新着情報

熊本の工藤房美さんへ義援金を

熊本の工藤さんは、弊社『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』の著者です。

先日4月16日、『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』の講演会が東京・青山で開かれました。220名の方々のご参加を得て、大盛況でした。工藤さん、従妹の木下供美さん、村上和雄先生、そして何より皆さまのお力添えに感謝いたします。ありがとうございます。

翌日になって気づいたのですが、熊本の被害者の方々への祈りや義援金のことなどに触れるのを、ぼくは忘れていました。 続きを表示

【風雲舎 5月新刊】

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この素晴らしき「気」の世界
気と繋がる、あなたは今を超える!

清水義久(語り)
山崎佐弓(聞き書き)

気を読み、気を動かし、事象を変える
新進気功家の「気」ワールド。
その向こうに精霊が舞い降りる22のストーリー。

定価:1600円+税(ISBN978-4-938939-85-4)

~ぼくは美術館で、いろんな絵に向かって波動を送ることがある。
ダ・ビンチの絵はすごかった。気のボールを投げると、とても遠い。吸い込まれていく。その感覚がすごい。しばらくしてやっとエコーが帰ってきた。

しかし、東山魁夷画伯が描かれた唐招提寺の障壁画はそんなものではなかった。気のボールのエコーが帰ってこないのだ。
その絵の中に入ると、360度、無限の中にいる。なにひとつ反響がない。自分のエネルギーフィールドの感覚が失われていった……。これはダ・ビンチ以上だ(本文より)。

 

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本文より

政木和三先生の無欲の大欲

一九八〇年代半ば、アメリカの直感力センター(CAI)の主宰者であるスタンフォード大学教授・ウイリアム・カウツ博士がエジプトを訪れたとき、エジプトの神官が「あなたはこれから日本に行くことになる。日本に行ったら、マサキという人にこの石を渡してくれ。この石は昔からエジプトに伝わるものだ」との伝言で預かったという。博士は日本に行く予定なんてまったくなかったが、帰国するとすぐ船井総研からの依頼があり、日本に行くことになった。マサキとは何者かと船井幸雄先生に聞くと、それはたぶん林原研究所の政木先生だろうということで、カウツ博士は岡山に政木先生を訪ね、その石を手渡すことになった。先生はすぐ、「はい、これは私のものです」とためらいもなく受けとった。賢者の石だった。政木先生はこの石を持って林原健社長にいきさつを話すと、なんと彼も同じものを持っていた。「ぼくはずっと持っていたよ。君は持っていなかったんだね」と言われてしまった。二人とも、アトランティスで同じ時期に神官をしていた過去世があって、この賢者の石を所持していたということだった。

先生はポケットから手のひらに入るほどの円板状の石を出して見せてくれ、「これが賢者の石だ」と言われた。
びっくりした。賢者の石が目の前にある。さわってもいいと言われたので、おそるおそる手に取り、どんなエネルギーなのかと手のひらに置いてみた。
物質はどんなものでも固有の波動を持っている。この宇宙には波動がない物質なんてない。さらに、どんな人がそれを持っていたのか、時代をさかのぼって痕跡を感じることができる。少なくとも石のエネルギーがどんなものか、自分なりに感じることができる。賢者の石だったら、どんなことになるのだろうと心を躍らせた。しかし、意に反して、その賢者の石から、ぼくは何も感じることができなかった。
賢者の石はゼロの場になっていた。
天上の波動を吸収し、現実の波動もすべて吸収して、落とし込むことができる「空」の場だ。だから石自体からは波動が出ていない。
こういう石は見たことも聞いたこともない。まさに賢者の石だけだった。

笑いは本能

人は学習で笑いを獲得するのではない。
ほかの動物は笑わないし、人間にいちばん近い哺乳類、サルでさえも笑わない。
笑える生物は人間だけなのだ。
これは人間の本能には笑うことが組み込まれていることを意味している。もしこの
世界を創った神様がいるとしたら、神様は私たちを幸せにしてあげようと思ったに違
いない。幸せなときに、私たちは笑ったり、微笑んだりする。神様が人間を創るとき、
神に似せて創ったという話があるが、神様と同じように、笑うこともちゃんとプログ
ラムされたのだ。
赤ちゃんは神様にいちばん近い存在だ。
赤ちゃんに「いない、いない、バー」をやって見せる。「いない、いない」と言っ
て両手で顔を隠し、手を開いて「バー」と顔を見せてあげると、赤ちゃんは大喜びで
「キャキャキャッ」と声を立てて笑う。何度繰り返してもその笑いは続き、見ている
人は思わず微笑んでしまう。赤ちゃんの笑顔を見るとどんな人も幸せになる。だから、
私たちも赤ちゃんの真似をするといい。あるいは、 目の前にかわいい赤ちゃんがいる
と思って、あなたを取りまく世界に、「バー」と満面の笑顔を見せてやるのだ。木々
や周りの風景……すべてが喜んでくれるはずだ。

モノを大切にするといいことがある

なにかひとつ愛用品を持ってみる。消耗品ではなく、毎日使うちょっと高価なモノ
で、時計、アクセサリー、メガネ、パソコン、携帯電話でもいい。そして名前を付け
て、愛を注ぎ、大事にして、可愛がる。そして気を入れてみる。
それらが周りのほかのモノたちに語りかけるかもしれない。
「私のご主人は私をとても大事にしてくれるの。すごくいい人よ」と。モノからモノ
へと「あなたはいい人」という情報が伝わり、世界はあなたを味方する。
だからモノは護符になる。そして、あなたはより大きな世界と繋がって一体になり、
もっと大きな器になる。

編集者から

「なぜ清水さんの本を創りたいと思ったか」
山崎佐弓

5年ほど前のことです。高崎市に住む友人が、清水義久という「すごい」気功家がいるのでぜひ紹介したいと、私をその人のプライベートなセミナーに半ば強制的に連れていってくれました。
気功は15年ほど前から、矢山利彦先生、中健次郎先生、朱剛(しゅごう)先生、梁薇(りゃんうぇい)先生といった素晴らしい先生方から手ほどきを受けていました。健康のためばかりでなく趣味としても楽しんでいたので、その延長で「どんな気功かな?」と思って、友人の後に付いてのこのこ出かけました。
清水さんの講義が始まって10分もしないうちに、私は完全に「はまって」いたのです。不思議で、ワクワクして、知らなかったことだらけで、めくるめく時間というのはまさにこういうものだと感じながら、その後ずっと感動、興奮の連続でした。
セミナーでは、清水先生は原則的に「手からエネルギーが出る」と3回おっしゃってエネルギーボールを作る所作以外、講義がほとんどです。その内容たるや、これがなんといっても面白い! 見えない気の世界が目の前にワーッと広がります。プラスとマイナスの気のエネルギーの性質、気学というもの、チャクラやオーラの話、次から次にと出てくる話に耳と目が離せません。さらに古神道やら西洋占星術やら医療や心理学まで、360度オールラウンドの不思議な話が飛び出してくるのです。私の中の好奇心はどんどん膨らむばかりでした。
ある初参加の男性が自分の名前を書かされ、先生がその文字の上に指を当て、「あなたは思考力があるね、でも喉のチャクラが少し汚れているね」と言われていました。同様に私の名前にも指を当て、「んっ、何かやっているね」とかつぶやいて、先生はひとり勝手にうんうんうなずいています。この人の前でウソはつけない、何でもお見通しのようです。休憩時になると、だれかが名前を書いた紙を持ってきて、先生はその上に「エイッ」と気を投げかけて、お祓いしています。つまりこのセミナーは、まるで気の世界のメリーゴーランドに乗っているような感じなのです。
あるときは先生の誘導で、「新しい自分の再生」という瞑想です。
砂漠に横たわり、そのままそこで死を迎えるそれです。それまでの私はポロポロ崩れて砂と化し、その砂から新しい自分が生まれる――それが理想とする新しい自分の再生です。私はこれまでの自分に感謝しながら、気持ち良く誘導されていきました。終わると、心も体もなんだかとってもすっきりしています。その自分がとても愛おしく感じられました。ふと手のひらを見ると、手のひらが金粉に、いや金箔で覆われていたのです。いったい、これはナニ?

先生のセミナーを何度か受けるうちに、私はある若い女性を思い出していました。友人のお嬢さんで、20年以上ひきこもっているのです。人間不信と社会への不信で、ほとんど外出できません。彼女が繋がることができるのは、家族とテレビ、そして本の世界だけのようでした。もし彼女が清水先生のセミナーに参加できたら、彼女の心は少しでも解放されるのではないか、もっと外の世界に気持ちが向くのではないか――そんなことを私はぼんやり考えていました。
そのとき思ったのです、先生の本があれば、その本はこのセミナーの代わりになるのではないか。気のメリーゴーランド、瞑想、再生された自分、金箔に覆われた手のことなどなど、清水先生の場で、ゆっくりのんびり遊んでいる彼女の姿を思い浮かべ、そういう本があったらなあ――と、わりに真剣にイメージしている自分に気づいたのです。先生にそんな想いを漏らすと、「ごはんの祈り」を話してくださいました。気功ができなくても、簡単な祈りで自分を変える方法です(これは本文中にあります)。

この想いが膨らんできて、気が付いたら私は清水さんのセミナーを追いかける“追っかけ人”になっていました。気の世界によって、健康になれる、幸せになれる、成功する道が開かれる――そんな気持ちがますます大きくなったのです。ある日思い切って、清水先生にその想いを正直にお伝えしました。
「先生の本を創らせてください……!」
先生の本はそれまで出ていないので難しいかなと思ったのですが、意外や意外、その願いを先生はすんなり許してくださいました。しかし、先生は本当にシャイな方です。名前を出すことさえためらわれ、「山崎さんが、ぼくから話を聞いたのだから、あなたの名前で本にしたら?」との反応です。私の名前でなんて、とんでもない。版元の編集者にその件で相談すると、「おまえの名前で、いったい誰が買うのか」と叱られました。そうですよね、当たり前です。結局、清水義久(語り)山崎佐弓(聞き書き)ということで、お許しをいただくのにずいぶん時間がかかりました。
先生のセミナーを追いかけ、録音し、それを再生し、その内容をメモしたりまとめたり、耳にしたことなどを原稿としてまとめ、やっと22のストーリーになりました。もちろんこの間、何度も先生の加筆・訂正をいただきます。
こうして清水先生の初めての本ができました。
どれだけ自分が歓び、はしゃいでいるか、それを伝える言葉に詰まっています。私は少々舞い上がっているのです。これは私の宝物となりましたが、これを読んで下さるあなたも、もしこの本の中にあなた自身を幸せにする何かを見つけられたら、“追っかけ人”として、これ以上の嬉しさはありません。清水先生、ありがとうございます。みなさん、ありがとうございます(やまざき・さゆみ この本を企画し、一冊にまとめた編集者)。


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【風雲舎3月新刊】

左脳から右脳へ

左脳ガチガチの工学博士がはまった右脳の世界。
え、こんな世界があったのか?

