次世代オーディオに挑む
ちょっと音にうるさい人へ、音の匠が奏でるオーディオ進化論です!
中島平太郎

次世代オーディオに挑む

発行年月日:1999/10/26
サイズ:四六版上製
ページ数:260
コード: ISBN4-938939-10-X
定価:(本体1,800円+税)

戦後の焼け跡で欲しかったのは「いい音」だった。その思いはやがて「最高の音」へと変貌し、50年経てみると、本当に聴きたかった音は「心地よい音」だということがわかった。CDを創り”音の匠”と呼ばれるようになった一技術者の音さがしオーディオ人生。

目次

[第1章] 「オーディオ」を手づくりする
[第2章] 新しい時代の「オーデイオ」に踏み込む
[第3章] 井深大とソニー、そして私
[第4章] CDでディジタルオーディオ革命
[第5章] 「次世代オーディオ」は、こうなる

本書の内容

◆第3章井深大とソニー、そして私◆

カラヤンに認知されたディジタルオーディオ

じつは業務用は、ソニーの方針である民生用を主に扱う音響事業部にはそぐわないので、厚木工場内に「ディジタルオーディオ部」を設け、ここで生産することにした。

利益率でおおいに貢献できるはずと踏んでのことである。これも賭け、だったろうか。その部長は私が兼任したが、実質的には土井君に次長として中心になってもらった。もちろん彼は設計・製造の面倒もみたが、同時に世界を股にPCM1600を売り歩く絶妙のセールスマンぶりを発揮した。

土井君は、世界のあちこちの録音スタジオで、その持ち前の押しの強さと独特のジョークで相手を煙にまき、いつのまにか成約にむすびつけてくるのである。回り回って私のところに、彼のセールスの様子が伝えられてきたものだ。いずれも、なにかドクター・ドイに騙されたような気がしないでもないが、どうなんだという問い合わせみたいなもので、私は、これは土井博士、例によって大風呂敷を広げて相手を疑心暗鬼にさせたのだろうと想像し、思わず噴き出しそうな笑いを噛み殺して、ひたすら謝った。

ところで、これは、何人かの人がすでに世間に暴露してしまったのですっかり有名になってしまった話だが、かの指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンがPCM録音について怒り心頭に発し、そのあとに絶賛したというエピソードに関して記しておかねばなるまい。

それは、昭和五十二年(1977)の秋のことで、当時の盛田会長の自宅が舞台だった。ベルリン・フィルの公演で来日していたカラヤンが、合間をぬってかねてより親交のあった盛田宅を訪ねるという。
盛田さんは、なにか特別な趣向でカラヤンを歓迎したいと、話題になりつつあったディジタル録音を披瀝しようということになった。
相談を受けて私は、いたずら心を起こした。ある音を聴かそう、と。それはPCM1600で録音してあったものだが、会長宅のステレオセットに合うようPCM1に移し替えて、さて当日となった。音楽が流れ出すにつれ、マエストロはムッと不機嫌になっていった。耳に飛び込んでくるのは、つい少し前に自分が指揮した「トロヴァトーレ」の練習をしている模様が生々しく流れる音だったのである。

ところどころにカラヤンがオーケストラのメンバーを叱ったりタクト台を激しく叩くところもあって、リアルで迫力満点だ。しかし芸術家にとって練習は、いわば恥部であろう。そのことに血相を変えたのである。

曲の途中で怒りだしたカラヤンに、練習を黙って収録したこと、そしてそれを断りもなく流してしまったことを、たしかに非礼のかぎりだから平謝りにあやまった。

素晴らしいアナログプレイヤーを開発している寺垣武さんという人がいて、巷は二人をライバル視するが、中島さんは寺垣さんの見事な匠技を高く評価し、CDのメカ技術に力を借りたいと付き合いを続けている。

ソニーを辞めた中島さんはいま、いつでもどこでもその時々の状況や気分に合った心地よい音楽を奏でる次世代オーディオの概念をつきつめて考えており、自ら家庭用スピーカーの手づくリを始めた。一つのことに徹するのは、素晴らしい生き方である。

その真相は、こうだった。
その年の夏休み前、ロンドンにある著名なレコード会社であるEMI社の録音スタジオに、わがスタッフがPCM1600とUマチックVTRを持ち込んだ。すると、次の週にザルツブルグでカラヤンの指揮でオーケストラの練習を収録するから、同じマイクに、これまでのアナログのマスターテープレコーダーとPCM1600を並列に接続して、同一条件下での比較テストをしてみないかと誘われたのである。もとより願ってもないことだと引き受け、そうして、こつそりディジタル録音をすることになったというわけだ。

