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新刊『ぼくはエネルギー体です』


動けない。
しゃべれない。
でも、妖精や精霊と話せるし、
天の声も聴こえる。

(天の声を聴く詩人)神原康弥(著)
ISBN978-4-938939-92-2
4月5日発売 定価(本体1400円+税)

著者の神原康弥さんは25歳の青年。
2歳半のとき、「脳症」と宣告された。
以来、動けない、しゃべれない。重度の障がい者。
だから、自分で自分をダメ人間だと思っていた。

でも、著者はこんなことができる。
浮遊霊と話せる。
妖精や精霊と会話できる。
「あそこに行こう」と思って意識を集中すると、そこへ飛ぶ。
時間も空間も超え、あっちこっちへ飛んだ。

こうして「宇宙根源」と出会ったり、昔の偉い人や、著名人の声も聴いた。
退屈しのぎに、10年後、100年後の世界も見てきた。
だんだん、宇宙のことや、地球や人間のことがわかってきた。

そんなことを人に話すと、「へえ、そうなの」と聞いてくれる人が増えた。
誰かに何かを相談されると、著者はその人の魂と会話する。
魂のほうが、本人の事情に詳しいことが多いから。
魂と会話することを「リーディング」という。
リーディングの内容を本人に伝えると、なるほどと納得してくれた。
こうしてセミナーや講演会で話す(指談という方法で)ことが多くなった。
もうダメ人間ではない。
そこには、宇宙的な叡智が溢れている。

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目次――こんな内容です

この子は、私が見ている以上の何かを見ている……神原ひで子
1・脳症になって見えたもの
2・コミュニケーション
3・見えない存在に助けられて
4・意識情報体との出会い、そして宇宙へ
5・転換期
6・東日本大震災
7・魂の貢献
8・リーディング
9・ぼくの仕事
10・時空を超えて
11・ぼくはエネルギー体です

本文より

この子は、私が見ている以上の何かを見ている

三年生、四年生ごろになると、散歩をしているときの気持ちや、目にする自然を詩に書
くようになりました。その描写が、母親の私から見ても、子どもらしく、生き生きしてい
ます。そして、康弥が感じとっているものは、私が見ている以上の何かだと気づいたので
す。その証拠に、木の葉が揺れる様子を康弥は十分も二十分も飽きずに見続け、小川のせ
せらぎにもまた、同じようにいつまでも耳を澄ませて聞いているのです。

母と二人で

夏の日は、早朝か夕日が沈むころに散歩した。
体温調節がうまくできないぼくはすぐに暑くなり、顔を真っ赤にしては母をあわてさせ
た。秋が来てイチョウの葉が黄色くなると、母は喜んで、「ほら、見てごらん。ね、ね、見てごらん」とぼくに何度も声をかけた。
その声が少し弾んでいるようで、嬉しいような、でもちょっと疎ましいような、複雑な
感じだった。「ぼくは生きていてもいいのだろうか」と自分に問いかけると、ドングリがぽたっと落ちて、「当たり前だろ」と言った。

宇宙の中で眠る

いつもどおり、母と弟と川の字になって寝た。
夜中にふと目が覚めた。
そのまま、白い天井をじっと見つめた。
天井は、びくとも動かなかった。
どこまで行けば星に届くかな、とふと思った。
思った途端に、天井がぐらっと動いた。
見ているうちに少しずつ透き通っていき、夜空が見えた。
僕の身体はふわりと浮いた。
優しいものに包まれる感覚を覚えた。
僕は浮いたまま、上へ上へと、昇って行った。

夜明けの日

わたくしは
一生のお願いをした。
「母とともにお役目を
全うせし日には
歩ける足が欲しいのです」

神は言った。
「歩ける足が何になるか。
あなたの足はそばに眠る母が用をなすだろう。
母とともに生ける日に
足なぞいらぬ、
足の代わりに
真理を見る目を授けよう。
真理の目を足にせよ」

「真理の目の代わりに
指に伝わりし力は永遠なり。
ふたりの宝になるだろう」

その声を聞いて眠る母の目に
涙があふれぬように
私は眠る。
真実を見し友が
集まる日を夢みて

百年後にジャンプしてみた

意識を飛ばして、百年後の日本を見に行ってみた。
百年後、日本の人口は、今の二分の一になっているだろう。人々は都会を離れ、新しい
暮らしを求め、地方都市というよりは、里山や山奥といった人口の少ない場所へと移動し
ている。あちらこちらに、小さな城下町のような集落ができている。

なぜ、都会を離れて地方へ移住し、自給自足の生活になっているのか、その途中の様子
を眺めた。すると、東京都内に大きな水害がもたらされている映像が見えた。今から数年のうちだと思う。洪水なのか、津波が押し寄せるのか、原因ははっきりと見て取れないが、ぼくの頭の中には、都内が水浸しになっている映像が、何度も浮かんでくる。東京都心から海沿いにかけて、広い範囲に影響は及んでいる。電車は線路上で止まり、人々の逃げ惑う姿が見えた。東京全体が大パニックにおちいっている。働く場所を失い、食べるものは極端に減り、病気が蔓延し、東京都全体はその大水のため、しばらく人の住めないような状態になると思う。経済も政治も大きく混乱し、東京は大打撃を受けるだろう。

東京の水害のほかにもう一つ、原因が見えた。世界的な気候の大変動だ。数百年のサイ
クルで起こる小氷河期と、地球温暖化が、この十年、二十年のうちに大きく影響を及ぼす
ようだ。高温の年があれば、小氷河期の影響で寒い年があったりと、年ごとに気温のばら
つきが大きくなる。また、降水量が多い年が続くとも思う。近年も極地的に寒暖の差が広
がっているが、さらに、その傾向が強まるようになる。それに伴って、病気も増え、環境
の変化に適応できずに、亡くなる人も増えるだろう。

これらのことが要因となって、都市を離れ、食べるもの、衣食住を自分たちでまかなえ
るように、自給自足の方向へ移行していく流れになるようだ。百年後の人々は、自然と向き合いながら丁寧に生活するようになっているだろう。仲間と一緒に必要なものを造り、子が生まれれば皆で育て、年寄りや弱い者がいれば、皆で見守る。そうして子孫を繁栄させることが、人々の大きな喜びだ。孤独な生き方をする者は少なくなっている。これこそが、宇宙が求める豊かな生き方、真の人間の姿だ。

プロフィール

神原康弥(かんばら・こうや)

平成5(1993)年5月10日生まれ。2歳半、脳症と告げられ、生死をさまよい、重度障がい者となる。6歳、母と「筆談」というコミュニケーション法を会得し(その後、「指談」へ)詩を書き始める。8歳、特別支援学校の教員に体罰を受けたことがきっかけで、宇宙根源の存在に気づく。小中学生のころは、妖精や精霊とよく会話した。20歳の正月、宇宙会議の夢を見る。ふつうの人に見えないものが見える――そのことを世の中に広めていこうと決心。お話会を始める。22歳、母とともにオフィスKOUを設立し、コンサルティング、また、意識改革を目的とした、連続講座、講演会などを行なっている。

e-mail: officekou@kouenergy.com

「ぼくはエネルギー体です」をご紹介いただきました!

  1. 『EIGHT STAR』Vol.93 にて

    本書の内容を抜粋紹介

  2. veggy』Vol.58 にて

幼いころから“見えない世界”の存在が見えていた神原氏は、人の心や魂の声を読み取る「リーディング」ができる稀有な能力の持ち主。2歳半で脳症となり、四肢体幹機能障害という重度の障がいを持ちながら、現在は手のひらに指で文字を書く「指談」というコミュニケーションを使い、ご自身の能力を活かしたセミナーや講演会を母・ひで子さんと共に開催しています。魂についての色鮮やかな描写や、死後の魂がどのような道を歩むかについての記述は、かつての本にないほどわかりやすく鮮明。私たちは誰しもエネルギー体であることを伝え、心を浄化してくれる一冊。

神原康弥さんの講演会があります。

いらっしゃいませんか。

💛『ぼくはエネルギー体です』の著者・神原康弥さんの講演会があります。
💛彼は、動けず、しゃべることもできません。重度の身体障がい者です。
「指談」という方法で、自分の言いたいことを発します。お母さんがそれを聞いて通訳します。神原さんもすごいのですが、お母さんもすごいのです。

💛これまでチャネラーとか、サイキックとかグルとか呼ばれる人がたくさんいましたが、神原さんはちょっと別格のようです。
彼は自由に、楽々と、こっちとあっちの世界を行き来します。これまであった歴史上の出来事が見え、必要があれば、誰にでも(イエスでも、空海でも、織田信長にでも)その意識体にアクセスできます。

💛大概のことは見えるようです。過去の歴史も、祖先のことも、人間たちの抱えている悩みも、その理由も、これから先のことも。
💛よろしければお出かけになりませんか。神原康弥さんはすごいですよ。
💛会場は三鷹です。彼の家から近いという理由です。
💛詳しいことは、以下をご覧ください。

