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風雲斎のひとりごと No.40(2012.9.21)
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このメールマガジンは、これまで風雲舎とご縁のあった方々に発信して
おります。よろしければご一瞥下さい。ご不要の方は、お手数ですが
その旨ご一報下さい。送信リストからはずします。

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不思議な学者
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保江邦夫さんという不思議な学者に会いました。
専門は理論物理学。「ヤスエ方程式」という、量子力学において
最小作用原理が成り立つことを示した方程式を発見した人–のよ
うです。このあたりのことは風雲斎にはとんとわかりません。

何が不思議かというと、この学者の人生が、奇跡・奇跡の連続なの
です。高校、大学、大学院–試験と名の付くものはすべて奇跡的に
パスし、ジュネーブ大学講師、ノートルダム女子大学教授への就職
もほとんど奇跡的でした。

大きなヤマは52歳のときの大腸癌。ほとんどアウトだったのですが、
抗がん剤を断り、ルルドの泉の水を呑み、マリアさまと白鳩に祈る
ことで全快します。これで済めば、めでたしめでたしで終わりだった
のですが、奇跡は続きます。
スペイン人の神父様からキリスト由来の活人術という不思議な力を
授かります。その出会いも、その内容も、これまた不思議です。
奇跡のスケールが、これまで以上に大きく、本格的になりました。

保江先生は学生のころからなまっちょろいわが身を鍛えようと合気道
に取り組んでいたのですが、ある日を境に、自分の中に不思議な力が
生まれていることに気が付きます。立ち会う相手を魂で愛すると、相手
がぶっ飛んでいくのです。汝の敵を愛するのです。これを「愛魂(あいき)」と
名づけます。愛のちからで先生は、武道の達人となりました。

そのころ、ロシアのUFO研究所の研究者と出会います。
少年時代にUFOを目撃し、UFOを操縦するのが夢だった先生は、
「どうしたらUFOを操縦できるか、教えてくれ」と頼みます。
研究者の答えは「一つ一つのパーツと心を通わせ、愛することです」
というものでした。

はて、これは同じではないか。
UFO操縦も、愛魂も、ともに原理は、相手を愛すること。
どちらも同じ「愛」。
すると? 人も、モノも、活人術も、武道も、UFOも、すべては
「愛」で動いているのではないか。
愛は、この宇宙に貫徹する方程式ではないか……!
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『愛の宇宙方程式』という本
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というわけで上記の本が出来上がりました(http://www.fuun-sha.co.jp/)。
担当者が見ても、これは不思議な本です。
保江先生の自叙伝のような一冊ですが、その実、奇跡の歴史です。
奇跡はスケールアップしながら、今日も進行中です。神社に参拝す
れば不思議な神託が下りてきます。神様のような方々との出会いが
増えました。その都度、先生は何やら大きなミッションを受け取っ
ている様子です。神々が、「お前さんの任務はこれこれだからね」と、
新たな荷物をしょわせているようにも見受けられます。その話を聞き
ながら、風雲斎はドキドキしながらその行く末を見つめています。

矢作直樹(東大医学部教授)さんは、
「この人生で、神意を理解することの素晴らしさ……!」
と、保江先生の奇跡人生を驚嘆しています。
矢作先生によれば、奇跡は実はみんなにやってくるものだそうです。
それに気づくかどうか、人それぞれです。奇跡とは、つまり神意です。
保江先生が、それぞれに気づいて対応していったというのは、神意に
気づいたというわけです。そういえば、保江先生と矢作先生の出会い
も奇跡的です。二人はソウルブラザーのようです。
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理論物理学者と奇跡
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ここに、現代の混迷を解くヒントがありそうです。
この世界はどうなっているか——といってどんどん地中深く掘って
いくと、向こうから、自分の掘削音ではない別の音がするそうです。
地球のど真ん中でそいつに出会う。そのほとんどが坊さんだそうです。
理論物理学者と坊さんの出会い–この図でいえば、物理学者と奇跡です。
何かが生まれるそうな気配がします。当面この先生から目が離せません。

ぼくはめったにそうは言わないのですが、この一冊はぜひ読んでください
とお願いします。こういう不思議なパワーが時代を切り開くような気が
するからです。
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『自分をえらんで生まれてきたよ』
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これは、いんやく りお君という少年の言葉をつづった本です。
「生まれる前、ぼくは宇宙にいた。流れ星に乗っていた」
「雲の上から、お姉さんとお兄さんを見て、『どの人がやさしいかなあ』
って、見ていた。それでママのところにした。ママなら、心のことを
わかってくれると思ったから」
「ぼくは雲の上からいろいろ見て、『ここの家がいい』って、すぐに決めて
神さまにいいに行った。

りお君は生まれたときから、心臓と肺に問題があり、入退院を繰り返して
きました。片言を話し始めてから9歳までのおしゃべりを、お母さんが
書き取った一冊。お母さんのお名前は、矢鋪紀子さん。翻訳家です。

矢鋪さんは、風雲舎の『自然との対話』(著者はオランダの王女様
イレーネ・ファン・リッペ=ビースターフェルト)、『あなたも作家に
なろう』(ジュリア・キャメロン)などを手掛けてくれた、言葉をとても
大事にする翻訳者です。

彼女がわが社のぼろビルに現れると、社内がぱっと明るくなるのです。
話しっぷり、その展開、挙措、ウエアの一つ一つ–どれをとっても磨き
抜かれ、何一つ不自由なく育てられた才媛という印象でした。数年後、
結婚してりお君が生まれ、りお君が障害だらけだとわかると、矢鋪さんは
「そうか、わたしの人生はこの子のためにあるんだ、この子をしっかり
育てるの」とつぶやいていたのが印象的でした。
仕事で成城学園のお住まいを訪ねると、一点の非のうちどころもなかった
あの才女がパジャマ姿で出現したものです。この子のためにはなりふり構わず、
という構えがありました。3・11の数日後にはりお君を抱えて沖縄に飛び、
以来、沖縄を生活の場にします。まさに「孟母三遷」でした。

『自分をえらんで生まれてきたよ』(サンマーク出版)は、いま10万部に迫る
勢いで売れているそうです。よかったね。
またまた長い文章になりました。
ありがとうございます(今号おわり)

2012・9・21 風雲斎