(「食といのちを守る会」代表) 青木紀代美著
ISBN978-4-938939-91-5  定価(本体1600円+税)


食は、いのちです。
安全安心で、
まっとうな食べものを、
探してきました。

著者がはじめて授かった子どもは1700グラムの未熟児でした。健やかに、人並みに成長するようにと、安心して飲める牛乳探しが始まります。そこから米、有精卵、野菜、味噌、醤油など、安心安全な、まっとうな食べものを求め、農業の生産現場を訪ね、生産者と話し込む暮らしに入ります 以来45年。この本には、45年かけた、まっとうな食べものについての知恵がいっぱい詰まっています。

他方、自分の手から出る不思議なパワーで、他人様の体に手を当てること数千人。”菩薩のような人“との声も聞かれます。

本書の内容 ――(はじめに)現代に生きる菩薩(七沢賢治) (第1章)ひとり息子 (第2章)学ぶ(第3章)心のふるさと(第4章)すばらしい食べもの (第5章)手を当てる (第6章)感動する人に出会う(あとがき)母へ

七沢賢治氏が激賞!
「青木さんを見ていると、高度情報化社会における最も稀有な人材、現代に生きる菩薩、と言いたくなります」
青木紀代美(あおき・きよみ)山梨県甲府市生まれ。「牛乳問題研究会連合」代表。「食といのちを守る会」代表。「NPO法人子どものいのちを守る会(kdm-mamorukai2002.net)」
副理事長。本書ははじめての作品。

ギスギスしたこの世に、こんな人が生きているなんて!
世の中捨てたもんじゃない。ホカホカしてきます。

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「現代に生きる菩薩」

青木さんのことを紹介するとキリがないが、彼女には手当て療法
専門家としての顔もある。私自身も若いころから、甲州の「腱引
き療法」をはじめ、日本内外のさまざまな整体法や治療法を研究
してきたが、そのような視点から青木さんを見ると、表の顔は
食のプロとして常に消費者の先頭に立つ一方、他面では相当な腕前
を持つ治療家であることがわかる。

これまで、ノーベル賞受賞者や上場企業経営者、芸能人など各界
の著名人をひそかに治療し、実績を上げてきた。もちろん一般の
方々であっても無料でそれを引き受けている。彼女の温かい人柄、
母親の手のようなぬくもりに、数多くのファンがいるそうである。
青木さんの手当てを受けた方々は、彼女を「菩薩のような方」と
表現する。

『大無量寿経』には、釈尊が阿難という仏弟子に教えを語って聞
かせるシーンがあるが、彼女が活動するさまは、まるでそこに登
場する法蔵菩薩のようである。人類すべてを救済するまで自分は
仏にならないと誓願を立て、後に阿弥陀如来となったあの菩薩で
ある。そうでなければ見ず知らずの人間に対し、何時間も、とき
には朝まで治療の手を休めないというようなことはできないであ
ろう。

すでに古希を超えているというのに、彼女の活躍はまだまだ終わ
ることを知らないかのようである。青木さんを見ていると、現代
に生きる菩薩とでも言いたくなる。高度情報化社会における、
最も稀有な人材として、こうして彼女とお付き合いできることを
幸甚に感じている。青木さんの菩薩行も今世が最後であろうが、
かりにそうであったとしても、姿を変えてまたここに戻ってくる
ような気がしてならない。その時は、人々が彼女を癒す番である。
人類の輝ける未来を予感して――。(七沢賢治――前書き)

本文より

「未熟児」

夫がやってきました。
「ねぇ、かわいいでしょう?」と赤ちゃんを見せると、何もいわ
ず怪訝な顔をしています。
しばらくしてこういいました。
「なんだか……サルともカニともつかない子が生まれたね」
「え?」
「だっておまえ、顔は毛むくじゃらだし、口からは泡を吹いてい
るし……」
あんまりな言いようです。「なんてこというのかしら」と思って
赤ちゃんを見ると、確かにそのとおり、本当におサルさんです。
鼻のあたりは白いのですが、それ以外は毛むくじゃら。黒っぽい
産毛がいっぱい生えています。それまでかわいいとしか思えな
かった赤ちゃんを、夫のひと言でやっと冷静に見られるようにな
ったのです。
改めて赤ちゃんを見てみると、確かにその顔や表情はおサルさん
です。ときどきカニのようにピュッピュッと水を吐いています。
でも不思議ですね。それでも、それなりにかわいらしいのです。
ああ、いい子ね、かわいい、愛しい。この子のためなら何でも
しよう。

