ヘコむな、この10年が面白い!
「モノづくり」から「コト興し」時代へ
小寺 圭(元ソニー・チャイナ会長)

ヘコむな、この10年が面白い!

明日を興すビジネスマン・学生へ
“かつて栄えた経済老大国”などと呼ばれぬために
1. 日本は「モノづくり」国家から脱却すること。
2. 日本は「事業化」を通した「「コト興し」の国に変わること。
3. 日本は「環境ビジネス」の分野で世界をリードする国になること。

著者: 小寺 圭(元ソニー・チャイナ会長)
発行年月日:7月下旬
コード: ISBN978-4-938939-62-5
四六判並製  216ページ

定価:(本体1,429円+税)風雲舎

本書の内容

「モノづくり世界一」はもはや幻想

日本人は一般の人からテレビや新聞のコメンテーターにいたるまで、日本の技術、日本の製造が世界一だと思っているフシがあります。日本人はなぜノキアの携帯を買わないのか、なぜサムスンのテレビを買わないのか、なぜ「Acer」(エイサー・台湾)のパソコンを買わないのか、なぜ「現代」(ヒュンダイ・韓国)の自動車を買わないのか――。私はふしぎでなりません。日本は完全な情報鎖国の国なのです。
 日本の技術の「ガラパゴス化」とはここ数年よくいわれることです。それは、日本が携帯電話の通信システムで独自スタンダードに固執し、鎖国政策をとったが故に、日本国内の市場では進化をとげたものの、世界標準の商品がつくれなくなり、世界市場では全く競争の外に置かれてしまったということを意味します。
 しかし実は、このガラパゴス化は消費者の側にもあるし、日本のインテリと呼ばれる人の中にも根強くみられます。その理由は、富をモノ(ハード)の量でしか計れないことと、商品価値の基準が常に日本にしかなく、「モノづくりは日本が一番」という幻想があるからです。ここに、日本と日本人、日本企業が陥っている最大の勘違いがあります。

「モノづくり」から「コト興し」へ

 私は本書で、「モノづくり」国家日本を捨てなさい、
 「ハードづくり」は、それを得意とする国に任せなさい、
 と、あえて主張します。
我々日本人はモノをつくり上げることに固執し過ぎました。
産業革命の時代の終焉とともに、ハードをつくって右から左に売る時代は終わりました。これからは「コトを興す」時代です。
 私のいう「コト興し」には、大別して三つの側面があります。
 一つ目のコト興しは、モノをビジネスの中核に置きながらも、製造のような付加価値の低い分野への投資は避け、モノを介在としたサービスで儲けるような全く新しい事業構造をつくること。
 二つ目には、どんなビジネスにも関連事業というものがあり、この関連事業の連鎖をつくることにより、産業全体、国全体に大きな産業のうねりをつくること。
 そして三つ目には、モノには依存せず、ソフトやサービスビジネスという無形の価値を提供し、日本の優れたカルチャーを世界に売り込むこと。それは単なるビジネスに留まらず、観光客の増加や都市の改造、日本の国家価値の再興にもつながります。
 これらのことを実現するには、優れたシステムとオペレーションとマーケティング力を必要とします。今後の日本を支える人材には技能だけでなく、これらの能力の有無が問われます。さらには、この全てをグローバルに推し進めていく知恵とパワーが必要です。

パソコン製造がもたらした現実

 IT革命の汎用商品であるパソコンは、すでに2003年ぐらいの時点で、世界の生産の7割方は中国で行われるようになっていました。ノート型パソコンでみると中国生産はもっと顕著で、現在全世界で年間に生産されるノート型パソコンは約1億3千万台ほどですが、おそらくその9割は中国生産(主に台湾メーカーによる)になっていると思われます。
 パソコンに関しては、部品やセットの生産のみならず、設計もほとんど中国で行われるようになっています。そして、生産されるパソコンはどのブランドも同じ工場でつくられているわけですから、結局はブランドを持っているセットメーカーにとっては、極端な話、どういうプロセッサーを使い、どんなスペック(仕様)にして、どの大きさのモニターにしてと、主要な項目を選ぶだけでセットのイメージができ上がってしまい、コストもあらかたわかってしまうので、あとは外装のデザインだけを自分たちで決めるぐらいで商品ができ上がってしまうのです。
 こうした実態をどこまで消費者が理解して商品を買っているのかわかりませんが、これがパソコン生産の現実なのです。今大流行中のiPhoneやiPodにしても、コンセプトは「アップル」がしっかりと築き上げたものですが、生産はもとより設計のかなりの部分は中国の台湾系企業で行われています。
 私が中国にある台湾系の工場を訪れ、ソニーのノートパソコンの製造現場を視察したとき驚いたことがあります。
 大きな工場内で一区画だけ隔離されたラインがあり、それがソニー用の製造ラインだと説明されました。工場側の人によれば、「ソニーのスペックは特別なので、ラインを他とは別にして外部の目には触れさせないでほしい」というのがソニー側の要求だったそうです。
 しかし、この工場全体の生産量からみれば、ソニーのノートパソコンの年間生産量は全体の数日分にしか過ぎません。わずかな数量です。大量生産でコストを最大限下げることを目的とした工場で、わざわざ小さなラインをつくらせ、コストを上げることにどれだけの意味があったのでしょうか。
 パソコンは私たちにとっては欠かすことのできないもので、しかも日進月歩を続けている商品ですが、同時に究極のコモディティー化商品でもあるのです。「コモディティー化」とは、誰がつくってもほぼ同じような性能や機能を持たせられる、というほどの意味です。ほとんどのメーカーが同じような部品・デバイスを使って組み立てることができ、そのコストは大量生産によって限りなく減少させることができます。表現は悪いですが、今のパソコンは誰がつくっても「五十歩百歩」、どのブランドでも「大同小異」、ということになります。

