気功的人間になりませんか
ガン専門医が見た理想的なライフスタイル
帯津良一

著者: 帯津良一

発行年月日:1999/3/31
サイズ:四六版上製
ページ数:246
コード: ISBN4-938939-13-4
定価:(本体1,600円+税)

同じ病を得ながらも、ある人は逝きある人は帰還する─。ガン患者を 診つづけた医者の目に映じたもっとも理想的なライフスタイル「気功的人間」への薦め。「気功的人間」とは、気功三昧に明け暮れるのでなく、日々是好日とばかりに、いつも自分の内なる生命場のポテンシャルを高めようとする人のことだと著者は言う。

帯津三敬病院HP → http://www.obitsusankei.or.jp/
日本ホリスティック医学HP → http://www.holistic-medicine.or.jp/

目次

[はじめに] 気功的人間とはスピリチュアルな人
[第1章] ガンと共生する気功的人間たち
[第2章] 気功道場のある病院
[第3章] 医療が大きく動きはじめた
[第4章] 虚空につらなる気功的な生き方
[第5章] 気功的人間への道 -志と人相-
[補 章] 新呼吸法「時空」に挑戦してみませんか

本書の内容

「気功的人間」とはスピリチュアルな人

毎年二月はロンドンの季節です。この季節になると、イギリスのスピリチュアル・ヒーリングへの研修旅行に出かけることがすっかり恒例の行事となってしまいました。スピリチュアル・ヒーリングとは祈りと手かざしによる癒しの方法です。宇宙の根源(ソース)に祈って、エネルギーをいただき、それを手のひらから発射させることによって患者さんを癒すのです。

決して科学的な裏付けがあるわけではありませんが、近代西洋医学を補完するもの(コンプリメンタリ・メディスン)としてイギリスの医療の中にしっとりと溶け込んでいます。多くの場合、健康保険の適用もなされています。英国スピリチュアル・ヒーラーズ協会のような団体のカリキュラムにしたがったトレーニングを受け、国家のライセンスを得れば、誰でもその日からヒーラーです。

祈りというと、どうしても宗教を連想してしまいますが、宗教とははっきり一線を画しています。しかし、宗教とは一線を画しているにしても、祈りはもともと医療の基本なのです。医学は学問で結構なのですが、医療は、よくなりたい、治してあげたいという祈るような気持ちから出発するのです。

だから、医療者はすべからくヒーラーたるべし、というのが私の持論なのです。

医師も看護婦も薬剤師も心理療法士も鍼灸師も栄養士も調理師も検査技師も事務職員も、すべてがヒーラーであってほしいのです。いや、医療者だけではありません。患者自身もヒーラーであってほしいのです。家族も友人もヒーラーであるといいですね。

ただ、お断りしておきますが、この場合のヒーラーとはヒーリングのテクニックを身につけたという意味ではありません。テクニックは必要ですが、決して本質的なものではありません。

ここでいうヒーラーとは、自らの霊性(スピリチュアリティ)に目覚めた人という意味です。霊性といってもなにもおどろおどろしく考えなくてもいいのです。時空に広がる「場」のエネルギーと考えればよいのですから。
という目論見から、今回は私の病院から総勢四人がヒーリングの研修に参加しました。

私のほかに、五十歳代の病棟婦長、二十歳代の心理療法士の女性、そして四十歳代の乳ガンの女性患者の三人です。巧(たく)まずして、私の病院の縮図ができあがりました。この縮図がそのままイギリスの霊性の中に移動したわけです。

研修会場はこれもいつもと同じで、ロンドンから西へ車で九十分あまり、キャンバリーという小さな町の、その郊外の森の中にひっそりとたたずむテクルス・パーク・ゲストハウスです。これは神智学協会(十九世紀末、ブラヴァツキー夫人らによって創始された宗教運動)に属する館で、すべてになんとなく霊的な雰囲気が漂っています。

禁酒、禁煙、菜食と三拍子がそろっています。しかも、この菜食が独特で、ちょっとほかではお目にかかれないものです。

ここで、朝から晩まで三日間のセミナーです。

食べ物をはじめ、環境に対する適応がうまくいかないせいか、五十歳代の婦長はだんだん元気がなくなっていくのに、反比例するかのように患者さんは日を追って元気になっていきます。教室は広い応接間といった感じで、真ん中の丸テーブルにはキャンドルの火が灯り、香が焚かれ、静かな語らいという感じで講義が進められていきます。

