愛しのテラへ
地球と私たちが光り輝く日のために
岡田 多母

愛しのテラへ

発行年月日:1999/10/10
サイズ:四六版上製
ページ数:200
コード: ISBN4-938939-06-1
定価:(本体1,700円+税)

小学生のある日、勢いよく漕いでいたブランコから落ちていく刹那にみた自分の過去世!三度の過去世を記憶する類まれな直感力の持ち主が見た・・・

岡田多母アースエネルギー研究所HP → http://www.earth-energy.co.jp/

目次

 [序 章] 三つの転生を超えて
 [第1章] 創り手探しの旅
 [第2章] 自然の声を聞く
 [第3章] 私たちは見えない世界の住人
 [第4章] 進化のプログラムとそのプロセス
 [第5章] 愛しのテラへ
 [第6章] 日本人と日本語
 [第7章] アーリーハウスにて

本書の内容

●序章三つの転生を超えて●

過去世を思い出したとき

小学校三年生のある日、勢いよく漕いでいたブランコから落ちたときのことです。以前にもたしか同じようなことがあったと思いながら、落ちていくうちに、私は、断片的に頭のなかにあった記憶が一挙につながって、自分の過去世を思い出していました。それは地球上での私の最初の生の記憶であり、ブランコからはずれて空に飛んだ、その一瞬の出来事でした。
私が最初にこの地球に生まれてきたのは、地球が誕生して間もないころのことです。野も山も緑鮮やかで、人々は元気で、はつらつとして生きていました。私はかつてそうした世界に生まれ、そこで五歳まで生きました。そのときは男の子で、名前はアイル。父の名はムル、母の名はア夕、兄の名はウルカといって、一家は小さな村(輪)で暮らしていました。
そこでは機を織るもの、食べ物を採るもの、家をつくるものといったように、それぞれの働きの分担が決まっていて、それをまっとうすることで一生を終えていました。アイルの一家は、祈りを捧げる仕事をしていました。日々、自然を感じ、神々を思い、その心を詩に込めて祈りとして、詠いました。天候や豊作を祈り、作物に合う土は噛んで確かめました。機を織るものは、羽衣のように光る糸で心を込めて織りましたから、その衣を着る人は美しく光り輝き、健康になりました。すべての仕事は喜びとともにありました。
村はいつも平和で穏やかで、すべての人が神や自然とともにあり、テラ(地球)とともにありました。不安や畏れを知らず、心はいつも感謝に満たされていました。国や民族という言葉はまだなく、そこはかぎりなく調和に満ちた麗しい世界でした。
そのころ、人間たちはまだ空を飛ぶことができました。肉体も軽く、ゆったりと飛んでいました。アイルもそのとき空を飛んでいたのですが、下から声をかけた友だちのほうへ意識がいった瞬間に、意識と肉体のコントロールを崩し、肉体だけが地面へ激突してしまいました。アイルは「しまった!」という感じで、落下した自分の肉体を見ていたのです。たしかに意識は身体という物体をも動かしたのですが、アイルはその肉体と魂がまだ上手に一体化できていませんでした。「墜落死」というのは、そのころではめったに起こらない珍しい死だったのです。肉体と魂が一体化できないというこの失敗は、大きなテーマとなりました。そしてこのことが、のちに私を再びこの地上に生まれさせる要因となったのです。
このブランコから落ちるときまで、私は現在のなかに過去の記憶が重なっていることがわからず、いま見ているもののなかに、様子が違うものが混じっていても、それがどういうことを意味しているのかわかりませんでした。けれども、このときから私は、誰にでも複数の「思い出」があって、そういった思い出をもっているのが普通なんだとひとり納得していました。しかしこの「思い出」が、私の過去の記憶であって、普通の思い出というものとは少し違っていること、またそうした前生を覚えている人が少ないという事実に気がつくまでには、だいぶ時間がかかりました。小学校五年生のときのことです。ある日、学校の前で聖書の言葉が書かれているきれいなカードを配っていました。そこには、「創り主はひとり」と書かれていました。私はそのひと言にすっかり心を奪われてしまったのです。ずっと私は、「私を創ったもの」を探していたからです。「創り手はひとり」というそのひと言に魅せられてからというもの、私はキリスト教の本に興味をもち、毎週日曜日には教会学校へ通いました。そして高校一年生のときに洗礼を受けました。
それは11月1日のことでした。
その日は降るはずのない雪が、洗礼を受けている間じゅう降りつづいていました。式が終わって帰るときには晴天。見上げると、真っ青な美しい空がありました。降り積もった雪のなか、雲ひとつない空に太陽が輝いている道をひたすら歩いているときに、私は今度は、私の二番目の過去世を思い出していきました。
それは真っ白に降り積もった雪のなかに自分の体が横たわっている姿であり、洗礼を受け、帰る道すがら、その生を思い出していったのです。それはアイルの記憶を蘇らせたときのような一瞬の出来事ではなく、自然にゆっくりと、一歩一歩と進む私の歩みとともに思い出していきました。そして私は静かにその記憶を感じていました。

