、マイケルさんの体験が書かれています。もちろん彼は「受け入れの法則」という言葉を使っていませんが。
シンガーさんは大学院で経済学を学んでいましたが、本当に興味があったのは、心を静め、悟りを開くことでした。だから瞑想ばかりして、そのため広大な森の中に住むような青年でした。しかし、経済学の学生としても、きわめて優れていたようです。
彼はある時、「誰かが自分に何かを提案してきたら、好き嫌いを無視して、どんなことでもすべて受け入れる」という決心をしました。彼はとても優秀な人だったので、仕事や依頼がいろいろやってきました。あまりやりたくない仕事もあったのですが、すでに何も断らないで全部受け入れる、と決めていたのですべてOKしました。するとどうなったか……最初は乗り気でなかった仕事でも、どれも彼の人生を大きく発展させていったのです。そして何回もそのようなことが続いて、気がついてみると、大きなIT企業の経営者になっていたのでした。
マイケルさんはすこぶる優秀な人ですから、このお話は例外と思うかもしれません。自分はとてもそんなではないから、誰からの話も来ないし、来たしてもうまくいきっこない、なんて、どこかで思っていませんか?
でもね、それぞれの人にはそれぞれにふさわしいことが用意されています。または自分で得意なこと、この世ですることになっていることを決めてきています。だから、多分、マイケルさんくらい、優秀でないとうまくいかないよね、ということはないのだと思います。たとえば、普通の奥さんであるあなたに、ある日、友達からアルバイトのお誘いがあり、それに乗っていったら、ものすごく楽しくて自分のためになる仕事に発展するかもしれないのです。
ゴラスさんやシンガーさんの本の他にも、自分に起こったことにはすべてOKを出そうね、とか、起こってくることにすべてイエス、と言いましょう、などという本は数多くあります。ということは、「受け入れの法則」は決して私たちの発明品ではなくて、すでに生き方のコツのひとつとして、または生き方のルールとして、多くの人が使っていたり、知っていたり、推薦していたりしているのです。(山川紘矢・山川亜希子『受け入れの極意』(興陽館))
(こんな内容です)
① 著者のマイケル・シンガーはフロリダ大学で経済学を専攻するのんびり屋の、マリファナをたしなむインテリヒッピーでした。時代はベトナム戦争の影響で、ヒッピー、マリファナ、LSDなどが氾濫し、カウンターカルチャーと呼ばれた
1960年代の激動期です。
② ある日友人とソファでのんびり会話を楽しんでいると、世間のあれこれについて、自分の頭の中の声が「これは好き、こいつは嫌い」とわめく声と、それをじっと見つめているもう一人の自分がいることに気がつきます。
頭の中に二人の自分がいる! これには驚きました。
③ その状況が高じてくると、頭はこんがらかってマイケルはすっかり辟易します。
こいつを黙らせる方法がないかと、フロイトや心理学の本をめくっても、答えはありません。ところが、「禅」の本にその答えがありました。頭の声を鎮める方法は、瞑想でした。
④ 小躍りしたマイケルは、瞑想三昧の暮らしに入ります。経済学や博士論文は、どうでもよくなります。「深く集中すると動揺はすべて溶け去った。そこには静寂と平和があった」……そんな気分です。
⑤ 瞑想三昧のマイケルは、自己実現の道は瞑想以外にはないと信じていたのですが、だんだんそれは間違いだと気づきます。
⑥ 他人とのかかわりが多くなり、他人に奉仕することが面白くなったのです。
他への奉仕を通して、自分を解き放つ……
それが人生の目的、それこそが完璧な人生の旅だと気づくのです。
⑦ 森の中で瞑想する隠遁者は建設業者となり、パソコンに夢中になってプログラマーに変身し、全米一といわれるソフトウエアを書き、やがてIT関連の企業経営者へと変身します。森の中の瞑想所「宇宙寺院」を営みながらです。