生まれたときの体重は一七〇〇グラム。当時は二七〇〇グラム
ぐらいが平均だったようです。とても小さくて、しわくちゃの、
いかにも栄養が足りないといった赤ちゃんです。栄養剤の注射を
することになりました。赤ちゃんの細い太ももに皮下注射です。
「ギャー!」
あのときの火のついたような泣き声を、今でも覚えています。
翌日、注射したところが栄養を吸収できず、太ももが硬く化膿
していました。おむつを替えるたびに「ギャー!」と悲鳴をあげ
ます。「これは膿を出さなければ。お母さん、しっかり抱っこ
していてください」。私は震えながらひざの上に抱きました。
先生は看護師にドライアイスのスプレーを持たせ、膿んだところ
にシュッと吹きつけます。間髪を容れず先生がメスを入れ、膿を
絞り出します。
「ギャー! ギャー!」
息子はありったけの声で泣きわめきます。
ごめんね、ごめんね、私は何度もくり返し謝りました。

「僕、牛乳大好き!」

淳は私に似て好き嫌いが多く、いったん嫌いとなるとそっぽ
を向いてまるで箸をつけません。小食、偏食のまま育って、動
きも遅く、周りの友だちについていくのも大変なようでした。
どうしたらたくさん食べるようになるのかしら? 「おいしい」
といって飛びつくものは何か? どう工夫したらそうなるのか
と考えていましたが、二年生になって給食が始まりました。偏食
の淳が給食を全部食べられるでしょうか。ちょっと不安です。
「この子は体が弱いので、少しのあいだ、お弁当を持たせてくだ
さい」

担任の三浦先生は快く許してくれました。お弁当持参の淳にも、
給食のおかずや牛乳など、本人が食べられそうなものを食べさせ
てくださったようです。淳は牛乳をちゃんと飲んでいる様子でした。
「牛乳好き?」と聞くと、
「ぼく、牛乳好き!」という答えです。
この子にも好きなものがあったのです。
そうか、牛乳か。どうせなら、日本一おいしい牛乳を探して飲ませ
たい。淳はお肉やお魚をあまり食べません。タンパク質不足が心配
でした。
「牛乳を飲むと大きく育つ」
そんなこともいわれていました。これからだって大きくなれるかも
しれない。好きな牛乳でタンパク質やカルシウムを摂れるようにし
よう。光が差しました。

稲葉さんの有精卵

息子に飲ませる牛乳をきっかけに、私は食べものに関わるようにな
りました。牛乳からスタートして、まっとうな食べものを探す旅が
始まりました。牛乳の次に私たちが扱ったのは卵、有精卵です。
最初はヤマギシ会のハネ玉をわけてもらっていましたが、自分たちで
扱う卵を自分たちで探してみようと思いました。
岡田先生に連れられて千葉県三芳村の稲葉愨さん宅に伺ったのは、
四五年も前のことです。
岡田先生の提唱を受け入れた三芳村は、自然農法による米や野菜の
生産のほかに、稲葉さんのご尽力もあって、有志による平飼い卵の
生産が始まりました。有精卵の「いい卵」を作るのが目的です。
狭いケージの中に詰め込む飼育ではなく、平飼いを中心とした
自然養鶏の有精卵です。
今日の養鶏の主流は、囲いの中で飼う、いわゆるケージ飼いです。
これ以上詰められないほどぎゅうぎゅうケージに押し込むさまは、
まるで満員電車さながらです。さらに、食べたエサの栄養分が
余計なところに行かないようにトサカを切り落とし、隣の鶏を
つついて傷つけたり餌を飛び散らせたりしないように、くちばし
を丸く削ります。いたたまれない光景です。そのような状態で、
鶏たちはいのちのない無精卵を産みつづけます。
一方、平飼いは広い鶏舎を区切らず、鶏たちは好きなだけ動き回り、
自由に虫をつついたり、砂浴びをしたり、水を飲んだりして、
元気に育ちます。そのなかに数羽の雄鶏を入れることで、有精卵が
生まれます。
なぜ有精卵なのでしょうか?
有精卵には、ヒナに孵らせるいのちが宿っています。私たちが食に
ついての活動をするとしたら、そのような、いのちある食材を提供
しなければ意味がありません。現代人は食べものを商品にしてし
まったために、いのちの価値を忘れています。私たちはみんな、
いのちをいただいて生きています。卵も肉も魚も野菜も、そこには
すべていのちが宿っています。食事のとき「いただきます」といって、
両手を合わせます。これは、「あなたのいのちをいただきます」と、
食べものに対して感謝の気持ちを伝えているのだと思っています。

