+------------------------+
風雲斎のひとりごと No.38 (2012.5.22)
+------------------------+

このメールマガジンは、これまで風雲舎とご縁のあった方々に
発信しております。よろしければご一瞥下さい。
ご不要の方はお手数ですが、その旨ご一報下さい。
送信リストからはずします。

―――――――
ある友人の変身
―――――――
親しい友人Yさんのことである。
Yさんは碁仲間。碁に始まって酒、ゴルフ、マージャンと、フル回転
で付き合ってきた。

彼の職業は車の営業マン。T社の販売ひと筋の人で、さすがトップセ
ールスマンらしく、人付き合い、その気配りがまことにみごとだった。
この人のおかげで、囲碁クラブの会合、仲間うちの飲み会などがいつ
もスムーズに運んだ。配慮が行き届き、やることなすことに隙がなく、
だからご一緒する飲み屋、カフェ、そばやなどでは、ママや女将や
ご主人が必ず彼の席にやってきて挨拶した。といって自分を売り込む
のではなく、いつも他人を立てていた。不思議な人徳を持つ人だった。
「すごいやつだな」と、ぼくは内心、一目置いていた。

営業のコツは口八丁手八丁ではない、たんに車を売りつけることでは
なく、客の困っていることをヘルプすること――それがポリシーだっ
た。友人の転職、病気など、面倒くさいことや、細々としたトラブル
などを彼はいちいち丁寧に引き受け、自然に、さりげなくやっていた。

彼がわが家に立ち寄るときは、いつも何かひと品を持参した。ダイコ
ン、ホウレンソウ、バラ一輪……。高価な品ではない。うちのかみさ
んには、Yさんは絶大の信用があった。「あなたもちょっとは見習いな
さい」と、いつもよけいなひと言を付け加えたものだった。ぼくも車
の買い換えも彼だった。なぜかというと、彼の名を出すと、ディーラ
ーの扱いが手のひらを返すように変わったから。
(たぶん)彼の人生の交友録はこうしてふくれあがり、その結果、
彼は腕利きの営業マンとなったのだろうと思えた。

ところが二、三年ほど前、彼はそういう暮らしをぷっつり止めた。
「もうお前らとは付き合わないよ」と宣言した。たまに囲碁クラブで
顔を合わせても、会話を避けるようになった。あるとき強引に酒場に
誘って「どうしたの?」と尋ねた。
彼の事情を聞いておどろいた。

彼が奥さんの母親の面倒を見ていたのは耳にしていたが、母親が亡く
なったあと、看病疲れの奥さんに異変が起きたらしい。がん宣告を受け、
だんだん奇矯な振る舞いがめだつようになり、うつの診断を受けた。
あるとき、奥さんがこう言ったらしい。
「他人の面倒ばかりじゃなく、自分の女房ぐらいちゃんと見なさい」
そのひと言が引き金になった。

そこから彼は変わった。
「オレはこれまで世間を相手に生きてきた。これからは女房だけを相手
に生きる」と決めたのだと。行動基準を、すべて奥さんのためと定め、
悪友連中との付き合いをきっぱり止め、友人やお客第一から女房第一へ
と切り替えたのだという。英断である。
数年前、どこかの市長が、倒れた奥さんの看病に専念するために公職を
辞したというニュースが報じられたことがある。これも英断である。
Yさんも市長もさわやかである。

―――――――
お前にできるか
―――――――
そうだったのか。
大変身である。
脱帽である。

うーん、その上で、「お前にできるか」と自問してみた。
たぶん何10パーセントか、そちらに切り替えるだろう。
でもYさんほどドラスティックに切り替えられるかどうか、自信がない。

でも不思議なもので、ふとふり返ると、余分なもの、余計なことをずい
ぶん削ぎ落としてきている。ゴルフは止めた。マージャンとも手を切っ
た。酒場通いもなくなった。くだらない“ベストセラー”も読まなくな
った。読める本と読んでも意味のない本との区別がついてきた。右顧
左眄しなくなった。ヘラヘラしなくなった。何が必で何が要らないか、
それが少し見えてきた。

面白いもので、すると、仕事が楽しくなった。
目の前の仕事を淡々とこなす。
これまで60%だった中味が80%ぐらいになった。
ちょっぴり腰が据わってきた。
自分がやる仕事とそうじゃない仕事の区別がついてきた。
やっと人並みになったのかもしれない。
Yさんほどじゃないけど、変身が必要だったのだ。
なるほど、人はこうして変わるのだ。

―――――――――――――――――
『ぼくが正観さんから教わったこと』
―――――――――――――――――
という一冊の本がやっとできました。
小林正観さんのことはこのメルマガでもさんざん書いたから今さら
付け加えないが、すごい人だった。ぼくにとってはおっかない人だ
った。
その正観さんがなくなって半年。
あの人のことをきちんとふり返りたいと、ずっと思っていた。

この本の著者は、高島亮さんという「正観塾」の師範代。
私の代わりにしゃべってもいいよと、「師範代」と名乗るのを許された、
いわば正観さんの愛弟子だ。高島さんは15年間、正観さんのそばにい
て、正観さんの素顔とその教えをじっくり観察してきた。
その想いをまとめた一冊。

高島さんのキャリアが面白い。
彼は、子供の頃から“何でも一番”の学校秀才だった。
東大から一部上場企業へ就職し、人生は、順調に進むはずだった。
しかし、どうしてもそこになじめない。ある出版社に転職し、そこで
会ったのが小林正観という異色の人物だった。秀才がそれまで持って
いた旧来の価値観と正観さんの価値観とのせめぎ合いを経て、学校
秀才の人生は、そこから180度変わっていく。
旧い上着を脱いで、考え方が変化していくところが面白い。
がんこな、硬直した考えの弟子に、モノがわかった師匠が、
「いいですか、大事なことは知識じゃないですよ、実践ですよ」
と、繰り返したしなめ、育てていく。
それが面白い。
弟子の変身である。

高島さんはこんな風に言う。
「小林正観さんと出会ってこの十五年間、何を見て、何を学び、
何を教わったのかをじっくりと考えました。そこを整理することが、
この先の人生への架け橋になると思ったからです」

「大事なのは、実践ですよ。“五戒”“う・た・し”、そして“感謝”。
それを日常生活の中で淡々と実践すること――」
正観さんの声が著者の耳にいまでも響いているという

この弟子の偉いところは、100%ベタッとひれ伏さないこと。
いいはいい、おかしいはおかしいとはっきり師匠に言うところ。
疑問は疑問として、弟子の気持ちが正直に表現されているところ。

それがそのまま小林正観研究の一冊となり、結果として、
弟子による礼賛本ではなく、味のある一冊となりました。
よかったら、どうぞご一瞥ください。

『ぼくが正観さんから教わったこと』詳しくは
http://www.fuun-sha.co.jp/

(今号終わり)