———–神原康弥さんの出版記念講演会————-

💛(とき)2018・7・15(日曜日)13:00~16:00

💛(ところ)Three Eight Nine MITAKA(スリー・エイト・ナイン三鷹)
  東京都三鷹市下連雀3-37-31(中央線三鷹駅南口から徒歩4分)
☎0422-26-5870

💛(参加費)3000円(当日受付でお支払いください)

💛(お申し込み)下記風雲舎まで
  ㈱ 風雲舎 〒162-0805東京都新宿区矢来町122
  ☎03-3269-1515 ファックス03-3269-1606
mail@fuun-sha.co.jp  http://www.fuun-sha.co.jp/

㈱ 風雲舎

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食に添う 人に添う

(「食といのちを守る会」代表) 青木紀代美著
ISBN978-4-938939-91-5  定価(本体1600円+税)


食は、いのちです。
安全安心で、
まっとうな食べものを、
探してきました。

著者がはじめて授かった子どもは1700グラムの未熟児でした。健やかに、人並みに成長するようにと、安心して飲める牛乳探しが始まります。そこから米、有精卵、野菜、味噌、醤油など、安心安全な、まっとうな食べものを求め、農業の生産現場を訪ね、生産者と話し込む暮らしに入ります 以来45年。この本には、45年かけた、まっとうな食べものについての知恵がいっぱい詰まっています。

他方、自分の手から出る不思議なパワーで、他人様の体に手を当てること数千人。”菩薩のような人“との声も聞かれます。

本書の内容 ――(はじめに)現代に生きる菩薩(七沢賢治) (第1章)ひとり息子 (第2章)学ぶ(第3章)心のふるさと(第4章)すばらしい食べもの (第5章)手を当てる (第6章)感動する人に出会う(あとがき)母へ

七沢賢治氏が激賞!
「青木さんを見ていると、高度情報化社会における最も稀有な人材、現代に生きる菩薩、と言いたくなります」
青木紀代美(あおき・きよみ)山梨県甲府市生まれ。「牛乳問題研究会連合」代表。「食といのちを守る会」代表。「NPO法人子どものいのちを守る会(kdm-mamorukai2002.net)」
副理事長。本書ははじめての作品。

ギスギスしたこの世に、こんな人が生きているなんて!
世の中捨てたもんじゃない。ホカホカしてきます。

▼ 続きを読む

「現代に生きる菩薩」

青木さんのことを紹介するとキリがないが、彼女には手当て療法
専門家としての顔もある。私自身も若いころから、甲州の「腱引
き療法」をはじめ、日本内外のさまざまな整体法や治療法を研究
してきたが、そのような視点から青木さんを見ると、表の顔は
食のプロとして常に消費者の先頭に立つ一方、他面では相当な腕前
を持つ治療家であることがわかる。

これまで、ノーベル賞受賞者や上場企業経営者、芸能人など各界
の著名人をひそかに治療し、実績を上げてきた。もちろん一般の
方々であっても無料でそれを引き受けている。彼女の温かい人柄、
母親の手のようなぬくもりに、数多くのファンがいるそうである。
青木さんの手当てを受けた方々は、彼女を「菩薩のような方」と
表現する。

『大無量寿経』には、釈尊が阿難という仏弟子に教えを語って聞
かせるシーンがあるが、彼女が活動するさまは、まるでそこに登
場する法蔵菩薩のようである。人類すべてを救済するまで自分は
仏にならないと誓願を立て、後に阿弥陀如来となったあの菩薩で
ある。そうでなければ見ず知らずの人間に対し、何時間も、とき
には朝まで治療の手を休めないというようなことはできないであ
ろう。

すでに古希を超えているというのに、彼女の活躍はまだまだ終わ
ることを知らないかのようである。青木さんを見ていると、現代
に生きる菩薩とでも言いたくなる。高度情報化社会における、
最も稀有な人材として、こうして彼女とお付き合いできることを
幸甚に感じている。青木さんの菩薩行も今世が最後であろうが、
かりにそうであったとしても、姿を変えてまたここに戻ってくる
ような気がしてならない。その時は、人々が彼女を癒す番である。
人類の輝ける未来を予感して――。(七沢賢治――前書き)

本文より

「未熟児」

夫がやってきました。
「ねぇ、かわいいでしょう?」と赤ちゃんを見せると、何もいわ
ず怪訝な顔をしています。
しばらくしてこういいました。
「なんだか……サルともカニともつかない子が生まれたね」
「え?」
「だっておまえ、顔は毛むくじゃらだし、口からは泡を吹いてい
るし……」
あんまりな言いようです。「なんてこというのかしら」と思って
赤ちゃんを見ると、確かにそのとおり、本当におサルさんです。
鼻のあたりは白いのですが、それ以外は毛むくじゃら。黒っぽい
産毛がいっぱい生えています。それまでかわいいとしか思えな
かった赤ちゃんを、夫のひと言でやっと冷静に見られるようにな
ったのです。
改めて赤ちゃんを見てみると、確かにその顔や表情はおサルさん
です。ときどきカニのようにピュッピュッと水を吐いています。
でも不思議ですね。それでも、それなりにかわいらしいのです。
ああ、いい子ね、かわいい、愛しい。この子のためなら何でも
しよう。

生まれたときの体重は一七〇〇グラム。当時は二七〇〇グラム
ぐらいが平均だったようです。とても小さくて、しわくちゃの、
いかにも栄養が足りないといった赤ちゃんです。栄養剤の注射を
することになりました。赤ちゃんの細い太ももに皮下注射です。
「ギャー!」
あのときの火のついたような泣き声を、今でも覚えています。
翌日、注射したところが栄養を吸収できず、太ももが硬く化膿
していました。おむつを替えるたびに「ギャー!」と悲鳴をあげ
ます。「これは膿を出さなければ。お母さん、しっかり抱っこ
していてください」。私は震えながらひざの上に抱きました。
先生は看護師にドライアイスのスプレーを持たせ、膿んだところ
にシュッと吹きつけます。間髪を容れず先生がメスを入れ、膿を
絞り出します。
「ギャー! ギャー!」
息子はありったけの声で泣きわめきます。
ごめんね、ごめんね、私は何度もくり返し謝りました。

「僕、牛乳大好き!」

淳は私に似て好き嫌いが多く、いったん嫌いとなるとそっぽ
を向いてまるで箸をつけません。小食、偏食のまま育って、動
きも遅く、周りの友だちについていくのも大変なようでした。
どうしたらたくさん食べるようになるのかしら? 「おいしい」
といって飛びつくものは何か? どう工夫したらそうなるのか
と考えていましたが、二年生になって給食が始まりました。偏食
の淳が給食を全部食べられるでしょうか。ちょっと不安です。
「この子は体が弱いので、少しのあいだ、お弁当を持たせてくだ
さい」

担任の三浦先生は快く許してくれました。お弁当持参の淳にも、
給食のおかずや牛乳など、本人が食べられそうなものを食べさせ
てくださったようです。淳は牛乳をちゃんと飲んでいる様子でした。
「牛乳好き?」と聞くと、
「ぼく、牛乳好き!」という答えです。
この子にも好きなものがあったのです。
そうか、牛乳か。どうせなら、日本一おいしい牛乳を探して飲ませ
たい。淳はお肉やお魚をあまり食べません。タンパク質不足が心配
でした。
「牛乳を飲むと大きく育つ」
そんなこともいわれていました。これからだって大きくなれるかも
しれない。好きな牛乳でタンパク質やカルシウムを摂れるようにし
よう。光が差しました。

稲葉さんの有精卵

息子に飲ませる牛乳をきっかけに、私は食べものに関わるようにな
りました。牛乳からスタートして、まっとうな食べものを探す旅が
始まりました。牛乳の次に私たちが扱ったのは卵、有精卵です。
最初はヤマギシ会のハネ玉をわけてもらっていましたが、自分たちで
扱う卵を自分たちで探してみようと思いました。
岡田先生に連れられて千葉県三芳村の稲葉愨さん宅に伺ったのは、
四五年も前のことです。
岡田先生の提唱を受け入れた三芳村は、自然農法による米や野菜の
生産のほかに、稲葉さんのご尽力もあって、有志による平飼い卵の
生産が始まりました。有精卵の「いい卵」を作るのが目的です。
狭いケージの中に詰め込む飼育ではなく、平飼いを中心とした
自然養鶏の有精卵です。
今日の養鶏の主流は、囲いの中で飼う、いわゆるケージ飼いです。
これ以上詰められないほどぎゅうぎゅうケージに押し込むさまは、
まるで満員電車さながらです。さらに、食べたエサの栄養分が
余計なところに行かないようにトサカを切り落とし、隣の鶏を
つついて傷つけたり餌を飛び散らせたりしないように、くちばし
を丸く削ります。いたたまれない光景です。そのような状態で、
鶏たちはいのちのない無精卵を産みつづけます。
一方、平飼いは広い鶏舎を区切らず、鶏たちは好きなだけ動き回り、
自由に虫をつついたり、砂浴びをしたり、水を飲んだりして、
元気に育ちます。そのなかに数羽の雄鶏を入れることで、有精卵が
生まれます。
なぜ有精卵なのでしょうか?
有精卵には、ヒナに孵らせるいのちが宿っています。私たちが食に
ついての活動をするとしたら、そのような、いのちある食材を提供
しなければ意味がありません。現代人は食べものを商品にしてし
まったために、いのちの価値を忘れています。私たちはみんな、
いのちをいただいて生きています。卵も肉も魚も野菜も、そこには
すべていのちが宿っています。食事のとき「いただきます」といって、
両手を合わせます。これは、「あなたのいのちをいただきます」と、
食べものに対して感謝の気持ちを伝えているのだと思っています。