 

心を使う右脳の空手
—筋力を使わずに相手を倒す—
東京大学名誉教授大坪英臣

人生の目的はこれだったのか!

●学究生活40数年、定年後の私は迷っていた●熱中できるものが欲しかった●無謀にもフルコン空手を始めた●武術空手(真義館)に出会った●麻山慎吾館長は神さまだった●筋力を使わない武術空手である●超人状態も経験させてもらった●右脳の活性化で相手を倒すのである●武術の本源は「愛」と知った。

ISBN978-4-938939-84-7

2016年 3月末発売

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著者はどんな人?

大坪英臣(おおつぼ・ひでおみ)

1943(昭和18)年栃木県宇都宮市生まれ。東京大学工学部船舶工学科卒業後、講師、助教授を経て工学部教授。現在東京大学名誉教授。船舶工学の世界的権威として数多くの論文を発表し、「有限要素法」という新しい構造解析法の基礎の確立および開発に貢献。日本造船学会会長、日本計算工学会会長、船舶・海洋構造物国際会議議長、日本学術会議会員を歴任。思考力を駆使してきた左脳人間があるきっかけで麻山慎吾師の率いる真義館空手(武術空手)の道にはまり込み、「人生の目的はここにあったのか」と思うほど、筋力を使わない右脳空手の静謐な世界を堪能している。真義館本部直轄東京道場責任者。真義館弐段。専門分野での論考は多々あるが、空手に関しては本書が処女作品。
真義館 shingikan-karate.jp

本文より

初めての試合

前へ前への突進の姿勢に、相手の下段回し蹴りが太腿に飛んでくる。蹴りを受けると私の身体はつんのめりそうになる。よろけながらも左右の突きを馬鹿の一つ覚えでやりまくる。山口さんはズルズルと後ずさりする。相手が後ずさりの方向を変えると、こちらの拳が空を切るが、かまわない。ひたすら突きである。ときどきお愛想のように上がらない足で蹴りを入れてみるが、とても効いているようには思えない。汗は音を立てて噴き出し、目はかすんでいる。鼓動が心臓を破りそうになる。会場から応援の声が飛んでいる。私への声援ではない。山口さんへ「下がるな、下がるな」との声援だ。唯一、甲高い女性の声が聞こえてくる。「大坪さん、がんばって!」。行きつけの焼鳥屋の夫婦が応援に来てくれて、その奥さんの声である。
左右の拳を交互にピストンのように突きまくる。少しずつ相手の身体が「く」の字に折れてきているような気もするが、本当に効いているかどうかはわからない。まったく余裕もないまま打ち続ける。もう何分経っただろう。早く終わってくれ。もう限界だ。
笛の音と同時に小豆の入った布袋が試合場に投げこまれる。試合終了である。両者無得点のまま引き分けられ、判定となった。二本の副審の赤旗と主審の赤の判定で、「勝者、赤!」と告げられる。赤は私だ。勝ったのだ。

 

学究生活

博士論文を書いているときは、朝遅めに大学へ行く前、それに大学から帰宅する前に、パチンコ屋に入ることが多かった。パチンコが好きだったわけではない。チンチンジャラジャラのすさまじい騒音にしばらく浸らないと、頭が熱を持ってフル回転するのが止まらなかったからである。極度に強い刺激を与えないと、研究内容が頭から離れないのである。全身を使っての闘争は全身に血が駆け巡るが、研究は頭だけの局所的な興奮で、いわゆる頭に血が上った状態である。
博士論文を書き上げて審査会に臨んだ。審査結果が合格になった時点で、今後の進路を最終的に決定しなければならなくなった。企業に就職するか学者の道を選ぶか、いろいろ葛藤もあったが、教授の勧めもあり大学に残ることにした。博士課程修了後ただちに一九七一年四月から東京大学工学部専任講師となり、翌年に助教授になった。二十九歳。以来、研究と教育に専念し、一九八五年に教授になった。四十二歳のときである。

 

思い出したことがある。

何年も前にスペインのアンダルシア地方を旅行した。現地で外国人相手のツアーを見つけてもぐりこんだ数日間の旅であった。ある晩、観光の定番であるフラメンコを見に行った。最初のうちは若く美しい女性達が次々と舞台に立ち、華麗で情熱的なフラメンコを披露していく。大いに満足していた。終わりに近づいて、というよりはそれが最後であったが、中年の太った、美しいとはお世辞にも言えない女性が一人舞台に立った。内心、「なんだ、これは?」と正直思った。ところが踊りが始まると、その印象は吹き飛んだ。

動きはゆっくりとしていて華やかさはないが、心が揺さぶられるのである。いつの間にか、涙が出はじめて止まらなくなっていた。感情の高ぶりなどはないのに、涙だけがとめどなく流れ出てくるのである。自分でも事の成り行きに本当に驚いた。見ているものに感動しているのではない。魂が揺さぶられたのである。後のガイドの説明で、彼女は人間国宝レベルの踊り手であることがわかった。芸術の力が心底わかった。魂が歓ぶのである。

 

スポーツ空手から武術空手へ

スポーツ空手にとって重要な、興奮をもたらす闘争心、相手を打倒しようとする気迫、頭に浮かぶ戦術、技の手順――これらは武術空手にとって役に立たないどころか、上達を妨げる主要因であることを、初め私は知らなかった。武術空手の稽古が進むにつれて、相手を崩す条件が、それまで考えていたスポーツ的なものとは正反対であることが徐々にわかる。今まで正しいとしてきた常識を棄てなければならないし、無意識に力を出す身体の動きを止めなければならないので、大いなる混乱をもたらす。
倒すための主たる条件は内面的な動きであり、それは目に見える形で明示されないので、最初はお手上げ状態になる。目的は相手を倒すことであるが、「倒そう」と思うこと、倒すために無意識に生じる力が大敵なのである。「倒す方法」を頭に浮かべてもダメ。
これは今までの身体と頭脳の使い方に対する全否定である。悪いことに、相手を崩す条件が一〇〇点満点で満たされないと相手は崩れてくれない。現実の世界ではオマケというものがあり、九〇点なら大いにけっこうで、六〇点でも合格とするのが普通であろう。獲得点に応じた成果が得られれば、悪いところを改善してさらに良い結果を得ようとする努力に励みがつく。スポーツはそういうものだ。努力すればするほど成果が出る。
しかし武術は厳しい。満点でなければ相手は崩れてくれない。つまり成果はゼロである。途中の努力は一切評価されない。ただし、武術習得の救いは、いったん条件の満たし方が身につけば、その後はずっと倒せる。スポーツ空手なら、肉体的に衰えれば勝てた相手にも勝てなくなる。

 

超人状態!

~全身に気が通った感じがした。皮膚の表面を鳥肌立つ感覚が脛から上に這い上がってきた。血の気が変わったと感じた。と同時に、心の動きが止まった。静寂の中にただ居る――そんな感じである。
私の変化に館長はすぐ気がついた。というより、館長がその変化をもたらしたのだ。「大坪さん、私がこれから攻撃します」と言って、最初は追い突きをした。私は手だけをひらりと動かした。自分の意志で動かすというより、自然に手が動いた。それも、ただ空中を払った感覚である。心は静かに落ち着いており、一切波のない鏡のような水面が静寂の中にある。意図したり、考えたりすることはできない。次の瞬間、館長が倒れた。
ある支部長は、私のこの状態を「超人ハルク状態」と呼んだ。以来、この状態を求めているが、残念ながら一度も経験していない。

 

館長は言う、

「武術空手を習得する素晴らしい方法があります」
皆はこれから開示される秘伝をひと言も聞き洩らすまいと固唾を呑んで待つ。
「それはサンチンです」
ひたすら型をやれということである。
館長に型をやる上での上達の秘訣を聞いたことがある。
答えはひと言、「正しい稽古」であった。正しくないと無意味なのである。努力賞はない。その答えを聞いたときは、「正しさ」がわからないのにどうすればよいのかとしばし途方に暮れた。
武術には正しさを教えてくれる師が不可欠となる。我々にとって館長が師である。館長は人としての師を持たなかったにもかかわらず、今の高いレベルに達している。館長にとっての師は型そのものである。型の正確性を求めてとことん稽古することで、より深い「正しさ」を引き出せるレベルに達しているからである。

 

「武術は愛だ」と館長が確信したとき

二〇一五年の夏のある日、道場の前の道路で酔っ払いが寝ていたことがある。その横で、友人が途方にくれていた。起こそうにもびくともしないからである。悪いことに、酔っぱらいは車道に身体を半分出していた。そこに館長が道場から出てきたのである。館長はそのままでは危険であると思い、酔っぱらいの身体に手をかけて肩に担ぎ上げようとした。その瞬間、酔っぱらいの身体が自分で飛び上がったように館長の肩に担ぎ上げられた。
「酔っぱらいの身体は『夏掛け布団』のように軽かったのです」と館長は言う。酔っぱらいの友人はあっけに取られて「介護の方ですか?」と少し的外れの言葉を口にした。後で述べるマザー・テレサ現象が起きたのである。こうして館長は「愛」が常に体現できる身体になっていた。

 

