道徳力
「まこと」の甦りが日本を正す
丸山敏秋

道徳力

発行年月日:1999/3/10
サイズ:四六版上製
ページ数:264
コード: ISBN4-938939-12-6
定価:(本体1,600円+税)

政治の貧困はいい、経済の右往左往も言うまい。しかし、それらを規定するはずの国民の内部における道徳崩壊(モラルクラッシュ)はどうしたことか。明治維新、終戦という変革期のモラルの変換を検証しながら、新しい国民規範のありようを模範する。

丸山敏秋 (社)倫理研究所HP → http://www.rinri-jpn.or.jp/

目次

 [第1章] 衣食足りて礼節を忘れる
 [第2章] 二度の「開国」がもたらしたもの
 [第3章] 求められた国民道徳
 [第4章] 「まこと」という至高価値
 [第5章] 「まごころ」の魅せる力
 [第6章] 道は近きにあり

本書の内容

●第5章 「まごころ」の魅せる力●

足の裏を拝む

教育者として著名な東井義雄が、徳永康起と出会ったときのエピソードを語っている。八代市で行われた研修会の前夜、初対面の二人は柳川の宿で同じ部屋に泊まることとなった。
翌朝の午前三時、徳永はパッととび起きるなり正座合掌をはじめた。徳永の早起きは有名である。早起きというよりも、目が覚めたら一時であろうと二時であろうと、飛び起きてしまうのだ。
東井も目は覚めたが、寝床の中でモゾモゾしていた。隣人が目を覚ましていることに気づいた徳永は、その隣人の足もとのところに座を移してから言った。「目を覚ましておいでのようですが、うつ伏せになってください。これからあなたの足の裏を揉ませて貰います」なんとも奇妙な依頼である。言われた東井はもうびっくりしてしまった。「ゆるしてください。先生のような方に足の裏を揉んでいただいたりすると、足の裏がはれあがって帰れなくなります。ゆるしてください」と言い返すのだが、赦してはもらえない。

「あなたはまだ奥さんの足の裏を揉んだことないでしょう。こんど家へ帰られたら、きょう私がした通りに奥さんの足の裏を揉んであげなさい」と言葉が返ってきた。いまだに妻の足の裏など揉んだことのない東井である。やむなく揉んもらう覚悟を決めた。徳永は人の足を揉む前に、なんとまず、相手の足の裏を拝むのである。それだけでも、気づいた相手は驚いてしまう。東井も驚いて、「やめてください。もったいない」と、それをさえぎろうとしたのだが、容赦してはもらえなかった。合掌が終わると、まず足の指からはじまり、足の中心に向かって力強く、丁寧に揉んでいく。受け手は気持ちがいいよりも、もったいなすぎて、やり切れない思いになってしまう。

そのような出会いがあって、研修会も終わり、東井が家に帰り着いたのは深夜の一時を過ぎていた。妻はまだ寝ずに待っている。座敷へ上がるなり東井は妻に声をかけた。「おまえ、すまんけど、うつ伏せになってくれ」「何をなさるんですか」「これからお前の足の裏を揉ませてもらう」「冗談いってないで、もう早く寝んでください。こんなに遅いのに」「いや、どうしてもお前の足の裏、揉まんならんことになってしまっとるんや」夫は無理やりに妻をうつ伏せにさせた。そして徳永から教えられたように、相手の足の裏を拝むことから始めた。以下、東井の文章を引用しよう。

先生はまず拝めとおっしゃった。こんな足、拝む値うちもないと思ったが仕方がない、おがむまねだけしておいて足袋を脱がせたときギョッとした。妻を貰って三十八年目、妻の足の裏を見たのははじめてであった。もう少しかわいらしい足の裏をしているのかと思ったら、まるで熊の足の裏のようながめつい足の裏なのである。私のところへ来て三十八年、毎日毎日険しい山道を薪を背負い歩き続けた妻の半生がそこに見られた。気がついてみたら、私はいつの間にか、本気で合掌していた。合掌しながら、三年前亡くなった義母の足の裏もこのような足の裏であったに違いないと、義母の五十年間の苦労を憶念した。

私は、坂村真民先生の教えによって私をささえてきた私の足の裏には感謝を捧げてきた(引用者注-坂村氏は足の裏に感謝を込めた詩を作っている)。しかし、私がほんとうに拝まねばならないのは、私をささえてくれている数限りない人々の足の裏であったことを徳永先生は私に教えて下さったのである。

