井深大が見た夢

発行年月日:1999/4/11
サイズ:四六版上製
ページ数:262
コード: ISBN4-938939-08-8
定価:(本体1,800円+税)

ソニーという世界に飛躍する企業を創設した井深はすごい。幼児教育という分野に新たな光を当てた業績もすばらしい。しかし井深の本当のすごさは『デカルトなんて捨てちゃえよ』と近代西洋科学の行きつく先を見越し、次なるテーマをみすえていたことではないか。

目次

[序 章] 父から子へ
[第1章] 魅了された人たち
[第2章] 井深 大と出会う
[第3章] 「常識のウソ」を明らかにした幼児教育
[第4章] 東洋医学の百貨店
[第5章] すべては「気」だ
[第6章] ニューエイジの足音
[第7章] 火花散るOリングテスト
[第8章] もう一つの文化勲章
[第9章] 見えない糸か

本書の内容

始めに・・・・・

書は故・井深大氏への追想の書ではない。むろんその想いがにじみ出る部分はあろうが「21世紀がどのような時代になるのか」「時代の中心軸がどう変わるのか」をめぐって、井深大(以下敬称を略させていただく)と私とで激論を交わし、その輪郭を浮かび上がらせようとしてきた、ここおよそ十年間の思想的な営みをまとめた次の時代への提言の書である。
私は社内のある研究室の長だった。その研究室は、ソニーの二人の創業者である井深大と盛田昭夫氏(現ソニー・ファウンダー名誉会長)の全面的な支援を受け、人間の持つ心、意識、気など、目に見えないものの存在と機能を探求しようとするものであった。
その過程で、私は井深大の最晩年のほぼ十年を近で接するという僥倖を得た。井深が発する光は、私が心中どこかで待望していた強烈なそれであった。
その光とは、現実を見つづけながらも決してそこにとどまることなく、いつもどこか遠くを見ようとしていた。それは「遥かを見つめる視点」とでも呼びうるものであった。

1997(平成九)年12月19日午前3時38分、井深大は静かに息を引きとった。「僕は病院ではなく家で、人知れず眠るように逝くよ」と予言していた通りの死だった。
その訃報に接し私は、井深大が長い年月をかけ、しだいに明確に描くに至った壮大な夢を書かなければならないと痛切に思った。当初は井深大と真っ向からぶつかったこともあったが、その発する光に私は徐々に同化していった。激励を受け、ときに叱責され、議論を交わしながら、やがて井深は私にとっての師であり永遠のライバルとなった。井深大の夢を、その私がいささか不遜ではあるが確かな言葉でまとめなければならないと強く感じたのである。巷間、井深に対しては、テープレコーダ、トランジスタ、トリニトロンカラーテレビ、ビデオテープレコーダ、そしてウォークマンなど、近代西洋科学技術の粋を結集して、ソニーを世界に冠たる企業たらしめた成果だけが喧伝され、かろうじて理科教育、幼児教育やボーイスカウトへの取り組みが評価されているにすぎない。しかし、それではあまりに一面的すぎる、というのが私の思いだった。それは半分の井深であり、あと半分の井深ではない。

井深の思索の真骨頂は、晩年にこそあり、それは井深が自分の前半生を基本的に否定することから始まった。心血をそそいで創った作品が雑貨と化し、物質偏重の波が怒濤のように広がった後の情景を見てとったのかもしれない。だからこそ、いち早く近代西洋合理主義に触れ、熟知し、常にその最先端を走りながら、井深はある時、自らそれと訣別したのである。「モノ」から「心」への初期のギヤチェンジが四半世紀前からの幼児教育だとしたら、井深大のパラダイムシフトは、「モノ」と「心」の結節点に「気」を導入した晩年に完成したといえるだろう。つまリデカルトが提示し、ニュートンが築き上げた近代西洋科学パラダイムに訣別し、新しいタイプの東洋思想をベースに「心」を取り戻すことが、すべてのスタートだと井深は主張したかったのである。
それは実に近代西洋合理主義からのコペルニクス的転回を意味する。

