口から出任せ。
口から出任せは、“ホラ吹き”ではなく、
魂が口から出るに任せる……魂と魂のぶつかり合い、本音の語りです。

◎植芝合気はもとより、保江愛魂も、山本いろは呼吸書法も神がかりだった。
◎神は、単純な繰り返しに宿る。合気も、愛魂も、いろは呼吸書法も単純な繰り返しだ。
◎言霊で、神が降りてくる。
◎音霊一つひとつに神が宿る。
◎人体は言霊の集合体。言霊を発することで、細胞が活性化し、病気やマイナスが消える。
◎神の働きかけが、いろいろな人、いろいろな場、随所に起きている。
◎耳を澄ませ、それに波長を合わせる――
すると、神を感じられる。
◎とはいえ、神はえこひいき。愛される人は、とことん愛される。
◎神はそもそも絶対調和。でもそれではつまらない。神は事を起こして、僕らを楽しませる。
◎だから「いま」が大事。いまを大事に生きる。

植芝盛平翁の神性を中心に、保江「愛のエネルギー」、山本「いろは呼吸書法」の三者のシンクロによる「全てを愛し許し合う、争いの無い平和な世界」を求める熱談。
(46判並製 256p ISBN978-4-938939-81-6)定価(本体1600円+税)

7月4日の保江先生、山本先生による講演会は大盛況のうちに終了いたしました。お越しいただいた皆さま、ありがとうございました。

【本文より】

本来の合気道は神がかっていた

保江 僕は高校三年生の一番感受性が強いときに、テレビで盛平先生を見て、感動したのです。
微塵も疑いませんでしたよ。すごい人だ、僕もああなりたいと本気で思ったんです。
山本 不思議な縁ですよね。
保江 その後いろいろあって、先輩も同期も去っていって、最後に僕だけ残った。でも「本当のところはどうなんだろう」と思っていたところに、救世主として山本先生が現われたのです。それで僕の純粋な高校三年生の頃の植芝盛平先生に対する思いがそのままよみがえって、「あれはやっぱり本当だったんだ」「しかも本質は岡山にあったんだ」と感動したのです。
山本 二〇一四年五月五日の東京での稽古のとき、保江先生は「植芝盛平開祖に捧げる」とおっしゃった。あのひと言で私はもう感動でした。涙が出るくらい感動しました。
保江 直弟子でもない僕がそんなことを謳ったものだから、ますます世の中から浮いてしまいました。
山本 そうなのですか。
保江 山本先生はどうお考えですか。サムハラ、九鬼神道の、本当の神がかりを持っていた合気道が、今は一般的な武道のひとつになっています。だから僕も悲しいし、合気道の将来を憂えています。
植芝盛平翁、吉祥丸道主、その流れの中にいらした山本先生は、現状をどのようにご覧になっているのでしょうか。
山本 これは日本の政治的な問題にも関わってくるのですが、合気会はいま公益財団になっています。
そうすると何が変わるかというと、宗教的なこと、神がかり的なことはこれっぽっちも言えなくなるのです。
私も保江先生と同様に、霊的な話、神様の話、見えない世界の話なんかをみんなの前で言いますが、今の公益財団という組織の中ではそれがみんなアウトになってしまうのです。
山本 要するに、組織体を維持しようとすると、そういうことになるのです。だから、野口整体にしても、合気道にしても、今や宗教的、霊的な話はできないようです。そのことは理解していかないといけないとは思っているのですが。ただ、自分としては、日々の稽古の中で大先生がいつもお話をされていたように、道主がひと言でもいいから、「合気道というのはこういうものだ」ということを伝えていくのがいいだろうと思うのです。そのことはずっと私の思いの中にありました。そうした中で、いろんなところから保江先生の情報が入ってくるようになったのです。
保江 ほとんど悪い情報でしょう。
山本 いやいや。保江先生には、私は絶対会わなければと思っていたのです。一月にお会いし、見た瞬間、「これは大先生の〝合気道は愛じゃ〟を教えてくださっている人だ」と気がついたのです。
もう感動しました。稽古の後の新年会にお誘いいただいてお話しして、お互いの話が全部「出任せ」だということがわかって、もう手を握り合って、愛を語り合いましたよね。
今の合気道でやっている稽古は、実技のみの稽古です。それに対する批判のあることも三代目道主もご存じです。ただ、現道主の謙虚さと、和を重んじ、人を喜ばせ、楽しく稽古をさせる人間性には頭が下がります。世界中に稽古人が増えるのは、三代目道主の人柄に人が集まり寄ってくるのでしょう。私の願いは、そこでひと言、「合気道はこうこう、こんなもので……」と言ってくれたら嬉しいのですが。
保江 本当にそう思います。僕は、植芝盛平先生を尊敬しています。塩田剛三先生も尊敬しています。藤平光一先生も尊敬しています。師範方みんなを尊敬しています。僕は自分がダメだから尊敬するのが得意技。大先生が亡くなられたとき、その人たちがそれぞれ主になるのはいいことだと思います。
でも今はもう、その次の世代でしょう。次の世代になったら、一度原点に戻してみたほうがよいと僕は思うのです。昔に立ち返って原点に戻り、合気道の本質をみんなで一緒にやろうよ。一生懸命に本質をやらないと、もう合気道の将来はないのではないかと思います。
山本 本当にそう思いますね。
保江 それで「合気道はよみがえる」と大声で言いたいのです。本当は「俺が蘇生させる」と続けたいのですが。僕があちこちで突っ走って、無茶苦茶やればやるほど、僕を排除する波がどっと押し寄せます。僕は悪役でいいのです。ともかく、悪役が混乱を起こして揺さぶるのもいいかなと。外部から揺さぶる係です。ガンガン揺さぶることで、「これはまずい」と思った合気界が原点に戻る。そういう願望が僕にはあるのです。
山本 いやいや、すばらしい。