最近では、果物でも何でも種なしがもてはやされています。種なし
ということは、いのちは宿っていないニセモノの食べものです。種なし
の果物を作るため、ホルモン剤が使用されています。いのちをいただく
はずの食べものに、いのちが宿ることがないようにしています。栄養
分は遜色ないかもしれませんが、いのちというものを最初から持ち合
わせていない食べものです。
いのちを持たない食べものを、食べものと呼べるでしょうか?
私たちはすっかりそんな食べものに慣れきってしまいました。そして、
目の前の食べものにいのちが宿っているかいないかすら気づこうとし
なくなっています。

会津の小松米

東北新幹線で郡山まで行き、磐越西線に乗って会津若松へ、そこか
ら只見線に乗り換えてトコトコ揺られ、六時間をかけてやっと着く
のが新潟との県境に近い三島町です。その後何度も出かけて交流す
ることになりますが、遠すぎて誰も行きたがりません。「紅葉がす
ごいのよ」「山菜採りに行こう」とあの手この手で声をかけ、よう
やくみんなで行くようになりました。

三島町に行って驚いたのは、有機農業を旗上げしようとする青年たち
がいっぱいいたことです。村興しをしようとパワーのある佐藤長雄
町長が先頭に立ち、みんなを率いていました。昭和四九(一九七四)
年から「特別町民制度」を設け、首都圏の人たちにふるさと興しへ
の参加を呼びかけました。その後一〇年かけて「生活工芸運動」や
「有機農業運動」を育て、その勢いで地域の産業興しに発展し、
「花嫁の来たくなる町」を目標にがんばっていました。

小松正信さんたちは、このような町興し機運に盛り上がった環境で、
お米、タバコ、ソバなどを作っていました。本来お米専門ではなく、
タバコと養蚕の農家でした。幼いころは家中にお蚕さまがいて、
横になると、お蚕さまのサワサワと動く音が気持ちよかったそうです。
やがて家の百姓仕事を手伝うようになり、見たままに覚えていったとか。
小松さんは次男ですが、お兄さまが早くに亡くなったため、家を継ぎ
ました。小さな田んぼを持つ小規模な農家です。

ところが米作り農家の老齢化の波を受けて「代わりにやってくれ」と
依頼されたことをきっかけに、現在、一二町歩(一町歩は三〇〇〇坪)
まで田んぼを増やしています。有機農業は難しいといわれますが、
小松さんは大量に収穫しようとがんばらなかったそうです。太陽の力
と地力のバランスで収穫量は決まる。それ以上採ろうとすると、作物が
病気になってしまうのだとか。
「食べものから歩き出す会」のメンバーで私が片腕としてもっとも信頼
していた松本万樹子さんが、それから間もなく小松正信さんと結婚しま
した。小松正信さんは、訥々と語り、軽薄な言葉は口にしないお人柄。
もし万一、小松さんから「どうしても今年は化学肥料を使わざるをえな
くなった、農薬もどうしても必要だ」と相談されたとしたら、私は決し
て否定しないでしょう。それもよしとすると思います。すべては人から
始まります。

