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風雲斎のひとりごと No.29 (2010.12.26)
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このメールマガジンは、これまで風雲舎とご縁のあった方々に
発信しております。よろしければご一瞥下さい。
ご不要の方はお手数ですが、その旨ご一報下さい。
送信リストからはずします。

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百姓をする友
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久しぶりの休日。
青い空がどこまでも広がっている。
身体を動かしたくなって、読みかけの文庫を手に車に乗る。
近所をうろうろしてから高速にのる。
百姓暮らしをしている友人のところへ行こうとふと思いつく。
アドレスも不明、道順もはっきりしないが、以前行った記憶がある。
留守なら留守でいい。
あてどのないドライブ――これも一興だろう。

迷いながら、やっと見覚えのある百姓家にたどりつく。
シーンと静か。人の気配がない。
「おーい、いるか、○○」とどなる。
間をおいて「おう」と応答があり
「……まあ上がれ」と。
数日前から逗留しているのだという。
友人はいわば“通い百姓”。
本宅から離れた山間のこの百姓家に通い、
気が向けばそのまま寝泊まりしているらしい。

ということはここには暮らしがある。
布団を上げ、家の内外を掃除し、飯を炊き、
1反歩(300坪)ほどの畑を耕し、作物を植え、
たくあんを漬け、日記を付けてやすむ――
そんな暮らしを10数年継続している。

友人は以前ある大手新聞社の出版編集者だった。
あれこれの書籍を精力的に出していた。
何を思ったか、定年を前に退職し、畑を耕す道を選択した。
なぜ定年前の退職なのか、なぜ百姓なのか。
友は言わない、僕も聞かない。

しかし百姓を選んだとはさすがである。
百姓することは、僕ら戦中派の秘かに欲するところであった。
土を踏み、畑を耕し、額に汗することは、遺伝子に刻まれており、
宮澤賢治や白樺派で育った世代にとっては、回帰すべき原点でもある。
友は宮仕えを棄て、さっさと好きな道を選び、それを実践している。
百姓か―――やるねえ。

ほかほかする畑の土の上を友と歩く。
友の手は、ずいぶん太く、たくましくなっていた。
300坪とはいえ山の急斜面にある耕作地は、一巡すると息が切れる。
こんなザマじゃ、ほうれん草一把、ダイコン一本作れまい。
回帰すべき原点もずいぶん遠くなったようだ。
葉つきの大根、ネズミ大根(辛みダイコン)を引っこ抜いてもらい、
さらに自家栽培のナメコ、里芋を頂戴し、いとまを告げる。感謝。

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中勘助の『島守』
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前後して読んだ『島守』(ちくま文学の森『心洗われる話』所載)
が面白かった。百姓暮らしではないが、信州・野尻湖に浮かぶ無人の
小島に、燈明をともす島守として中勘助がひとり住む記録だ。
島ごとひっくり返りそうな強風、風、雨、雲、鳥、小魚たち
――ひたすら自分との対話、読書と瞑想の日々。

こんな記述がある。
「きょうは曇。
飯綱にも黒姫にも炭焼の煙がたつ。
煙が裾曳くのは山颪(やまおろし)であろう」

「夜半、恐ろしい風の音に呼びさまされた。
いま人びとはみな眠って私ひとり覚めているのであろう。
私はこの島のなかにただひとりなることを思い
幸いにみちて眠りに入った」

「夜。雨。島のまわりを一本足のものが跳んであるく音がする。
なに鳥か闇のなかをひゅうひゅうと飛びまわる。
雨の音はなにがなしものなつかしい。
恋人の霊のすぎゆく衣ずれの音のように」

「夕。雨の小やみのひまを桟橋にゆく。
岡にも里にもたちこめた霧のたえまから濃い紅葉の色がみえて
人たちは雨にもめげず遅くまで稲を刈っている。
なごりおしくいつまでもいつまでも立ちつくす。
鳥もみんな帰った。
稲刈りの人も見えなくなって霧がそのまま闇になってゆく」

テレビの音はなし。ワアワア言い交わす音声もなし。
自然がつくる音以外にはなにもない。
そういう情景が、いいなあと感じるようになった。

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加島祥造さんの便り
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詩人の加島祥造さん気ままに発刊している「晩晴館通信」
という小冊子がある。ある号(61号)に目を見張った。
88才になる加島さんはこんなふうに言う。
「私は確かにボケてきた。
しかし囲碁や英語、絵など、自分の興味や楽しさにつながる能力は衰えて
いない。いや、大事な情報はむしろ冴えている。
脳の中心部と外縁部の働き――外縁部の知識を失いつつあるが、根幹脳と
情動脳のほうを大切にすればいいんだと感じている。
老子はそれを言いたかったのだ」

「歳をとって明確になってきたことがある」
「そうか、歳をとる喜びとはこういうことだったのだ」などと。
何か大きな真理をつかみつつある--。

論より証拠、加島さんはわが師でありながら、碁敵でもある。
これまで明らかに、わが方に分がありと自負していたが、
先日、4番続けて負けた。完敗だった。
戦い終えて、師はこうおっしゃった。
「君のは、ずいぶん余分な石が多いんだよ」と。
うーん、風雲齋もまだまだである。

今年読んだ本でサイコーに面白かった作品。
『小説「聖書」』(ウォルター・ワンゲリン 仲村明子訳 徳間書店)
聖書という巨大な山塊が、手練れの手で、長編小説となって立体化した。
文字どおり、息もつかず読まされました。これまた感謝。

今年1年、ありがとうございます
。 みなさまにとって、いい年でありますように――(今号終わり)

転送歓迎。ご意見・ご批判も歓迎(風雲齋)。

2010.12.26 風雲斎