ゾルダとブッダ

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風雲斎のひとりごと No.93(2023.4.11)
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(2023・4・12朝日新聞広告)

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著者のこと
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20歳。大学1年生の著者は悶々としていた。自分とは何ものか、どこからきて、どこへ行
くのか……生きている意味が分からなかったから。

OSHOの本を読んで驚いた。今まで読んできた本と全然違う。
OSHOの言葉を直接、聞きたくなった。インド・プネー、OSHOの道場(アシュラム)へ飛
んだ。「光明を得た師」「イエス・キリスト以降で最も危険な人物」と呼ばれた男OSHOの
懐へ飛び込んだ。ビシビシ言葉が突き刺さってきた。こんな言葉が響いてきた。

「ゾルバ・ザ・ブッダ(仏陀であるゾルバ)」
……まず、ゾルバになる。この大地の花になる。
それによってブッダになる力を得る。「目撃者」になれ、と。

ゾルバは、酒を飲み、女性を愛する自由人。ブッダは仏陀。

ガツンと頭を殴られたような気がした。
OSHOの講話を欠かさず聞き、メモを取った。
ダルシャン(聖者との面会)も受けた。
分かった、でもほんとのところ、よく分からなかった。
だんだん頭がくらくらしてきた。

人が変容するのはそんなに簡単じゃない、20歳の今の自分には無理、機が熟すのを待つし
かない……と若者はアシュラムを去った。その足でヒマラヤへ行き、仏教教室で学び、バラ
ナシに飛びガンジス川で泳ぎ、宇宙論を聞き、帰国。あれから40年。

20歳だった若者は還暦を越えた。
若者はゾルバになったか、ブッダに一歩近づいたのだろうか。

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同書「解説」(山川紘矢・山川亜希子)から。
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……

当時、実はOSHOに対して、私たちは否定的な思いを持っていました。アメリカで
の彼らのやり方を知って、ひどいカルトであり、とんでもない指導者に違いない、と思い
込んでいたからです。ですから、あまり熱心にアシュラムに通ったわけでなくて、プネー
の雰囲気やインドの色彩豊かで熱気に満ちたエネルギーを楽しんだり、そのパワーに圧倒
されていたのでした。

しかし、その後、ある書店からの依頼でOSHOの本を翻訳し始めたとき、やっと、彼の
過激で断定的で、しかも分かりやすい宇宙的な真理の説明に、深く感銘を受けました。
彼はこの時代に必要とされる素晴らしい教師だ、と思ったのです。本当に大切なことを、
わかりやすい言葉で話していたからです。そしてなんと、彼のファンになってしまいまし

……

よろしければどうぞご一読ください。ありがとうございます。(風雲斎)