最近では、果物でも何でも種なしがもてはやされています。種なし
ということは、いのちは宿っていないニセモノの食べものです。種なし
の果物を作るため、ホルモン剤が使用されています。いのちをいただく
はずの食べものに、いのちが宿ることがないようにしています。栄養
分は遜色ないかもしれませんが、いのちというものを最初から持ち合
わせていない食べものです。
いのちを持たない食べものを、食べものと呼べるでしょうか?
私たちはすっかりそんな食べものに慣れきってしまいました。そして、
目の前の食べものにいのちが宿っているかいないかすら気づこうとし
なくなっています。

会津の小松米

東北新幹線で郡山まで行き、磐越西線に乗って会津若松へ、そこか
ら只見線に乗り換えてトコトコ揺られ、六時間をかけてやっと着く
のが新潟との県境に近い三島町です。その後何度も出かけて交流す
ることになりますが、遠すぎて誰も行きたがりません。「紅葉がす
ごいのよ」「山菜採りに行こう」とあの手この手で声をかけ、よう
やくみんなで行くようになりました。

三島町に行って驚いたのは、有機農業を旗上げしようとする青年たち
がいっぱいいたことです。村興しをしようとパワーのある佐藤長雄
町長が先頭に立ち、みんなを率いていました。昭和四九(一九七四)
年から「特別町民制度」を設け、首都圏の人たちにふるさと興しへ
の参加を呼びかけました。その後一〇年かけて「生活工芸運動」や
「有機農業運動」を育て、その勢いで地域の産業興しに発展し、
「花嫁の来たくなる町」を目標にがんばっていました。

小松正信さんたちは、このような町興し機運に盛り上がった環境で、
お米、タバコ、ソバなどを作っていました。本来お米専門ではなく、
タバコと養蚕の農家でした。幼いころは家中にお蚕さまがいて、
横になると、お蚕さまのサワサワと動く音が気持ちよかったそうです。
やがて家の百姓仕事を手伝うようになり、見たままに覚えていったとか。
小松さんは次男ですが、お兄さまが早くに亡くなったため、家を継ぎ
ました。小さな田んぼを持つ小規模な農家です。

ところが米作り農家の老齢化の波を受けて「代わりにやってくれ」と
依頼されたことをきっかけに、現在、一二町歩(一町歩は三〇〇〇坪)
まで田んぼを増やしています。有機農業は難しいといわれますが、
小松さんは大量に収穫しようとがんばらなかったそうです。太陽の力
と地力のバランスで収穫量は決まる。それ以上採ろうとすると、作物が
病気になってしまうのだとか。
「食べものから歩き出す会」のメンバーで私が片腕としてもっとも信頼
していた松本万樹子さんが、それから間もなく小松正信さんと結婚しま
した。小松正信さんは、訥々と語り、軽薄な言葉は口にしないお人柄。
もし万一、小松さんから「どうしても今年は化学肥料を使わざるをえな
くなった、農薬もどうしても必要だ」と相談されたとしたら、私は決し
て否定しないでしょう。それもよしとすると思います。すべては人から
始まります。

私は市井の黙々と働く人が好きです。たくさんの人と人との関係のなかで、
自分の思いを貫きつづけるのは、簡単なことではありません。これは、
私がこの運動を通して学んだひとつです。「収量を増やすためにはこうし
ろ」とか、「効率を上げるためにはこうしなきゃ」とか、そういう横槍
を一切脇に置いて、「自分が信じるのはこの道ですから」と黙ってそれを
続ける。そういう人に、私は感動し、感謝の念を感じずにはいられません。
こうして作りつづけられる小松米は、「乳研連合会」や「食といのちを守
る会」のメンバーにいちばん喜ばれます。食卓に並ぶ食材の中で、お米
はやっぱりメインなのですね。年に二トンほど会員と関係者にお配りし
ています。年に四回搗いていただく白米・玄米のお餅も大好評です。
特に、お歳暮の贈答品として喜ばれています。

じかに、作り手に会う

新しい食材を扱うとき、私は必ず実際に作り手にお目にかかり、生産
現場を見させていただき、食材を味わいます。じかに会って、現場を
見ることで、作り手の思いを確認するのです。採れたての作物に触り、
香りを嗅ぎ、味を確かめます。

最初に感じるのは、香りです。
本物の香りは私たちを圧倒します。本来の香りです。最近の野菜は農
薬や化学肥料のせいでしょうか、香りの乏しいものが多いようです。
そういうものではなく、土中の微生物と共に育った、本来の香気を
放つものが理想です。理想というより、それが当たり前の、本物の野菜
です。農家には当然いろんな方がいらっしゃいます。農作物を工業製品
と同じような商品として扱い、効率優先で作るような方は、こちらが
ご遠慮いたします。自分の子どもを育てるように、丁寧に作物に向き
合ってくださる方が大切ですし、ありがたいのです。そういう人とは、
すぐに通じ合えます。心が、同じ方向を向いているからです。
私の出会った生産者の多くは、はじめてなのに、挨拶もそこそこに
「はら、へってないか」と、採れたばかりの野菜とあり合わせの食事
を出してくださることがよくあります。小松菜の炒め物、芋の煮っ転
がし、ふろふき大根――おいしいおいしいと喜んで食べていると、
一つひとつ食べものについての話が続きます。

私たちの農作物選びには、化学肥料や農薬を使っていないかを
はじめ、確認すべき項目がいくつかあります。旬のものかどう
か。在来種(自分で採ったタネ)かどうか。自分で堆肥を作
っているかどうか。水の豊かなところか――。しかし、チェック
項目にはない部分、つまり、生産者の思い、その人柄、作物へ
の愛情、そういったところを私は大切にしたいと思っています。

農作物は、人のいのちをつなぐもの。農作物に添うことは、人に
添うのと同じこと。だから私たちは、必ず作り手に直接会いにま
いります。すばらしい作り手に出会えると、嬉しくなります。
私たちが望んでいたのは、あれもこれもではなく、せめて毎日の
食卓には、まっとうな志ある人の作った食べものを乗せたい、
安全安心な食べものを家族に供したいという思いです。

手に来る反応

Yさんは乳ガン治療のため、四、五年前から聖路加病院にかかって
いました。お医者さんからしきりに手術を勧められたそうです。
「ガンは怖い。でも、手術はしたくない」
彼女は拒んでいました。そんなとき、ある人のご紹介で私のところ
へ来るようになりました。
彼女のお住まいは東京・中野です。私の事務所は神楽坂ですから、
その気になればすぐに来られます。Yさんは気立てがよく、働き者
で、女優さんだったのかと思うほどきれいな人です。彼女の悩みは、
昔から胸が大きいことでした。それが嫌で、だんだん猫背になった
そうです。胸の大きい人ほど、なぜかそうなるみたいです。そこを
注目されるのが嫌という心理が働くのでしょうか。彼女は乳ガ
ンと宣告されました。でも、どうしても切除する気持ちになれ
なかったそうです。思い悩んでいるときに私の手当てのことを
知り、やって来られるようになりました。きっと、何かのご縁
ですね。
足裏から手を当てて彼女の胸まで来たとき、ちょうど赤貝かち
ょっと大きめの蛤ぐらいの大きさの何かが、ぴたっと私の手の
平に収まります。皮膚の下は、ギザギザ固い貝殻のような感じ。
私の手にはそう感じました。
最初のころ、Yさんに手を当てても、私の手には何の反応も伝
わりませんでした。「大したことないのね、手術したくないって
いうのがよくわかります。いいと思いますよ、しなくても」なん
ていっていました。本当にどこかが悪い場合には、私の手にいろ
いろな反応が起こります。三回手を当てましたが、何もないから
大したことはない、もうこれで終わりにしようと思っていました。
三度目を終えたあと、「青木さんに手を当ててもらって自宅に帰
ると、よく眠れます。翌朝、気持ちがいい。それだけでも嬉しい
から続けてほしいのです」と電話がありました。
「そう。それなら、どうぞどうぞ」四回目、いつものように彼女
に横になってもらい、手を当て、足の裏をさすっていると、私の
右手に雷が落ちたような、閃光が走ったような痛みが来ました。
「あ、痛い! なんだ、これは?」と驚きましたが、しばらく続け
るとそれは消えました。

