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風雲斎のひとりごと No.22 (2010.1.9)
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このメールマガジンは、これまで風雲舎とご縁のあった方々に
発信しております。よろしくご一瞥下さい。
なお、ご不要の方はお手数ですが、その旨ご一報下さい。
送信リストからはずします。

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ハーレーダビッドソンを駆る牧師
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昨年末、キリスト者の集まりで、ある牧師のお話を興味深
く聞きました。牧師は「人は何も持たずにこの世に生まれ、
何も持たずに帰る」というヨブ記(旧約聖書)の一節を読ん
だ後で、こう切り出しました。
「つい先日、これまで読んだ何百冊かの書籍と、身の周り
のがらくたをきれいさっぱり捨てました。ボロになった家
具類、電気器具、本箱、ラジオ、テレビ等々、がらくたは
2トン車一杯になりました。すっきりしました。がらくた
を捨てていくと、神がどんどん前面に出てきました」と。

促されて僕もこんなことを話しました。
「加齢と共に、身の周りから何か大事なものが消えていき
ます。僕の場合、それは人の死です。親兄弟は言うに及ば
ず、お世話になった恩人、親しい友人、先輩たちが皆去っ
ていきます。それが悲しい。ところが牧師と違って僕には、
代わるべき何も見当たらない。空虚さ、索漠たる想いに
悩んでいる最中です」などと。

食事時、同年配ぐらいかなと思って牧師に気易く声をかけ
て驚きました。風雲斎よりひと回り上の大先輩です。牧師
はついこの春先まで、ハーレーダビッドソンを駆って東京
から福島県のある高校までぶっ飛ばし、その学園の校長を
していたそうです。生徒に説教をして、野球部は甲子園に
連続出場した実績を持っているそうです。

なるほど、この牧師の話す言葉には力がありそうです。
聖書一筋というよりは、高い波動を発している実践者と見
受けました。御髪こそ総白髪ですが、肌はつやつや、瞳は
いたずらっ子のようにきらきら輝いています。話が書物の
ことに及ぶと、万巻の書を読み込んできたような知性が伝
わってきます。こういう人のお説教をときどき耳にしてい
たら、人生、ずいぶん豊かになるでしょうね。

僕が参ったなと感じたのは以下の点です。
身の周りのあれこれを捨て去って、神を中心に生きてすっ
きりしている牧師。対照的に、消えていく人・ものを懐か
しみ、こだわり、その欠落した後の空虚感にもだえている
僕。換言すると、信念のようなものを持っている人間と
そうではない人間との差、でしょうか。

こころの中に確固たるものを持っている人は幸せです。
牧師が言う「がらくたを捨てていくと、神がいた」とい
う心境。それが何ともうらやましい。ふと考えれば僕に
は何もない、それに気がついて呆然としたのです。
たぶんそれを極めていくと、ヨブ記の
「人は何も持たずにこの世に生まれ、何も持たずに帰る」
というところに帰着するのかなと感じました。

人間はある程度のところまでワアワア言いながら楽しく
過ごしてきます。がらくたを愛好し、がらくたをため込
み、がらくた言辞を吐きちらし、がらくたな人生を送り
ます。ところがある日、愕然とします。語るべき友はい
ない、親しい人は去り、仕事や生活の目標も消え失せ、
何をよすがにこの先生きていけばいいのだろうかと。

ゴルフだ、絵画だ、囲碁だ、陶芸だといって余生を楽し
く暮らしている友人が多いのですが、なにか大事なプリ
ンシプルをこころに抱いていないと、ある日はたと途方
に暮れる――そんな気がします。むろん僕にも仕事や家
族や孫もあり、それはそれで熱中するに値するのですが、
こころが欲しているのはもっともっと奥底からのもので
す。

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がらくたを捨てること
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人の死による悲しみ――それを実感したのは、ケンカば
かりしていた兄の死でした。表現しようのない悲しみが
やってきて、兄貴やおふくろの許へ僕を誘っている、と
感じさせるのです。これがお迎えが近いということか、
という妄想さえ浮かびます。仕事も手に付きません、
こんなザマで生きていけるのだろうかと、そんな混迷が
1年ほど続きました。

ところがそうではないのです。
1年あまり経って、それがやっと分かりました。
死ぬこと、この肉体が潰えること――それは必然です。
きっとやってくるものですから、抗いようがありません。
それはそれでいい、いつでもおいで――と腹をくくれば、
それで済むのです。

悲しみと並行して、この間ずっと実感していたのは、
「これまでの旧い自分から抜け出せ」とけしかけてくる
一連の出来事でした。酒びたり、小ばくち、異性、碁、
ゴルフ――そんな旧来のものがどうでもよくなったので
す。そこに戻っても少しも楽しくないのです。お前を構
成している中身を変えろ、とでもいうような迫り方です。

悲しみや一連の問いかけは、がらくたとおさらばしろ
という意味だったのではないか――そう解釈すると、
すっきりするのです。
スタイルを変えろ、暮らしを変えろ、生き方を変えろ、
中身を変えろ、チェンジしろ――がらくたとおさらば
しろと教えていたのではないか。

うーん、ちょっと元気が出てきました。
仕事にも人生にも張り合いが生まれそうです。
何とも遅い気づきですが、仕方がありません。
あの牧師さんには及びもありませんが、暗愚は暗愚なり
にアホはアホなりに生きるしか仕様がないのです。
そんなわけで今年もよろしくお世話になります。
皆さんにとってもいい年でありますように。

2010年元旦 風雲斎