解説

左脳から右脳へ――大坪英臣氏のコペルニクス的転回

岩崎 芳史

大坪英臣氏、七十三歳、東京大学名誉教授。現役時代は船舶工学の世界的権威として数百の論文を発表し、日本造船学会会長、日本計算工学会会長、船舶・海洋構造物国際会議議長、日本学術会議会員を歴任し、「有限要素法」というまったく新しい構造解析法の基礎の確立と開発に貢献した男。彼はひたすら考える力、思考力を縦横無尽に駆使してきた、まぎれもない左脳人間であった。
その男が今から七年ほど前の二〇〇八年一一月に、共に所属しているロータリークラブの例会で、「空手大会で準優勝した」と突然宣わった。空手を始めてわずか四ヵ月の六十五歳の初老が、決勝戦で黒帯の選手を相手にしたとの信じがたい話である。これを聞いた会員達は「あの男は突然何を始めたのか?」「頭が狂ったのではないか?」と疑った。よりによって空手の中でも最も野蛮と思われる直接打撃や蹴りを加えるフルコンタクト空手だという。
この男はそれからどっぷりと空手にはまり、翌年は再び同じ相手を決勝戦で打ち破って優勝し、年齢を考えると驚異的な速さで三年後に初段に、六年で弐段に駆け上がった。今や真義館本部直轄東京道場の指導者である。
大坪が最初にはまった空手は、突きや蹴りなどパワーやスピードで相手にダメージを与える力学に依存するスポーツ(格闘技)空手であった。それが、初段を取るあたりから、筋力をまったく使わないで相手を倒すという怪しげなものに変わった。今から五年前の二〇一一年四月、円心会館から独立して真義館(本部大阪)を立ち上げた麻山慎吾館長の指導を受けはじめてからである。
私は話を聞いてそんなことができるのかと大いに疑問を持ったが、力も運動神経もいらないと力説するので道場を覗いてみることにした。そこで大坪の披露する術に正直驚愕した。
同じ年齢の自分にも可能性があると錯覚し、五年前の真義館誕生の年に入門することにした。弟子としては、「大坪先生」と呼ばなければならないが、同学、同年齢の友人としてなら「大坪」で許してもらえるだろう。
現実は厳しく、低迷する私を見て、幕末三剣士の一人斎藤弥九郎の血を継ぐ妻も入門する話は本編の中に紹介されている。
その空手の基本は、力を抜き、下丹田(へその下)に気を落とし、中心をぶらさないで身体を整え、その身体を保って相手に愛を惜しみなく与える。相手はこれで無力化され抵抗できない。まるで赤子を抱くように優しく倒す、武術空手である。
空手発祥の地、沖縄で古くから伝承されている「サンチン」をはじめとする五つの型を正確に習得することで身体をつくっていく。また型通りの動きをするだけで、相手の身体が固まり、倒れるというから、常識では考えられない空手である。どうも型をやりこむことで身体が統合化され、手足の動きが身体の中心につながった動きになるらしい。このとき思考は停止し、右脳が最大限に活性化する。右脳主体のまま動くことにより、相手の頭脳活動を攪乱する右脳空手のようだ。
右脳の話は、左脳のような論理では説明できない。
この本は基本的には初老の冒険体験談であるが、武術の原理もなんとか理解しやすいようにと努力して書いている。試みは画期的であり、武術空手に触れている人にとっては大いに得るところがある。ただし、どれだけの一般読者がこの部分を理解できるか心もとない。
力も運動神経も使わず、ただひたすらに研ぎ澄まされた右脳に依存する空手は、空手道流派多しといえども真義館以外あまりないと思う。筋力にもスポーツの才能にも頼らないということは、むろん年齢や男女差は関係ない。現実に大坪道場(本部直轄東京道場)の弟子の最高年齢は男八十三歳、女七十六歳であり、六十歳以上の人も多く、女性の比率も四〇%近い。みんな喜々として参加して、相手の成功に拍手し、互いに教え合い、稽古場は明るく笑いが絶えない。稽古を重ねるにしたがい、体幹が強くなり、身体が強靭になっていくのがわかり、面白くて休めない。
なぜこのような空手クラスが存続するのか。
この本で武術空手に、あるいは人間の能力の不思議さに興味を持たれた皆様には、ぜひ一度大坪道場に来訪されて、自らその答えを体感していただけると幸いである。
(いわさき・よしふみ ゆうちょ銀行取締役 三井不動産販売㈱元社長)


遺伝子スイッチ・オンの奇跡

「きみはガンだよ」と、著者は宣告されました。
進行が速く手術はムリ。放射線治療、抗ガン剤治療を受けますが、
肺と肝臓に転移が見つかり、とうとう「余命1ヵ月です」と告げられます。

著者はどうしたか……?

「ありがとう」を

10万回唱えたら

ガンが消えました!

『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』

(余命一ヵ月と告げられた主婦)工藤房美著

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「自分の奥深くまで届くような“我を忘れる深い祈り”は、眠っている潜在的な力を呼び起こすのです」

(筑波大学名誉教授)村上和雄

 

(ISBN978-4-938939-83-0)定価(本体1400円+税)
10月30日発売


こんな手があったんだ!

●「手術はムリです、余命一ヵ月」と告げられて、著者は呆然自失としていました●その病床へ『生命の暗号』(村上和雄著)という一冊の本が届きます。一読して、著者は驚きました●いちばん驚いたのは、「人間の遺伝子のうち、実際に働いているのは全体のわずか五パーセント程度で、その他の部分はまだよくわかっていない」というところです●これを読んだとき、閃いたのです、それなら眠っている残りの九五パーセントの遺伝子が目を覚ましてオンになったら、私だって少しは良くなるに違いない……そう閃いたのです●それに気づいた瞬間、「ばんざーい!」と大きな声で叫んでいました●まず病んでいない目、鼻、耳、その他の臓器の細胞に「これまで私を支えてくれてありがとう」とお礼を言い、ガン細胞にも「あなただってこれまで支えてくれたのだから」と「ありがとう」と伝えます●ガンが消えてなくなるようにと祈ったのではないのです●十ヵ月後、ガンはすっかり消えていました。

 

村上和雄先生からのオマージュ

自分の奥深くまで届くような“我を忘れる深い祈り”は、遺伝子のオン・オフの働きを呼び起こすことができるはずです。心の底からの願いは自我レベルにはないのです。つまり、奥にある本当の自分(真我(アートマン))に働きかければ、眠っている潜在的な力を発揮できる、というのが私の考えです。彼女は素直な心で、それを実行してくれたのです。

工藤さんと村上先生の講演会は盛況裡に終了いたしました。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

紹介ビデオ

「みやざき中央新聞」社説11月2日号にて本書の紹介いただきました。
下記よりお読みいただけます。

眠っている遺伝子をオンにしてみよう(「みやざき中央新聞」編集長)水谷護人

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本文より

●いちばん驚いたのは、

「人間のDNAのうち、実際に働いているのは全体のわずか五パーセント程度で、そのほかの部分はまだよく分っていない。つまり、まだオフになっているDNAが多い」

というところです。

これを読んだとき、それなら、わたしの眠っている残りの九五パーセントのDNAのうち、よいDNAが一パーセントでもオンになったら、今より少し元気になるかもしれない……と、ふと思いついたのです。つまり、わたしの眠っているDNAが目を覚ましてオン

になったら……?

と連想したのです。

……そして次の瞬間、

「ばんざーい!」と叫んでいました。

大きな声で、「ばんざーい! 人間に生まれてきて良かった!」

と人目もはばからず、真夜中の二時、大声で叫んでいたのです。相部屋のガン患者さんは睡眠薬を飲んで爆睡しています。私はいくら眠れなくて辛くても、入院中、睡眠薬を飲んだことはありません。このときも暗い病室で、こうしてこのタイミングで届いてくれた本を握りしめ、ひとり感動していました。明日の治療のことを少しでも忘れられるならと読み始めたこの本に、そのとき私はこんな大きな希望をいただいていたのです。

 

●まずはガンではない部分から始めました。

見える目に、ありがとう。私の大切な人が見えることに、本当にありがとう。幼いときの子供たちの笑顔。透き通った青い空。今でも鮮明に思い出せます。見えるおかげで、消すことのできない大切なすてきな思い出がたくさんあります。見える目にありがとう。目の遺伝子にありがとう。

聞こえる耳に、ありがとう。愛しい人の声が聞こえることにありがとう。楽しい笑い声、自然の中の鳥のさえずり。風の音。私を癒してくれたたくさんの優しい音楽。私の耳にありがとう。耳の遺伝子にありがとう。

動く手にありがとう。愛しい人たちに触れることができることにありがとう。料理を作ったり、手紙を書くことができること。手をつないで、暖かい手のぬくもりを感じられることにありがとう。手の遺伝子にありがとう。

動く足にありがとう。行きたいところに連れて行ってくれることにありがとう。足の遺伝子にありがとう。

髪の毛にありがとう。

働いてくれている心臓にありがとう。ありがとう。

身体のどの部分に、どれくらいの細胞と遺伝子があるのか分かりませんでしたが、ずっとずっとありがとうを言い続けました。

そのうち空が明るくなってきました。夜が明けたのです。それでもずっと、ありがとうを言い続けました。一つひとつに心を込めて、二回目のラルスの治療が始まる時間まで言い続けました。

 

●夜中の三時を過ぎた頃でしょうか、突然、洗面所のドアが開きました。高校二年生の次男が立っていました。次男は、髪の毛が一本もない私の頭と、その抜け落ちた髪の毛を握り締めて泣いている鏡の前の私の姿を見た瞬間、こう言いました。

「おかあさん、この特別な状況を楽しまなんよ(楽しまないとね)!」

びっくりしました。想像もしなかった息子からの励ましの言葉です。こんな意外な息子の言葉に、「この状況は特別すぎるでしょう!」と突っ込みたくなりましたが、「え? この状況を楽しむの?」と返すのが精いっぱいでした。

そして尋ねました。

「優くんなら、どがんして楽しむ?」

すると息子は、

「いっつもせんような化粧ばするたい。そしていっつも着らんような服ば着るたい。僕がバイトでカツラば買うてきてやるけん」と言ってくれたのです。

著者プロフィール

工藤 房美(くどう・ふさみ)