IT革命と金融革命

 モノづくりでその主導的立場を日本に奪われたアメリカが次に目指したのがIT革命です。
 彼らのIT革命は二つの側面を持っていました。つまり、デジタルの技術で瞬時に大量の情報を送ったり、コピーしたり、加工したりすることができるようになったというハードの側面と、そのハードを使って情報を利用・加工することによって生まれる新しいビジネスの到来という側面、この二つです。
 ここでは、ハードの製造という部分はほとんど意味を持たない世界です。アメリカも当初は自国内でハードの生産も行っていましたが、すぐにアジアへシフトしてしまいました。これは伝統的な産業革命の思想(モノづくりの思想)からは全く出てこない発想です。
 この90年代に始まったITの世界では、新しい技術やソフトの誕生はほぼ無限に近い大きさで拡大していきます。そこでアメリカの採った方策は、シリコンバレーのような新天地に世界の頭脳を集め、そこでの成果を自国のものとして広く世界にばら撒く。 「Made in USA」ではあっても、「Made by American」ではない製品が次々と生み出されていったのです。
 さて日本です。この時日本は、何をやっていたのでしょう。ゲーム業界ではソニーとニンテンドーが世界をリードする商品やソフトを出し、世界を席巻するワールド・スタンダードを確立しました。しかし、それ以外の分野では、ほとんどがアメリカで生まれたものの日本語版への焼き直しでしかありませんでした。日本独自のOSも頓挫し、検索エンジンもアメリカ製、e-コマースもネット・オークションもメーラーもマップも全てアメリカから持ち込まれたものです。
 オフィスのIT化もこの時期進みますが、日本のシステム会社は日本の市場の外に出て戦う競争力はなく、日本語という城壁に守られた中で高コストのシステム開発に終始します。
 アメリカのシステム会社は自国内での開発だけではマンパワーが間に合わないので、すでに90年代初頭にはインドなどへのアウトソースを始めています。ところが、日本はこのアウトソースでもさしたる成果を見せていません。
 そんなこんなで、日本でのIT革命は、それなりにうねりはあったものの、アメリカほどに経済を大きく持ち上げる力にはなり得なかったし、現実になりませんでした。そうしているうちに、ITのハードビジネスは台湾と中国が持っていってしまい、ソフト開発のビジネスはインドや中国、そしてロシアやイスラエルまでもが我がものにしてしまったのです。
 一方、アメリカではもうひとつの大きな変化が進行していました。それが、2000年代に入りアメリカが生みだしたのが金融革命です。
 世の中のありとあらゆるものを証券化し、金融商品として売ることを考えたまさに錬金術です。ここでその中身は詳しくは述べませんが、欧州と日本の金融業界はこの新しい金融商品に振り回され、高利回りに踊らされ、気がつけばいつの間にかどっぷりと手を染めていたというのが実情でしょう。
 そこでは全く政府の監視の目は届いていません。そもそも日本の財務省や金融庁にどれだけこれらの金融商品を理解した人がいるのでしょうか。そこに使われる英語が正しく理解できる人も数えるほどしかいない現状では、各金融機関に次々と持ち込まれる商品のリスク分析をしたり監督したりする術はなかったのでしょう。
 かくして、2008年夏、サブプライム問題が起こります。結局日本はこの金融革命にも中途半端な形でしか乗ることができずに、リーマンブラザーズの破局とともに金融革命を終えてしまいます。
 振り返ると、2000年代の金融革命の時代にも日本はさしたる成果もあげられずに無駄に時間を費やしてしまいました。その結果日本は、相変わらず古き良き80年代までの「モノづくり」の時代へと回帰しようとばかり考えています。