いわば盗み録りしたのだから、怒られて当然。だから伏して謝ったが、試作したディジタル録音機の音質テストをしたいばかりにやったことで他意はないという釈明を聞きながら、通訳のインターバルにも流れる音に耳をそばだてているマエストロの顔に、しだいに興味というか驚きのような表情が現われるのが見てとれた。

カラヤンは、ブスッとしながらも、ディジタルとは何だ、どういう理屈か、と質問してくる。ふだんから録音技術のこと、自分の音がどのように収録されるのかと、ずいぶん気にする芸術家だと事前に聞いていた。その情報は、機械好きな白髪の好々爺という趣に変わっていった。カラヤンは、はじめは苦笑し、やがて「これは、まったく新しい音だ。将来を拓く音だ」と賞賛してくれるように変わったのである。

そして、ついには「この録音システムを自分の仕事場に設置したい」といいだした。無断録音のひけめもあって、盛田さんが一も二もなくOKしたのは当然だ。

私は、ここでもう一押ししておきたかった。帰国したマエストロを追いかけて、お礼かたがた手紙を書き、その中で「技術というものは絶えず進歩する。どこまでも、どこまでも、よい音を求めて研究開発をするのが私どもの性。それは止められません。立場は違うかもしれませんが、よい音を求めるという意味で、そのことは理解していただけるのではないでしょうか」というようなことを伝えた。これは技術者としての本心である。

それにしても、いったん歩みだした技術革新の波というのは、その技術が本物であるかぎり、誰をもってしても、また何をもってしても、止めようがないほど勢いを持ってしまう。カラヤンも、そして私ども自身も、もう止めようがないほどに、オーディオのディジタル化は加速してしまった。

ソニー社内でも、ディジタルオーディオに後ろ指をさす者がガクンと減った。ディジタルオーディオが完全に市民権を得る、そうしたカラヤンとのエピソードではあった。その後、この巨匠は、なにかと私どものディジタルオーディオへの取り組みをバックアップしてくれることになる。

◆第5章「次世代オーディオ」は、こうなる◆

究極(?)のレコードプレーヤー

寺垣武という人がいる。幼いときから機械好き、工夫好きで、いうなれば市井の発明家のようなのだが、その鍛えられた匠技は並みではなく、いままで嘱託ないしは技術顧問としてたずさわったのが日本電気、日本原子力研究所、富士通、シチズン、リコーなどなど、いずれも先端的な研究開発の高度な機械工作技術の部分をになって、押しも押されもせぬ実績をあげてきた、一匹狼の技術者である。この寺垣さんが、たしか昭和五十三年頃だったと聞くが、なにげなくオーディオ雑誌を手にする機会があったそうである。パラパラとめくっているうち、レコードのカッティングマシンの記事が載っているページに、なにしろ機械好きのこととて目がとまった。

そして、そこに書いてある「一台のカッティングマシンのパワーは、三、四百ワット」という一文に目が釘づけになった。あのレコードの細い音溝を刻むのに、なんと三、四百ワットもの強大なパワーをかけているとは・・・・・・。その一事をもってしても衝撃的だったが、考えるほどに、大きな疑問にとらわれた。ひるがえってレコードプレーヤーを見ると、針をソッと軽く音溝に乗っけて、あとはレコードを回転させるだけで音を再生している。それに要する電力は、カッティングで投入しているパワーより桁外れに少ないものでしかない。そんな無駄なことはない、と引っかかったというのである。

すなわち、三、四百ワットもかけて、収音した音の膨大な情報量を凝縮して入力しているのに、わずかなパワーで出力しているということは、レコードに込められた情報のごくごく一部しか取り出していない。そこがおかしい、と。目のつけどころというか、ふつうなら見すごしてしまうところに着目するあたり、ただ者ではない。

そうして、とにかくご自分でも「メカの粋を集約した」というほどの機械工作の技術を駆使し、出力のメカにもカッティングと同等程度のパワーをかけつつ、しかしカートリッジの針先に過大な負荷がかかることのない、そのようなプレーヤー「Σ3000」を作ったのである。