 

合気道への道
保江 若松町の本部道場ですか?
山本 はい。昔は平屋の木造の道場で、道路に面した窓から中が見えるのです。
年寄りの小柄な爺さんが、でっかい人間をぽんぽん、ぽんぽん投げているのを見て、「本当かなあ」と思いました。私は柔道を経て、空手をかじってきているので、「こんなことできるのかなあ」と疑問に思っていたくらいなのです。
保江 ぽんぽん投げていた小柄な爺さんというのが、植芝盛平先生ですね? 直に習っているのですから、これはうらやましい。
山本 爺さんなんだけど、手や腕を握っても柔らかいんですよ。だけど瞬間的に、ギュッと鉄の棒を持っているように固くなったりします。そういう方でした。
大先生はときどき、ふざけてというか、興に乗るとやって見せてくれることがありました。
神前を囲むように弟子たちはコの字型に並んで正座するわけです。上級者も新人も関係なく並ばせて、大先生が一人の弟子の頭にひょいと手をかざすと、その男はひょいとひっくり返るのですよ。次の弟子にひょいとやると、またひっくり返る。大先生はおもしろくなったのか、ひょいひょいとやりながら、歩いてきます。私は座って大先生を待ちながら、「あんなことで倒れるわけがない」と考えているのです。柔道で鍛えたこの体、空手で鍛えたこの体と思っていますから、ともかくあんなので倒れるわけがないだろうと。隣の男がひっくり返り、ついに「来たな」と、思った瞬間、倒されている。感覚は何もない。「来たな」と思ったら、もう倒されている。「これはいったいなんなんだ?」と、それが最初の疑問でした。
なんといっても、触ることなく倒されているのです。「隣の奴が投げられたな、ようし」と思って目をつむって構えているのに、その瞬間にもう倒されてしまっている。目を開けて待っている人だって、「避けよう」とか「かわそう」とか意識を持っていながら、何もできずに転がされて、何をされたかわからない。
保江 こっちだって備えがあるじゃないですか。
山本 かえって、備えがよくないのでしょうね、きっと。なまじ意識して構えるのがいけないのでしょう。
保江 それで、倒れなかった人はいるのですか?
山本 いや、いません。
保江 全員倒れるのですか。これはすごい。触れないで倒す。僕には無理。
山本 いや、保江先生には、できる可能性ありますよ。なんといっても、大先生の合気を体現なさっているのですから。
保江 いえいえ、身に余るお言葉です。

