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風雲斎のひとりごと No.58(2015.7.14)
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このメールマガジンは、これまで風雲舎とご縁のあった方々に発信して
おります。よろしければご一瞥下さい。ご不要の方は、お手数ですが
その旨ご一報下さい。送信リストから外します。

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「十一日会」という集まり
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迫登茂子さんという、神のお言葉を取り次ぐシャーマンご婦人
がいる。シャーマンといっても、おどろおどろしい霊能者の表情
ではなく、笑顔のきれいなおばさん。理屈ではなく、感性の人。
神からのご意志に感応して、「自動書記」といわれるスタイルで、
神のお言葉をワアーっと紙に書く。もう何万枚書いたか数知れ
ない。

その例会が「十一日会」という集まり。雨が降ろうが嵐になろ
うが、例の3・11だろうが、毎月11日になると、小金井市の
彼女の自宅で続いている不思議な時空間。老若も、男も女も、右翼
も左翼も関係なし、誰でも、いつでも歓迎の集会。

僕は20年ほど前からこの会には顔を出していて、もう最古参の
メンバーになったようだ。何がいいかというと、ここで過ごす数
時間は、世間と離れ、俗塵を洗い流し、心身ともに清められ、
ほっとするから。

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雪田幸子さんという歌人
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10年ほど前にこの会で出会ったのが雪田幸子さん。
1935(昭和10)年生まれだから、ちょうど80歳。
1年ほど前、彼女が生い立ち、来し方をこの席で話したことがあっ
た。
満州で過ごした小学5年生までの平穏な時代、敗戦間際から日本に
引き揚げるまでの苦労、敗戦間際に兵隊にとられた父、1946年
頃の大混乱の満州で、腸チフスにかかって40度の高熱と血便が続
いたこと、それに感染した義母が、10歳の彼女と4歳の弟、2歳
の妹を残して亡くなったこと、10歳の彼女にはなす術がなく、
二人は残留孤児として生き別れになったこと。

へえーとぼくは驚いて話に聞き入っていた。
半端な苦労ではない。すさまじい身の上話が続いた。

佐世保に引き揚げて高1で肺結核にかかって中退したこと、
国立療養所に入院して前後9年間の闘病生活を送ったこと、
短歌のご縁で初恋に人に出会い、婚約したものの、彼は薄命だった、
つかの間の幸が訪れ、人並みに結婚生活を送ったこと、
姑との確執、夫の大借金、パート勤め、
自分とは何かを求め、座禅を求め、仏門に帰依したこと、
70歳過ぎ、脳梗塞で片マヒになった。
右半身が動かなくなり、車椅子暮らし、杖一本が頼り。
誰にも会いたくない、電話に出たくない日々――、

そんな自分史を淡々と語って、彼女の話は終わった。
みんなびっくりしていた。
日頃の彼女のしとやかな、垢抜けした、貴婦人のようなたたずまい
から想像もできないようなすごいお話だった。
そんな背景があったとは僕も知らなかった。

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一からパソコンを習って書いた自分史
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誰かのお話を聞き、それがユニークであれば、「書いてみませんか」
と誘うのが僕の商売です。
このときも、僕は「雪田さん、書いてみない、遺書のつもりで……?」
と彼女に声をかけました。それほど強烈な彼女の自分史に、僕は感動
したからです。

こういう場合、通常、人は、まず書かない。
書こうと思っても、書けない。
素人には無理のないこと。
ところが小一年ほどたった頃、驚きました、
「はい、書きました」と言って、雪田さんは原稿を送ってきたのです。

彼女は右半身が動きません。
ペンも筆も昔のように使えません。
不自由な左手の人差し指と中指を使って、パソコンを一から習い、
何度もやめようと思いながら、とうとう「はい、書いたわ……」と
やり遂げたのです。

もちろんヘボです。
でも事実がありました。
経験した人でなければ書けない真実がありました。
こういうたぐいの本は多々ありますが、どの作品と比べても遜色の
ないすばらしい原稿です。
「嘘のない事実だけを書いた」からです。
そこから編集作業が始まりました。
途中、ケンカもしました。
編集者のエゴが出てきて、彼女とぶつかるのです。
ケンカをすると、迫さんが、
「あのね、あんたがたね……」と優しく説教なさるのです。
迫さんのありがたいお話を20年も聞いていながら、僕は恥ずかしく
なって雪田さんに謝りました。

そうしてできたのが、
『すべておまかせ』
—-悲しみ、苦しみを超えて—-
試練の果てに、「光を運ぶ人(ライト・ワーカー)」となった一歌人の80年
雪田幸子著
という一冊です(46判216p)。
定価(本体1400円+税)。

7月末に店頭に出ます。
もともと雪田さんの自分史ですから、私家本、つまり本屋さんの
店頭に並ばないそれをイメージしていたのですが、いい出来なので、
一般書として公刊することにしたのです。

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歌人としての著者
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なかなかの歌人です。
いい歌がいっぱいあります。

戦争を契機となして負ひて来し不幸は吾のみにあらずと思ふ

われを惹く何かは知らず花冷えの仏像展に一日過ごしつ

ルノアールの絵を見たき思ひしきりなり今朝のこころ
の棘(とげ)棘(とげ)として

夜の闇に一つ浮かびし街灯のまたたきよ生きて何を為し来し

肉親の縁薄く生きてきし吾に常に温かき他人との愛あり

私とは何者なるや今日もまた鏡の中の吾と向き合ふ

圧巻は、彼女が悟りに近いところに到達する箇所です。
こんな歌があります。

生かされて今在る命ありがたし上り来る陽にただ手を合はす

いかやうなことがありても揺るがざるすべておまかせわたし
のこころ

辛いこと、悲しいこと、怒りなどがいっぱいありましたが、
すべて赦しました。そんなものはすべてチャラだと言い切るのです。
今の彼女は、

たんたんと吾の介護に過ごす日々この夫(つま)が居て夫と在る幸

と彼女はニコニコしています。
唯一の願望は、転ばないように気をつけています。
(今号終わり)