私のクラスの講師はシャーリー・ブルーカーさんという六十歳ぐらいの女性ヒーラーです。

そのブルーカーさんから、「自分が好感をいだく人とはどういう人か、考えてみて下さい。一人ひとり答えていただきますから・・・」

という質問です。もちろんこれはカリキュラムの一つなのです。「気功的人間!」と、パッと閃(ひらめ)きました。
私の好きな人間は、なんといっても気功的人間なのです!
しかし、気功的人間と答えたのではなんのことかわからないでしょう。通訳さんだって困ってしまいます。そうだ「スピリチュアルな人」といえばいいのだ。これならパッとわかってもらえる。

そうなのです。気功的人間とはスピリチュアルな人のことでもあるのです。

それは、この間ずっと口にしていた「気功的人間」という概念に、ある確かな意味を見つけた瞬間でもあったのです。

ロンドンからフランスの「ルルドの泉」を経て、モロッコへの旅を続ける患者さんと別れて帰国すると、その患者さんから病院に一枚の絵葉書が届いていました。

「もうお聞きのことと思いますが、今回の旅はみなさまのおかげで思った以上のすばらしい旅でした。・・・・・・(中略)・・・・・・・・
A先生(主治医)のお話のあと、家でこれからのことについて話をし、さすがの私もあきらめムードに入っていたのですが、ヒーリングの旅に出て、また、あきらめない自分に出会うことができました。キャンバリーは静かな、生命力のあふれるとても不思議な所でした。
上海(シャンハイ)へ行って、ホメオパシーの勉強をして、また来年、ヒーリングの旅でここに来られるように、上手に生きていきたいと思います。
元気なので安心してください。」とありました。
ああ、ここにも一人、気功的人間がいました!「気功的人間」とはスピリチュアルな人、つまり、見えない世界に対して心を大きく開いた人のことです。

私は医療現場に長くたずさわるうちに、気功的人間にたくさんめぐり会ってきました。それは、病気という緊急事態が、受けとめ方によっては、深い気づきのチャンスを与えてくれたからかもしれません。本書では、そのような患者さんをご紹介しながら、私が最も理想とする「気功的人間」というライフスタイルについて、私の考えを述べたいと思います。このことは、現在病気であるか否かを問わず、私たちみんなに当てはまるのです。きっと得るところがあると思います。

●第4章虚空につらなる気功的な生き方●

生命場が見えてきた辛育令先生

気功の真髄を体得した方として、私は迷わず辛育令先生を挙げたいと思います。辛先生は肺ガン専門の外科医として中国全土に名を知られており、私が1980年に中国に渡ったとき、鍼麻酔による手術を見学させていただいた恩人でもあります。中国医学をガン治療に取り入れた立役者として、辛先生は世界の医学史に大きな業績を残したといえるでしょう。

私は辛先生のおかげで、中西医結合という大きな夢を現実にする手応えを感じたのです。もちろん、辛先生は西洋医学でも最高峰を極めています。はじめてお会いしたとき、辛先生は設備の乏しい70年代の中国で、当時世界最先端の技術というべき気管支形成術をすでに20例以上も成功させており、私は感服した覚えがあります。96年秋、私は北京の世界医学気功会議に参加して、懐かしい辛先生と再会することができました。驚いたことに、辛先生は十六年前とまったく変わっておられませんでした。背筋をピンと伸ばし、握手にも力がこもって、とても七十五歳には見えません。辛先生は視力も体力もまったく衰えていないので、頼まれると現在でも手術をしているそうです。身体だけでなく心も健康であることは、ハリのある声を聞くだけでわかります。再会の喜びに溢れた会食の席で、私は目が覚めるような話を伺いました。それまで快活に雑談をしていた先生が、急に居住まいを正すと、静かにこういわれたのです。「あなたに伝えておきたいことがあるのですが、ちょっと聞いてくれますか。実は、私は今七十五歳ですが、今までの人生のなかで一番充実しているんですよ。毎日が楽しくてしかたがないんです。というのも、若い頃は患者さんのガンのことしか頭にありませんでした。ガンがどこにあって、どう広がっているのか。

どう切除して、どう再建するのか。そんなことばかり考えていて、患者さんの人となりについては考えてもみませんでした。ところが、この年齢になってようやく、患者さんの人となりが気になるようになってきたのです。ガンについてはある程度頭に入れれば、後はいつまでも考えず、むしろ患者さん全体について考えるようになったのです。

すると、なんだかその患者さんがいとおしく感じられてきました。どういうことだろうかと思っているうちに、手術台の患者さんが全員、自分の分身に見えるようになってきたのです。手術している自分と手術されている患者さんに、共通の生命が流れていると実感するようになりました。