思い返せば1992(平成四)年、文化勲章を受章した際の記者会見で、井深はこういってのけたものである。「まだ形になっていないが、新しい分野でもう一つか二つの文化勲章を―」満席の会見場は、いまだ衰えぬ老骨の壮健さを賞で、大拍手にわいたというが、しかし、この「気」をテコに「モノ」から「心」へシフトしたニューパラダイムを二十一世紀に遺さなくてはならない、とする井深は本気だったのである。49年の歳月を隔てた井深と私、世代を超えた熱き思いが幾度スパークしたことか。創造・維持・破壊を繰り返しながら、井深や私が目指した夢を本書から少しでも感じ取っていただければ幸いである。

井深はもういない。しかしその視点は、明確に固定されたまま、われわれの掌中にある。

21世紀はふたたび精神の世紀になるであろう。
さもなくば、それは存在しないであろう。
アンドレ・マルロー

第5章 すべては「気」だ

もう一つの文化勲章

マネジメント会同での「ニューパラダイム」1992(平成四)年1月、ソニーのマネジメントが一堂に会し、社の方針、課題を討議する「92年マネジメント会同」が東京・新高輪プリンスホテルで行なわれた。出席者は二千名を超えた。
その年のテーマは、井深が常々口にしていた「ニューパラダイム」であった。井深はどんなテーマが出てくるのか、それなりに期待していたに違いない。
しかし、出てくる話題は、「大きさが半分になった」「速度が倍になった」「納期が半分の時間ですむようになった」「売上げが倍になった」、そして研究開発では「どうデジタル化の波を推し進めるか」というレベルの内容だった。
どれもこれも既存のデカルト・ニュートンパラダイムの延長線上のそれだった。退席する時刻がきて、井深にコメントを求めるべく司会者がマイクをさし出した時、井深は声を荒らげた。「自分がいったことを君たちは全く理解していないじゃないか。そんなものはパラダイムシフトじゃないんだ!」その声は悲痛にさえ聞こえた。井深は続けた。
「デジタルだアナログだっていうのは道具立てに過ぎない。
今日明日のことをどうするかってことも大切だが、ニューパラダイムの意味をもっと大きく捉えて考えてほしい。お客さまに満足していただく商品をこしらえることは、人間の心の問題です。
モノと心が表裏一体であるという自然の姿を考慮に入れることが、近代科学のパラダイムを打ち破るいちばんのキーだと思う。こういったパラダイムシフト、つまり人間の心を満足させることを考えていかないと、21世紀には通用しなくなることを覚えておいていただきたい・・・・」井深の持っている科学・技術観は「人間の心に響くこと」を第一義にしている。それでこそ「科学が科学たりうる」。つまり「科学とは人間のことなのです」というのだ。しかし、近代西洋科学はその道を踏み外してしまった。人間中心主義からまさに科学のための科学、科学中心主義へと変貌していった。それに気づいた井深は、徐々にアンチ近代西洋科学を模索するようになっていたのである。
そして1990年代に入り、井深はギヤチェンジの必要性を深く確認する。
モノから心へ。西洋から東洋へ。井深は、近代西洋合理主義、デカルト・ニュートンパラダイムをいったんご破算にするというコペルニクス的転回、180度の変化を「パラダイムシフト」といったのである。
「私は180度変わった。君たちも90度ぐらい変わってくれよ」という思いだったのであろう。
しかし現実は90度どころか一度も変わっていなかった。変わるどころか、さらに近代西洋合理主義化の道が加速されているように井深には思われたのだ。
マネジメント会同の会場を出ても井深の憤慨はおさまらず、「ちっともわかっとらん!」とつぶやき、「しょうがないでしょう」と淡々と答える僕にムッとした表情を見せた。あのあたりが、井深がさらに強い決意をした境界線だったように僕には思える。
「パラダイムシフトをわが手で!」