私は誰にでも同じことしかできません。手当てという術を練習した
わけではありませんから。足から脚部、そしておなか、胸、背中
と回って、手の平でさすり、温める。これだけです。彼女に対し
ても、同じことです。すると、ふと気づきました。あの固いものが
少し柔らかくなっているような感じがします。それを彼女に伝え
ました。「胸の固いのが半分消えていますよ」
「そうなんですよ、柔らかいんですよ」と彼女。へえ、そう。
さっき私の手にピカッと来たのは、良くなっているという証拠か
もしれない。
大勢の人に手を当ててわかったのは、触って違和感があると、
私の顔のあたりがもやもやして、鼻先に綿あめかクモの糸でも
くっついたようにベタベタします。最初は気にもしませんでした
が、具合の悪い人に手を当てると、そういう感覚が残るのです。その
うち筋ジストロフィーをはじめいろいろな重い病いの人に出会うよう
になったのですが、そういう人に手を当てると、重油のような、ドロ
ッとしたものが私の手から入って腕の付け根まで上がってきます。
正体はわかりませんが、そんなものが入ってくるとどうしてよいかわ
からないので、そのまま三〇分でも一時間でも手をそのまま置いてお
きます。気長にそれを続けていくと、あのドロッとしたものがふっと消
える瞬間が来ます。そこでまた別の場所に移ります。するとまたドロ
ッとしたものが入ってくるので、ああこの人にはまだ悪いところが
あるんだなと感じます。そうやって何カ所か手を当てていくうちに、
いつしか癒されていくようです。Yさんに触っていて実感しました、
「そうか、私の手に来たら、悪いところが治るんだ」と。

編集者より

▼わが社はビルの5階にあります。道路を隔てた向かいのビルに
青木紀代美さんの事務所があります。「青木さーん」と呼ぶと
「なーに」と返ってくる距離▼彼女は、牛乳に明るい。食べものに
詳しい。ろくでもない食べ物といいものの違いを熟知している食の
プロ。さらに、手を当てることで、人を癒す達人。お代は取らない
▼お金にならないことばかりやっている風で、へぇ、こういう人が
まだこの世に生きているんだと思って、「一冊書いて」と原稿を依頼
しました▼その仕事、その人間に魅せられていたのですが、いったい
何者なのかよくわかりませんでした▼ある日、彼女のご紹介で七沢
賢治さんという人がわが社にやってきました。チラッとぼくを見た
その眼力に、ぼくは「あ、斬られた!」と感じました。ただ者では
ない。ひと目で相手を見破る、おっかない人。「青木さんってどう
いう人ですか?」と尋ねてみると、答えは簡単。「彼女は菩薩行を
やっているんです。現代に生きる菩薩です」と。……そうだったの!
凡夫にもやっと彼女の本質がわかりました。
▼というわけで青木紀代美著『食に添う 人に添う』がギリギリ
昨年末に完成。ほっと一息▼昨年は、こうして菩薩さまと幸せな時間
を過ごしました。今年もいいことがあるような気がします▼皆様にも
良き年でありますように。(山平松生)

「食に添う 人に添う」をご紹介いただきました!

到知」2018年7月号 書評

未熟児で生まれた長男に、日本一安全でおいしい牛乳を探して飲ませたい、という思いがきっかけで食の安全を追い求めるようになった著者。以来、四十年以上、自然農法家など多くの出会いと学びを経ながら、食と命を守ることに献身的な努力を続けてきた。 本書では、自らの足跡を振り返ると同時に、手当て療法というもう一つの活動も紹介。不思議なパワーで人々の苦しみを癒す著者を「菩薩のような人」と呼ぶ人もいるという。「(相手に)添って、添って、添いぬく」という言葉に、その人生観が象徴されている。

風雲舎の売れ筋ベスト10

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あなたは私 私はあなた

あなたが苦しんでいると私も苦しい。

あなたが楽しいと私も楽しい。
あなたは私、私はあなた。
みんな繋がっている。

――あなたの心には、アインシュタインの、ゴッホの、モーツアルトの、つま
り全人類の記憶がそのまま共有されている。ユングはこれを「集合的無意識」
と呼び、宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得
ない」と言った。そう、みんな繋がっている!

気を感じてみる! (本書の主な内容)

★気の体 ★チャクラはあなたの命を守っている ★包み込みの発想 ★千年続く会社 ★北野武さんが気づいたこと ★神の資本論 ★すべては繋がっている ★どん底から立ち上がる方法 ★イチローの小周天の力 ★大野将平選手の大周天 ★モモは能力者だった ★無敵のマントラ「オン シュダ シュダ」 ★ホワイトブックのすすめ ★あなたは私、私はあなた ★想像は創造の始まり(ほか)

気を使ってみる

人にはにっちもさっちもいかない時がある。どうしたらいいだろう。

あなたの意識を書き換える究極の方法がある。たった一日でいいから、騙されたと思ってやってみるといい。

町の雑踏に立つ。いろんな人が通り過ぎていく。この人は貧乏そうだな、つらそうだな、独りぼっちだな、仕事がなさそうだな、悲しそうだな――と分かる。

病気だと感じた人には「健康になりますように」、お金で困っていそうと思った人には、「仕事が成功しますように」、運が悪そうな人には「あれ」と言葉に乗せ、天にその祈りを送る。ポイントは、見ず知らずの人の幸せを祈ることだ。

世界はあなたと共に姿を変えていく。

清水義久(語り)山崎佐弓(聞き書き)
ISBN978-4-938939-90-8 定価(本体1600円+税)

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本文から

舩井幸雄先生の最大の功績

真理は役に立つ。時代が変わろうが、状況が変わろうが、どんな世に
なろうが、いつどんなときにも。それは物事の筋道だからだ。舩井幸雄
先生に教えていただいたのも、そんなひとつの真理だ。

昭和六十年代、高度経済成長のさ中に舩井先生が打ち出していたコンセ
プトは、さまざまな分野で大きな成果を上げていたと思う。旧価値観が
崩壊し、とって代わる新たな理念が勃興する瞬間まで、誰にも先のこと
は見えない。社会的、経済的、文化的状況がどんなふうに変貌するのか、
通常人には分からない。舩井先生は、実業の世界だろうが、人生論だろ
うが、非日常の世界だろうが、茫漠と広がるこの世界に対して、統一的
なコンセプトを展開した。そのひとつに「包み込みの発想」がある。

「同意せず、共感せず、仲間でもなく、愛してもいないけれど、共に存在
することを許し合おう。そして、共に生きていこう」
というものだ。新世代と旧世代、右翼と左翼、保守と革新――互いに対極
に位置すると考えられている社会構造の中で、こういう「包み込みの発想」
という論を唱えた人間は他にいなかった。

ぼくたちは普通こう考える。

あいつとは許し合えて、一緒に生きていける。あいつは友であり、仲間で
あり、愛し、愛される者。なんらかの意識が自然的、社会的に共有され、
そして統合された関係だ。

もうひとつは、上下の関係、支配する者と従属する者との関係である。
それ以外は、無関心か、新たな関係を結ぶには未知数という余地が残る
ことになる。舩井先生は新しいアイディアを展開した。主義、主張、政治
的理念、考え方、価値観――それらを一旦ブラックボックスに入れて触れ
ずにおこうと言ったのだ。つまり、良し悪し、善悪を判断しないこと。

判断の中止である。哲学者のE・フッサール(一八五九〜一九三八)の
言葉で言えば「カッコにくくる」ということだ。

Aさんがどんな宗教を信じていても、どんな文化的背景を持っていても、
肌の色が何であっても、あなたはAさんと主義主張を戦わせたり、譲歩し
たりする必要はない。もし、Aさんがあなたにとって異分子なら、その
ままでいい。AさんはAさんのまま、私は私のままでいい。喧嘩したり、
排除したり、無視したり、奪ったり、支配したり支配されたりすることなく。
もし仲間になれなくても、一向に構わない。それでも、Aさんと一緒に生き
ていく――そういう考えだ。

そもそも人の判断というのは公平ではない。詮じつめればただの主観にすぎ
ない。例えば、部下にB君とC君がいる。B君はC君の仕事を大きくカバー
し、B君のほうができる人間に見え、C君はいらないやつだなと低く評価さ
れやすい。でもよく見ると、C君しかできないオリジナリティがある。C君
にはC君の良さがあるということだ。誰でもできる部分を同じように見てい
くのではなく、個々の良さを見ていく。これが「共生」(ともいき)だ。

空海さんのマンダラ論

物事を軽々に判断してああだこうだと断定するのではなく、それもこれも一緒
に包んでいこう――ざっと言えばこれが包み込みという発想だ。この包み込み
の発想は、弘法大師、空海さんのマンダラ論に根拠を持つ。これは矢山利彦
先生が教えてくれた。

マンダラでは、宇宙の根本を表す大日如来を中心にして、四〇五もの諸仏が、
共に同じ場で生きている。「胎蔵界」で仏の周りに描かれた円は、いろいろな
菩薩や明王の、それぞれの価値観と生き方と力をひとつの世界に閉じたもの
だ。この一つひとつの円がそれぞれの仏の主義主張のテリトリー(領域)で
ある。