その出来栄えは、正直いって「すごい!」の一言である。まず再生音を聴いてみると、オーケストラやジャズ演奏、尺八などの演奏、あるいは落語なんかも、そのコンサート会場やライブハウス、スタジオ、寄席などの聴衆のしわぶきや、もちろんバイオリンの弦のすれる音や演奏者の息づかいまで乗せて、臨場感あふれて迫ってくる。おそらくアナログ派が聴けば泣いて喜ぶような、たいへんな代物だ。

その点では私も素直に感心したが、なにより私が感嘆したのは、それを見せてもらい開発プロセスを聞いて知った、そのメカニズムに関してだった。

そもそも「機械」というのは、振動や回転その他なんらかの運動によって、ある部分から他の部分にエネルギー(情報)を伝えて有効な仕事をするモノである。その場合、力学的にロスを少なく効率よく機械を作動させることと、その機械の動作を正しく制御することがポイントとなる。私自身そうした世界に入っていくと深みにはまってしまい説明に紙数を費やしてしまいそうだが、いまここではΣ3000についてのメカの詳細は省略する。

ただ、超精密技術のレベルでテコその他の力学的な原理をフルに生かして、きわめて高効率のメカを実現していることに脱帽した。しかも、なんら油やゴムを使わずにメカを作動させている点に驚嘆した。一般に潤滑剤として油を使うことは機械に欠かせない。同じく振動のクッション役としてのゴム類も必要不可欠とされる。

ふつう日常的に用いる機械類では、油やゴムは不要の振動やガタを吸収して、つつがなく回転させたり移動させるのに有用だが、超高精密機械という範疇になると、それが逆に悪さをする。油やゴムを使うと、働く力がそれらに多少なりとも吸収される。ということは、かならず大なり小なり振動や回転といった運動の原点が狂うことになる。そこが機械屋の永遠の悩みなのである。

ところが寺垣さんは、その油もゴムもいっさい使わずに、純粋にメカだけで物理的に無理や無駄のない、いい換えれば力学的に運動の原点に揺るぎのないプレーヤーを完成させている。その点でいえば、そのメカは究極のそれといってもいいほどで、それはもう「まいった」というしかない。振動の原点を極める――そこがポイント寺垣さんとは、以来ずつとお付き合いしている。ある人にいわせれば「アナログ対ディジタル」の構図になぞらえて、寺垣さんと私を、それぞれの雄としてライバル視している向きもあるようだ。

しかし私は、二人がライバル関係にあると見られるのは迷惑である。むしろそのメカという点での見事なまでの匠技に素直に頭を下げて、ぜひCDプレーヤーのメカに寺垣さんの腕を借りたいと思っているほどだ。
じつはCDディジタルオーディオといえども、たとえばプレーヤーの光ピックアップの信号制御機構やピックアップの送り機構など、微妙なメカ部分がいっぱい詰まっており、まさにメカの集合体といってもよいくらいだ。

振動や回転などの運動の原点をきっちり抑える必要は、そのメカが超精密になればなるほど重要になってくる。その運動(振動)の原点を正しく抑えることで、レコードの場合と同様に、結果としてCDディスクに内包された細かい音の二ユアンスをも取り出せると思っている。CDは、どんどん小型化、低価格化がすすんで、一部で「もはやCDは雑貨だ」という声があがっている。電卓やディジタル時計がそうであったように、汎用品の軽薄短小がすすめば雑貨化するのは当然で、それはそれでディジタル化の特徴が一面でうまく機能した証であり、否定すべきことではない。ただ、その面だけが強調されるのは寂しい。そういう点で、雑貨化とは逆の方向で、よりCDディジタルオーディオならではの完成度を高めていかなければならない。そこで現状において一番欠けているのは、雑貨化の流れの中で軽視しがちだったメカ要素の改善、改良である。その怠ってきた運動の原点に揺るぎのない技術の追求で、寺垣さんの匠技を生かしてもらいたいのである。いまのところ寺垣さんは、なおレコードプレーヤーの完成度を高めるのに一意専心で見向きもしてもらえないが、きっと説得してみせようと思っている。

振動の原点をはっきりさせ、それをもとに機械系や回転系を考えるのは、レコードプレーヤーやテープレコーダーなどの回り物だけに通用するポリシーではなく、まさにCDもそうなのである。オーディオシステム全体としてみても、入口のマイクから出口のスピーカーまでのすべてのコンポーネントが、機械振動はもとより音響振動や電気振動を取り扱っている。どういう種類の振動でも、振動の原点をはっきりさせる重要性はまったく同じである。あいまいさのない寺垣さんのメカ開発過程で蓄積された究極のメカは、おおいに参考になる。