他人の足の裏を拝み、揉むという行為は、なまなかな気持ちでできるものではない。初対面の相手であれば、まず断られるに決まっている。それを断らせないだけの迫力を、徳永康起は備えていたのだろう。

一事に徹する「まごころ」そうした徳永の迫力は、心願を掲げ、真摯に生きた人からしか生まれないものだ。彼はなにか一つのことを徹底することで、自己を練り上げてきた。いわゆる凡事徹底である。そしてこれがなかなか難しいことは、挑戦した人だけがわかる。

たとえば「もらった手紙には必ず返事を出す」という一事を徳永は心がけた。こんなエピソードがある。

徳永が病に倒れて入院したある日のこと、旧友の小椋正人から手紙がきた。病気をして入院するなどというのは、師の道を行じないことの最たるものである。今度こそ、腹の中をすっかり掃除して出て来い。その間返書いっさい無用」心を許しあう間柄だけに、文面はひどく厳しい。ところが徳永はすかさず返事を出した。「透析の間、長時間絶対安静がなんぎだ。返書無用とはありがたい」相手の手紙に「返書いっさい無用」とあるのに、返事を書かずにおれない男なのだ。入院中に点滴を受けながらも、徳永の返事は続けられた。

徳永康起は教育の一環として、凡事徹底のみならず、「みんなが嫌がることを率先してやる」実践を自らに課し、やり続けた。たとえば、便所みがきである。昔の学校の便所はコンクリートでできていて、長い年月がたつと浸蝕やら変色などにより実に汚くなる。そんな便所が徳永が奉職していた学校の校庭の隅にあった。六角形の当時はめずらしいモダンな造りで、六角便所と呼ばれたが、あまりに汚いので、使用するのを憚るほどであったという。

毎朝これを清掃して磨こう、と徳永が言い出したのだ。瓦のカケラを用意した。この瓦でコンクリート面をこする。一緒にやり始めた者は、最初のうちは、恐いものに触れるかのような手つきだった。ちょっとやっては手を洗ったり、また排出孔がつまって水はけが悪くなったりで、なかなかきれいにならない。毎朝の便所みがきの開始の時間も遅れがちであった。しかし、徳永の粘り強い熱意は、生徒の心を動かし、一日一日ときれいになっていった。そのうち、毎朝の便所みがきは皆が先を争ってやるようになり、活気に満ちたものとなった。

そして学校一汚い便所が、学校一きれいな便所へと変身したのである。

●第6章 道は近きににあり●

物語の威力

一九九四年から九五年にかけて、アメリカで250万部も売れた本がある。「TheBookofVirtues(徳の書)「(93年刊)と題されたその本は、その後も売れ行きが衰えず、アメリカの家庭の第二の「聖書」になるほどの勢いだったという。

著者のウィリアム・J・ベネットは、ブッシュ政権のもとで麻薬対策事務局長を務め、レーガン政権では教育庁長官および古典文学遺産委員会の会長を務めた人である。日本語訳では「魔法の糸」と題された六百五十ページを超えるこの大部の本は、十の徳目を掲げて、欧米を中心に、世界に存在する素晴らしい物語を集めたものだ。95年には「TheMoralCompass」(邦訳『モラル・コンパス』)という前作以上に大部な続編も刊行され、やはりベストセラーとなった。

『魔法の糸』に示された十の徳目とは次の通りである。・「自分に厳しくなる(自己規律)」
・「人にやさしくする(同情)」
・「やるべきことを成し遂げる(責任感)」
・「友達を大切にする(友情)」・「一生懸命働く(仕事)」
・「困難に立ち向かう(勇気)」・「つらさを乗り越える(忍耐)」・「素直な心をもつ(正直)」
・「誠意をもち続ける(忠誠心)」・「神を信じる(信仰心)」
これらはいつの時代にも、どこにおいても、ほぼ普遍的に通用する徳目といえよう。「魔法の糸」ではそれぞれの徳目にふさわしい物語が十篇前後紹介されていて、はじめは易しい話から、順を追って内容の程度が高くなっている。大人たちにはよく知られた物語も少なくない。たとえば「正直」の徳目の三番目の話として、次のような民話が引かれている。

著者略歴

丸山敏秋(まるやま・としあき)

1953年、東京都に生まれる。
東京教育大学文学部哲学科卒業。東京高等針灸柔整専門学校卒業。
84年、筑波大学大学院哲学・思想研究科博士課程修了。文学博士。日本学術振興会奨励研究員、筑波大学非常勤講師等を歴任。
87年、社団法人倫理研究所入所。
現在、同研究所理事長。目白大学客員教授、日本家庭教育学会常任理事。