人生は、マイケルをとんでもない世界へ引っ張り出すのです。
◎読みだすと、これが面白い。ついつい明け方まで読んでしまいます。
◎おやこれは、ソロー『森の生活』、パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』に似ているな、と感じられるかもしれません。
◎そろそろ瞑想してみようかな……と感じたら、あなたはこの本を“読んだ”ことになります。
◎訳者の菅靖彦さんはマイケルと同じ1947年の生まれ。
人生の流れが自分に提示するものを受け入れ、精魂込めてやってみる、というこの一冊にぞっこんです。訳者の手になる『サレンダー』サイトをクリックすると、『サレンダー』とマイケルについての情報が詰まっています。
『サレンダー』……目次
(イントロ)人生の流れに身を任せる
(第1部)目覚め
1章 叫びではなく、囁きと共に
2章 自分を知る
3章 禅の柱
4章 絶対的な静寂
5章 天国と地獄
6章 人生からの贈り物
7章 怯える人間
8章 予期せぬインスピレーション
9章 約束の地
10章 聖なる小屋
11章 汝僧院へ行け
12章 弟子に準備ができたとき、師が現われる
(第2部) 偉大な実験が始まる
13章サレンダーイクスペリメント
14章 人生に身を委ねる
15章 王子と乞食
16章 見えないものに従い、未知の世界へ
17章 初めての面接
18章 手綱を手放す
19章 教師になる
20章 刑務所訪問
(第3部)孤独から奉仕へ
21章 生きているマスターからの呼びかけ
22章 シャクティパット
23章 ゲインズビルに師を迎える
24章 寺院建立
25章 ハート・チャクラが開く
26章 再婚
(第4部) 宇宙の流れに委ねるビジネス
27章 ウィズラブ建設の船出
28章 正式な建設業者に
29章 コミュニティ・バンキング
30章 拡大する宇宙寺院
31章 クリエイチャーの変容
(第5部)お金では得られないもの
32章 パーソナル・セルフからパーソナル・コンピュータへ
33章 「メディカル・マネジャー」の誕生
34章 初期のプログラマー
35章 売り出す準備
(第6部)自然な成長の力
36章 ビジネス成功の基礎
37章 止まらない業界からの打診
38章 成長しつづける寺院
(第7部)暗黒の雲が虹になるとき
39章 頻発するシンクロニシティ
40章 新しいオフィスビルの建設
41章 未来への基礎づくり
42章 大いなる暗闇の時期
(第8部)爆発的な拡大
43章 「メディカル・マネジャー・コーポレーション」の誕生
44章 カルマ・ヨガ
45章 合併
46章 ワシントンに赴く
(第9部)トータル・サレンダー
47章 ガサ入れ
48章 主席弁護士との出会い
49章 合衆国vs.マイケル・A・シンガー
50章 『いま、目覚めゆくあなたへ』の出版
51章 憲法と権利章典
52章 神の介入
53章 振りだしに戻る
(訳者あとがき)――菅 靖彦
「スピリチュアルな修行が日常と協調するとき、驚くべき人生が展開する。
混沌の中に救済の光を投げる名品」
ジャック・キャンフィールド(『心のチキンスープ・シリーズ』の著者 amazon.com)
マイケル・A・シンガー(Michael A.Singer)
世界的ベストセラー『The Untethered Soul』(邦題『いま、目覚めゆくあなたへ』菅靖彦訳 風雲舎)の著者。フロリダ大学で経済学を専攻。大学院在学中(1971年)覚醒体験をして以降、瞑想やヨガにのめりこみ、森の中で暮らす。1975年、瞑想とヨガのセンター「宇宙寺院」を森の中に設立。クリヤ・ヨガの継承者であるパラマハンサ・ヨガナンダを師と仰ぎ、ムクタナンダ師、アムリット師らインドのヨギとの出会いを通して深い霊的体験を重ねる。その一方で、医療業務管理産業に革命をもたらしたソフトウェアを開発し、二千人以上の従業員を抱えるソフトウェア会社の最高経営責任者になる。本書の他に、『The Search for Truth(真理の探究)』『Three Essays on Universal Law: Karma, Will and Love(宇宙の法則に関する三つのエッセー:カルマ、意志、愛)』などの著作がある。
