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風雲斎のひとりごと No.36 (2012.2.8)
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このメールマガジンは、これまで風雲舎とご縁のあった方々に
発信しております。よろしければご一瞥下さい。
ご不要の方はお手数ですが、その旨ご一報下さい。
送信リストからはずします。

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メル友からの便り
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この一月末に、小林正観さんの『淡々と生きる』を発売
しました。発売後、朝日新聞に広告を掲載し、その頭に
「遺稿」と打ちました。
いちばん多かった電話が、
「え、正観さん、亡くなったのですか……?」
という驚きの声でした。かれこれ20本ぐらい、そういう
電話を受け取り、僕はにわかに事情説明係となりました。
そういえば三大新聞などマスコミが一切報じなかったのも、
なにか暗示的でした。

そんななか、次のようなメールをいただきました。
ご本人の了解を得て皆さんにお送りします。
ぼく一人が読むにはもったいないと思ったからです。

【野澤さんからのメール】
正観さんには(書籍上ですが)たくさんのことを教えて頂き
ました。
……今日(1月25日)、18年も共に過ごしたオカメインコの
「ブンちゃん」が亡くなりました。つがいの「小太郎」がそば
を離れず、ありとあらゆる手段を試してみようと思ったのか、
携帯の着信音、小鳥の鳴きまね等々、必死に話かけている姿を
見て、こんな小動物にも心はあるんだと感じました。

ブンちゃんは娘が溺愛していたオカメインコでした。
娘は、今日はちょうど仕事が休みで、家にいました。
葬儀は私達夫婦が休みの日曜にしようと、ペットの葬祭場に
予約したのですが、偶然、娘も今週日曜がお休みなんだそう
です。(娘はデパートで働いているので、日曜祭日に休めるの
はめったにありません)。喪主は娘です。
……日にちを選んで逝ってくれたとしか考えられませんよね。

つがいで飼っていたオスの「小太郎」に、
また会えるんだよ、ブンちゃんにお別れしようねって言い聞
かせたら、大人しくなって寝てくれました。今日一日鳴いて、
ありとあらゆる手を尽くしてブンの目を覚まそうと小太郎は
頑張ったので、体力も相当消耗していると思います。

小林正観さんの著書に出会わなかったら、私は雑な人間なので、
長年、私達家族を癒してくれたブンちゃんに感謝の気持ちが、
わかなかったかもしれません(実は、動物が苦手なんです)。
宇宙に共存するものは皆一緒なんだよと気づかせて下さったのが
正観さんでした。
ありがとうございます。

野澤さんからの続報メールです。

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すべてが繋がった
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『淡々と生きる』、読み終えました。
こういうことだったのか! と今までの出来事の全てが繋がり
ました。200ページ「妻の病気」のところからの正観さんの
言葉で、これまでの全てのことが偶然ではなかったのだとわか
りました。

私には三人の家族がいます。
長男31歳、長女25歳 そして6年前に再婚した今の主人。
主人はとてもやさしい人で、オカメインコのブンちゃんが亡く
なった日は涙を流し、26日(日曜)は、主人が全て準備して
くれて、ペット霊園でお葬式もしました。怒ったり腹を立て
たりしない人で、そのおかげで私達家族は喧嘩をしたり怒鳴り
あったりすることはありません。平凡ですが、平穏な毎日を
過ごすことができています。

小林正観さんの著書との最初の出会いは『釈迦の教えは“感謝”
だった』を手に取ったところからです。田中宇さんのメルマガ
に風雲舎の名前が載っていて、そこで知りました。何度読ん
でも理解できず、おそらく10回は読み返していると思います。
その後『宇宙方程式の研究』を読ませていただき、正観さんって
こんな人だったのか、と少し分かってきました。

そして今回『淡々と生きる』を読ませていただき、読み終えた
ときに呼吸もできなくなるほど息苦しく、今も同じです。
過去の不思議な体験が全てはっきりと解りました。

33歳で離婚しましたが、32歳ごろから不思議なことが連続して
起きました。ある日、家に友だちが訪ねて来たときに、部屋中に
長さ3センチくらいの金色の糸が無数に現れ、手で掴もうとすると
スッと消えるのですが、11本は拾って手帳にテープで貼り付けて
持っていました。一緒に居た友だちは一本も拾えませんでした。
またあるときは別の友だちの眼鏡のレンズが色とりどりに輝き、
まるで宝石をまぶしたかのように、見たこともない美しい輝きを
放ちました。

そんなことが連続して起こるようになって、部屋の中にぼうっと
大きな観音様が現れて、だんだん薄くなって消えていきました。
子供のためにと我慢していた生活でしたが、なんだか一人でやって
いけそうな変な自信がむくむくと身体の中からわいてきました。
実家の両親、姉妹に離婚したいと相談したところ、誰一人反対する
ことなく、スムーズに離婚することができました。