 

山本先生に導かれたサムハラ神社
保江 それにしても先生に出会ったことで、僕は植芝盛平先生について今まで知った気になっていたことがことごとくひっくり返され、サムハラ神社も教えていただき、本当に、目覚めさせていただいていると感じます。
それまでは植芝盛平先生の合気道は、大東流を武田惣角から習って、それをもとにして大本教の出口王仁三郎のところで霊的な修行をなさって組み上がったものだと思っていました。そのステレオタイプというか、一般に知られている範囲のことしか僕は知りませんでしたし、史実どおりだと思っていたのです。
ところが山本先生が下さった資料に、盛平先生について今まで僕が知らなかったことが書いてある。しかも読んでいくとどうも岡山の田舎のほうにもともとあったサムハラ神社というのがポイントだと気がついたのです。
僕はすぐに飛んでいきました。
保江 でもともかく植芝盛平先生の合気道を求め続けて、岡山から東北地方に行き、東京のあたりで大東流も習い、いろいろ変遷して、その果てに山本先生にお示しいただいたこの資料に出合ったのです。「えっ? 岡山県?」。まさに「幸せの青い鳥」ですよ。人生のほとんどをかけていろいろ探し回って、結局は故郷の岡山に秘密はあったのです。
山本 その変遷は意味のあることだったと思います。
保江 「結局岡山だったんだ」と。その気持ちがあってその岡山のサムハラ神社の奥の院に行きましたので、そこのすごさはひとしおでした。たぶん若いころ、高校生のときに行ってもわからなかったのかもしれません。今だからひしひしと「あっ、ここだ」と感じました。

 