1958年宮崎県生まれ。3児の母。48歳で子宮ガンを発病。手術もできないほど進行しており、放射線治療、抗ガン剤治療を受けるが、肺と肝臓に転移が見つかり、「余命1ヵ月」と宣告される。その病床で、村上和雄著『生命の暗号』(サンマーク出版)に出会い、遺伝子の働きに深い感銘を受け、60兆個の細胞に感謝し、抜け落ちた髪の毛一本一本にも「ありがとう」を言い続ける。10ヵ月後、全身からガンはきれいに消えた。完治後、村上和雄教授の勧めで、自らの体験を語り歩く。以来、自分の遺伝子が喜ぶ生き方を選択。現在インド・ネパール料理店を開き、2店舗を切り盛りしている。

担当者より

風雲舎の集まりによく参加して下さる木下供美さんというご婦人がいます。三人の子どもさんを連れて、保江邦夫先生、並木良和さんの集会などにわざわざ宮崎県からお出でになるのです。航空費、ホテル代を入れると、大変なご出費だろうと、ぼくは思っていました。

彼女からある日電話がありました。仲良しのいとこの原稿をぜひ風雲舎から出版したいというのです。鹿児島に所用で出向いた際に、木下さんとご一緒に著者の工藤房美さんに会い、直にお話を伺いました。

「え、そんな……」と、その内容にびっくりしました。

 

工藤さんは子宮ガンと宣告され、あれこれ治療を受けますが、打つ手がなく、とうとう最後に「余命一カ月です」と告げられます。息子たちに遺書をしたため、衣類や靴を整理して、静かにその準備を整えています。そこに『生命の暗号』という村上和雄先生の著書が届きました。それを読んで、彼女は頭をぶんなぐられるような衝撃を受けます。そこには、

「人間の遺伝子のうち、実際に働いているのは全体のわずか五パーセント程度で、その他の部分はまだよくわかっていない」とあったのです。彼女はその部分を読み、こう閃いたのです。

「それなら眠っている残りの九五パーセントの遺伝子が目を覚ましてオンになったら、私だって少しは良くなるに違いない……その瞬間、『ばんざーい!』と大きな声で叫んでいました」

 

彼女は、遺伝子がスイッチ・オンになる方法――「ありがとう」という感謝の言葉をおよそ十万回ぐらい唱えたのです。まずは元気な部分に、次いで患部のガン細胞に。

十ヵ月後、ガンはきれいに消えていました。

 

村上和雄先生に彼女のことをお尋ねすると、
「そう、工藤さんのことは良く知っているよ」とおっしゃいます。

「先生、それならぜひ序文を書いてください」とぼくは頼みました。

「いいですよ」と村上先生。

その文章がすばらしいのです。

 

「自分の奥深くまで届くような“我を忘れる深い祈り”は、遺伝子のオン・オフの働きを呼び起こすことができるはずです。心の底からの願いは自我レベルにはないのです。つまり、奥にある本当の自分(真我­=アートマン)に働きかければ、眠っている潜在的な力を発揮できる、というのが私の考えです。彼女は素直な心で、それを実行してくれたのです。

 

いい言葉ですね。

こうして工藤さんは無事に生還しました。この後、彼女は村上先生の大ファンになり、先生の本を読みつくし、お二人は仲良しになります。

 

ところがある日、夢の中に、

「自分だけ治ったからって、それでいいの?」

というような言葉が降りてきました。

おまけの人生、これまでの暮らしではいけない――。

彼女は、村上先生の本で読んだ「遺伝子が喜ぶ暮らし」をしようと、それまでの仕事を辞め、知り合いのネパール人の求めに従って、カレー屋さんを開業します。お金のためではなく、調和のある暮らしを目指しての選択です。村上先生の言う「サムシング・グレート」の存在に気づいたのです。ガン完治後、彼女は何か大きなものの存在に気づいたのです。このあたりもすてきなお話です。

編集していて、こころが温かくなりました。では、本文をどうぞ。

ありがとうございます。(山平)


悲しみ、苦しみを超えて『すべておまかせ』

雪田幸子著

そうか、こういう人生もあったんだ!
満州引き揚げ婦人、波乱万丈の80年。 

試練の果てに、「光を運ぶ人(ライト・ワーカー)」となった一歌人の80年

これでもかこれでもかという試練を受けながら、心を正し、まっすぐ歩み、ついに「光を運ぶ人」となった一歌人のドラマティックな人生。

 

(ISBN978-4-938939-82-3)定価(本体1400円+税)
7月下旬発売


昭和20年、敗戦前後の満州。
召集され出征した父、ダダダダーンという機銃掃射の下で
逃げ回った高粱畑、チフスによる高熱、血便。髪は抜け落ち、
身体中の吹き出物をかきむしっていた著者。それに感染して
亡くなった母、残留孤児となった弟と妹。帰国して肺結核。
つかの間の幸せを得たものの、70歳過ぎの脳梗塞、慢性
硬膜下血種――誰とも話したくない、電話にも出たくない。

そこから彼女の本当の人生が始まった。

> 続きを読む
辛いこと、悲しいことを突き抜け、恨まず、怒らず、すべてに
赦しを与え、「すべておまかせ……」という揺れのない心に到達。
唯一、転ばないように気をつけています。
著者 22才の時。療養所にて(本書 第2章)

2章-22才療養所にて

目次

(はじめに)いま輝きの人……迫 登茂子

《第1章》生かされて

満州へ
内気で、一人遊びが好きな子供
「あなたの洋服を着てみたい」
わが家の人々
日本が敗けた日
父が出征して三カ月後の終戦
発疹チフス――弟、妹との別れ
帰国

《第2章》初恋の人

結核を発病
俳句、短歌に親しむ
父の戦死の知らせ
初恋の人
呼吸をしていない彼
夢で見た観音さま
大阪へ
母の叱責
今の夫との出会い
書を学ぶ

《第3章》「かんのんじ、かんのんじ……」

坐禅で、変わりたい
「ものひとつもたぬ袂の涼しさよ」
我執が出たらお経を唱える
無関心の悲しさ
ご詠歌とのご縁
お金の苦労、九段会館で働く
大恩人
観音さまに護られていた私

《第4章》妹、弟……五十年ぶりの再会

夫の転勤
もしかしたら妹?
弟と五十年ぶりの再会
「異国の姉弟が相見守り生きた五十年」(「家庭主婦報」)
図們市、日本人難民収容所の兄妹
入党直前、日本人だと知る
思いがけない国際電話
この世で終わらない姉弟の情
育ててくださった中国の方に感謝します

《第5章》迫登茂子先生と「十一日会」

「十一日会」という不思議な集まり
ハートのお月さま、そして蓮の花
永平寺東京別院にて在家得度
脳梗塞!
誰にも会いたくない
太陽さんありがとう
3・11東日本大震災
慢性硬膜下血腫!……
迫先生に書いていただいたお守り!

《第6章》すべておまかせ

ハートの月と不思議な夢!
みなさん、ありがとうございます……
不思議な体験!

(あとがき)父、母、兄弟たち、そして私のための小さな歴史

雪田幸子・歩み

著者プロフィール

雪田幸子(ゆきた・さちこ) 1935(昭和10)年大阪市生まれ。1歳未満で一家と渡満。41年遼(りょう)寧省(ねいしょう)鞍山(あんざん)小学校入学。45年吉林省図們(きつりんしょうともん)市に転居。同年5月召集令状により父牡丹(ぼたん)江(こう)に出征。8月15日敗戦。46年発疹チフスに罹患。4歳の弟、2歳の妹を10歳の著者に託し母死す。9月新京(長春)、奉天(瀋陽)、コロ島を経て興安丸で帰国。小、中学校を終え佐世保南高等学校入学するも肺結核のため退学。54年短歌結社「形成」に参加。その縁で初恋の人と出会い婚約。国立療養所「清光園」に入院。肺切除に成功退院。61年大阪にて就職。62年シベリア抑留中の父戦病死との知らせを受く。東京本社に転勤。65年雪田鴻一と結婚。66年書道を学ぶ。75年観音寺にて坐禅修行。86年残留孤児となっていた妹節子(韓素雲)と、95年弟保定(王強)と再会。2000年「十一日会」迫登茂子師の笑顔に出会う。06年在家得度。08年脳梗塞により右半身不随。車椅子暮らしとなる。12年慢性硬膜下血腫。15年「すべておまかせ」という心境に達し、転ばないように気をつけて暮らしている。

本文より

毎朝、日の出を拝みたくて、病室の東側の窓に車椅子で移動して日の出を待ちます。空と山をまっ赤に染めて太陽が昇ってきます。どんどん迫って来ます。いつものように、「太陽さん、ありがとうございます」と手を合わせて目を閉じます。片手なので、心の中の合掌です。いつの間にか太陽さんにそっくり抱かれているのです。あら、私が太陽になったのかしら? とても熱くて眩しい! 木の葉も飛ぶ鳥さえもニコニコ笑っているようです。景色が今までとはガラリと違うのです。あ、私は生まれ変わった!
お腹の底からクックックッと笑いが込み上げてきて、何を見ても、何を聴いても、嬉しくて嬉しくて、笑いが止まらないのです。つられて同室の皆が笑います……。(本文より)

編集者のメモ

————————————
「十一日会」という集まり
———————————–
迫登茂子さんという、神のお言葉を取り次ぐシャーマンご婦人
がいる。シャーマンといっても、おどろおどろしい霊能者の表情
ではなく、笑顔のきれいなおばさん。理屈ではなく、感性の人。
神からのご意志に感応して、「自動書記」といわれるスタイルで、
神のお言葉をワアーっと紙に書く。もう何万枚書いたか数知れ
ない。

その例会が「十一日会」という集まり。雨が降ろうが嵐になろ
うが、例の3・11だろうが、毎月11日になると、小金井市の
彼女の自宅で続いている不思議な時空間。老若も、男も女も、右翼
も左翼も関係なし、誰でも、いつでも歓迎の集会。

