さぁ、出発だ!
16年かかったバイク世界一周
著者:クラウディア・メッツ+クラウス・シューベルト
訳者:スラニー京子訳

さぁ、出発だ!

著者:クラウディア・メッツ+クラウス・シューベルト
訳者:スラニー京子訳
発行年月日:4月上旬発売
コード: ISBN987-4-938939-50-2

あらすじ

1・旅立ち(1981年8月――1981年9月)

1981年8月。クラウス23歳、クラウディア20歳。ヤマハXT500に乗り、10ヶ月間の予定で日本に向かって出発。不安と期待――。クラウディアは不慣れなオートバイに四苦八苦。トルコでは強盗未遂に遭い、子供たちに石を投げられ、クラウディアは体調を崩す。医師から帰国するよう忠告を受けるが、とりあえずパキスタンまで突っ走る。

2・インド亜大陸 (1981年9月――1982年5月)

インド。自分たちが一体何を求めて先を急ぐのかに疑問がわく。「今」「ここに」生きていることが何よりも大切なんだと気持ちが変わった。10ヶ月という期間を区切って旅をする計画を放棄。ここで本当の自由の身になり、改めて、大地を一歩一歩踏みしめるように走ろうと決心する。ほとんど毎日をテントで暮らす。クラウス、オートバイ事故。

3・オセアニア (1982年5月――1983年9月)

クラウディアもバイクに自信が持てるようになる。オーストラリアに到着。旅費が尽きる。ポケットに300ドルしか残っておらず、旅費稼ぎのためにしばらく就労。クラウスは洗濯機から車まで何でもこなす修理工に、クラウディアは郵便局で仕分け係に。空港で知り合ったティムの家で共同生活。

4・東南アジア (1983年9月――1984年10月)

クラウディア、一ヶ月ほど帰国。マレーシアでクラウスと再び落ち合う。東京で首を長くして待っていたクラウスの姉がタイまで逢いにやって来る。山岳地帯に住む部族を訪れ、昼ごはんをご馳走になるが、よく見るとミミズやトカゲ、カタツムリやゴキブリが調理されていて絶句。夕ご飯の誘いを辞退。フィリピンの山奥で首狩り族に出会う。セブ島で台風に遭遇。天候が悪化する前から胸騒ぎがしていたクラウスは、「この地は、あまり長く存在しないだろう」と天災を予言。ルソン島で一晩中、火山の爆発を見て過ごす。「ヤバイ!」とテントの位置を移動した途端、みるみる元の場所が溶岩で埋まり、冷汗をかく。

5・日本(1984年10月――1986年5月)


台湾を経て東京に到着。6万5000キロの道のりを走ってきたオートバイをオーバーホール。自由に世界を旅する様子が月刊雑誌「MORE」(集英社)に取り上げられる。クラウスはドイツ語講師、電気技師として働くかたわら、暴走族と共に走り合気道に燃える。クラウディア、銀座でホステスとして働く。日本語の歌もいくつか覚え、カラオケもばっちりマスターする。3ヶ月ほどドイツへ帰国。その間クラウスはオートバイで日本を走る。温泉を楽しみ、北海道ではアイヌ民族のもとで過ごす。その後合流したクラウディアと韓国に渡る。ソウルでクラウスは英語講師のアルバイト。「客員教授として大学にとどまらないか?」という話にちょっぴり惹かれるが、日本に戻り、中国へと出発。

6・中国(1986年5月――12月)

テレビも電話もない中国のある村で大歓迎を受け、質問攻めにあう。まるで宇宙人にでもなった気分。不法滞在で中央警察に連行される。北京で官庁をたらい回しにされ、政府からの許可なしで中国大陸をツーリングするのは不可能ということが判明。それならいっそチベットに行こうとオートバイを預け、ヒッチハイクしながらトレッキングに出かける。高山病に悩まされつつもチベットの大自然を堪能し、カンパ族の競馬祭を楽しみ、遊牧民族のもとでギャグを飛ばし合いながらのんびりすごす。広東に戻り、再度ツーリングを試みる。民家で暖かいもてなしを受け、人々の助けなしにはこの旅はありないことを痛感した。警察と追いかけっこで中国大陸を駆け抜ける。中国滞在が6ヶ月近くなり、滞在許可の切れる直前に香港に滑り込もうとするが、香港で入国拒否にあう。秘密警察が待つ中国へ一旦戻るが、中国陸軍の司令官に助けられ、無事、香港へ出国。

7・北アメリカ (1988年12月――1989年10月)