それぞれの異なる力、考え方、文化、宗教、肌の色などが、同じ一枚の地図の
中に分散され、同時に成立している。大日如来だけでいい、とは考えなかった
のだ。それぞれが独立国家でありながら、それぞれの価値観のなかで共に生
きている。適材適所にその異なるものを配置し、その力を借りようとして、
他のものを打ち消さない。人間の死体にへばりついている悪霊たちさえも
ここでは否定していない。修羅、夜叉、餓鬼たちもちゃんとマンダラの世界
に描かれている。底辺の片隅で生きているものを含めて、すべてのものが一枚
の絵柄となり、お互いに支えながら連続してひとつの宇宙になっている。取り
替えもしない、排除もしないというアイディアだ。空海さんは、そういった
ものまで、宇宙の構成原理として省くことができない重要なものだと考えた。

大日如来の存在の光の中で、森羅万象の宇宙ワールドの中で、無用の存在、
いらないもの、役に立たないものなどは存在しない。すべてが必要なのだ。
無駄だから、いらないから排除しようとするのではなく、ありとあらゆる
ものが必要必然で、必ず役に立つ要素を持っているがゆえに、この世に共
に存在するのだ、と。

ぼくは、マンダラの外枠のところに描かれたさまざまな小さな存在に
感動した。自分がどんなにちっぽけだと思っていても、そのままで宇宙
を支えている。そのアイディアがこのマンダラ論だ。

空海さんはマンダラと言い、法然さんは「共生」と言い、同じことを
舩井先生は「包み込み」と表現した。

さて、他人を認めず、許さない――これがあなたの世界観になりうるだ
ろうか。「俺の言うことを信じろ、お前は間違っている」となったら、
爆弾を持ったテロになり、搾取になり、戦争になってしまう。だけど、
ひとつ退いてマンダラという思想を眺めるとき、そこに長い歴史を貫く
客観的な世界観が成立しているのではないだろうか。どちらが上かでは
ない。平面上のそれぞれが独立した世界をそのまま持ちながら
一緒にやっていく――この「包み込みの発想」は有り得ると思う。

宮沢賢治の言葉(章タイトルの後に著者の大好きな宮沢賢治の言葉を
入れました)

わたしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です(「春と修羅」)

風とゆききし雲からもエネルギーをとれ(「民芸術概論綱要)」

天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。
ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなきゃいけないて
僕の先生が云ったよ(「銀河鉄道の夜」)

あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません(「注文の多い料理店」)

ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから(「ポラーノの広場」)

どれも気が溢れています。
宮沢賢治は気功の達人です。

著者略歴

清水義久(しみず・よしひさ)
1962年生まれ。気功家。少年の頃、中国の歴史に興味を持ち、気功の存在
を知る。矢山利彦氏の気功をはじめ、中国気功、レイキ、古神道などを学び、
実践と知識から「気」を追及すること30年。さらに真言密教、陰陽道、仙道、
道教、レイキ、九星気学、断易、周易、ユダヤ秘教、西洋占星術、タロット、
宿曜占星術、バッチ・レメディの他、心理学、哲学など、幅広い分野に精通し、
独自のスタイルのセミナーを20年以上開催している。本書は、前著『この素
晴らしき「気」の世界』(小社刊)に続く第二弾。ほかに、『「出雲の神さま」
にまかせなさい』(大和出版)、『お金と幸運がどんどん舞い込む! 神様に願
いを叶えてもらう方法』(宝島社)など。
facebook:この素晴らしき「気」の世界

山崎佐弓(やまざき・さゆみ)
福島県いわき市生まれ。山梨県北杜市在住。東京女子大学文理学部卒業。
ホロトロピック・ネットワーク会誌『まはぁさまでぃ』編集制作。フリー
編集者。

編集部から

博覧強記――著者にはこの言葉がぴったりする。道教、仏教、
古神道をマスターし、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教を調べ、
神智学、西洋魔術、占星術に通暁している。何を聞いても正確な答えが即座
に返ってくる。その根っこにあるのが「気」。知識としてではなく、実践の
「気」だ。そこがすごい。
天才気功家の発する「気」エネルギーのほとばしりを、直に感じてください。

本書は、『この素晴らしき「気」の世界』(2016・5月刊)に続く第2弾です。
前著も併せてごらんください。

よかった、脳梗塞からの回復!

脳梗塞でも、あきらめなくていい

 

よかった、
脳梗塞からの回復!

脳血管を若返らせ血行を良くする
「金澤点滴療法」

 

血管研究50年(脳血管医) 金澤 武道 著

定価(本体1500円+税)
ISBN978-4-938939-89-2

この療法で、多くの人が救われています。

(回復例)
脳梗塞でも、あきらめなくていい……
ヨタヨタ歩きが、まっすぐ歩けるようになった
手足のしびれが消え、歩行困難が良くなった
言葉が出るようになり、手も上がるようになった
左半身の不随、視力低下からの回復
スタスタ歩けるようになった
弱っていた握力が元に戻り、歩行も楽になった
顔の歪みが戻り、動かなかった左手が動くようになった
うつ状態がなくなり、気力が出て、歩くのが楽になった
25年前に脳梗塞と診断された。この療法で、動かなかった右手が上がり、
左足もスムーズに動くようになった。趣味の射撃に復帰した。
☆この療法を行なうと、脳全体の血流が良くなり、機能が回復す
ることがあります。

 

(金澤点滴療法とは?)
人体の血管の長さはおよそ10万キロ。地球を2周半する長さです。
血液は血管の中を時速216キロというものすごいスピードで心臓
から送り出されます。その圧力が血管にもろにかかります。血管が
詰まり(狭窄)、その先に血液が運ばれなくなると、脳梗塞となります。
狭窄した血管を若返らせ、広げ、血流を良くするのが金澤点滴療法の
目的です。通常、10日間の入院で、点滴治療を行ないます。点滴液に
は4種類の薬剤が含まれていて、血小板の凝集を防ぎ、血管壁の炎症
を抑えるなど、症状の改善・回復を目指します。

詰まった血管が元に戻ることはなく、その先にある死んだ細胞が蘇る
ことはありません。しかしこの点滴療法で脳全体の血流が良くなり、
機能が回復することがあります。動かなかった手足が動いたり、
出なかった言葉が出るようになるの効果が現われます。回復率83%
という数値を得ました。

 

(本書の内容)
(1章)倒れても、あきらめない
(2章)回復した人たち
(3章)金澤点滴療法とは?
(4章)脳梗塞は未病のうちに治せ
(5章)脳梗塞にならない、再発しないために
(6章)命を見つめて
(あとがき)ちょっと良くなると、暮らしが変わる。

 

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著者について(本文より)

私が生まれて育ったのは青森県の西津軽郡というところです。
青森県の北に向かって二つの半島があります。左が津軽半島、
右が下北半島です。下北半島は斧のような形をして、恐山が
あるところなのでご存じの方も多いかもしれません。それに
比べて津軽半島は地味な存在ですが、竜飛岬とか十三湖、それに
太宰治の記念館「斜陽館」といった観光スポットがあります。
その津軽半島のへんぴな漁村で私は生まれました。

生まれたのは昭和12(1937)年ですが、子どものころ、
東北地方では働き盛りの人が脳卒中でばたばた倒れていました。
貧しくて十分な栄養がとれなかったこと、塩分の多いものを
たくさん食べていたこと、酒が好きだったことなどが原因だと
思います。

母方の祖父もその一人でした。漁師でしたが、頭も良く腹も
坐っていて、漁獲高も飛び抜けて良かったので、津軽半島一の
漁師だとまわりから一目も二目も置かれていました。自慢の祖父
でした。その祖父が、私が小学校低学年のときに、脳卒中で
あっけなく亡くなりました。まだ70歳になっていませんでした。
酒飲みで、漁のない日には朝から飲んでいたのを覚えています。

屈強な、スーパーマンのような祖父があっさり死んでしまったの
には、ショックでした。昨日まで元気だった祖父がいきなり倒れ、
そのまま旅立って行きました。子ども心に脳卒中の怖さを痛感し
ました。そして、祖父の命を奪った脳卒中とはどういうものなの
だろうと興味をもったのです。

当時、私の育った村やその周辺では、祖父だけでなくたくさんの
人が脳卒中で亡くなりました。村の人たちはだれかが亡くなるた
びに悲しみ暮れ、働き手がいなくなることで貧しさに突き落とされ、
希望をなくし、自分も倒れるのではないかと不安に怯えていました。
たぶんそのころ、私の頭に脳卒中を何とかしたいという思いが芽生
えていたのだと思います。

私は9人兄弟の5番目でした。父も漁師でしたから、本当なら
兄たちと一緒に魚をとって一生を過ごすはずでした。ところが私は
船酔いがひどく、漁に出てもまったく役に立ちません。漁師に向い
ていないと思いました。幸いなことになぜか勉強はできました。
中学時代の成績はいつも上位で、地元の中学から二人だけ青森県で
も進学校である青森高校へ進学し、その後、弘前大学医学部に進み
ました。当時は弘前まで出るだけでも大変なことでした。仙台や
東京の大学へ行きたいという思いもありましたが、そんなことは
夢のまた夢でした。母親から医者になるなら脳卒中か心臓をやれと
言われました。母も、祖父の死のことが心に残っていたのだと思い
ます。

