教育力
必要なのは「リーダーたちの自己教育」だ
丸山 敏秋

教育力

品切れ

発行年月日:1997/9/10
サイズ:四六版上製
ページ数:256
コード: ISBN4-938939-05-3
定価:(本体1,800円+税)

この国はいったいどこへ行くのか?「百年の大計」を失った虚ろな日本に再び「いのち」を吹き込むものは何か。それは「教育力」だと著者はいう。学校、家庭、そして企業のリーダーを含めた教育力の復活がこの国を救う、と説く。

丸山敏秋 (社)倫理研究所HP → http://www.rinri-jpn.or.jp/

目次

 [プロローグ] なぜ教育力か
 [第1章]    「まごころ」の感応
 [第2章]    「善さ」への共感
 [第3章]    「いのち」への目覚め
 [第4章]    リーダーシップと教育力
 [第5章]    感動が人を動かす
 [エピローグ] 「あたりまえのこと」への挑戦

本書の内容

●第1章「まごころ」の感応●

「まごごろ」が生んだ奇跡

福島県の須賀川に県立の養護学校がある。そこに安藤哲夫という教諭がいた。

この養護学校の隣には、国立F病院併設の重度心身障害児の施設があり、かつてそこに勝弘君という少年が収容されていた。在院8年、当時9歳3ヶ月の子で、両眼球形成不全症(一方の目には瞳孔がない)であるうえ、重度の難聴、それに重い脳性マヒで言語もなく歩行不能、という五重の障害を背負っていた。病院の人たちも、この子のことを、自分から動くということがまったくなく、なんの反応も示さず、本能的に食べて排壮する「ただ生きているだけ」というような見方で見ていたらしい。

こんな状態の勝弘君に、安藤教諭は関わりを持とうとした。

最初からなにかを「教える」ということがまったく成り立たない状態であることは、だれの目にも明白だったことを特記しておかねばならない。安藤教諭が教育というものを「なにかを教える」ことと受け止めていたのであれば、はじめから勝弘君に関わりを持とうなどという気を起こすことはなかったであろう。

それでも安藤は、「さわれば折れそうに細い手足を持ち、とても九歳とは思えないやせた身体を海老のように折りまげて、蒼白い顔にはまったく表情というものがなく、いっ見てもまったくおなじ格好をして、ひとつの物体がおいてあるように・・・・うすぐらい病院のベッドのうえに横たわっている」状態の勝弘君への関わりを持ちはじめたのである。「この子が一生をこのような姿で終わるのを見すごしてよいはずはない」というただそれだけの思いからだった。どんなことをすれば、どんな結果が得られるかなどという見通しはまったくない。ただ、同じ人間なのだから、いつかはかならず「心の通ずる」ときがあるだろうと信じる気持ちだけはあった。養護学校の公務は多忙をきわめる。安藤教諭はその間を縫うように、毎日必ず五分か十分、勝弘君のいる「わかくさ病棟」を訪ね、彼の手を握って自分の頬に当て、また自分の手を彼の頬につけた。彼の手は生まれたての赤ん坊のように柔らかかったという。そしてベッドの上に覆いかぶさるようにして、耳もとで「勝弘君、安藤先生だよ」と声をかけた。毎日安藤は同じ行為を続けていった。耳は聞こえないと医師から聞かされていたのではあったが。

2ヶ月たってもなんの反応もなかった。が、安藤は一日も欠かさず「行為」を続けていった。そして3ヶ月目、勝弘君からある反応が返ってきたのだ。安藤のいつものはたらきかけに対して、勝弘君は「天使のような笑顔」で答えたという。その後も安藤の「行為」は続いた。二人の関わりがはじまってから6年11ヶ月目、そこには、激しくゆれるブランコに乗って、しっかりと網をにぎつて身体を保持する力を獲得した勝弘君がいた。そしてブランコに乗ってから1ヶ月後、勝弘君は無事に小学部を卒業したのである。この話は、林の著書『運命としての学校』(『林竹二著作集8』筑摩書房)に紹介されているのだが、読んでいてなんともいえない熱い感動が胸をよぎる。一緒に添えられている写真には、満面の笑みを浮かべてブランコを漕いだり、胸にリボンを付けて卒業証書の入った筒を持つ勝弘君の姿がある。安藤教諭が勝弘君の身体に触れている場面などは、林も言うように、傷つきやすい大事な宝物を扱っている人の息づかいが聞こえてくる。ほんとうに一人の教諭の「まごころ」あふれた行為が、信じられない奇跡を引き起こしたのだ。ベッドの上に置物がおかれているようにただ横たわる勝弘君を見たときの、「この子が一生をこのような姿で終わるのを見すごしてよいはずはない」というただそれだけの思い。安藤のこの「まごころ」を追認識したい。思いついた関わりの「行為」を休まず続けたねばり強さに、「まごころ」の大きさが偲ばれる。

林竹二は安藤教諭と勝弘君の事例に触れて、「介助」ということのうちに教育の原占筈見出し、生命への畏敬なくして教育は成り立たないことを発見した。

日本の学校教育は生命への畏敬どころか、無間地獄に陥っていると林は言う。子どもたちの反乱をまともに受け止め、根本から教育を考え直さないと、教育そのものによって日本は滅びるだろう、とも述べている。根本からの出直しとして、教師が一人でもできることがひとつだけある。それは「すべての子どもがそれぞれに精いっぱい学ぶ現場としての授業をっくり上げることだ」と林は主張し、病に倒れるまでその実践を続けてきたのだ。

著者略歴

丸山敏秋(まるやま・としあき)

1953年、東京都に生まれる。
東京教育大学文学部哲学科卒業。東京高等針灸柔整専門学校卒業。
84年、筑波大学大学院哲学・思想研究科博士課程修了。文学博士。日本学術振興会奨励研究員、筑波大学非常勤講師等を歴任。
87年、社団法人倫理研究所入所。
現在、同研究所理事長。目白大学客員教授、日本家庭教育学会常任理事。