淡々と生きる
―人生のシナリオは決まっているから―
小林正観著

「ああ、自分はまだまだわかっていなかった……」
天皇が元旦に祈る言葉と、正岡子規が病床で発した言葉は、死と向き合う著者に衝撃を与えた。
そして、到達した「友人知人の病苦を肩代わりする」という新境地。
澄み切った著者最後のメッセージ。

神々しいほどでした。
高いところへ登っていくようでした(あるファンの声)。

【本書の内容】

(1章)淡々と生きる
(2章)運命の構造
(3章)魂の話
(4章)悩み苦しみをゼロにする
(5章)すべてを味方にする
(6章)病を得てわかったこと

著者:小林 正観

発行年月日:2012年1月25日
コード:ISBN978-4-938939-67-0
四六判並製 224ページ
定価(本体1,429円+税)

本書の内容

正岡子規のひと言

いつ死んでもいい、いつでも死ねる、生きることに執着はない――ある程度勉強した人にとっては、そういう気持ちになれるものです。私もその程度のことは言っていました。そこへ正岡子規のひと言、「悟りとは、平気で死ぬことではなく、平気で生きることである」がやって来たのです。つべこべ言わないで平然と生きること。淡々と生きること。それが悟りである。それがドーンと響いてきたのです。

天皇のひと言

天皇は、一月一日早朝に起きると、東西南北の四方に向かってお祈りをします。
「今年もし日本に災いが起きるならば、まず私の身体を通してからにしてください」と。それを「四方拝」といい、毎年やっているそうです。別の人から聞いた情報では、歴代天皇がそう祈って、この世は続いてきた。天皇がそういうふうに言うことを、皇太子の時代から教え込まれる。皇太子だけ。「あとを継いだら、あなたは必ずそれを言うのですよ。日本国民を代表して、『まず私の体を通してからにしてください』と言うのですよ」と教え込まれる。歴代の天皇は一月一日にそれを言ってきた。

それを聞いて、私は猛烈なショックを受けました。なぜショックだったか。私が発病したのが前の年の十月ですから、その間八カ月ぐらい、病気でいつ死んでもおかしくない状態でした。死を喉元に突きつけられていたのです。生死に執着はないことはすでに言いましたが、その根底には、病気というものは忌むべきもので、つらいもので、悪いもので、必ず治さなくてはいけない――という考えがあった。生まれてこの方、世間同様私もずっとそう信じ込んでいました。それ以外の価値観をだれも言ってくれなかったのです。ですから、天皇のそのひと言は、私の心を強烈に揺さぶりました。六十年の人生の中で、これほどいい意味でショックだったことはありません。世の中にそんなふうに考えられることがあるのか。そんなふうに考える人がいるのか。人間の魂や心が、そんな崇高な状態になれるのか。それがショックでした。

すると元気になった

天皇の言葉の中には、見ず知らずの人も、その辺を通り過ぎるまったく知らな い人も含まれています。私は残念ながらそんなふうにはなれない。そこまでは行 けない。でも私の友人である目の前にいる六百人のためだったら、その一部を肩 代わりをしてもいいと思った。私は、友人たちのために少しずつ肩代わりをする ことで、私の症状が悪くなるとか死に至るのであれば、それは一向にかまわない ――そう結論づけたのです。それが六月三十日です。天皇のような考え方が本当 にあるのかと驚いた前年に比べて、少し自分もそっちに近づくことができたのか もしれない、と思ったのです。

するとその六月三十日以降、めきめきと体力が回復を始めたのです。何が起き ているのかわかりません。不思議なことに身体に元気が戻ってきた。友人たちの ために自分の身体が悪くなってもかまわないと思った時点から、なぜか突然に体 調が良くなりはじめたのです。

「著者略歴」

小林正観(こばやし せいかん)

1948年東京都生まれ。中央大学法学部卒業。学生時代から人間の潜在能力や超常現象に興味を惹かれその研究に専心する。旅行作家のかたわら、日常の人間生活を観察しながら、そこに共通する方程式を、やがて天上からの声を聞き、宇宙に共通する方程式を見出すに至る。全国津々浦々を講演行脚し、ものの見方・考え方・生き方を多くの人々に伝え、こころの研究家と呼ばれた。2011年10月12日死去。『22世紀への伝言』(弘園社)から本書『淡々と生きる』(風雲舎)まで60数冊の著書がある。小社既刊には『宇宙方程式の研究』『釈迦の教えは「感謝」だった』がある。
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