そんな体験がベースにありますから、脳梗塞を未然に防ぐことや、
脳梗塞を起こした人が後遺症から回復して喜んでくれることがうれ
しくてたまりません。自慢だった祖父が「よくやった」とほめて
くれているような気がするのです(本文より)。

金澤武道(かなざわ・たけみち)

1937 年青森県生まれ。67 年弘前大学大学院医学研究科卒業。79 年弘前大学
医学部内科学助教授。81 ~ 82 年、86 ~ 87 年米国シカゴ大学大学院病理生
化学(主に細胞分子生化学を研究していたGodfrey S.Getz 教授)の下に留学。
88 年~ 2011 年医療法人芙蓉会村上病院院長。07 年国際未病科学センター所
長。12 年~ 14 年医療法人耕潤会ハートフルふじしろ病院院長。14 年~医療
法人大坪会東和病院にて脳血管内科医として現在に至る。日本内科学会、日本
循環器学会、日本動脈硬化学会評議員、日本老年病学会評議員、日本脳卒中学
会評議員、日本未病システム学会理事、日本高血圧学会、日本フリーラジカル
学会等に所属。主たる研究テーマは、動脈硬化の成因――とくに酸化LDL と
脳梗塞の成因と治療。診療・研究のモットーは「挑戦――改革――初心」。

編集者から

こういうお医者さんがいるとは嬉しい限りです。
編集子は、実際に入院して点滴治療を受けました。自分でもふら
つく、めまいなどの自覚症状があったからですが、何より、友達、
仕事仲間、後輩などが脳疾患で倒れるケースが多く、なかには、
ぼくと碁を打っていて、その最中にぐらっと横倒しになった友人も
います。15分後に近所の厚生年金病院(いま名前が変わっています)
へ運びましたが、脳梗塞でした。ぼく自身は入院治療でずいぶん
すっきりしました。バンバン遊び、かつ仕事をしています。あの
体験後、一年に一度、入院しようかなと思っています。

ぼくの周りに、脳疾患で倒れ、ろくに声も出せないでいる友人が
3人ほどいます。一度金澤先生の診断を受けてみたらと薦めている
のですが、なかなか腰を上げません。この本を真っ先に送ろうと
思っています。
金澤先生と仲良くなって以来、それに不安を持つかなりの友人を
病院に紹介しました。不快な言葉が返ってきたことはなく、むしろ
感謝されています。

タイトルは最初、『脳梗塞からの回復』でした。
でも何かが足りません。そこで、先生のお許しを得て「よかった、」
と付け加えました。ありがたい、よかった――と本当に感じたから
です。その不安を感じている人が、こういう医師に直接出会うように
祈っています。「よかった」と言われるように……(編集担当・山平)。

「ありがとう」100万回の奇跡

「ありがとう」はサムシング・グレートへの感謝の祈り (筑波大学名誉教授 村上和雄)

 

「遺伝子スイッチ・オンの奇跡」②

 

「ありがとう」100万回の奇跡

「ありがとう」10万回でガンが消えました。
以来ずっと、「ありがとう」を唱えていたら、不思議なことが続出するのです

 

工藤房美〈語り〉 木下供美〈聞き書き〉

 

ISBN978-4-938939-88-5
定価(本体1500円+税)

 

☆「ありがとう」10万回でガンが消えた
工藤さんは48歳の主婦。ある日「あなたは子宮頸ガンです。「余命1ヵ月」と告げられました

その病床へ『生命の暗号』という本が届きます。一読して驚いたのは、「人間のDNAのうち、実際に働いているのは 全体のわずか5%程度で、その他の部分はまだよくわからない」というところです

え、それなら?眠っている95%のDNAのうち1%でもオンになったら、私だって少しは良くなるに違いない――そう思いついた瞬間、著者は「ばんざーい!」と叫んでいました 病んでない目、鼻、耳、その他の臓器の細胞に「これまで私を支えてくれてありがとう」とお礼を言い、ガン細胞にも「あなただって支えてくれたのだから、ありがとう」と感謝を伝えました

ガンが消えてなくなるように祈ったのではないのです 10ヵ月後、ガンは消えました(12年前のことです)。

 

☆「ありがとう」100万回を超えた頃
以来、著者は「遺伝子が喜ぶ生き方」を生活の基準にします。

人にもモノにも一木一草にも、「ありがとう」と感謝し、それを日々実践する――そんな生き方です

そうすることで、遺伝子をオンにしていったのです

「ありがとう」が100万回を超えた頃です、不思議なことが続出します

妊婦さんのおなかの赤ちゃんが話しかけてきたり、見ず知らずの人から「久しぶり、元気だった?」と声をかけられたり、亡くなった人との魂レベルでのコミュニケーションとか、宇宙人がお店にやってきたり…… 意識が宇宙まで飛び出し、ますます不思議なことが続出しています。

 

☆目次
(オマージュ)「ありがとう」はサムシンググレートへの感謝の祈り(村上和雄) (プロローグ)「あとどのくらい生きられるとですか?」 (1章)遺伝子が喜ぶ生き方 (2章)宇宙とつながる (3章)希望を届ける (4章)元気になった人 (5章)大地が揺れた (6章)命を見つめて (エピローグ)楽しく、ワクワク生きる

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著者の近況

前著『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』(5刷り)の出版の後、著者のところには病に悩む人がたくさん訪ねてきました。著者は一人一人に自分の経験を伝え真剣に対応し、中には「ありがとう」を唱えることでガンが消えた人もいたそうです

著者は熊本でカレー屋さんを切り盛りしながら全国を歩き、「遺伝子をスイッチ・オンにすると、いいことがある」という村上説を、自分の経験とともに語り歩いています。東京、埼玉、秋田、北海道と、どんどん広がっています。今年はロス、サンフランシスコも回る予定だそうです。熊本の工藤から全国区の人になりました。お声がかかれば、小さな集まりにも出ているようです。

出版社から

眠っている遺伝子をスイッチ・オンする――この村上学説は大切な真理かもしれません。そうだとすると、テーマは絞られます。どうしたらスイッチ・オンできるか。

村上和雄先生は、「工藤さんの変化は、すごいねえ」と激賞しながら……

原稿を一読した村上先生は、「この人の進化は、すごいねえ」とべた褒めです。その先生から工藤さんに「あなたの弟子にしてください」という(ジョーク交じりの)電話がかかってきたそうです。先生は数年前の脳梗塞で舌がもつれるなどの後遺症があります。どうしたら実際に遺伝子をスイッチ・オンすることができるか、師匠は実践者である工藤さんに、その秘策を尋ねたかったのかもしれません。工藤さん、すごいですね!

毎日ときめいてますか?

毎日ときめいてますか?

☆ガン名医の健康放談

『毎日ときめいてますか?』

……いのちが躍動している……
それがいちばんの健康です。
数値なんて、まあ、どうでもいいのです。

 

帯津良一

帯津良一(帯津三敬病院名誉院長)

ISBN978-4-938939-87-8
定価(本体1400円+税)

☆ときめく……
朝から酒を飲む、
タバコを一服する、
好きな人に想いを馳せる……
生き生き、ホカホカして、いのちが弾んでる。
数値なんて、まあ、どうでもいいのです。

☆ポイント
いくら人間ドックの成績がよくても、それはたまたま値が正常値だった、ただそれだけのことです。逆に、生命の躍動さえあれば、少しぐらい乱暴なことをしたり、異常値が出てもいいのです。

☆内容
(はじめに)酒は朝から飲むもよし(1章)人間を「まるごと」診る医学(2章)生と死と悲しみと(3章)ときめいている仲間たち(4章)飲む、食べる(5章)ハメバラばなし(6章)さまざまな病(あとがき)健康ってなんだろう。

☆なるほど、思わず膝を打つ名医の放談!

