意識学の夜明け
夢と仏教とニューエイジ
天外伺朗

意識学の夜明け

品切れ

発行年月日:1997/2/10
サイズ:四六版上製
ページ数:264
コード: ISBN4-938939-02-9
定価:(本体1,700円+税)

電子工学の分野で輝かしい業績を持つエキスパートがあ、ふとかいま見た「あの世」。瞑想、夢、宇宙からのメッセージ体験を通して、科学者がなぜ「あの世」に関わることになったのか、その精神的遍歴を吐露する書。大人のための意識学入門。

目次

 プロローグ
 [第1章] 夢
 [第2章] 想念の力
 [第3章] 建長寺
 [第4章] 宇宙からのメッセージ  [第5章] 大人のニューエージ
 [第6章] 淡島ホテル
 [第7章] マハーサマーディ研究会
 エピローグ

本書の内容

◆プロローグ◆

「人類の意識が目覚め始めている!」それがいったいなにを意味するのかは、まだまだ判然としないのだが、人類史上かつてなかったような、とてつもないことが起こりそうな予感がする。その手始めとして、ニュートン以来三百年の近代科学による呪縛が、いままさに解けようとしている。そして、その変革の予感を共有する人々の輪が急速に広まっている。

「なにが起きるんだろう?」

皆は、遠足の前日の子供のように、ワクワクし、目を輝かせている。すると、不思議なことに、自分では意図的になにもやっていないのに、なにかとても大きな流れのなかに、どっと巻き込まれていっしまう。もう、かつての定常的な日常のなかには戻ることができず、毎日毎日が驚きと興奮の連続になっていく。

本書は、1995年6月から翌年の2月にいたる、私自身にまつわるドキュメンタリーだ。「建長寺」と「淡島ホテル」の二つの講演を軸に、私自身の内面を書かせてもらった。

ちょうどこの期問は、私がその大きな流れにすごい勢いで、巻き込まれ始めた時期に相当する。それは、私自身にとっては大きな変革だったのだが、人類全体の動きのなかでは、ほんの微々たるものかもしれない。しかしながら、全体の流れのひとつの投影であることも確かだろう。

それまでの私は、ハイテク産業のなかでいくつかの技術革新を成し遂げ、それに関連するビジネスの責任者を務め、大企業の役員になり、また国内外でも名前を知られる存在だった。

つまり、通常の世間的な評価では、社会のなかで成功した部類に入る。なにも、好きこのんで、怪しげな精神世界に飛び込むことはない。多くの友人から、「なんて馬鹿なことをするんだ」とか、「道を誤ったんじゃないか」というアドバイスを受けた。そういう常識的な考え方から、私がまったく超越できていたかというと、正直いってそうでもない。当初はかなりの迷いもあり、心にひっかかりもあった。ただ、その大きな流れは、日に日に強くなってきており、いまでは私はまったく自然な動きだったのだな、と思っている。

私が精神世界へ興味を持った入口がサイエンスであったことは、長年にわたって技術畑で仕事をしてきた私自身の専門性からいって当然かもしれない。高名な物理学者であるデビッド・ボームが、素粒子の不可解な振る舞いを説明するために提唱した「ホログラフィー宇宙モデル」が、えらく宗教的な宇宙観に近いことを知ったのが、その発端だった。ところが、いろいろ調べていくと、そこで定義された「あの世」という概念と、深層心理学者のユングが提唱した「集合的無意識」とは、同じことを意味しているのではないかと、気がついた。

ところが、いろいろ調べていくと、そこで定義された「あの世」という概念と、深層心理学者のユングが提唱した「集合的無意識」とは、同じことを意味しているのではないかと、気がついた。

――これが「あの世」の実態だ!――

というのが、私の直感だった。すると、さまざまな謎が、するするとウソのように解け始めた。おそらくは、前後して取り組んでいた気功法や瞑想法の実習の経験も助けになっていただろう。もちろん、これらは近代科学的な検証が不可能な領域なので、すべては「仮説」にすぎない。私自身は宗教家ではないので、この内容を断定的に主張するつもりは毛頭ない。しかしながら、私のなかには直観的な確信が芽生えつつある。それらを、これまで四冊の本にまとめた。

・・ふつうの企業人だった私が、いつの間にか「あの世」の布教人になっていた・・本はよく売れたが、「難解だ」と言われた。とくに「時間が存在しないあの世」という概念は、一般の人にとって、とても呑み込みにくいようだった。

たしかに私は、「学術論文」は書き慣れていたが、一般書の経験は少ない。自分としては精いっぱいやさしく読みやすく書いたつもりだったが、論理的整合性をピシッと通すこれまでの職業的な習慣が、かえって読者の理解を妨げたようだった。

「どうしたら、この一般常識からかけ離れた内容を誰にでもわかるように表現できるだろうか」と考えているときに、ひとつのヒントがあった。

『聖なる予言』(ジェームズ・レッドフィールド著/角川書店)という本は、やはり一般常識からずいぶん遠い概念を説明しているのだが、フィクションとして小説の形式をとっている。ストーリーを追っていくうちに、ひとりでに内容が頭に入ってくるという巧妙な構成になっている。あれを、私の本のように論文調で書いたら、もっとわかりにくいに違いない。小説を書け、と言われても無骨な私には無理だが、ドキュメンタリーなら書けるだろう。ちょうど、思いがけない出来事が連発していた時期なので、ドキュメンタリーとしても面白いものになりそうだ。

それから、建長寺での講演においては、たまたま私は瞑想の指導をしてしまった。いままでは書いてこなかったが、不可解な「あの世」の内容を理解するためには、瞑想体験の裏付けが不可欠なのだ。ドキュメンタリーとして紹介することにより、一般の人々にも瞑想の神秘的な側面が伝わるのではなかろうか。

著者略歴

天外伺朗(てんげ・しろう)

1942年、兵庫県生まれ。
大学で電子工学を専攻したのち、大手企業の研究所で活躍。
CDをはじめとする先端技術開発に携わった経験を生かし、科学技術評論、人材開発論に健筆を振う。