サンフランシスコにしばし滞在。旅立ってから6年が過ぎた。わずかなお金で生きていく方法を身につける。各国の新聞雑誌等に写真や旅行記事を掲載しはじめる。カナダに渡り、イヌイット族がいかに厳しい自然下で生活しているかを目の当たりにする。馬や驢馬を引き連れて旅をするエミールとマリーと知り合う。オートバイと馬――旅の手段は違うが、「せかせかしない旅のスタイル」がお互いの気に入り、しばらく一緒にキャンプ生活を楽しむ。オートバイのエンジンで駆動する手製モーターボート(筏)でベーリング海に向けてユーコン河を下る。命が縮まる思い。キングサーモンをグリルしてシャンペンで乾杯。ところどころでインディアンの力を借りる。緑色のオーロラが折り重なっては、花火のようにはじける「ナイトショー」を眺めながら、水上の旅を進める。たびたび熊に出くわすことも。

8・中央アメリカ (1989年10月――1991年3月)

メキシコ――アメリカ人と間違われ、しばしば投石を受ける。クリールという町で、クラウスは何かに背中を押されるようにしてバイクを走らせる。400年以上前から外界とのつながりを絶っているインディアンの部族と遭遇。部族のシャーマンに自分しか知るはずのない過去の出来事をズバズバと当てられる。ベリーズでは、ライブハウスを経営する男の留守番として2ヶ月間店を預かる。世界各国からの旅行者たちとノンストップでドンチャン騒ぎ。ホンジュラスでキャンプ中、「三つ数えるうちにテントから出ろ!さもないと撃つぞ!」と拳銃を持った兵士に取り囲まれる。身ぐるみ剥がれるが、クラウスが、「俺の父親は、ドイツ大使館に勤めているんだぞ!」とハッタリをかます。直後、銃撃戦に巻き込まれる。クラウディアは、「死ぬかもしれない」と考えながら、「これってまさにランボーの世界!」と妙に冷静。コスタリカ、パナマで再び水上走行を試みる。

9・南アメリカ (1991年3月――1995年1月)

アンデスの麓の町・メリダ。農夫と知り合い、しばらく彼の農場ですごす。家畜の世話をしたり、人の手がつけられていない森林のなかで果物を取って食べたり――まさに自給自足の生活に「いつか、こういう所へ住めたらいいなぁ」と。アンデスのクスコにインカ文明の遺産を見に行く途中、食堂でテロリストと鉢合わせ。この地で毛沢東思想に突っ走る過激な彼らに、クラウスは、自分の目で見た中国での国民への弾圧、少数民族の悲惨な状況について語る。アマゾン流域の奥に入るにつれ泥濘ますます深く、地べたを這うように進む。強風の吹き荒れるパタゴニアでは、2台のオートバイをくっつけて帆を張り、「ウィンドツーリング」。トラックの運ちゃんやバイカーたちが口をあんぐり。風がピタッと止まれば、何日も道端に座って読書に耽る。海洋哺乳類で有名なバルデス半島まで走る。のんびりとペンギンやゾウアザラシの群れを眺め、シャチがアザラシに襲いかかるシーンを見てり息を呑む。帆走1150キロほどののち、繋げていたオートバイを離して再び単独走行。アマゾンの雨季に立ち往生。前にも後ろにも進めない。ブラジルでは1メートル1メートル戦うようにして進む。その様子を見守っていたインディォたちが暖かいスープをご馳走してくれる。感謝。アマゾナス州の首都マナウスに向かって再度、水上走行。今度は、オートバイのエンジンを駆動にした大きなボートを造り「アマゾンのジュマ」と名づける。水上走行の途中、ピラクル(アマゾンのイルカ)と遭遇。アバピア族のもとですごし、自作の竃で焼いたマンニョックイモのケーキをご馳走になる。ジャングルの植物に精通し、狩りや魚釣りをして生きる彼らは、全てを神からの授かりものであると言い、そこでは「物質主義」という概念はない。ベルリ村――「この嵐の時期にソリモンエス川をボートで渡るなんて自殺行為だ!」と言われ、救命胴衣を借りに行くが、「川に落ちたあとの心配は無用!あとの処理はピラニアがしっかりとやってくれます」と笑われる。それでも水上の旅を強行し、なんとか目的地のマナウスにたどり着く。ジュマと命名されたボートは、ヨーロッパまで運送してもらうことに。クラウディアは、ここでドイツへ帰国。クラウスはその間、アマゾンにおける植林活動のための募金活動を行う。クラウディアがブラジルに戻ったあと、テレビ局の取材班同行でリオからサンパウロまで走る。その番組の反響は大きく、水着姿で海をブラブラしていても声をかけられてしまう。4年間過ごした南米大陸をあとに港町サントスから南アフリカに貨物船に乗って移る。船中でクリスマスと大晦日を迎え、クラウディアは、船の台所でコックと一緒にケーキを焼く。

10・(アフリカ 1995年1月――1997年3月)