するとだんだん、患者さんだけでなく縁ある人のすべてが、自分の分身に見えてきたのです。今では街ですれ違う人でさえ自分の分身に思えて、いとおしくてたまりません。

そうなると、私は毎日が楽しくてしかたなくなってきました。生きているのが幸せでたまらない。だから、ちっともじっとしていられません。私の家は八階にありますが、エレベーターなんか一度も使っていません。毎日、八階まで、歩いて上り降りするのです。嬉しくてたまらないので、おとなしくエレベー夕-に乗っていられないのです」私はこの話を聞いて、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。辛先生が見ているという「共通の生命」は、生命場そのものです。あるいは、辛先生には量子場が見えている、といい替えてもいいでしょう。なぜなら量子場とは、あらゆるものを存在たらしめる大いなる「場」だからで、そこではすべての生命がつながっているからです。辛先生は続けて、「私は、死を超えた世界が見えるようになったのです。私という個人は、いずれ死ぬでしょう。けれど、たとえ私が死んでも、共通の生命が永遠に続いていく。そのことを知ったので、私は楽しくてたまらないのです」といわれたのです。

生命場の理論からいえば、あらゆる生命がつながっているというのは当然です。けれど、理論を理解するのと実際に感覚でつかめるのでは、大違いです。辛先生のお話を伺ううち、私も心すると、なんだかその患者さんがいとおしく感じられてきました。どういうことだろうかと思っているうちに、手術台の患者さんが全員、自分の分身に見えるようになってきたのです。手術している自分と手術されている患者さんに、共通の生命が流れていると実感するようになりました。

私の気功的な暮らし

辛育令先生の年齢に達するまで、私にはまだ十二年あります。そのあいだに、ぜひ辛先生の境地に達して、いつか若い人に、「ねえ、聞いてください。あなたに伝えたいことがあるのです」と話すこと――それが、今の私の夢です。

そのために、私は毎日の生活に気功を取り入れ、ふだんから気功的な生き方をするよう心がけています。仕事場に道場があり、スタッフが気功に対して理解があるという点では、私はとても幸運です。

私は毎朝、必ず六時前に自宅からタクシーに乗り、病院へ向かいます。そして、院長室にある神棚の塩と水を取り替えて、「延命十句観音経」を唱えるのです。
延命十句観音経は、白隠禅師が「丹田から声を出して朗々と唱えると、霊験あらたかだ」と勧めているお経です。もっとも、私は早番の看護婦に聞かれるのが照れくさく、つい声が小さくなりがちなので、効果はいまひとつかもしれません。

そして、日課の気功です。私は気功道場に行き、患者さんや医療スタッフと太極拳をします。
太極拳はいくつかの動作が組み合わさって一つの流れになっているので、私は一回こなすたびに、一つの人生を生ききったような気がします。

その日の太極拳は、その日にしかできません。多少まちがえても、多少よろけたとしても、この一生で一度しかできない太極拳だと思うといとおしくなり、心を込めてするのです。

日によっては太極拳をするうち、畳についた素足の感覚だけを残して、まるで身体が全部虚空に溶けこんだかのように感じることもあります。

気になる患者さんがいてモヤモヤした気分でいるときも、朝の太極拳で頭がスッキリします。このように、やるべき事をすまして気持ちのいい朝を過ごすと、その日一日を充実して過ごすことができるのです。そして日中、治療や研究に向かった後は、待望の晩酌です。ビール二杯とウィスキーのダブルロック二杯が原則ですが、もちろん飲み過ぎてしまうこともあります。アルコールは私にとって、モヤモヤした気持ちを翌日に引きずらない効用があるのです。少しの晩酌のほかに、私には特に趣味も道楽もありません。

もし誰かに「元気の秘訣はなんですか」と聞かれたら、私はこう答えるでしょう。「朝の気功、昼の情熱、夕方の酒。そして、どんなときも志を忘れないこと。私の志とはもちろん、内なる場のポテンシャルを限りなく高めていき、いつしか虚空と一体になることです」

著者略歴

帯津良一(おびつ りょういち)

1936(昭和11)年、埼玉県生まれ。
東京大学医学部卒業後、東京大学付属病院第三外科、都立駒込病院外科部長などを歴任。
昭和57年より、郷里・埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立、同院長。日本ホリスティック医学協会会長。

ガン医療に東洋医学をとり入れた中西医(ちゅうせいい)結合の段階を経て、医療の理想であるホリスティック医学の確立を目指す。 早朝、心を込めて気功し、昼は一生懸命に働き、そして晩酌で一日を感謝する「気功的人間」の暮らしを自ら実践する。

帯津三敬病院HP⇒http://www.obitsusankei.or.jp/