封じ込められた神々の目覚め
山本 こういう場だから何でも言ってしまいますけれども。昔、何千年か前には、日本を守っていた太古の神々がおられたわけです。そういう神々をお祀りするために岩や磐座をご神体ということにして、古代の人々はそういったものを大事にしてきたわけです。ところがそういうものを全部封じ込めるために日本にやってきた一族がいた。その本来の太古の神々を封じ込めた場所はどうなっているかというと、今そういったところは神社になっているのです。先生はご存じでしょうが、注連縄と呼ばれるあの太い縄、これは神をその場所から出さないための呪術です。鳥居もそうです。
つまり神社は神様をお祀まつりしている場所ではなく、日本太古の神様を封じ込めている場所と聞いています。
ですが今はそこに眠られていた、封じ込められていた神々が、もう目覚めてこられる時代になってきているそうです。つまり、封じたほうのエネルギーが弱くなってきている。
そうやって封じ込められた神様がまず復活してきた場所が神戸なのです。一九九五年のあの大地震がありました。そして二〇一一年、三月十一日に東日本大震災がありました。艮金神が目覚めたというふうに言われています。神様が目覚めると何が起こるかというと、大災害が起こるわけです。なぜならそれは大変なエネルギーを持った神様が目覚めるわけですから、地上は浄化されていなければいけない。本来なら樹木がいっぱい生えているところなのに、コンクリートで固めたり農薬を撒いたりして、地上は汚れてしまっている。住んでいる人には気の毒だけれど、それもきれいにしてしまうという現象が起こる。こういうことが日本の各地に起こっているのです。
これは大変なことです。地震や津波という、私たちにとっては災難とも呼べる浄化が起こってしまう前に、みんなが大地の神にお詫びをしたり、地道に私の書のような形で土地の浄化を行なってくだされば、大きな浄化、すなわち災害は必要なくなるはずなのです。
みなさんお正月には初詣に行きますね。神社だけでなく、ご自分のご先祖が眠っているところにも初詣しましょうよ。そこに行くときに私の書をお傍に埋めてください。そうするとご先祖様も喜ばれるし土地も浄化される。こういう「点」がどんどんあちこちに増えて「面」になって浄化されていけば、神々がお目覚めになっても、大難が小難、小難が無難ということになってくるのではないかと思うのです。私たちはそういうプロジェクトをやっているのです。それには私の書を使ってほしい。だから私は、そのための「いろは」と「ひふみ」の書、浄化の書と呼んでいますが、これは全部無料でみなさんにお渡ししているのです。
保江 神社は神様を封じ込めるためのものなのですか。
山本 本当は言ってはいけないのですが。祝詞に「神つまります」とか「神づまります」とあります。あれはまさに完全に、そこにとどめ置き、封じ込めることを意味するのだと聞いています。
それから一礼二拍手、一は「ひ」、二は「ふ」ですね。「ふ」は言霊的に「封じる」ということを意味します。だから神社では今までのシステムとして一礼二拍手を習慣化してやっているけれど、本来的には閉ざされた太古の神を開かなくてはいけない。開く数霊は三(み)で、三拍手です。大本教なんかは四拍手や八拍手をやったりもしています。とにかく二拍手は封じ込めの呪術と聞いています。
保江 なるほど。また、出任せですが、いま僕もふと思ったことがあります。
なぜかこのサムハラ神社は、合気道の開祖である植芝盛平先生にもお力を与え、いろいろな人の弾除けになっています。僕の身近な人も何人もサムハラのお守りに助けられました。僕などの下手な祝詞に神様は雷のゴロゴロで返答してくださったり、祝詞は音霊だということを気づかせてくださったり、本当のことを教えてくださった。
他の神社、たとえば岡山にある吉備津彦神社とか、あそこは僕も神様が本当にいるなと感じてはいましたけれども、そういう具体的な奇跡が起きたことはありません。奇跡が起きたのはサムハラ神社だけなのです。
しかも僕は真っ先に岡山県北の奥の院のほうに行きました。大阪の本院ではなく。それは僕が岡山の人間だからということもあるのですが。サムハラ神社の奥の院は、小さなお社やしろが一応建っています。あれは比較的最近、大阪のサムハラ神社が建てたものです。もともとあったお社は、旧日本軍、帝国陸軍が、無許可神社だからけしからんというので解体を命じて焼き払ったのです。それで津山事件という祟りが起きたといわれています。たった一時間で三十一人が亡くなりました。その一時間で三十人もの人間が殺され、犯人が自害したのです。それを基に横溝正史が小説にしたのが『八つ墓村』です。
……ひょっとすると、サムハラ神社、サムハラ龍王、造化三神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)を封じ込めていたその神社を焼き払ったということは、その結界が崩れて、サムハラの神様だけは……。
山本 なるほどそうか! いま私も背中がぞっとした!
保江 だからサムハラ神社だけは霊験あらたかなのですよ。他のところは神社がちゃんとあるし、みんなが知らずにパンパンと二拍手でお参りするから、いつまで経っても封じ込められたままです。サムハラの神様だけが自在に動けるのです。だから奇跡も起こせるのです。これはもう先生の出任せの真骨頂ですよ。
山本 そうかそうか、なるほどすごい話だなあ。
保江 だから僕は、最初に奥の院にお参りしたとき、伯家神道の拍手をしてよかったんだ。
山本 だから雷も鳴ったのですね、そうなんですね、きっと。すごいなあ。
保江 いやいや、すごいことがわかりましたね。結果的に軍部は正しいことをしたのか。祟りは起きたけど。いやいや……軍部が焼いたから、サムハラの神様だけは自在にみんなを助けてくれているのです。旧大日本帝国陸軍に感謝しなければ。