私は市井の黙々と働く人が好きです。たくさんの人と人との関係のなかで、
自分の思いを貫きつづけるのは、簡単なことではありません。これは、
私がこの運動を通して学んだひとつです。「収量を増やすためにはこうし
ろ」とか、「効率を上げるためにはこうしなきゃ」とか、そういう横槍
を一切脇に置いて、「自分が信じるのはこの道ですから」と黙ってそれを
続ける。そういう人に、私は感動し、感謝の念を感じずにはいられません。
こうして作りつづけられる小松米は、「乳研連合会」や「食といのちを守
る会」のメンバーにいちばん喜ばれます。食卓に並ぶ食材の中で、お米
はやっぱりメインなのですね。年に二トンほど会員と関係者にお配りし
ています。年に四回搗いていただく白米・玄米のお餅も大好評です。
特に、お歳暮の贈答品として喜ばれています。

じかに、作り手に会う

新しい食材を扱うとき、私は必ず実際に作り手にお目にかかり、生産
現場を見させていただき、食材を味わいます。じかに会って、現場を
見ることで、作り手の思いを確認するのです。採れたての作物に触り、
香りを嗅ぎ、味を確かめます。

最初に感じるのは、香りです。
本物の香りは私たちを圧倒します。本来の香りです。最近の野菜は農
薬や化学肥料のせいでしょうか、香りの乏しいものが多いようです。
そういうものではなく、土中の微生物と共に育った、本来の香気を
放つものが理想です。理想というより、それが当たり前の、本物の野菜
です。農家には当然いろんな方がいらっしゃいます。農作物を工業製品
と同じような商品として扱い、効率優先で作るような方は、こちらが
ご遠慮いたします。自分の子どもを育てるように、丁寧に作物に向き
合ってくださる方が大切ですし、ありがたいのです。そういう人とは、
すぐに通じ合えます。心が、同じ方向を向いているからです。
私の出会った生産者の多くは、はじめてなのに、挨拶もそこそこに
「はら、へってないか」と、採れたばかりの野菜とあり合わせの食事
を出してくださることがよくあります。小松菜の炒め物、芋の煮っ転
がし、ふろふき大根――おいしいおいしいと喜んで食べていると、
一つひとつ食べものについての話が続きます。

私たちの農作物選びには、化学肥料や農薬を使っていないかを
はじめ、確認すべき項目がいくつかあります。旬のものかどう
か。在来種(自分で採ったタネ)かどうか。自分で堆肥を作
っているかどうか。水の豊かなところか――。しかし、チェック
項目にはない部分、つまり、生産者の思い、その人柄、作物へ
の愛情、そういったところを私は大切にしたいと思っています。

農作物は、人のいのちをつなぐもの。農作物に添うことは、人に
添うのと同じこと。だから私たちは、必ず作り手に直接会いにま
いります。すばらしい作り手に出会えると、嬉しくなります。
私たちが望んでいたのは、あれもこれもではなく、せめて毎日の
食卓には、まっとうな志ある人の作った食べものを乗せたい、
安全安心な食べものを家族に供したいという思いです。