菅 靖彦(すが やすひこ)
マイケル・シンガーと同じ1947年、岩手県花巻市に生まれる。国際キリスト教大学(ICU)人文科学科卒業。翻訳家。日本トランスパーソナル学会顧問。自己成長や創造性開発をテーマに執筆、翻訳、講演を行なっている。著書に『自由に、創造的に生きる』(風雲舎)、『変性意識の舞台』(青土社)、訳書に『この世で一番の奇跡』(オグ・マンディーノ PHP)『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(ジュリア・キャメロン サンマーク出版)、『ブッダの脳』(リック・カールソン 草思社)、『いま、目覚めゆくあなたへ』(マイケル・シンガー 風雲舎)など。
伊藤 由里(いとう・ゆり)
熊本県水俣市生まれ。青山学院短期大学英文科卒業。ウェスタン・ミシガン大学に編入・卒業。早稲田大学大学院人間科学部にて医療人類学を学ぶ。豊富な瞑想体験を持つ。
この素晴らしき「気」の世界(清水義久 語り 山崎佐弓 聞き書き)
この素晴らしき「気」の世界
気と繋がる、あなたは今を超える!
清水義久(語り)
山崎佐弓(聞き書き)
気を読み、気を動かし、事象を変える
新進気功家の「気」ワールド。
その向こうに精霊が舞い降りる22のストーリー。
定価:1600円+税(ISBN978-4-938939-85-4)
~ぼくは美術館で、いろんな絵に向かって波動を送ることがある。
ダ・ビンチの絵はすごかった。気のボールを投げると、とても遠い。吸い込まれていく。その感覚がすごい。しばらくしてやっとエコーが帰ってきた。
しかし、東山魁夷画伯が描かれた唐招提寺の障壁画はそんなものではなかった。気のボールのエコーが帰ってこないのだ。
その絵の中に入ると、360度、無限の中にいる。なにひとつ反響がない。自分のエネルギーフィールドの感覚が失われていった……。これはダ・ビンチ以上だ(本文より)。
本文より
政木和三先生の無欲の大欲
一九八〇年代半ば、アメリカの直感力センター(CAI)の主宰者であるスタンフォード大学教授・ウイリアム・カウツ博士がエジプトを訪れたとき、エジプトの神官が「あなたはこれから日本に行くことになる。日本に行ったら、マサキという人にこの石を渡してくれ。この石は昔からエジプトに伝わるものだ」との伝言で預かったという。博士は日本に行く予定なんてまったくなかったが、帰国するとすぐ船井総研からの依頼があり、日本に行くことになった。マサキとは何者かと船井幸雄先生に聞くと、それはたぶん林原研究所の政木先生だろうということで、カウツ博士は岡山に政木先生を訪ね、その石を手渡すことになった。先生はすぐ、「はい、これは私のものです」とためらいもなく受けとった。賢者の石だった。政木先生はこの石を持って林原健社長にいきさつを話すと、なんと彼も同じものを持っていた。「ぼくはずっと持っていたよ。君は持っていなかったんだね」と言われてしまった。二人とも、アトランティスで同じ時期に神官をしていた過去世があって、この賢者の石を所持していたということだった。
先生はポケットから手のひらに入るほどの円板状の石を出して見せてくれ、「これが賢者の石だ」と言われた。
びっくりした。賢者の石が目の前にある。さわってもいいと言われたので、おそるおそる手に取り、どんなエネルギーなのかと手のひらに置いてみた。