次の十年、新たな革命は

 そこで、次の10年、アメリカが勝負に出る政策とは何でしょうか。
 それは、言わずと知れた「環境」です。「環境革命」が次の10年の主戦場になります。過去20年ぐらい、世界のどの国でも、環境は単なるスローガンでした。企業や社会が「人にやさしい」とか「環境を大切に」と声を出すのは、身の清廉を外部に喧伝するためのスローガンにすぎず、実際企業や自治体がどれだけのことをやっていたかは定かではありません。
 しかも環境を実践するには、リサイクルにしても、水処理にしても、クリーンエネルギーにしてもとてもコストがかかり過ぎ、企業は環境対策そのものよりも環境に対する取り組みをPRする費用のほうにより多くのお金を使っていたぐらいです。
 しかし、今日これだけの世界規模でカーボン・フリーや省エネ、化石燃料の枯渇が叫ばれると、いよいよ環境がビジネスとなり莫大な収益を生み出す可能性が出てきました。現にアメリカは、石油の大量輸入国に転落することを恐れ、代替エネルギーに対して真剣に取り組み始めましたし、欧州はもともと代替エネルギーについては一歩先を行っていたので、自分たちこそ世界をリードできると考えているでしょう。
 日本は今度こそ、この波に乗らなければいけません。
 日本の環境に対する取り組みや環境技術に関しては、多くの日本人が「日本は進んでいる」と考えているのではないでしょうか。ハイブリッド車の成功だけで日本の環境技術を語ってはいけないと思います。

著者略歴

小寺 圭(こでら・けい)

1946(昭和21)年東京都生まれ。東京外国語大学卒業。GMディストリビューション・コーポレーションを経て、1976(昭和51)年ソニー入社。海外営業本部中近東アフリカ部長、ソニー・アジア・マーケティング・カンパニー(シンガポール)社長、ソニー海外営業本部長、ソニー・ヨーロッパ・コンシューマー・マーケティング・グループプレジデント、ソニー・マーケティング社長、ソニー・チャイナ・インク会長。2006年、日本トイザラスCEO。現在、クオンタムリープ・エグゼクティブ・アドバイザー。永年の海外営業経験で豊かな国際人脈を築き、その風貌、国際感覚、鋭い舌鋒、行動力から、しばしば”異邦人”視される。日本に定住した今、国際人脈、マーケティング力、独特な視点から、企業のコト興し、町興しを呼びかけている。本書は処女作品。

編集部から

ふしぎな異邦人

サッカーも終わり、永田町はまたも混迷入り。やっと夏がきましたが、なんともひどい湿気。それやこれやで周りはみんなげんなりしていますが、広い世間、この娑婆はそう捨てたものでもありません。半年ほど前に、“異邦人”とでも呼びたくなるような日本人に出会いました。長い海外暮らしで、行動も発想もかなり日本人離れした御仁ですが、この異邦人からパワーをもらいました。今やっと日本に定住した異邦人は、「この国は、ヘンな国ですね。でも、世界の潮流を見ていれば、やりようによっては明るい時代になります。この10年が勝負ですね」とつぶやきました。

異邦人の名前は小寺圭(こでら・けい)さん。46年生まれ、東京外語大を出て、ソニーの海外営業を30年。ユニークな国際感覚、行動力。もの静かな人ですが、社の内外でいいたい放題を言ってきた強者のようです。中近東、欧米、東南アジア、中国を歩き、「ソニー・チャイナ」の会長。ソニー退社後、「トイザらス」CEOを経て、現在、「クオンタム・リープ」に席をおき、企業の「コト興し」、町おこしなどを呼びかけています。

国際的な視点、分析がとてもユニークで、「あなたの存念を好きなようにぶちまけたら――」と申しあげると、ひと月ぐらいでサラサラと原稿を書いて持ってきました。むろん処女作です。これがなかなかなのです。

そうして出来上がったのが、この本です。
異邦人の言いたいことは至極明快です。
1. 日本は「モノづくり」国家から脱出すること。
2. 日本は「事業化」を通した「コト興し」の国に変わること。
3. 日本は「環境ビジネス」の分野で世界をリードすること。
この3点です。

異邦人の原稿は、現場を見てきた実例がふんだんで、楽しく読ませてくれます。
先行きの見通しがきかず、混迷のさなかにいるとき、人は迷います。方向が見えないと、心が晴れないからでしょう。時代はこっちだぞと明示され、読む人が得心がいったとき、スカッと霧が晴れます。出井さんではないけれど、「ほう、こういう見方もあるんだ」と元気が出ました。

(担当 山平)