病歴30年のガン患者がつかんだ知恵

― 一部を犠牲にして全体を生かす善玉である ー

大野聰克(大腸ガンで人工肛門に。
ガンとは何かを問い続ける)

(46ソフト 204p)
ISBN978-4-938939-94-6
定価(本体1500円+税)
2019年2月20日発売

 

ガンは、その人を助けるためにできた!
これが著者の言いたいことです。

ガンは悪者だ、体内に巣食った悪魔だ、憎むべき敵だ、
だから、やっつけなければいけない……これが世間のガン感覚です。

著者は、「ガンとはいったい何者か?」を30年近く考えつづけてきました。
医者でも学者でもないのに、なぜかというと、ガン患者だったからです。
45歳のときに、第4期の大腸ガンと診断され、直腸とS字結腸、それに転移のあった
まわりのリンパ節を切除。人工肛門になりました。その後、肝臓にも転移があり、
手術は難しいと言われ、目の前が真っ暗になり、絶望していました。

著者は今ピンピンしています。

「あれから長い年月が流れましたが、私は再発もなく、元気に生きています。
元気なだけではありません。ガンを契機に、生活が一変し、自分が大きく変わりました。毎日が楽しくてたまりません。自分の命が躍動しているようです。残りの人生が
こんなすてきになるとは思ってもみませんでした。ガンになったおかげです。

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ガンは、敵に回すととんでもなく恐ろしい病気ですが、味方にすると何と頼もしいことか。そのことを私は実感しています。どうやったらガンを味方にできるのか。
ガンになった人は、
“なぜ自分がこんな病気になったのか”
“何も悪いことはしていないのに”と嘆きます。
自分の体の中に巣食う悪魔だと思っています。
私もそうでした。
ガンと診断されると、死の恐怖や不安に打ちのめされます。
恨みごとが出てきます。
そんなふうにとらえていては、ガンは味方になってくれません。
私は“ガンは何者なのか?”と考えつづけ、自分なりにガンの正体が見えて
きたつもりです。
ガンは悪者なんかではなく、一部を犠牲にして全体を生かす善玉であり、
ガンと仲良くなりました。今では、「その人を助けるためにできたもの」
と断言できます。

老木の「うろ」

「山歩きをしていると、一本の太い老木が目に入りました。
長い間ずっとここにいたのかと思うと、尊敬の念さえわきあがってきました。
根元を見ると“うろ”と呼ばれる空洞がありました。うろというのは、幹の細胞
死んで、空洞になっている部分です。なぜ、うろがあるのだろう。
そうだ! と手をたたきました。
庭木が葉を落とすのと同じことなのです。
老木になれば根から水分や養分を吸い上げる力が落ちてきます。
平等に養分を分けてしまったら、どの細胞も水分・養分不足になってしまいます。
それでは、木の命が維持できません。
なるほど、老木は、養分を使わなくていいところを設けているのです。
最初は必要最小限の葉っぱを落とすことで乗り切ろうとしたかもしれません。
しかし、それだけでは追いつかなくなりました。それなら幹が犠牲になろうということで、うろができたのではないでしょうか。

以前は、この空洞が大きくなって木が枯れてしまうのではないかと思っていました。
空洞は木を枯らす悪者だと考えていたのです。
しかしそうではないのです。
空洞は木を生かすためにできるのです。
人間にとってのガンも老木のうろと同じなのではないでしょうか。

わかった!
「ガンはその人を助けるためにできたもの」と考えると、私のガンがなぜでき、
なぜ完治したのかということもきちんと説明できるのです。
私の体にガンができたのは、毎日、大きなストレスを抱えて暮らしてたためです。
それに、冷たいコンクリートの上での仕事でしたから体も冷え切っていました。
食事も不規則、睡眠不足、一日中工場の中にこもっていましたから運動不足。そんなことが重なって、血流はとても悪くなっていたはずです」