まったく勉強すればするほど、オーディオの極限をきわめることの難しさが身に染みる。まだまだやることは多い。音をディジタル化して、波ではなく0と1の無数の数字の列によって表現しようという発想は、NHK技術研究所の音響研究部長室で生まれた。中島平太郎さんが部長で、部員たちと5時過ぎてウイスキーを飲みながら談論風発している中で生まれ育っていった。
そのディジタル・オーディオは、当時は雲をつかむようなとんでもない話であり、研究所に認められそうもなく、部長の一存でもぐりの研究として始まった。
数ヶ月後にいまのCDプレイヤーからは想像もできないグロテスクなほどに大きい機械として出現し、ともかく音を出した。昭和41年のことである。
NHKでの研究開発は悪戦苦闘して中止のやむなきに至り、やがて民間企業が取り組み始めた。VTRを流用する機械から実用化に入り、直径30センチの光ディスクを用いるDADを経て、いまのコンパクトなCDとして完成された。昭和57年であり、16年の年月を経ていた。

この本は、ディジタル・オーディオ開発を創始して、ずっと中心にいた中島さんの自伝によるオーデイオ開発物語である。NHKで長年、マイクとスピーカーの研究に取り組み、つまり音の入口と出口だが、ディジタル化で真ん中のプレイヤーに入っていく。
NHKを辞めて、ソニーの技術研究所長に招かれて移り、ソニーでCDを完成させるのだが、良い音を出す技術に徹した人生であった。
中島さんは、とても生真面目な技術一徹の人である。
良い音へ信念に燃えて突き進む。そこで人とぶつかる。そのぶつかりからさまざまな人間模様が生まれる。この本は専門用語が多い技術開発の本ではあるが、くだけていて読みやすく、なかに人間臭いエピソードが豊富にある。
ソニーの創業者である井深大さんは、アナログ派でディジタル・オーディオは嫌いであった。
開発にいささか冷たかったが、中島さんはぶつかっていく。
井深さんも大好きな技術綸をふっかけて熱中すると、「あなたは音を聴くのか、音楽を聴くのか」と切りかえされる。その一言はずっと中島さんの頭に残った。井深大に魅せられた中島さんは、開発成果をいそいそと持っていくのが無上の喜びであったが、その井深さんはもはやいない。

カラヤンの指揮の練習風景をこっそりディジタル録音して、盛田邸のパーディーに来たカラヤンに聴かせると、激怒した。だがやがて澄み切った音に感心して、ディジタルを贔屓にするようになった。いまのCDの録音時間は74分だが、いこれはカラヤン「の1枚のディスクにべ-トーペンの第九の全曲をおさめるべきだ」との一言で決まった。
素晴らしいアナログプレイヤーを開発している寺垣武さんという人がいて、巷は二人をライバル視するが、中島さんは寺垣さんの見事な匠技を高く評価し、CDのメカ技術に力を借りたいと付き合いを続けている。
ソニーを辞めた中島さんはいま、いつでもどこでもその時々の状況や気分に合った心地よい音楽を奏でる次世代オーディオの概念をつきつめて考えており、自ら家庭用スピーカーの手づくリを始めた。一つのことに徹するのは、素晴らしい生き方である。

著者略歴

中島平太郎(なかじま・へいたろう)

工学博士。

1921(大正10)年、福岡県久留米市に生まれる。
戦時下の東京工業大学電気工学科を繰り上げ卒業後、九州大学大学院特別研究生として音響学を学ぶ。
1947年10月、NHK入局。熊本中央放送局技術部をふりだしに、技術研究所音響研究部門を歩く。65年、音響研究部長、68年、放送科学基礎研究所所長。

71年、当時社長だった井深大氏の「物づくりは楽しいぜ、来なよ」との囁きでソニー入社。ソニーの音の基礎を築く。 常務取締役技術研究所所長、音響事業部長、ディジタルオーディオ部長などを歴任。
83年、アイワに転じ社長。 89年、スタート・ラボを設立し社長。

1993年、CD開発の功績により紫綬褒章を受章。
日本音響学会会長、DAT懇談会会長を経て、社団法人・日本オーディオ協会会長、オレンジフォーラム会長。

「いい音」から「最高の音」、そして「心地よい音」を求めて、“音の匠”の夢は尽きることがない。