その頃私は秋田市に住んでいましたが、高収入の仕事もないので、
9歳と3歳の子供二人を連れて上京しました。乳飲み子がいては
働けないので、3歳の娘は12歳上の姉の家に預けて、長男と二人で
生活を始めました。娘はおっぱいが恋しくて、一日中姉のおっぱいに
しがみついていたそうです。

新聞の求人欄を見て、給料の高いところから面接を受け、全部採用の
通知を貰いました。その中で、一番時給の高い商社に就職できました
ので、母子家庭にもかかわらず普通に生活ができておりましたが、
1999年バブルの崩壊と共に、勤めていた商社も倒産してしまい
ました。生活を考えると頭の中が真っ白になって、
途方に暮れておりましたら、当時の上司が気の毒に思ってくれたので
しょうか、知り合いの会社を紹介して下さいましたので、
程なく再就職できました。

長く入院していた父は、私の再就職が決まる直前に亡くなりました。
私もまた再就職1年目に胃ガンが見つかり、手術することになりま
した。高校3年と中学3年の二人の子供に心配かけまいと気丈に
振舞っておりましたが、地に足が着いていなかったと思います。

おかげ様で手術は成功しましたが、退院して職場復帰したものの、
体調が悪く、食べては吐き、それでも子供を大きくするまでは
生きていなければと、その思いだけで無理して食べる――数年間、
そんな毎日でした。身体の不調と精神的な不安から、死んでしまい
たい、楽になりたいと思うようになっていました。

そんなあるとき、「この世には神も仏もいない」と心で思ったとたん、
何にもない平らなところですってんと転び、尻餅をついたのです。
すぐさま「観音様、ごめんなさい」と声を出してお詫びをしていま
した。なぜ観音様なのか、それも解らぬままに、です。

その後、やさしい今の主人と出会い結婚したのですが、入籍した
その日に甥が事故で亡くなり、半年後、親代わりだった姉が胃ガン
で亡くなりました。亡くなる前の姉のベッドわきに『般若心経』が
置いてあるのを見たことがあり、その本のことがずっと気になって
いて、いつか読んでみたいという思いがありました。

主人との出会いも予測していたかのような出会いです。
あるとき小石川植物園の通りを歩いていると、「ここに住むと決めた」
という言葉が口をついて出て、なんでこんなことを言ったのだろうと
不思議に思っていました。私は今、小石川植物園のそばに住んで
います。

上京した当時のことにしても、単に運がよかっただけと思っていま
したが、田舎から出てきたばかりの専業主婦が、一流の上場会社に
就職できるはずなんてありません。そこは大川隆法さんが働いてい
た会社でした。

観音様――離婚――親切な上司――父の死――再就職――胃ガン――
やさしい主人との再婚――姉の死――正観さんの本との出会い。
こうしてみると、私の人生は交互に苦がやって来ます。
その度に誰かが支えてくれました。
誰かとは、生まれる前からご縁のあった方々だったなと、正観さん
の本を読んで、いま気がつきました。

正観さんは十一面観音様だと私は思います。
あなたは感謝が足りませんよ、と正観さんを通して教えてくださった
ように思います。これからの人生は、「ありがとう」をたくさん言える
ように過ごして参りたいと思います。

私が読んだのは『釈迦の教えは“感謝”だった』→『宇宙方程式の
研究』、そしてこの『淡々と生きる』の順序ですが、『淡々と~』は、
三部作の完結編のように感じられました。風雲舎さま、よい本を
ありがとうございました。

――――――
目覚める人
――――――
こういう人が多くなっている――と感じます。
手に金の糸(のようなもの)が出るという人、
神さま(らしきもの)を見たという人、
自分の過去世を観たという人、
(最近読んだ萩原孝一『スピリチュアル系国連職員、吼える!――
たま出版』は絶品でした)、
あ、わかったという人、
こんな暮らしはバイバイと生き方を変えた人、
……こういう感覚の人が身のまわりに増えているような気がします。

社会の骨組みがギシギシと変わり、貧と富が、意識と無意識が、
覚醒と無覚醒がくっきりと分化し、ぼかしの部分がなくなって、
日ごとにあからさまになっているように思えます。
「あんたはどっちの道を行くの?」と問われているようです。
日和見はもうできません、待ったなしという様相です。
すごい時代ですね。この行く末を見届けたい――
そんな風に感じています。
ありがとうございます。

『淡々と生きる』詳しくは
http://www.fuun-sha.co.jp/

(今号終わり)