僕は20年ほど前からこの会には顔を出していて、もう最古参の
メンバーになったようだ。何がいいかというと、ここで過ごす数
時間は、世間と離れ、俗塵を洗い流し、心身ともに清められ、
ほっとするから。
———————————-
雪田幸子さんという歌人
———————————
10年ほど前にこの会で出会ったのが雪田幸子さん。
1935(昭和10)年生まれだから、ちょうど80歳。
1年ほど前、彼女が生い立ち、来し方をこの席で話したことがあっ
た。
満州で過ごした小学5年生までの平穏な時代、敗戦間際から日本に
引き揚げるまでの苦労、敗戦間際に兵隊にとられた父、1946年
頃の大混乱の満州で、腸チフスにかかって40度の高熱と血便が続
いたこと、それに感染した義母が、10歳の彼女と4歳の弟、2歳
の妹を残して亡くなったこと、10歳の彼女にはなす術がなく、
二人は残留孤児として生き別れになったこと。

へえーとぼくは驚いて話に聞き入っていた。
半端な苦労ではない。すさまじい身の上話が続いた。

佐世保に引き揚げて高1で肺結核にかかって中退したこと、
国立療養所に入院して前後9年間の闘病生活を送ったこと、
短歌のご縁で初恋に人に出会い、婚約したものの、彼は薄命だった、
つかの間の幸が訪れ、人並みに結婚生活を送ったこと、
姑との確執、夫の大借金、パート勤め、
自分とは何かを求め、座禅を求め、仏門に帰依したこと、
70歳過ぎ、脳梗塞で片マヒになった。
右半身が動かなくなり、車椅子暮らし、杖一本が頼り。
誰にも会いたくない、電話に出たくない日々――、

そんな自分史を淡々と語って、彼女の話は終わった。
みんなびっくりしていた。
日頃の彼女のしとやかな、垢抜けした、貴婦人のようなたたずまい
から想像もできないようなすごいお話だった。
そんな背景があったとは僕も知らなかった。
—————————————————
一からパソコンを習って書いた自分史
—————————————————
誰かのお話を聞き、「書いてみませんか」
と誘うのが僕の商売です。
このときも、僕は「雪田さん、書いてみない、遺書のつもりで……?」
と彼女に声をかけました。それほど強烈な彼女の自分史に、僕は感動
したからです。

こういう場合、通常、人は、まず書かない。
書こうと思っても、書けない。
素人には無理のないことです。
ところが1年ほどたった頃、驚きました、
「はい、書きました」と言って、雪田さんは原稿を送ってきたのです。

彼女は右半身が動きません。
ペンも筆も昔のように使えません。
不自由な左手の人差し指と中指を使って、パソコンを一から習い、
何度もやめようと思いながら、「はい、書いたわ……」とやり遂げたの
です。

もちろんヘボです。
でも事実がありました。
経験した人でなければ書けない真実がありました。
こういうたぐいの本は多々ありますが、どの作品と比べても遜色の
ないすばらしい原稿です。
「嘘のない事実だけを書いた」からです。
そこから編集作業が始まりました。
途中、ケンカもしました。
編集者のエゴが出てきて、彼女とぶつかるのです。
ケンカをすると、迫さんが、
「あのね、あんたがたね……」と優しく説教なさるのです。
迫さんのありがたいお話を20年も聞いていながら、僕は恥ずかしく
なって雪田さんに謝りました。

そうしてできたのが、この一冊です。
7月末に店頭に出ます。
もともと雪田さんの自分史ですから、私家本、つまり本屋さんの
店頭に並ばないそれをイメージしていたのですが、いい出来なので、
一般書として公刊することにしたのです。
————————
歌人としての著者
————————
著者はなかなかの歌人です。
いい歌がいっぱいあります。

戦争を契機となして負ひて来し不幸は吾のみにあらずと思ふ

われを惹く何かは知らず花冷えの仏像展に一日過ごしつ

ルノアールの絵を見たき思ひしきりなり今朝のこころの棘(とげ)棘(とげ)として

夜の闇に一つ浮かびし街灯のまたたきよ生きて何を為し来し

肉親の縁薄く生きてきし吾に常に温かき他人との愛あり

私とは何者なるや今日もまた鏡の中の吾と向き合ふ

圧巻は、彼女が悟りに近いところに到達する箇所です。
こんな歌があります。

生かされて今在る命ありがたし上り来る陽にただ手を合はす

いかやうなことがありても揺るがざるすべておまかせわたし
のこころ

辛いこと、悲しいこと、怒りなどがいっぱいありましたが、
すべて赦しました。そんなものはすべてチャラだと言い切るのです。
今の彼女は、

たんたんと吾の介護に過ごす日々この夫(つま)が居て夫と在る幸

と彼女はニコニコしています。
唯一の願望は、転ばないように気をつけています。

電子書籍をはじめました

風雲舎の書籍を、電子にてお楽しみいただけるようにいたしました。PC、スマートホン、タブレットからいつでもその場で購入ができます。持ち運びにもかさばりません。

amazon kindleにて対応しております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

アスペルガーとして楽しく生きる ほら起きて!目醒まし時計が鳴ってるよ 愛の宇宙方程式 人を見たら神様と思え 予定調和から連鎖調和へ 神様につながった電話 太一〜UFOに乗った少年 瘦せるなんてかんたんよ KindleVoyage_00F-RH_US_Page_One_RGB

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『神に近づくには 波長を合わせればいい!』
ーー言霊(ことだま)から音霊(おとだま)へーー
保江邦夫(冠光寺流柔術) 山本光輝(植芝盛平翁の直弟子) 両氏による“口から出任せ”対談

口から出任せ。
口から出任せは、“ホラ吹き”ではなく、
魂が口から出るに任せる……魂と魂のぶつかり合い、本音の語りです。

◎植芝合気はもとより、保江愛魂も、山本いろは呼吸書法も神がかりだった。
◎神は、単純な繰り返しに宿る。合気も、愛魂も、いろは呼吸書法も単純な繰り返しだ。
◎言霊で、神が降りてくる。
◎音霊一つひとつに神が宿る。
◎人体は言霊の集合体。言霊を発することで、細胞が活性化し、病気やマイナスが消える。
◎神の働きかけが、いろいろな人、いろいろな場、随所に起きている。
◎耳を澄ませ、それに波長を合わせる――
すると、神を感じられる。
◎とはいえ、神はえこひいき。愛される人は、とことん愛される。
◎神はそもそも絶対調和。でもそれではつまらない。神は事を起こして、僕らを楽しませる。
◎だから「いま」が大事。いまを大事に生きる。

植芝盛平翁の神性を中心に、保江「愛のエネルギー」、山本「いろは呼吸書法」の三者のシンクロによる「全てを愛し許し合う、争いの無い平和な世界」を求める熱談。
(46判並製 256p ISBN978-4-938939-81-6)定価(本体1600円+税)

7月4日の保江先生、山本先生による講演会は大盛況のうちに終了いたしました。お越しいただいた皆さま、ありがとうございました。
> 続きを読む

【本文より】

本来の合気道は神がかっていた

保江 僕は高校三年生の一番感受性が強いときに、テレビで盛平先生を見て、感動したのです。
微塵も疑いませんでしたよ。すごい人だ、僕もああなりたいと本気で思ったんです。
山本 不思議な縁ですよね。
保江 その後いろいろあって、先輩も同期も去っていって、最後に僕だけ残った。でも「本当のところはどうなんだろう」と思っていたところに、救世主として山本先生が現われたのです。それで僕の純粋な高校三年生の頃の植芝盛平先生に対する思いがそのままよみがえって、「あれはやっぱり本当だったんだ」「しかも本質は岡山にあったんだ」と感動したのです。
山本 二〇一四年五月五日の東京での稽古のとき、保江先生は「植芝盛平開祖に捧げる」とおっしゃった。あのひと言で私はもう感動でした。涙が出るくらい感動しました。
保江 直弟子でもない僕がそんなことを謳ったものだから、ますます世の中から浮いてしまいました。
山本 そうなのですか。
保江 山本先生はどうお考えですか。サムハラ、九鬼神道の、本当の神がかりを持っていた合気道が、今は一般的な武道のひとつになっています。だから僕も悲しいし、合気道の将来を憂えています。
植芝盛平翁、吉祥丸道主、その流れの中にいらした山本先生は、現状をどのようにご覧になっているのでしょうか。
山本 これは日本の政治的な問題にも関わってくるのですが、合気会はいま公益財団になっています。
そうすると何が変わるかというと、宗教的なこと、神がかり的なことはこれっぽっちも言えなくなるのです。
私も保江先生と同様に、霊的な話、神様の話、見えない世界の話なんかをみんなの前で言いますが、今の公益財団という組織の中ではそれがみんなアウトになってしまうのです。
山本 要するに、組織体を維持しようとすると、そういうことになるのです。だから、野口整体にしても、合気道にしても、今や宗教的、霊的な話はできないようです。そのことは理解していかないといけないとは思っているのですが。ただ、自分としては、日々の稽古の中で大先生がいつもお話をされていたように、道主がひと言でもいいから、「合気道というのはこういうものだ」ということを伝えていくのがいいだろうと思うのです。そのことはずっと私の思いの中にありました。そうした中で、いろんなところから保江先生の情報が入ってくるようになったのです。
保江 ほとんど悪い情報でしょう。
山本 いやいや。保江先生には、私は絶対会わなければと思っていたのです。一月にお会いし、見た瞬間、「これは大先生の〝合気道は愛じゃ〟を教えてくださっている人だ」と気がついたのです。
もう感動しました。稽古の後の新年会にお誘いいただいてお話しして、お互いの話が全部「出任せ」だということがわかって、もう手を握り合って、愛を語り合いましたよね。
今の合気道でやっている稽古は、実技のみの稽古です。それに対する批判のあることも三代目道主もご存じです。ただ、現道主の謙虚さと、和を重んじ、人を喜ばせ、楽しく稽古をさせる人間性には頭が下がります。世界中に稽古人が増えるのは、三代目道主の人柄に人が集まり寄ってくるのでしょう。私の願いは、そこでひと言、「合気道はこうこう、こんなもので……」と言ってくれたら嬉しいのですが。
保江 本当にそう思います。僕は、植芝盛平先生を尊敬しています。塩田剛三先生も尊敬しています。藤平光一先生も尊敬しています。師範方みんなを尊敬しています。僕は自分がダメだから尊敬するのが得意技。大先生が亡くなられたとき、その人たちがそれぞれ主になるのはいいことだと思います。
でも今はもう、その次の世代でしょう。次の世代になったら、一度原点に戻してみたほうがよいと僕は思うのです。昔に立ち返って原点に戻り、合気道の本質をみんなで一緒にやろうよ。一生懸命に本質をやらないと、もう合気道の将来はないのではないかと思います。
山本 本当にそう思いますね。
保江 それで「合気道はよみがえる」と大声で言いたいのです。本当は「俺が蘇生させる」と続けたいのですが。僕があちこちで突っ走って、無茶苦茶やればやるほど、僕を排除する波がどっと押し寄せます。僕は悪役でいいのです。ともかく、悪役が混乱を起こして揺さぶるのもいいかなと。外部から揺さぶる係です。ガンガン揺さぶることで、「これはまずい」と思った合気界が原点に戻る。そういう願望が僕にはあるのです。
山本 いやいや、すばらしい。