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(さわり)

胸に燃え立つもの

医者になって半世紀以上たちますが、健康を考えるうえでいちばん大切なことは、内にあるダイナミズムです。これがないとダメなのです。これはフランスの哲学者ベルクソンが唱えた「生命の躍動」を指します。青雲の志や情熱と呼んでもいいでしょう。内に「ときめき」を秘め、志を持って生きる。そして、社会の一員として、他者に思いをやりながら粋に生きる。――これが理想です。

胸に燃え立つものを持っていなければ、「健康」とは定義しません。いくら人間ドックの
成績がよくても、それはたまたま値が正常値だった、ただそれだけのことです。逆に、生命の躍動さえあれば、少しぐらい乱暴なことをしたり、異常値が出てもいいのです。

射精は、エントロピーを捨てること

何歳になっても常に恋心、いわゆる性欲を持っていれば、免疫力が高まり、若さも維持できます。これは過去の偉人たちも証明している事実です。ドイツを代表する文豪ゲーテは七二歳のころ、一七歳の少女に恋をしました。フランスの画家ピカソは八〇歳のときに二度目の結婚をしました。ホメオパシーの父である医師ハーネマンが三度目の結婚をしたのは八〇歳です。彼らがその年齢までパートナーとセックスをしていたかは定かではありませんが、私が言う「恋心」とは、形を問いません。恋人のように心を通い合わせることができる存在がいるだけでいいのです。

だからといって「接して漏らさず」というのも体によくありません。これは『養生訓』の
貝原益軒先生の言葉ですが、率直に言って、私はこの言葉には賛成できません。なぜなら男性にとって精液を出す行為は、エントロピーを捨てることにつながるからです。エントロピーとは、「乱雑さの尺度」を指します。エントロピーが増大すると、体内に無秩序を引き起こす要因が大きくなり、病気になる比率が高まるのです。ですから精液を放出することは、息を吐くことや、汗をかくこと、大小便を排泄することと同様に、とても大切な行為なのです。人間の体の中で作られ排泄するべきものは、出すほうが自然ということです。

何かひとつ、行をやろう

50歳過ぎたら、何かひとつ行をやるといいですね。
私の大好きだった詩人の加島祥造さんは、生前、伊那谷のおうちに行くと、「これがおれの健康法だ」と、50年間続けた自彊術をやっていました。私の場合、最初、東大のころ始めたのが空手でした。初段を取り、卒業してもやるつもりでいました。ところが外科医というのは暇がない。おれは無理だなと思い、空手から足を洗いました。

楊名時先生は私の太極拳の師匠ですが、特にこれといって教えてもらったことはありませ
ん。酒ばっかりです。酒がぴったりなのです、二人には。
そもそもの接点は、うちの家内です。
家内が更年期になり、不定愁訴が多くなったとしきりにこぼすものですから、「太極拳で
もやったら」と楊名時先生を紹介したのです。彼女は一生懸命やるので、面白くなった。これは素晴らしいということがわかって、当時、作ったばかりの病院で取り入れようと院内に道場まで設けたのです。ところが患者さんに気功を教えようとしても、患者さんは自分が重症だということがわからない。当時はガン告知をする時代でなく、患者さんは誰も来てくれません。閑古鳥が鳴いていました。これじゃだめだと、「太極拳の教室を開け」と家内に言いました。すると入院している患者さんではなく、健康志向の近所の人が集まってきたのです。すぐいっぱいになりました。

一方、患者さんは消灯が九時ですから、朝が早い。みんなうろうろしています。これはも
ったいない。家内に「朝の教室を開いて、そこでも教えて」と頼みました。自分の子供のことや家の中の仕事もあるので、とんでもないと断られました。それじゃ俺に教えてくれ、休みの日に四時間もあれば覚えるからと頼みました。空手をやっていたから太極拳はなんとなくわかる。家内に教わった次の日から、私も教えるようになった。家内は家内の時間帯で、私は私の時間で教えるようになったのです。

諦めない

どんな大きな病を宣告されても、諦めず、失望せず、ときめきを持って生きる――他人か
ら「みっともない」「いまさらそんなことをしたって」と思われたって良いではないですか。
大病の宣告は「第二の人生」の宣告です。そこから「ときめき」を見つけ出すチャンスを与えられたことなのです。

だからこそ、宣告されたら、できるだけ酒を飲み、うまいものを食し、足腰を鍛え、敬意
を持って他人を敬い、他人に愛される生き方をしようとあがいてみましょう。
ガンはミステリアスな病。だからこそ、何が生命に作用するかわからないのですから。
医者の冷たい言葉で、絶望の淵に立たされている皆様に「ときめく」時間がありますように。

(編集者のメモ)

ガン医師の帯津良一さん。
知り合ってもう20年を過ぎた。
100回ぐらい酒を飲んだ。
しんどい患者の声を聞き、元気づけ、闘病戦略を語り合い、
うまくいったら、また世の中に送り出す(そうでない場合も多々あり)。
大変な仕事だな……といつも思っていた。

でもこの人は、まん丸お月さま。
怒鳴ったり、語気を荒らげたり、めげたり、しょげたりする場面を
見たことがない。
穏やか、乱れない、明るく、いつもにこにこしている。
天性のものだろうか、訓練のたまものだろうか。
えらいなあ、この人は――と、いつも思う。

でも、まん丸お月様にも、少し欠けたところもある。
まん丸の端っこに、ちょっとギザギザしている部分がある。
ぼくがそれを指摘しても、そうなんですよと笑ってる。
ギザギザ、欠点を補って余りある大人。
この人のそばにいると、なぜかホッとする。
つらいときには、元気がもらえる。

この本は健康“放談”、
朝から酒を飲むもよし、
タバコを一服するもよし、
好きな人に想いを馳せる、
生き生き、ホカホカして、いのちが弾んでる……。
それがいちばんの健康です、
数値なんて、まあ、どうでもいいのです、
という主旨。

週刊誌で“放談”中の長い原稿を、
帯津さんから「好きにしていいよ」と許可をもらい、
あるライターに手直しを頼んだ。
ネタは豊富にある。好きなところを勝手に選び、つなぎ
順序を替え、不足部分は帯津さんに書きたしてもらい、
再構築した一冊。

僕がライターとして選んだ人は、優れたドイツ語の翻訳者。
でもこの人、2度の手術を経た、闘病中のガン患者。
自分の経験に照らしながら、「なるほど、なるほど」と、
原稿を読み、合点できる部分をピックアップし、まとめ、
ようやくまとまった。

「いいまとめだね」と帯津さんのオーケーが出た。

巻末で、帯津さんはこんな風に締めている。
「たとえ余命一カ月と宣告されても「死に至る病は絶望」なのです。
今日の免疫と心の関係を知るはずもない時代の哲学者・キルケ
ゴールのこの言葉は実に正しい。
どんな大きな病を宣告されても、諦めず、失望せず、ときめきを持
って生きる――他人から「みっともない」「いまさらそんなことをしたって」
と思われたって良いではないですか。
大病の宣告は「第二の人生」の宣告です。
そこから「ときめき」を見つけ出すチャンスを与えられたことなのです。

だからこそ、宣告されたら、できるだけ酒を飲み、うまいものを食し、
足腰を鍛え、敬意を持って他人を敬い、他人に愛される生き方をしよう
とあがいてみましょう。
ガンはミステリアスな病。だからこそ、何が生命に作用するか
わからないのですから。
医者の冷たい言葉で、絶望の淵に立たされている皆様に「ときめく」
時間がありますように」

病人に、それが無理なら病人のそばについている人に、読んでほしい一冊。
元気が出ます。(文責・山平)

サレンダー

森の中で瞑想していた隠遁者は、
なぜ、どのようにして
巨大なIT産業の経営者になったか。

アメリカを代表するスピリチュアル教師(ティーチャー)マイケル・シンガーの「気づき」と成長のストーリー。

『サレンダー』
(THE SURRENDER EXPERIMENT)
my journey into life’s perfection

— 自分を明け渡し、
人生の流れに身を任せる —

マイケル・A・シンガー
菅 靖彦・伊藤 由里 訳

 

特設サイトはこちら

世俗的なことと、
スピリチュアルなことを
分ける考えが消えた。
流れに任せると、
人生はひとりでに花開いた。

自分の自己実現の道は、瞑想以外にないと
私は信じ切っていた。
だが、それは間違っていた。
人生は、他人への奉仕を通して、自分自身を
解き放つ方法を指南していた。

46ソフト336p
定価(2000円+税)
ISBN978-4-938939-86-1
風雲舎

発売(2015年6月)以来、「ニューヨークタイムズ」のベストセラーに昇りつめた話題の一冊です。

山川亜希子さんが、『サレンダー』についてコメントしてくださいました

~私の大好きな本です。本の読めない私が、あっという間に読んでしまいました。
~本当に読めないのです。目も良くないし、それ以上にじっくり本とむかえない。私は本から学ぶタイプではない、と言われてほっとしたことがあるほどです。(2017年11月、フェイスブックで)

~私たちがかなり前に訳した本、タデウス・ゴラス著『なまけ者のさとり方』には、人生のコツ、生き方の大切なルールとして、「抵抗しないこと」というルールがあげられています。起こってくること、宇宙があなたに差し出すことに、抵抗してはいけない、それを素直に受け入れなさい、すると人生はとても穏やかで楽で、しかも生き生きしたものになる、と書かれています。ちなみに、この本は薄くてすぐに読める本ですが、とても深い内容が愛を込めて書かれています。どんな方にもおすすめの一冊です。

もう一つ、最近読んだ本に、マイケル・シンガーという人が書いた『サレンダー』があるのですが、この本にはもっと詳しく、「受け入れの法則」を使ってみたらどんなことが起こったか、マイケルさんの体験が書かれています。もちろん彼は「受け入れの法則」という言葉を使っていませんが。

シンガーさんは大学院で経済学を学んでいましたが、本当に興味があったのは、心を静め、悟りを開くことでした。だから瞑想ばかりして、そのため広大な森の中に住むような青年でした。しかし、経済学の学生としても、きわめて優れていたようです。

彼はある時、「誰かが自分に何かを提案してきたら、好き嫌いを無視して、どんなことでもすべて受け入れる」という決心をしました。彼はとても優秀な人だったので、仕事や依頼がいろいろやってきました。あまりやりたくない仕事もあったのですが、すでに何も断らないで全部受け入れる、と決めていたのですべてOKしました。するとどうなったか……最初は乗り気でなかった仕事でも、どれも彼の人生を大きく発展させていったのです。そして何回もそのようなことが続いて、気がついてみると、大きなIT企業の経営者になっていたのでした。

マイケルさんはすこぶる優秀な人ですから、このお話は例外と思うかもしれません。自分はとてもそんなではないから、誰からの話も来ないし、来たしてもうまくいきっこない、なんて、どこかで思っていませんか?