【本書の内容】

いつもヒーローがいた……保江 邦夫
《第一章》植芝盛平翁の神なる世界
合気道への道
弟子は仲間じゃ、みんなわしの師じゃ
合気道を求めて――保江邦夫の歩んだ道
無邪気に笑い、語り、怒る盛平翁
合気道はよみがえる!
神様はひいきをする

《第二章》サムハラ神社へ
山本先生に導かれたサムハラ神社
サムハラのお守りの奇跡
封じこめられた神々の目覚め
音霊になった祝詞
祝詞には力がある
口から魂が出る
出口王仁三郎との縁

《第三章》奇跡は出任せから
もうひとつの「奇跡のリンゴ」
奇跡の連鎖
いろは呼吸書法で目覚める人たち
龍神と対話する女性
進化している男性は女性化する
光り輝く身体
ご神魂が現われた!
言葉は現象化する

《第四章》いろは呼吸書法の秘密
神が最初に与えた言語は日本語
呼吸書法は次元を「チューニング」する
言霊「す」は宇宙創造の原点―植芝盛平翁の教え
人間の体は言霊の集合体である
書からエネルギーが出る理由

《第五章》言霊の力 音霊の力
神代文字でいのちを救う
開命句は祝詞
言霊の神様に守られる
音霊の妙用

《第六章》神の存在に近づく
円を描いて本質を知る
神社に鏡を祀る意味

《第七章》新しい次元へ
天意気舞・飛翔書法の創作
いろは・ひふみで土地を浄化する
神代アキル文字
四十八音は神の御名
あの世では宗派は関係ない
手を合わせ、エネルギーを調える
いまこの瞬間が宇宙創造
救世主は武道家のなかから出てくる?

(終わりに)神とつながった一年……山本 光輝

【著者略歴】

保江 邦夫(やすえ・くにお)

1951年岡山市生まれ。東北大学で天文学、京都大学大学院、名古屋大学大学院で理論物理を学ぶ。ジュネーブ大学理論物理学科講師を経てノートルダム清心女子大学教授。理学博士。生死の境をさまよう大病をマリア様への帰依で乗り越えて以来、多くの奇跡を経験。冠光寺流柔術を主宰。著書に、『路傍の奇跡』(海鳴社)『愛の宇宙方程式』『人を見たら神様と思え』『予定調和から連鎖調和へ』『神様につながった電話』(風雲舎)『ありのままで生きる』(マキノ出版・矢作直樹と共著)など多数。

 

山本 光輝(やまもと・こうき)

1937年東京生まれ。前衛書家。植芝盛平翁に師事。合気道七段。「いろは歌、ひふみ祝詞」をテーマに、合気道と書道の融合「いろは呼吸書法」を創始。「光輝書法会」主宰。書から強い波動が検出され、「治癒能力の高い、人類に幸福をもたらす書である」との評を受ける。合気道とともに「いろは呼吸書法」を海外にも精力的に伝え歩く。地球への感謝・浄化を祈り、自らの書画を全国各地の神社仏閣などに奉納している。

『いろは呼吸書法・声を出して書けば世界が変わる』(平凡社)『いろは・ひふみ言霊によるさとり実践呼吸書法』
(新日本文芸協会)読み聞かせ絵本『きみがよものがたり』(新日本文芸協会)の文字を書する。

【編集者から】

口から出任せ本と称しているが、“ホラ吹き”ではない。
魂が口から出るに任せる……魂と魂のぶつかり合い、
本音の、魂の雄叫び。

 

ご存じ、保江邦夫先生は物理学者。「愛」の伝道者。
保江先生は、ひ弱だった中高生時代の反動で、強い者に憧れ、
高校生のときにテレビで、「トーーーオ……!」という裂帛の気合いで
剛の者をぶっ飛ばしている小柄な男性を見た。
それが植芝盛平翁だった。

以来、植芝合気道は切っても切れないものになり、
その道を離れることはなかった。
後年、自ら「冠光寺流」という「愛魂」の道を立ち上げたが、
そこにあったのは、植芝合気道への憧憬だった。