「ガンは悪者なんかではない」

そうとらえれば、治療にも迷いはありません。
仕事をきっぱりやめ、ストレスとおさらばして、気功で汗を流し、大声で笑い、
仲間のために動き、血流を良くして、ときめくことに精を出し……
こうして私は全く別人になりました。

帯津良一医師(帯津三敬病院名誉院長)が絶賛

「この人の生き方を見てください。
これぞ、自然治癒力を活かした最良の帰還例です」

主な内容

(はじめに)「ガンとはいったい何者か?」
(第1章)自然治癒力を高める道(対談)帯津良一vs.大野聰克
(第2章)私のガン体験
(第3章)人生が変わってきた
(第4章)すべての存在に意味がある
(第5章)ガンは悪者なんかではない
(第6章)ガンには血流を良くするのが一番
(おわりに)希望が見える

著者略歴

大野聰克(おおの・としかつ)
1945(昭和20)年長野県下伊那郡山吹村(現・高森町)生まれ。飯田工業高
校電気科卒業後、民間企業勤務を経て、1980年埼玉県川越市にて、電気機器、
高周波関連機器を製造する「フィールドビッグ」を設立。1991(平成3)年、
帯津三敬病院にて直腸ガン4期と診断され手術、人工肛門となる。それを機
に生活を一変。仕事人間から抜け出し、ストレスを減らし、気功や仲間との
語りを大事にする、楽しい暮らしに入る。1999年(53歳)帯津三敬病院職員
となり、患者相手に気功、ビワの葉温灸をしながら、札所巡り、登山、ブド
ウ狩り、患者仲間で作った「患者会」の運営などに専念。他方、告知以来、
ガンとは何かを考えつづけ、「ガンは悪ものではない、一部を犠牲にしなが
ら全体を生すかためにできた善玉」との結論を得て、「血流を良くする」暮
らし方を周りに勧めている。

担当者から

編集子が帯津三敬病院を最初に訪ねて、もう25年ぐらいになります。
元の場所、埼京線の線路わきにあるころからです。帯津三敬病院には
100回ぐらい通ったと思います。
帯津先生の原稿を頂戴するため、と言えばかっこいいのですが、実際は
先生と一緒に飲んだり食ったり、川越の街に繰り出しては酒を飲むのが
主目的でした(飲む行為の代償として帯津先生の本が5冊あります)。
「帯津先生は現代の聖人だ」とぼくはずーっと思っていますから、先生
との場にいると、心が安らぎ、癒されるのです。

あるとき、ふと気が付きました。
この本の著者・大野さんの存在です。
気功のときも、ビワの葉温灸のときも、帯津先生の講話の際も、いつも
ひっそりとその場にいて、目立たぬように、いつも誰かのお役に立って
います。人知れず”菩薩行”をしている人なのだろうか、とぼくは思って
いました。
「あの人、何者?」と先生に聞きました。
「ああ、大野さんね、すごい人だよ」と先生。

最初、大野さんは患者としてこの病院に入院。手術を受け、人工肛門になります。
手術後もよく病院に通いました。気功が面白くなり、患者仲間との語り合いに、
よく顔を出すようになりました。これが楽しかった。
それまでの仕事仕事の暮らしに、こんな楽しみはありません。
その後大野さんは会社を閉じて、帯津先生に「この病院で自分が働けないだ
ろうか」と相談します。電気は強いのですが、病院関連には何の資格もあり
ません。でも人様のお役に立つことはできます。
帯津先生も困ったことでしょうね。
飯が食えるだけ、という報酬で、大野さんは職員になります。

その後の暮らしは、以下のとおりです。
「ガンは悪者なんかではない。その人を助けるためにできた」という確信が高まり
ます。ポイントは血流を良くすること、そう狙い定め、仕事をきっぱりやめ、
ストレスとおさらばして、気功で汗を流し、大声で笑い、仲間のために動き、
血流を良くして、ときめくことに精を出し……こうして全く別人になりました。

「そうなったらやってみよう」と思わせてくれます。(文責・風雲斎)