物質はどんなものでも固有の波動を持っている。この宇宙には波動がない物質なんてない。さらに、どんな人がそれを持っていたのか、時代をさかのぼって痕跡を感じることができる。少なくとも石のエネルギーがどんなものか、自分なりに感じることができる。賢者の石だったら、どんなことになるのだろうと心を躍らせた。しかし、意に反して、その賢者の石から、ぼくは何も感じることができなかった。
賢者の石はゼロの場になっていた。
天上の波動を吸収し、現実の波動もすべて吸収して、落とし込むことができる「空」の場だ。だから石自体からは波動が出ていない。
こういう石は見たことも聞いたこともない。まさに賢者の石だけだった。
笑いは本能
人は学習で笑いを獲得するのではない。
ほかの動物は笑わないし、人間にいちばん近い哺乳類、サルでさえも笑わない。
笑える生物は人間だけなのだ。
これは人間の本能には笑うことが組み込まれていることを意味している。もしこの
世界を創った神様がいるとしたら、神様は私たちを幸せにしてあげようと思ったに違
いない。幸せなときに、私たちは笑ったり、微笑んだりする。神様が人間を創るとき、
神に似せて創ったという話があるが、神様と同じように、笑うこともちゃんとプログ
ラムされたのだ。
赤ちゃんは神様にいちばん近い存在だ。
赤ちゃんに「いない、いない、バー」をやって見せる。「いない、いない」と言っ
て両手で顔を隠し、手を開いて「バー」と顔を見せてあげると、赤ちゃんは大喜びで
「キャキャキャッ」と声を立てて笑う。何度繰り返してもその笑いは続き、見ている
人は思わず微笑んでしまう。赤ちゃんの笑顔を見るとどんな人も幸せになる。だから、
私たちも赤ちゃんの真似をするといい。あるいは、 目の前にかわいい赤ちゃんがいる
と思って、あなたを取りまく世界に、「バー」と満面の笑顔を見せてやるのだ。木々
や周りの風景……すべてが喜んでくれるはずだ。
モノを大切にするといいことがある
なにかひとつ愛用品を持ってみる。消耗品ではなく、毎日使うちょっと高価なモノ
で、時計、アクセサリー、メガネ、パソコン、携帯電話でもいい。そして名前を付け
て、愛を注ぎ、大事にして、可愛がる。そして気を入れてみる。
それらが周りのほかのモノたちに語りかけるかもしれない。
「私のご主人は私をとても大事にしてくれるの。すごくいい人よ」と。モノからモノ
へと「あなたはいい人」という情報が伝わり、世界はあなたを味方する。
だからモノは護符になる。そして、あなたはより大きな世界と繋がって一体になり、
もっと大きな器になる。
編集者から
「なぜ清水さんの本を創りたいと思ったか」
山崎佐弓
5年ほど前のことです。高崎市に住む友人が、清水義久という「すごい」気功家がいるのでぜひ紹介したいと、私をその人のプライベートなセミナーに半ば強制的に連れていってくれました。
気功は15年ほど前から、矢山利彦先生、中健次郎先生、朱剛(しゅごう)先生、梁薇(りゃんうぇい)先生といった素晴らしい先生方から手ほどきを受けていました。健康のためばかりでなく趣味としても楽しんでいたので、その延長で「どんな気功かな?」と思って、友人の後に付いてのこのこ出かけました。
清水さんの講義が始まって10分もしないうちに、私は完全に「はまって」いたのです。不思議で、ワクワクして、知らなかったことだらけで、めくるめく時間というのはまさにこういうものだと感じながら、その後ずっと感動、興奮の連続でした。
セミナーでは、清水先生は原則的に「手からエネルギーが出る」と3回おっしゃってエネルギーボールを作る所作以外、講義がほとんどです。その内容たるや、これがなんといっても面白い! 見えない気の世界が目の前にワーッと広がります。プラスとマイナスの気のエネルギーの性質、気学というもの、チャクラやオーラの話、次から次にと出てくる話に耳と目が離せません。さらに古神道やら西洋占星術やら医療や心理学まで、360度オールラウンドの不思議な話が飛び出してくるのです。私の中の好奇心はどんどん膨らむばかりでした。