すべては「気」だ

井深は明らかに急いでいた。自分の残り時間が少ないこともはっきりと意識していたのであろう。僕が研究を進めるために、社内のおエライさんに説明に行くことも気に入らず、「どうしてA君のところに説明に行った。あんたなら、いまの彼に説明しても“わからない”ことぐらいわかるだろう。そんな暇があったら研究に専念しなさい」と、いらだちが飛んできたりもした。「Aさんからのリクエストを若僧の僕が断るわけにはいかない」と抗弁しても、井深は論外だといわんばかりだった。気持の急く井深に、この年の秋、大きな喜びが訪れる。

「デカルトなんて捨てちゃえよ」西洋科学の方法論は、結局、測定あるいは数値化という形で、「気」の実体に迫るしかない。客観性や再現性を求めながら。井深はその出発点がすでに大失敗だと批判する。要するに測れる、数値化できる世界以外はすべて「気」なのだ、というぐらいの感覚だったのだろう。

井深にとっては、気を測定する世界に入りこむこと自体が、すでに気の矮小化につながる、といいたかったのだ。枠のはめ方、器次第でいかようにも姿を変えるのが気だと考えていたに違いない。「気」は生きている。静止させて、あるいは断面のみを切りとってみることは、「気」を殺すことにつながるのだ。従来の近代西洋科学が踏襲してきた道ではたどりつけない、東洋思想的な包括的アプローチこそ「気」を捉えるには重要だと井深は確信するようになった。おそらく井深にとっての「気」は、半身体的な存在だったに違いない。「モノ」でもあり、「心」でもある。ある時は形となり、ある時は見えなくなる。そんな二面性を持ちながら「心」と「身体」をつなぐ存在こそ「気」とイメージしていたのではないだろうか。あるいは「心」と「モノ」の結節点に「気」があったのだ。これは東洋医学の実践を通して井深が感じていたものとピタリと通底した。

宇宙に遍在する形のない「気」が凝集して一つの命を形づくる。そして時がくれば生々流転するが如く散っていく。まさに荘子のいう、「気が聚まれば則ち生、気が散ずれば則ち死」であったのだろう。この有りて無きもの、無きて有るもの、これがまさに「気」であり、すべてをつなぐものであった。
「気」が生命を形づくり、「心」を動かす、そして「心」が「気」へ働きかける。「気」は一瞬たリとも同じではない。そして、これはデカルトの二元論からは決してたどりつけない、「気一元論」とでもいうべき大きな高みであった。
そういえば「気」に熱中していたある日、井深は二ヤッとして、「あのねえ、デカルトなんて捨てちゃえよ」といったことがあった。
井深にとっての「デカルトとの訣別」とは、これまでデカルトに従ってやってきたが、「この先はそんなもんじゃ通用しないよ」という悟りを得たことの宣言だったのかもしれない。
井深がそこで見た景色は、それこそ老荘のいう「道」であり、「万物は一気なり」の世界であったのだろう。
仙人たちが闊歩するモノクロームの世界が、一転して鮮やかな色をもって動きだすような衝撃的な映像へと変わったのかもしれない。
井深の「デカルト訣別宣言」は、お前にはわからんだろうという優越感を含みながら、同時に、「あんたも早くここに来なさいよ」と僕を誘っていた。

著者略歴

佐古曜一郎(さこ・よういちろう)

佐古曜一郎
1957年、兵庫県の日本海側の城下町・出石に生まれる。
兵庫県立豊岡高校卒業後、1975年東京大学理科1類入学。1979年東京大学工学部計数工学科数理工学コース卒業後、ソニー株式会社入社。技術研究所にてCD、CD-ROM、8ミリビデオなどの規格化に携わった後、情報処理研究所にて、音声認識を含めたAI研究、さらに暗号、データベース、カーナビゲーション、光磁気ディスクなどの研究に従事。

1991年11月ESPER研究室の設立により、「気」「心」「意識」を含めた生命の本質に迫る探索研究を行なう。

人体科学会常任理事、国際生命情報科学会理事。