 

合気道への道
保江 若松町の本部道場ですか?
山本 はい。昔は平屋の木造の道場で、道路に面した窓から中が見えるのです。
年寄りの小柄な爺さんが、でっかい人間をぽんぽん、ぽんぽん投げているのを見て、「本当かなあ」と思いました。私は柔道を経て、空手をかじってきているので、「こんなことできるのかなあ」と疑問に思っていたくらいなのです。
保江 ぽんぽん投げていた小柄な爺さんというのが、植芝盛平先生ですね? 直に習っているのですから、これはうらやましい。
山本 爺さんなんだけど、手や腕を握っても柔らかいんですよ。だけど瞬間的に、ギュッと鉄の棒を持っているように固くなったりします。そういう方でした。
大先生はときどき、ふざけてというか、興に乗るとやって見せてくれることがありました。
神前を囲むように弟子たちはコの字型に並んで正座するわけです。上級者も新人も関係なく並ばせて、大先生が一人の弟子の頭にひょいと手をかざすと、その男はひょいとひっくり返るのですよ。次の弟子にひょいとやると、またひっくり返る。大先生はおもしろくなったのか、ひょいひょいとやりながら、歩いてきます。私は座って大先生を待ちながら、「あんなことで倒れるわけがない」と考えているのです。柔道で鍛えたこの体、空手で鍛えたこの体と思っていますから、ともかくあんなので倒れるわけがないだろうと。隣の男がひっくり返り、ついに「来たな」と、思った瞬間、倒されている。感覚は何もない。「来たな」と思ったら、もう倒されている。「これはいったいなんなんだ?」と、それが最初の疑問でした。
なんといっても、触ることなく倒されているのです。「隣の奴が投げられたな、ようし」と思って目をつむって構えているのに、その瞬間にもう倒されてしまっている。目を開けて待っている人だって、「避けよう」とか「かわそう」とか意識を持っていながら、何もできずに転がされて、何をされたかわからない。
保江 こっちだって備えがあるじゃないですか。
山本 かえって、備えがよくないのでしょうね、きっと。なまじ意識して構えるのがいけないのでしょう。
保江 それで、倒れなかった人はいるのですか?
山本 いや、いません。
保江 全員倒れるのですか。これはすごい。触れないで倒す。僕には無理。
山本 いや、保江先生には、できる可能性ありますよ。なんといっても、大先生の合気を体現なさっているのですから。
保江 いえいえ、身に余るお言葉です。

 

山本先生に導かれたサムハラ神社
保江 それにしても先生に出会ったことで、僕は植芝盛平先生について今まで知った気になっていたことがことごとくひっくり返され、サムハラ神社も教えていただき、本当に、目覚めさせていただいていると感じます。
それまでは植芝盛平先生の合気道は、大東流を武田惣角から習って、それをもとにして大本教の出口王仁三郎のところで霊的な修行をなさって組み上がったものだと思っていました。そのステレオタイプというか、一般に知られている範囲のことしか僕は知りませんでしたし、史実どおりだと思っていたのです。
ところが山本先生が下さった資料に、盛平先生について今まで僕が知らなかったことが書いてある。しかも読んでいくとどうも岡山の田舎のほうにもともとあったサムハラ神社というのがポイントだと気がついたのです。
僕はすぐに飛んでいきました。
保江 でもともかく植芝盛平先生の合気道を求め続けて、岡山から東北地方に行き、東京のあたりで大東流も習い、いろいろ変遷して、その果てに山本先生にお示しいただいたこの資料に出合ったのです。「えっ? 岡山県?」。まさに「幸せの青い鳥」ですよ。人生のほとんどをかけていろいろ探し回って、結局は故郷の岡山に秘密はあったのです。
山本 その変遷は意味のあることだったと思います。
保江 「結局岡山だったんだ」と。その気持ちがあってその岡山のサムハラ神社の奥の院に行きましたので、そこのすごさはひとしおでした。たぶん若いころ、高校生のときに行ってもわからなかったのかもしれません。今だからひしひしと「あっ、ここだ」と感じました。

 

封じ込められた神々の目覚め
山本 こういう場だから何でも言ってしまいますけれども。昔、何千年か前には、日本を守っていた太古の神々がおられたわけです。そういう神々をお祀りするために岩や磐座をご神体ということにして、古代の人々はそういったものを大事にしてきたわけです。ところがそういうものを全部封じ込めるために日本にやってきた一族がいた。その本来の太古の神々を封じ込めた場所はどうなっているかというと、今そういったところは神社になっているのです。先生はご存じでしょうが、注連縄と呼ばれるあの太い縄、これは神をその場所から出さないための呪術です。鳥居もそうです。
つまり神社は神様をお祀まつりしている場所ではなく、日本太古の神様を封じ込めている場所と聞いています。
ですが今はそこに眠られていた、封じ込められていた神々が、もう目覚めてこられる時代になってきているそうです。つまり、封じたほうのエネルギーが弱くなってきている。
そうやって封じ込められた神様がまず復活してきた場所が神戸なのです。一九九五年のあの大地震がありました。そして二〇一一年、三月十一日に東日本大震災がありました。艮金神が目覚めたというふうに言われています。神様が目覚めると何が起こるかというと、大災害が起こるわけです。なぜならそれは大変なエネルギーを持った神様が目覚めるわけですから、地上は浄化されていなければいけない。本来なら樹木がいっぱい生えているところなのに、コンクリートで固めたり農薬を撒いたりして、地上は汚れてしまっている。住んでいる人には気の毒だけれど、それもきれいにしてしまうという現象が起こる。こういうことが日本の各地に起こっているのです。
これは大変なことです。地震や津波という、私たちにとっては災難とも呼べる浄化が起こってしまう前に、みんなが大地の神にお詫びをしたり、地道に私の書のような形で土地の浄化を行なってくだされば、大きな浄化、すなわち災害は必要なくなるはずなのです。
みなさんお正月には初詣に行きますね。神社だけでなく、ご自分のご先祖が眠っているところにも初詣しましょうよ。そこに行くときに私の書をお傍に埋めてください。そうするとご先祖様も喜ばれるし土地も浄化される。こういう「点」がどんどんあちこちに増えて「面」になって浄化されていけば、神々がお目覚めになっても、大難が小難、小難が無難ということになってくるのではないかと思うのです。私たちはそういうプロジェクトをやっているのです。それには私の書を使ってほしい。だから私は、そのための「いろは」と「ひふみ」の書、浄化の書と呼んでいますが、これは全部無料でみなさんにお渡ししているのです。
保江 神社は神様を封じ込めるためのものなのですか。
山本 本当は言ってはいけないのですが。祝詞に「神つまります」とか「神づまります」とあります。あれはまさに完全に、そこにとどめ置き、封じ込めることを意味するのだと聞いています。
それから一礼二拍手、一は「ひ」、二は「ふ」ですね。「ふ」は言霊的に「封じる」ということを意味します。だから神社では今までのシステムとして一礼二拍手を習慣化してやっているけれど、本来的には閉ざされた太古の神を開かなくてはいけない。開く数霊は三(み)で、三拍手です。大本教なんかは四拍手や八拍手をやったりもしています。とにかく二拍手は封じ込めの呪術と聞いています。
保江 なるほど。また、出任せですが、いま僕もふと思ったことがあります。
なぜかこのサムハラ神社は、合気道の開祖である植芝盛平先生にもお力を与え、いろいろな人の弾除けになっています。僕の身近な人も何人もサムハラのお守りに助けられました。僕などの下手な祝詞に神様は雷のゴロゴロで返答してくださったり、祝詞は音霊だということを気づかせてくださったり、本当のことを教えてくださった。
他の神社、たとえば岡山にある吉備津彦神社とか、あそこは僕も神様が本当にいるなと感じてはいましたけれども、そういう具体的な奇跡が起きたことはありません。奇跡が起きたのはサムハラ神社だけなのです。
しかも僕は真っ先に岡山県北の奥の院のほうに行きました。大阪の本院ではなく。それは僕が岡山の人間だからということもあるのですが。サムハラ神社の奥の院は、小さなお社やしろが一応建っています。あれは比較的最近、大阪のサムハラ神社が建てたものです。もともとあったお社は、旧日本軍、帝国陸軍が、無許可神社だからけしからんというので解体を命じて焼き払ったのです。それで津山事件という祟りが起きたといわれています。たった一時間で三十一人が亡くなりました。その一時間で三十人もの人間が殺され、犯人が自害したのです。それを基に横溝正史が小説にしたのが『八つ墓村』です。
……ひょっとすると、サムハラ神社、サムハラ龍王、造化三神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)を封じ込めていたその神社を焼き払ったということは、その結界が崩れて、サムハラの神様だけは……。
山本 なるほどそうか! いま私も背中がぞっとした!
保江 だからサムハラ神社だけは霊験あらたかなのですよ。他のところは神社がちゃんとあるし、みんなが知らずにパンパンと二拍手でお参りするから、いつまで経っても封じ込められたままです。サムハラの神様だけが自在に動けるのです。だから奇跡も起こせるのです。これはもう先生の出任せの真骨頂ですよ。
山本 そうかそうか、なるほどすごい話だなあ。
保江 だから僕は、最初に奥の院にお参りしたとき、伯家神道の拍手をしてよかったんだ。
山本 だから雷も鳴ったのですね、そうなんですね、きっと。すごいなあ。
保江 いやいや、すごいことがわかりましたね。結果的に軍部は正しいことをしたのか。祟りは起きたけど。いやいや……軍部が焼いたから、サムハラの神様だけは自在にみんなを助けてくれているのです。旧大日本帝国陸軍に感謝しなければ。