 

「あれは、何の力だろう?」
あれほど保江を魅了した合気道は、保江が意識したころには、
その神性が消えて、形式的な一つの武道になっていた。

 

その謎を解き明かす人と出会った。
植芝翁の直弟子、山本光輝先生である。
山本光輝先生は、合気道・植芝盛平師の直弟子。
「いろは呼吸書法」という前衛書道の創始者でもある。
共通点は、植芝盛平師をこころの師としいること。
山本先生はこんなことを保江先生に伝える。
植芝盛平大(おお)先生の真髄は、サムハラ・九鬼神道による神がかりだった。
その本質を見失うと、植芝合気道の本当の姿が見えてこないと。

 

この出会いは、保江を欣喜雀躍させた。
植芝翁のパワーの秘密は、サムハラにあると聞いた保江は、
大阪のサムハラ神社から、岡山のサムハラ奥の院を訪れ、
植芝盛平王と九鬼隆晴との親交、天之(あめの)叢(むら)雲(くも)九鬼サムハラ龍王
の存在を知る。この経験は保江を大きく変えた(『神様につながった電話』に詳しい)。

 

口から出任せ論の中でも、とりわけ編集者をびっくりさせたのは、
「封じ込められた神々の目覚め」のくだり。

 

保江 いま僕もふと思ったことがあります。
なぜかこのサムハラ神社は、合気道の開祖である植芝盛平先生にもお力を与え、いろいろな人の弾除けになっています。僕の身近な人も何人もサムハラのお守りに助けられました。僕などの下手な祝詞に神様は雷のゴロゴロで返答してくださったり、祝詞は音霊だということを気づかせてくださったり、本当のことを教えてくださった。
他の神社、たとえば岡山にある吉備津彦神社とか、あそこは僕も神様が本当にいるなと感じてはいましたけれども、そういう具体的な奇跡が起きたことはありません。奇跡が起きたのはサムハラ神社だけなのです。
しかも僕は真っ先に岡山県北の奥の院のほうに行きました。大阪の本院ではなく。それは僕が岡山の人間だからということもあるのですが。サムハラ神社の奥の院は、小さなお社やしろが一応建っています。あれは比較的最近、大阪のサムハラ神社が建てたものです。もともとあったお社は、旧日本軍、帝国陸軍が、無許可神社だからけしからんというので解体を命じて焼き払ったのです。それで津山事件という祟りが起きたといわれています。たった一時間で三十一人が亡くなりました。その一時間で三十人もの人間が殺され、犯人が自害したのです。それを基に横溝正史が小説にしたのが『八つ墓村』です。
……ひょっとすると、サムハラ神社、サムハラ龍王、造化三神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)を封じ込めていたその神社を焼き払ったということは、その結界が崩れて、サムハラの神様だけは……。
山本 なるほどそうか! いま私も背中がぞっとした!
保江 だからサムハラ神社だけは霊験あらたかなのですよ。他のところは神社がちゃんとあるし、みんなが知らずにパンパンと二拍手でお参りするから、いつまで経っても封じ込められたままです。サムハラの神様だけが自在に動けるのです。だから奇跡も起こせるのです。これはもう先生の出任せの真骨頂ですよ。
山本 そうかそうか、なるほどすごい話だなあ。
保江 だから僕は、最初に奥の院にお参りしたとき、伯家神道の拍手をしてよかったんだ。
山本 だから雷も鳴ったのですね、そうなんですね、きっと。すごいなあ。
保江 いやいや、すごいことがわかりましたね。結果的に軍部は正しいことをしたのか。祟りは起きたけど。いやいや……軍部が焼いたから、サムハラの神様だけは自在にみんなを助けてくれているのです。旧大日本帝国陸軍に感謝しなければ。

 

サムハラのお守りを常時、指にしている僕としても、これはすごいと感じました。
こんな調子で、全編、口から出任せが続きます。
まさに口から出任せの真骨頂です。