南アフリカのダーバン。人種差別を痛感する。ナミビアでは、ブッシュマン(サン族)の住むコイマシスで過ごす。カモシカ、ハイエナ、豹が棲息するその地で、夜は星空を眺めながら焚き火を囲む。その後、しばし遊牧民・オヴァフィンバ族のところに滞在。赤土とバターを混ぜたものを肌に塗る部族の女性たちを見て、同じようにバターを肌に塗りたくっていたチベットの遊牧民たちを思い出す。次に訪れたボツワナのマウンという町で現地のおじさんに、情けを受ける。後々になってもおじさんの優しいことばを思い出す。クラウディア、ここで6度目(最後の)里帰り。クラウス、テントから寝ぼけ眼でテントから這い出したところ、彼に負けず劣らず寝ぼけ眼で大あくびをするライオンと鉢合わせ。一気に目が覚める。マウンにあるオカヴァンゴ湿地のサファリキャンプでアルバイトを見つける。クラウディアは、カフェバーで働くかたわらキャンプの経理係、クラウスは観光ガイドと施設のメインテナンスを担当。象に襲われそうになる。ジンバブエ、モザンビークへと向かう途中に立ち止まった村で、住民に怪訝な顔をされる。どうしてかと尋ねると、1年ほど前にサン族のシャマンが「満月の夜、はるか遠い国から、長い旅を続けるカップルが、オートバイでここへやって来る」と預言していたとのこと。マサイ草原、道路がなくなってしまい獣道を辿るように走る。キリンや縞馬、ライオン、ジャッカル、ハイエナが棲息するその地で、自然界における生死を賭けた動物たちの敏捷な行動に我を忘れて思わずみとれる。ルアンダの霧深い森に棲むゴリラを見に行く。ザイールから中央アフリカに向かって走るが、この上なく悲惨な道で、粘土質の上にトラックが1台すっぽり入ってしまうような穴があいているのを発見。ツェツェ蠅の猛攻撃。森をくぐり抜けてようやく着いたリグアという集落でピグミー族の歓迎を受ける。部族の女性から頭に乗っけていたバナナを分けてもらう。空腹で、一本ずつ飲み込むように口に放り込んでいると、見るに見かねた女性がパンを持ってきてくれる。そろそろドイツへ帰ろうと帰心強くなる。二年以上に渡ってアフリカ大陸を縦横し、自分たちのルーツを失わずに、誇り高く、ほかの人に対して尊敬の念を持って生きている人々の姿を見て感激する。目の前に大きく横たわるサハラ砂漠を横断するために、キャンピングカーで砂漠横断をするカップル、ディーターとグレーテルに荷物を預ける。これまでに克服してきた世界中の砂漠を思い出しながら砂丘を登っては下り、深みにはまっては、這い出し、砂漠の旅を満喫。モロッコにたどり着く。そこからジブラルタル海峡対岸の町に。夕闇が迫り、町の灯がぽつぽつと点灯していく。感無量。

11・(帰郷 1997年3月――9月)

1997年3月、スペイン。ピレネー山脈の麓で凍死しかける。ヨーロッパに戻り、再び「時間」という束縛があることを思い出す。南フランスで、友人・エミールとマリーを訪れる。先日まで一緒にいたような気がするが、アラスカで別れてから9年ぶり。ブラジルから運送してもらったボート「ジュマ」の待つベルギーへと走る。アントワープでジュマの修理。ベルギー、オランダを貫流するマース川を通ってライン・マルネ運河からモーゼル川に入る。人々の注目と喝采を浴びる。1997年9月20日、故郷、ケルン大聖堂の尖端が目に入る。胸に熱いものがこみ上げる。クラウス、思わず風に向かって大声を上げる。港の入り江で家族や旧友が大きく手を振っている。クラウディアがエンジンを切るように叫ぶが、それよりも早く、16年間行動を共にしたオートバイのエンジンが、旅の終わりを悟るかのようにひとりでに停止する。(1981年8月13日~1997年9月20日 16年間、クラウス 無帰国、クラウディア 一時帰国6回。全走行距離257,000キロ)

ドイツ語版は
http://www.abgefahren.info/?page_id=34

スローヘルスの関根進さんが激賞してくれました。
Susumu Sekine 4月22日号
http://www.9393.co.jp/naorugan/kako_gan/2008/08_0422_naorugan.html

エミコ&スティーブの地球大冒険
http://www.yaesu-net.co.jp/emiko2/2008/04/in1.html

著者略歴

クラウディア・メッツ 1960年ドイツ・ケルン生まれ。
クラウス・シューベルト 1958年ドイツ・ケルン生まれ。

1881年から1997年まで16年間バイクにて世界を旅する。1998年から2001年までドイツ、フランス、オーストリアの各所にてスライドショーを行なう。彼らのショーは45万人の観衆を「遥かなるものへのあこがれ」へと駆り立てた。
2004年アルゼンチン南部パタゴニアに移住。手つかずの自然のなかで暮らす。