【本書の内容】

いつもヒーローがいた……保江 邦夫
《第一章》植芝盛平翁の神なる世界
合気道への道
弟子は仲間じゃ、みんなわしの師じゃ
合気道を求めて――保江邦夫の歩んだ道
無邪気に笑い、語り、怒る盛平翁
合気道はよみがえる!
神様はひいきをする

《第二章》サムハラ神社へ
山本先生に導かれたサムハラ神社
サムハラのお守りの奇跡
封じこめられた神々の目覚め
音霊になった祝詞
祝詞には力がある
口から魂が出る
出口王仁三郎との縁

《第三章》奇跡は出任せから
もうひとつの「奇跡のリンゴ」
奇跡の連鎖
いろは呼吸書法で目覚める人たち
龍神と対話する女性
進化している男性は女性化する
光り輝く身体
ご神魂が現われた!
言葉は現象化する

《第四章》いろは呼吸書法の秘密
神が最初に与えた言語は日本語
呼吸書法は次元を「チューニング」する
言霊「す」は宇宙創造の原点―植芝盛平翁の教え
人間の体は言霊の集合体である
書からエネルギーが出る理由

《第五章》言霊の力 音霊の力
神代文字でいのちを救う
開命句は祝詞
言霊の神様に守られる
音霊の妙用

《第六章》神の存在に近づく
円を描いて本質を知る
神社に鏡を祀る意味

《第七章》新しい次元へ
天意気舞・飛翔書法の創作
いろは・ひふみで土地を浄化する
神代アキル文字
四十八音は神の御名
あの世では宗派は関係ない
手を合わせ、エネルギーを調える
いまこの瞬間が宇宙創造
救世主は武道家のなかから出てくる?

(終わりに)神とつながった一年……山本 光輝

【著者略歴】

保江 邦夫(やすえ・くにお)

1951年岡山市生まれ。東北大学で天文学、京都大学大学院、名古屋大学大学院で理論物理を学ぶ。ジュネーブ大学理論物理学科講師を経てノートルダム清心女子大学教授。理学博士。生死の境をさまよう大病をマリア様への帰依で乗り越えて以来、多くの奇跡を経験。冠光寺流柔術を主宰。著書に、『路傍の奇跡』(海鳴社)『愛の宇宙方程式』『人を見たら神様と思え』『予定調和から連鎖調和へ』『神様につながった電話』(風雲舎)『ありのままで生きる』(マキノ出版・矢作直樹と共著)など多数。

 

山本 光輝(やまもと・こうき)

1937年東京生まれ。前衛書家。植芝盛平翁に師事。合気道七段。「いろは歌、ひふみ祝詞」をテーマに、合気道と書道の融合「いろは呼吸書法」を創始。「光輝書法会」主宰。書から強い波動が検出され、「治癒能力の高い、人類に幸福をもたらす書である」との評を受ける。合気道とともに「いろは呼吸書法」を海外にも精力的に伝え歩く。地球への感謝・浄化を祈り、自らの書画を全国各地の神社仏閣などに奉納している。

『いろは呼吸書法・声を出して書けば世界が変わる』(平凡社)『いろは・ひふみ言霊によるさとり実践呼吸書法』
(新日本文芸協会)読み聞かせ絵本『きみがよものがたり』(新日本文芸協会)の文字を書する。

【編集者から】

口から出任せ本と称しているが、“ホラ吹き”ではない。
魂が口から出るに任せる……魂と魂のぶつかり合い、
本音の、魂の雄叫び。

 

ご存じ、保江邦夫先生は物理学者。「愛」の伝道者。
保江先生は、ひ弱だった中高生時代の反動で、強い者に憧れ、
高校生のときにテレビで、「トーーーオ……!」という裂帛の気合いで
剛の者をぶっ飛ばしている小柄な男性を見た。
それが植芝盛平翁だった。

以来、植芝合気道は切っても切れないものになり、
その道を離れることはなかった。
後年、自ら「冠光寺流」という「愛魂」の道を立ち上げたが、
そこにあったのは、植芝合気道への憧憬だった。

 

「あれは、何の力だろう?」
あれほど保江を魅了した合気道は、保江が意識したころには、
その神性が消えて、形式的な一つの武道になっていた。

 

その謎を解き明かす人と出会った。
植芝翁の直弟子、山本光輝先生である。
山本光輝先生は、合気道・植芝盛平師の直弟子。
「いろは呼吸書法」という前衛書道の創始者でもある。
共通点は、植芝盛平師をこころの師としいること。
山本先生はこんなことを保江先生に伝える。
植芝盛平大(おお)先生の真髄は、サムハラ・九鬼神道による神がかりだった。
その本質を見失うと、植芝合気道の本当の姿が見えてこないと。

 

この出会いは、保江を欣喜雀躍させた。
植芝翁のパワーの秘密は、サムハラにあると聞いた保江は、
大阪のサムハラ神社から、岡山のサムハラ奥の院を訪れ、
植芝盛平王と九鬼隆晴との親交、天之(あめの)叢(むら)雲(くも)九鬼サムハラ龍王
の存在を知る。この経験は保江を大きく変えた(『神様につながった電話』に詳しい)。

 

口から出任せ論の中でも、とりわけ編集者をびっくりさせたのは、
「封じ込められた神々の目覚め」のくだり。

 

保江 いま僕もふと思ったことがあります。
なぜかこのサムハラ神社は、合気道の開祖である植芝盛平先生にもお力を与え、いろいろな人の弾除けになっています。僕の身近な人も何人もサムハラのお守りに助けられました。僕などの下手な祝詞に神様は雷のゴロゴロで返答してくださったり、祝詞は音霊だということを気づかせてくださったり、本当のことを教えてくださった。
他の神社、たとえば岡山にある吉備津彦神社とか、あそこは僕も神様が本当にいるなと感じてはいましたけれども、そういう具体的な奇跡が起きたことはありません。奇跡が起きたのはサムハラ神社だけなのです。
しかも僕は真っ先に岡山県北の奥の院のほうに行きました。大阪の本院ではなく。それは僕が岡山の人間だからということもあるのですが。サムハラ神社の奥の院は、小さなお社やしろが一応建っています。あれは比較的最近、大阪のサムハラ神社が建てたものです。もともとあったお社は、旧日本軍、帝国陸軍が、無許可神社だからけしからんというので解体を命じて焼き払ったのです。それで津山事件という祟りが起きたといわれています。たった一時間で三十一人が亡くなりました。その一時間で三十人もの人間が殺され、犯人が自害したのです。それを基に横溝正史が小説にしたのが『八つ墓村』です。
……ひょっとすると、サムハラ神社、サムハラ龍王、造化三神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)を封じ込めていたその神社を焼き払ったということは、その結界が崩れて、サムハラの神様だけは……。
山本 なるほどそうか! いま私も背中がぞっとした!
保江 だからサムハラ神社だけは霊験あらたかなのですよ。他のところは神社がちゃんとあるし、みんなが知らずにパンパンと二拍手でお参りするから、いつまで経っても封じ込められたままです。サムハラの神様だけが自在に動けるのです。だから奇跡も起こせるのです。これはもう先生の出任せの真骨頂ですよ。
山本 そうかそうか、なるほどすごい話だなあ。
保江 だから僕は、最初に奥の院にお参りしたとき、伯家神道の拍手をしてよかったんだ。
山本 だから雷も鳴ったのですね、そうなんですね、きっと。すごいなあ。
保江 いやいや、すごいことがわかりましたね。結果的に軍部は正しいことをしたのか。祟りは起きたけど。いやいや……軍部が焼いたから、サムハラの神様だけは自在にみんなを助けてくれているのです。旧大日本帝国陸軍に感謝しなければ。

 

サムハラのお守りを常時、指にしている僕としても、これはすごいと感じました。
こんな調子で、全編、口から出任せが続きます。
まさに口から出任せの真骨頂です。

『アスペルガーとして楽しく生きる』 —発達障害はよくなります—
(発達障害カウンセラー)吉濱ツトム著

アスペルガーと言われる人が200万人を超すらしい。
他人と会話できない、
いつも強い不安や恐怖、劣等感がある、
慢性的な疲労感があるーー。

僕もそうでした。
小、中、高校と、みじめな人生でした。
でも、克服した。

適切な方法さえあれば、
誰でも改善できます!

自らの悲惨な体験をもとに、
克服のための知識と方法を
体系化したカウンセラーからの提言!

 

46版並製232頁 定価(本体1500円+税)
◎3月30日発売
ISBN978-4-938939-80-9
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本書の内容

●自らの悲惨な体験をもとに、克服の知識と方法を体系化したカウンセラーからの提言。
☆僕は幼児の頃から自閉症だった。
☆小学4年、自転車でバスと衝突し、アスペルガーと診断された。
☆他人とコミュニケーションができない、恐怖、不安、劣等感があり、いつもぐった
りしていた。
☆19歳。自己改善に取り組んだ。
☆妙案があったわけではない。真正面から取り組んだのだ。
☆まずアスペルガーについての関連書を山ほど読んだ。
☆次いで、ローカーボ食事法、分子整合栄養医学、行動応用分析、認知行動療法、コ
ミュニケーションのロールプレイング、
運動療法、自律訓練法、スピリチュアル系の自己啓発など、あらゆるアスペルガー改
善法を研究し、実地に試す。
☆数年後、「典型的な症状」が半減し、26歳、社会復帰。
☆完全に治ったわけではない。まだ残っている。うん、これはやれると自信がつい
た。
☆同じ障害で悩む人たちからの問い合わせが増えた。
☆アスペルガー・カウンセラ―となった。
☆最近では、アスペ改善請負人と呼ばれるようになった。
☆大丈夫、適切な方法さえわかれば、誰だってよくなる!

