風雲斎のひとりごとNO.10(2007.9.3)
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澄み切った青年
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不思議な青年がわが社にやってきたのは一年ほど前のことでした。
人間性というのは、話しぶりや挙措に透けて出るものです。その青年・丹羽俊一朗君には逡巡も衒いもなく、まことに澄みきっています。おや、今どき珍しい。「インディゴ・チャイルド」とはこんな人を指すのでしょうか。丹羽君は、都内でカイロプラクティックを行っている施療師とのこと。カイロプラクターがなぜ出版社にと思いましたが、彼は「ある本を出版したい」と切り出しました。

聞けば、現在の生業を得る前にいろんな悩みを抱え人生を彷徨してきたそうです。「いったい自分は何者で、何をするために生まれてきたのか、それがわからなかった」と。ところがある一冊の本に出会って、頭を殴られるような衝撃を受け、すっきりしたと英語版の原書を抱えています。タイトルは「夜明けの子供」(Child of the Dawn)。丹羽君は、「自分で訳してみた。なんとかこれを出版してほしい」と真剣な表情です。

こんなストリーです。
主人公・ハキムくんは12歳。天涯孤独の孤児院育ち。賢く、俊敏な少年ですが、自分が何者なのか、何をしたらいいのか――それがわからない。相談する人もいない。孤児院のいやな院長の手を逃れ、現世的な富と力を求めて世間を彷徨しますが、やがて目指すべきは「賢者」だと知ります。「賢者」に出会えれば、何もかも解決するはずです。いろいろな人に出会いますが、「賢者」にはなかなか会えません。でもハキム少年は自分自身に正直に向き合い、ひたすら前を見つめます。やがて「漁師のおじいさん」と出会います。数々の叡智を学び、それをみんなと分かち合うことを学びました。分かち合うというこのあたりが、クライマックスでしょう。

得心できるものを探し、それを見つけたハキム少年の姿に、丹羽君は「主人公は僕と同じだ!」と感じたのです。ハキム少年がなるほどと納得したように、丹羽君も、何かに強烈に目覚め、迷いがなくなったようです。

「夜明けの子供」の著者はゴータマ・チョプラ、弱冠21歳。
へえ、ゴータマとは恐れ入ります。「覚者」の意です。あのお釈迦さまも、ゴータマ・シッダールタでした。ゴータマ君のお父さんの名前はディーパック・チョプラ。「人生に奇跡をもたらす7つの法則」などのベストセラー作家。彼は長男。それにしても21歳とは!

丹羽君が持参した初期の訳も、プロの手を借り、伸ばしたり縮めたりしているうちに、読めるようになりました。迷訳から名訳へと変わりました。最初、「この本を読んでごらん」と勧めてくれたのは、翻訳家の山川紘矢・亜希子夫妻だったそうですが、ご夫妻のご尽力もあり、青年の情熱は、一冊の翻訳本として結実します。9月末、「夜明けの子供」は風雲舎刊として世に出ることになりました。

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チョプラ、老子、バーソロミュー、そして―――
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本の冒頭に、親父さんのディーパック・チョプラ氏が序文を書いています。息子は「夜明けの子供」(世界を変容させる新しい意識の目覚め)だ思っているとか、4歳にして瞑想のすべを会得し、早い時期に静寂に慣れ親しむようになったとか、私たち夫婦から生まれたが、私たちに帰属するものではなく宇宙からのギフトだったとか、単なる親ばかのエゴではなく、これがなかなか読ませるのです。ノベルスというかたちをとっているが、実は、「7つの法則」を実際に生かす著述だとさえ言っています。

ついでに再読したディーパック・チョプラ「7つの法則」も、あらためておもしろく読みました。蛇足から言うとこの本は、アマゾンの中古書コーナーで、なんと、9千円! 
アーユルヴェーダの哲学と西洋近代医学の結合、それに量子物理学を踏まえているのがいい。いや、アーユルヴェーダそのものが量子論と通底しているというべきでしょう。

たとえば――現代の量子物理学によれば、宇宙全体をもっとも小さなミクロのレベルでとらえると、「量子のスープ」のようなもの、膨大なエネルギーと情報からなる「フィールド場」です。量子のスープやエネルギーや情報が、特定の場で濃く凝縮した(局所化)のが、「物」です。混沌としたエネルギーの海にある方向性が加えられると、一つの秩序、システムが生まれ、銀河系も地球も、草や木や動物、人間のいのちというシステムも、みんなその結果だというわけです。それが、宇宙の「自己組織化能力」だと。そこには分離はなく、すべてが一体。だからほしい物があれば、取りに行きなさいと、入手のための方法論・「7つの法則」が展開されていきます。

この量子論を耳にするたびに思い出すのが、「パラソルを持つ婦人」(?)という一枚の油絵です。子供の手を引いた婦人が土手の上でパラソルをさしている――風が透き通っているような、さわやかな絵です。キャンバスに登場する人物や風景の輪郭に沿って、まさに量子が局所化したという感じです。もっと原始的なイメージを挙げると、蚊柱でしょうか。数千数万匹という蚊が群れてヒト柱を形成する。まさに量子の局所化、という印象でした。

いや、絵だけではありません。かつて読んだ「バーソロミュー」「セスは語る」「アセンションの時代」なんかにも、同様の視点を強く感じます。そういえば加島祥造さんの「タオ」も同様です。小林正観さんという不思議な語り部がいますが、その内容は、ディーパック・チョプラのそれと表裏の関係にある――前者は具体論を、後者は客観・抽象化した世界を――ような印象です。いわゆるチャネラーが語り伝える内容と人知の先端部がいま合一しつつあるように感じるのは、うがちすぎでしょうか。

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「夜明けの子供」をプレゼント
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まあそういうわけで、最後にお願いです。この本を読んでご感想などを教えてくださいませんか。本が出来しだい、先着50名の方にお送りします。ご希望の方はどうぞご一報ください。mail@fuun-sha.co.jp「夜明けの子供」まで。
(以上)