ある初参加の男性が自分の名前を書かされ、先生がその文字の上に指を当て、「あなたは思考力があるね、でも喉のチャクラが少し汚れているね」と言われていました。同様に私の名前にも指を当て、「んっ、何かやっているね」とかつぶやいて、先生はひとり勝手にうんうんうなずいています。この人の前でウソはつけない、何でもお見通しのようです。休憩時になると、だれかが名前を書いた紙を持ってきて、先生はその上に「エイッ」と気を投げかけて、お祓いしています。つまりこのセミナーは、まるで気の世界のメリーゴーランドに乗っているような感じなのです。
あるときは先生の誘導で、「新しい自分の再生」という瞑想です。
砂漠に横たわり、そのままそこで死を迎えるそれです。それまでの私はポロポロ崩れて砂と化し、その砂から新しい自分が生まれる――それが理想とする新しい自分の再生です。私はこれまでの自分に感謝しながら、気持ち良く誘導されていきました。終わると、心も体もなんだかとってもすっきりしています。その自分がとても愛おしく感じられました。ふと手のひらを見ると、手のひらが金粉に、いや金箔で覆われていたのです。いったい、これはナニ?
先生のセミナーを何度か受けるうちに、私はある若い女性を思い出していました。友人のお嬢さんで、20年以上ひきこもっているのです。人間不信と社会への不信で、ほとんど外出できません。彼女が繋がることができるのは、家族とテレビ、そして本の世界だけのようでした。もし彼女が清水先生のセミナーに参加できたら、彼女の心は少しでも解放されるのではないか、もっと外の世界に気持ちが向くのではないか――そんなことを私はぼんやり考えていました。
そのとき思ったのです、先生の本があれば、その本はこのセミナーの代わりになるのではないか。気のメリーゴーランド、瞑想、再生された自分、金箔に覆われた手のことなどなど、清水先生の場で、ゆっくりのんびり遊んでいる彼女の姿を思い浮かべ、そういう本があったらなあ――と、わりに真剣にイメージしている自分に気づいたのです。先生にそんな想いを漏らすと、「ごはんの祈り」を話してくださいました。気功ができなくても、簡単な祈りで自分を変える方法です(これは本文中にあります)。
この想いが膨らんできて、気が付いたら私は清水さんのセミナーを追いかける“追っかけ人”になっていました。気の世界によって、健康になれる、幸せになれる、成功する道が開かれる――そんな気持ちがますます大きくなったのです。ある日思い切って、清水先生にその想いを正直にお伝えしました。
「先生の本を創らせてください……!」
先生の本はそれまで出ていないので難しいかなと思ったのですが、意外や意外、その願いを先生はすんなり許してくださいました。しかし、先生は本当にシャイな方です。名前を出すことさえためらわれ、「山崎さんが、ぼくから話を聞いたのだから、あなたの名前で本にしたら?」との反応です。私の名前でなんて、とんでもない。版元の編集者にその件で相談すると、「おまえの名前で、いったい誰が買うのか」と叱られました。そうですよね、当たり前です。結局、清水義久(語り)山崎佐弓(聞き書き)ということで、お許しをいただくのにずいぶん時間がかかりました。
先生のセミナーを追いかけ、録音し、それを再生し、その内容をメモしたりまとめたり、耳にしたことなどを原稿としてまとめ、やっと22のストーリーになりました。もちろんこの間、何度も先生の加筆・訂正をいただきます。
こうして清水先生の初めての本ができました。
どれだけ自分が歓び、はしゃいでいるか、それを伝える言葉に詰まっています。私は少々舞い上がっているのです。これは私の宝物となりましたが、これを読んで下さるあなたも、もしこの本の中にあなた自身を幸せにする何かを見つけられたら、“追っかけ人”として、これ以上の嬉しさはありません。清水先生、ありがとうございます。みなさん、ありがとうございます(やまざき・さゆみ この本を企画し、一冊にまとめた編集者)。