時は江戸時代。再び私はこの地球に生まれていました。隠れキリシタンとして25歳まで生きていました。そして雪のなかで私がはっきりと思い出したのは、隠れキリシタンとして処刑されたときの姿でした。それは群集の前で十字に組まれた木に身体を縛られ、火炙りにされながらも天を仰ぎ見てほほ笑んでいる姿でした。そのとき、なんの痛みも苦しみも感じなかったことを思い出していました。心は暖かくてすっかり満ち足りていました。
このときの私の名はミツで、肉体と精神と魂の一体化というテーマをもっていましたが、それは私がアイルだったときに残した課題でもありました。そしてこの記憶の映像と、そのとき洗礼を受けたことがいっしょになって、なぜ自分がこんなにも教会に惹かれていたのかということに納得がいったのです。とめどなく涙が溢れ、表現する言葉のない深い世界で、私は、なぜ唯一絶対の神を探していたのかを納得していました。アイルのときに残したテーマを、ミツはこの世の「創り手」の思いを知ることで完了したいと思っていたのです。「肉体と精神と魂の一体化」と、そうした「創り手を知る」ことがミツのテーマとなっていました。
ミツは23歳でキリスト教に入信していました。いっしょに習い事をしていた友人のキクに誘われて、ある日、小さな隠れ部屋で行なわれているミサを覗きに出かけました。地下の小さな部屋いっぱいに響きわたる賛美歌とその祈りのなかで、アイルの祈りの家系の血が呼びさまされたのでしょうか、ミツはいつしか手を合わせ、そこでひたすら祈っていました。
何を祈っていたのか・・・。それはアイルの時代に捧げていた「トコトワ」の祈りでした。この祈りは「大宇宙が永久に豊かで、平和で、調和のなかで暮らしていけますように」という内容の祝詞です。ミツはこの祝詞を無意識にささやいていました。祈りのなかでミツは満ち足りていました。その姿はまるでアイルのようでした。
いま、この世に生きている私はタモですが、いまの私とミツの性格は同じかもしれません。小さいときのミツは負けず嫌いで意地っぱリでした。けっして泣かない子でした。そしまたアイルのときのように、何かに集中すると意識が肉体から抜けてしまうところなども、いまの私と同じかもしれません。いまの自分と似たところがたくさんあるアイルとミツの記憶をとり戻したことで、私ははっきりと「生まれ変わった」ということに気がつきました。
ふつう人は生まれたとき、オギャーと発声した際の空気の導入によって、それまでの記憶のラインが消去されるといわれています。脳や身体の細胞のなかに残るそれまでの生命の記憶が、すべてきれいに消えてしまう人もいれば、私のように初めから多少残ってしまう人もいます。また途中で思い出す人もいるようです。
いずれにしても人は、前世で残したテーマを綿々ともちつづけているようです。
このことに私は三度目の生である「タモ」で気がつきました。ミツのときにはアイルの記憶が戻りませんでしたから、ミツはミツの一生を送っただけです。ところが今生の私は、「いまの私」に過去の記憶が重なっていましたが、しだいに「いまの私」と、「過去世の私」がはっきりと分かれて、それが別のものであることがわかるようになりました。そしてその二種類の私が、同じ課題をもっていることもまたわかったのです。前世と同じテーマで今世もまた私は、生きているのだと気づいたことは、私を静かで穏やかな気持ちにさせてくれました。

著者略歴

岡田多母(おかだ・たも)

岡田多母
1956年秩父生まれ。
明治薬科大学薬剤学科卒業後、製薬会社にて新薬の研究開発に携る。
91年、健康な心身を取り戻すため、天然磁性水「新生水」を販売するアースエネルギー研究所を夫と共に設立。
96年、自然法則に従い、生かされて生きる生活を体験する場として、秩父連峰を見わたす地に「アーリーハウス」を建造。

現在、さまざまなセルフケアのサポーティングや、独自のセミナーを行っており、そのなかには、アーユルヴェーダと日本の伝統的な知恵を合わせた「和ユルヴェーダ」の料理教室もある。