でもね、それぞれの人にはそれぞれにふさわしいことが用意されています。または自分で得意なこと、この世ですることになっていることを決めてきています。だから、多分、マイケルさんくらい、優秀でないとうまくいかないよね、ということはないのだと思います。たとえば、普通の奥さんであるあなたに、ある日、友達からアルバイトのお誘いがあり、それに乗っていったら、ものすごく楽しくて自分のためになる仕事に発展するかもしれないのです。

ゴラスさんやシンガーさんの本の他にも、自分に起こったことにはすべてOKを出そうね、とか、起こってくることにすべてイエス、と言いましょう、などという本は数多くあります。ということは、「受け入れの法則」は決して私たちの発明品ではなくて、すでに生き方のコツのひとつとして、または生き方のルールとして、多くの人が使っていたり、知っていたり、推薦していたりしているのです。(山川紘矢・山川亜希子『受け入れの極意』(興陽館))

山川紘矢様・山川亜希子 様 公式サイト

▼ 続きを読む

(こんな内容です)

① 著者のマイケル・シンガーはフロリダ大学で経済学を専攻するのんびり屋の、マリファナをたしなむインテリヒッピーでした。時代はベトナム戦争の影響で、ヒッピー、マリファナ、LSDなどが氾濫し、カウンターカルチャーと呼ばれた
1960年代の激動期です。

② ある日友人とソファでのんびり会話を楽しんでいると、世間のあれこれについて、自分の頭の中の声が「これは好き、こいつは嫌い」とわめく声と、それをじっと見つめているもう一人の自分がいることに気がつきます。
頭の中に二人の自分がいる! これには驚きました。

③ その状況が高じてくると、頭はこんがらかってマイケルはすっかり辟易します。
こいつを黙らせる方法がないかと、フロイトや心理学の本をめくっても、答えはありません。ところが、「禅」の本にその答えがありました。頭の声を鎮める方法は、瞑想でした。

④ 小躍りしたマイケルは、瞑想三昧の暮らしに入ります。経済学や博士論文は、どうでもよくなります。「深く集中すると動揺はすべて溶け去った。そこには静寂と平和があった」……そんな気分です。

⑤ 瞑想三昧のマイケルは、自己実現の道は瞑想以外にはないと信じていたのですが、だんだんそれは間違いだと気づきます。

⑥ 他人とのかかわりが多くなり、他人に奉仕することが面白くなったのです。
他への奉仕を通して、自分を解き放つ……
それが人生の目的、それこそが完璧な人生の旅だと気づくのです。

⑦ 森の中で瞑想する隠遁者は建設業者となり、パソコンに夢中になってプログラマーに変身し、全米一といわれるソフトウエアを書き、やがてIT関連の企業経営者へと変身します。森の中の瞑想所「宇宙寺院」を営みながらです。
人生は、マイケルをとんでもない世界へ引っ張り出すのです。

◎読みだすと、これが面白い。ついつい明け方まで読んでしまいます。

◎おやこれは、ソロー『森の生活』、パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』に似ているな、と感じられるかもしれません。

◎そろそろ瞑想してみようかな……と感じたら、あなたはこの本を“読んだ”ことになります。

◎訳者の菅靖彦さんはマイケルと同じ1947年の生まれ。
人生の流れが自分に提示するものを受け入れ、精魂込めてやってみる、というこの一冊にぞっこんです。訳者の手になる『サレンダー』サイトをクリックすると、『サレンダー』とマイケルについての情報が詰まっています。

http://www.surrender.top/

『サレンダー』……目次

(イントロ)人生の流れに身を任せる

(第1部)目覚め
1章 叫びではなく、囁きと共に
2章 自分を知る
3章 禅の柱
4章 絶対的な静寂
5章 天国と地獄
6章 人生からの贈り物
7章 怯える人間
8章 予期せぬインスピレーション
9章 約束の地
10章 聖なる小屋
11章 汝僧院へ行け
12章 弟子に準備ができたとき、師が現われる

(第2部) 偉大な実験が始まる
13章サレンダーイクスペリメント
14章 人生に身を委ねる
15章 王子と乞食
16章 見えないものに従い、未知の世界へ
17章 初めての面接
18章 手綱を手放す
19章 教師になる
20章 刑務所訪問

(第3部)孤独から奉仕へ
21章 生きているマスターからの呼びかけ
22章 シャクティパット
23章 ゲインズビルに師を迎える
24章 寺院建立
25章 ハート・チャクラが開く
26章 再婚

(第4部) 宇宙の流れに委ねるビジネス
27章 ウィズラブ建設の船出
28章 正式な建設業者に
29章 コミュニティ・バンキング
30章 拡大する宇宙寺院
31章 クリエイチャーの変容

(第5部)お金では得られないもの
32章 パーソナル・セルフからパーソナル・コンピュータへ
33章 「メディカル・マネジャー」の誕生
34章 初期のプログラマー
35章 売り出す準備

(第6部)自然な成長の力
36章 ビジネス成功の基礎
37章 止まらない業界からの打診
38章 成長しつづける寺院

(第7部)暗黒の雲が虹になるとき
39章 頻発するシンクロニシティ
40章 新しいオフィスビルの建設
41章 未来への基礎づくり
42章 大いなる暗闇の時期

(第8部)爆発的な拡大
43章 「メディカル・マネジャー・コーポレーション」の誕生
44章 カルマ・ヨガ
45章 合併
46章 ワシントンに赴く

(第9部)トータル・サレンダー
47章 ガサ入れ
48章 主席弁護士との出会い
49章 合衆国vs.マイケル・A・シンガー
50章 『いま、目覚めゆくあなたへ』の出版
51章 憲法と権利章典
52章 神の介入
53章 振りだしに戻る

(訳者あとがき)――菅 靖彦

「スピリチュアルな修行が日常と協調するとき、驚くべき人生が展開する。
混沌の中に救済の光を投げる名品」
ジャック・キャンフィールド(『心のチキンスープ・シリーズ』の著者 amazon.com)

 

マイケル・A・シンガー(Michael A.Singer)

世界的ベストセラー『The Untethered Soul』(邦題『いま、目覚めゆくあなたへ』菅靖彦訳 風雲舎)の著者。フロリダ大学で経済学を専攻。大学院在学中(1971年)覚醒体験をして以降、瞑想やヨガにのめりこみ、森の中で暮らす。1975年、瞑想とヨガのセンター「宇宙寺院」を森の中に設立。クリヤ・ヨガの継承者であるパラマハンサ・ヨガナンダを師と仰ぎ、ムクタナンダ師、アムリット師らインドのヨギとの出会いを通して深い霊的体験を重ねる。その一方で、医療業務管理産業に革命をもたらしたソフトウェアを開発し、二千人以上の従業員を抱えるソフトウェア会社の最高経営責任者になる。本書の他に、『The Search for Truth(真理の探究)』『Three Essays on Universal Law: Karma, Will and Love(宇宙の法則に関する三つのエッセー:カルマ、意志、愛)』などの著作がある。

菅 靖彦(すが やすひこ)

マイケル・シンガーと同じ1947年、岩手県花巻市に生まれる。国際キリスト教大学(ICU)人文科学科卒業。翻訳家。日本トランスパーソナル学会顧問。自己成長や創造性開発をテーマに執筆、翻訳、講演を行なっている。著書に『自由に、創造的に生きる』(風雲舎)、『変性意識の舞台』(青土社)、訳書に『この世で一番の奇跡』(オグ・マンディーノ PHP)『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(ジュリア・キャメロン サンマーク出版)、『ブッダの脳』(リック・カールソン 草思社)、『いま、目覚めゆくあなたへ』(マイケル・シンガー 風雲舎)など。

伊藤 由里(いとう・ゆり)

熊本県水俣市生まれ。青山学院短期大学英文科卒業。ウェスタン・ミシガン大学に編入・卒業。早稲田大学大学院人間科学部にて医療人類学を学ぶ。豊富な瞑想体験を持つ。

工藤さんへの義援金、ありがとうございます

遺伝子スイッチ・オンの奇跡』の著者、工藤房美さんへの義援金の募集が終了しました。
2か月で、159人の方々から、総額1,193,624円の義援金が寄せられました。しかと工藤さんへお届けいたしました。
この「風雲斎のひとりごと」、風雲舎のホームぺージ、そして手紙などで、皆様にご報告中です。
工藤さんはとても喜んでいました。
厚くお礼を申し上げます。
本当にありがとうございます。

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