本文より

~発達障害とは?
発達障害というと、とかく精神論や愛情の問題、根性論に結びつける人が多くて困り
ます。
どうか皆さん、そんな言葉に惑わされないでくださいね。発達障害は心の病なんかじゃありません。これは、脳機能の問題です。発達障害であっても、体系的かつ実践的なメソッドを使えば、社会への適応力を向上させることができます。努力のベクトルさえ間違わなければ、確実に効果は出るのです。

~自閉症だった幼少期
小学校に通いはじめても、半狂乱のパニックはおさまりません。とにかく学校が怖くてたまらず、朝の支度の段階から、母親に抱きついては「いやだ! いやだ! 行きたくない」と泣き続けます。
玄関に立つと、体の震えが止まらないのです。
まるで処刑場にでも送り込まれるような極度の恐怖と緊張に襲われ、足がすくんでしまうのです。

~決死の思いで家を後にして、重い足どりで学校へ行きます。
学校への道順は、自分の中に絶対のルールがあります。
この道では左右どちらの足を先に出すかにはじまって、歩幅や速度まできっちり決まっています。
映画「レインマン」にも同様のシーンが出てきますが、同じ道はいつもと寸分の狂いもなく進まないと、どうにもこうにも気がすみません。

~砂糖中毒
朝はどんぶり一杯に白砂糖を盛り、スプーンでそのままパクパク食べていました。昼は学校でハーゲンダッツのクリスピーサンドを六個、板チョコを二枚、スニッカーズを三本食べます。夜はカップのハーゲンダッツを四個、あんぱん、まんじゅうを二個ずつ、ケー
キ二個が定番です。大好きな牛乳には、いつも大さじ三杯の砂糖を溶かして飲んでいました。

頭の中は、四六時中、甘いもののことでいっぱいです。肉も魚も、野菜もいっさい食べません。

甘いもののほかには、白米やそうめん、ポテトチップスといった炭水化物ばかりを食べていました。

どれもこれも体に必要な栄養などなく、ほとんど糖の塊かたまりです。
体は急速に糖代謝異常を進行させていきました。

~劇的な変化が起きた
①生理学に基づいた健康法 ②環境圧力 ③行動療法 ④認知療法 ⑤肉体強化 ⑥習慣化 これらに本格的に取り組んだ結果、僕の体調は回復していきました。体調にとどまらず、思考、感情、意識、言動など、生活全般において、劇的な変化がもたらされました。

マイナス側に入っていたアスペルガーの症状スイッチが、プラス側に次々とオンされていったのです。

著者略歴

吉濱ツトム(よしはま・ツトム)

発達障害カウンセラー。スピリチュアルヒーラー。
幼少のころから自閉症、アスペルガー症状に悲惨な人生を歩む。他人とコミュニケーションができない、強い不安や恐怖がある、劣等感が激しい、病気にかかりやすい、慢性疲労がある-などの症状に苦しむ。

その後、発達障害の知識の習得に取り組み、あらゆるアスペルガー改善法を研究し、実地に試す。
数年後、「典型的な症状」が半減。26歳、社会復帰。同じ障害で悩む人たちが口コミで相談に訪れるようになる。
以後、自らの体験をもとに知識と方法を体系化し、カウンセラーへ。個人セッションに加え、教育、医療、企業、NPO、公的機関からの相談を受けている。本書は第一作。
URL http://yoshihama-tsutomu.com/ E-mail yoshihamatsutomu@gmail.com

担当者から

初対面、開口一番、吉濱カウンセラーは僕の顔を見て、
「あ、あなたもアスペルガーですね」とのたまうた。
僕の偏頗な振る舞い、挙措、しゃべり方、それを一瞥して、そう規定した。
以来、いかに僕がアスペの要素を強く持っているかを指摘され続けた。

原稿を読むにつれて、思い当たることがいっぱい出てきた。
結婚式のスピーチを頼まれるーー死ぬほど怖い。
どうでもいいことに、いつまでもくよくよする。
態度がでかいのに、わが身を必要以上に劣位に置く。
この道しかないと、視野狭窄に陥る。
ダメ男の概念規定など、まるで僕そのものだったーーなど、
思い当たるふしが多々あった。
最後に著者は、「この人は回復の展望なし」とほざいた。

でもこの天才との付き合いで、目からウロコが落ちるようなことがいっぱいあった。
これが楽しかった。
こういう若き俊才がゴロゴロ出てきていることに驚愕した。

この感覚は風雲舎の前の本『ほら起きて! 目醒まし時計が鳴ってるよ』
の著者・並木良和以来ずっと感じていたことで、さすがというか、やはりというか、
若い、鋭い、本質を一目で見抜くインディゴチルドレンたちの出現を感じないわけに
いかない。
爺さんたちが古い感性で説教をしても、彼らは遥かに爺さんたちを超えている。

爺さんは、ありがたいと思った。
僕らがいつまでも僕らの常識や僕らの感性でああだこうだと言い張っても、
彼らは楽々僕らを超えて飛翔していく。

ルイ・アームストロングの曲に
「What a wonderful world」というのがある。
結婚式なんかでいっときよくBGMとして流された。
その3番目ぐらいの中で、
「赤ちゃんが泣いている。
いいじゃないか、
あいつらはないたりわめいたりして大きく育つ、
そうして学び、おれたちを超えていく、
すばらしいじゃないか」
とでも訳したい歌詞があった。

並木さんも吉濱さんも、それでいい。
すばらしいじゃないか!

『ほら起きて! 目醒まし時計が鳴ってるよ』–超人的インディゴ・ヒーラーの出現!–

ほら起きて!目醒まし時計が鳴ってるよkonnna

そろそろ「本来の自分」を憶い出しませんか?
宇宙意識そのものであるあなた自身を。

超人的インディゴ・ヒーラーの出現!
●子供の頃から、霊が視え、過去世が視えた。小学4年で、「霊能者になる」と宣言。
●著名な霊能者に弟子入りして、10年間研鑽を重ねた。
●物乞い、海賊、料理人、ヒーラーや神官など、30ぐらいの過去世を記憶している。
●「自分は一体何者なのだろう?」と自己対話を重ね、守護霊(ガイド)や天使、
ハイヤーセルフとつながった。すると色々なことが視えてきた。
●相手をリーディング(霊視)すると、その人の問題点がはっきり視える。
●「今がどういう時代で、これからどういう方向へ進むのか」も視えてきた。
●ライトワーカー(地上に光を広める者)として世界のパワー・スポットを巡っている。
●著者はこんなことを言いたいのです。
アセンション(統合の流れ)に入った今、「あなたはどのように生きますか? 何を選択しますか?」
と問われていますよ。そろそろ目を醒まして、「宇宙意識に還りませんか」と。
☆「この世の中、何かがおかしい」と感じている方は、ぜひご一読ください。

4月3日(金)の出版記念講演会、懇親会は大盛況のうちに終了しました。
ありがとうございました。

(本書の内容)
(はじめに) 誰でも必ず幸せになれる
(第1章)宇宙意識って–?
(第2章)目醒めへの道標
(第3章)アセンションへのプロセス
(第4章)人間ドラマから抜け出す
(第5章)宇宙意識(ハイヤーセルフ)につながる六つのステップ
(ステップ1)目を醒まして生きる――と決める
(ステップ2) 地球のアセンションの波と同調する
(ステップ3)グラウンディングする
(ステップ4)自分を一〇〇%の愛で満たす
(ステップ5)統合
(ステップ6)望む現実へ移行する
(第6章)宇宙意識に還る
(おわりに)
過去世からこの世を観る
人生はいつでもやり直せる
あなたは、何を選択しますか?
(解説)ありがたい不思議—–小坂 正

【定価(本体1600円+税) ◎2月末日発売】
ISBN978-4-938939-79-3

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本文より

目醒めは連鎖する

一人が目醒めると、周囲もその影響を受けます。その人が目醒めて高い周波数に上がっていくと、
その人は「高周波ステーション」となって、高い周波数を電波のように発信するからです。
身近な人だけではなく、すれ違う人にも、遠く離れた場所にいる人にも影響を与えはじめます。
周波数を上げれば上げるほど、広範囲に影響を与えるようになります。
人間はもともと高い周波数の存在だったので、それに感応する習性があるからです。

著者略歴

並木良和(なみき・よしかず)

1974年9月12日 東京生まれ。スピリチュアル・カウンセラー兼ヒーラー。

幼少の頃より霊的な世界に通じ、高校入学と同時に、霊能者船越富起子氏に師事、約10年の研鑽を重ねる。

その後、天使界・神界からの導きで、2006年より本格的にサイキック(霊能力者)としてリーディング(霊視)を開始。

現在、守護霊(ガイド)たちからのメッセージを伝える個人セッションをはじめ、スピリチュアルな叡智やテクニックを日常に役立てるセミナー等を開催中。

またライトワーカー(地上に光を広める者)として世界各地のパワー・スポットを巡っている。

本書は第一作。http://www.heartniks.com

 

担当者から

この人を評するに、人間離れした人ーーという表現がいちばん近い。

前世、過去世を記憶して生まれ、その記憶は30ほどに及ぶという。物乞い、国王の妃、海賊、料理人、ヒーラーや神官、霊能者などの記憶から、今世での教訓を引き出す。

何よりすごいと思ったのは、ガイドや天使、とくにハイヤーセルフとつながったこと。
これは神につながることを意味するらしい。すると、個人的な相談にもクリアーに応じられるし、世の中の動きが良く見える。

そりゃずるいよ、と思ったが、そんなのんきな話ではなさそうだ。
自分は一体なんだろう、と自己対話することで、ここまで来たらしい。

インディゴ怖れべし、である(もっとも本人はインディゴとクリスタルの混交と言っている)。
こういう人が実際、この世にいるのか、
なるほど、こういう時代か、とつくづく感じ入った。

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