手に来る反応

Yさんは乳ガン治療のため、四、五年前から聖路加病院にかかって
いました。お医者さんからしきりに手術を勧められたそうです。
「ガンは怖い。でも、手術はしたくない」
彼女は拒んでいました。そんなとき、ある人のご紹介で私のところ
へ来るようになりました。
彼女のお住まいは東京・中野です。私の事務所は神楽坂ですから、
その気になればすぐに来られます。Yさんは気立てがよく、働き者
で、女優さんだったのかと思うほどきれいな人です。彼女の悩みは、
昔から胸が大きいことでした。それが嫌で、だんだん猫背になった
そうです。胸の大きい人ほど、なぜかそうなるみたいです。そこを
注目されるのが嫌という心理が働くのでしょうか。彼女は乳ガ
ンと宣告されました。でも、どうしても切除する気持ちになれ
なかったそうです。思い悩んでいるときに私の手当てのことを
知り、やって来られるようになりました。きっと、何かのご縁
ですね。
足裏から手を当てて彼女の胸まで来たとき、ちょうど赤貝かち
ょっと大きめの蛤ぐらいの大きさの何かが、ぴたっと私の手の
平に収まります。皮膚の下は、ギザギザ固い貝殻のような感じ。
私の手にはそう感じました。
最初のころ、Yさんに手を当てても、私の手には何の反応も伝
わりませんでした。「大したことないのね、手術したくないって
いうのがよくわかります。いいと思いますよ、しなくても」なん
ていっていました。本当にどこかが悪い場合には、私の手にいろ
いろな反応が起こります。三回手を当てましたが、何もないから
大したことはない、もうこれで終わりにしようと思っていました。
三度目を終えたあと、「青木さんに手を当ててもらって自宅に帰
ると、よく眠れます。翌朝、気持ちがいい。それだけでも嬉しい
から続けてほしいのです」と電話がありました。
「そう。それなら、どうぞどうぞ」四回目、いつものように彼女
に横になってもらい、手を当て、足の裏をさすっていると、私の
右手に雷が落ちたような、閃光が走ったような痛みが来ました。
「あ、痛い! なんだ、これは?」と驚きましたが、しばらく続け
るとそれは消えました。

私は誰にでも同じことしかできません。手当てという術を練習した
わけではありませんから。足から脚部、そしておなか、胸、背中
と回って、手の平でさすり、温める。これだけです。彼女に対し
ても、同じことです。すると、ふと気づきました。あの固いものが
少し柔らかくなっているような感じがします。それを彼女に伝え
ました。「胸の固いのが半分消えていますよ」
「そうなんですよ、柔らかいんですよ」と彼女。へえ、そう。
さっき私の手にピカッと来たのは、良くなっているという証拠か
もしれない。
大勢の人に手を当ててわかったのは、触って違和感があると、
私の顔のあたりがもやもやして、鼻先に綿あめかクモの糸でも
くっついたようにベタベタします。最初は気にもしませんでした
が、具合の悪い人に手を当てると、そういう感覚が残るのです。その
うち筋ジストロフィーをはじめいろいろな重い病いの人に出会うよう
になったのですが、そういう人に手を当てると、重油のような、ドロ
ッとしたものが私の手から入って腕の付け根まで上がってきます。
正体はわかりませんが、そんなものが入ってくるとどうしてよいかわ
からないので、そのまま三〇分でも一時間でも手をそのまま置いてお
きます。気長にそれを続けていくと、あのドロッとしたものがふっと消
える瞬間が来ます。そこでまた別の場所に移ります。するとまたドロ
ッとしたものが入ってくるので、ああこの人にはまだ悪いところが
あるんだなと感じます。そうやって何カ所か手を当てていくうちに、
いつしか癒されていくようです。Yさんに触っていて実感しました、
「そうか、私の手に来たら、悪いところが治るんだ」と。

編集者より

▼わが社はビルの5階にあります。道路を隔てた向かいのビルに
青木紀代美さんの事務所があります。「青木さーん」と呼ぶと
「なーに」と返ってくる距離▼彼女は、牛乳に明るい。食べものに
詳しい。ろくでもない食べ物といいものの違いを熟知している食の
プロ。さらに、手を当てることで、人を癒す達人。お代は取らない
▼お金にならないことばかりやっている風で、へぇ、こういう人が
まだこの世に生きているんだと思って、「一冊書いて」と原稿を依頼
しました▼その仕事、その人間に魅せられていたのですが、いったい
何者なのかよくわかりませんでした▼ある日、彼女のご紹介で七沢
賢治さんという人がわが社にやってきました。チラッとぼくを見た
その眼力に、ぼくは「あ、斬られた!」と感じました。ただ者では
ない。ひと目で相手を見破る、おっかない人。「青木さんってどう
いう人ですか?」と尋ねてみると、答えは簡単。「彼女は菩薩行を
やっているんです。現代に生きる菩薩です」と。……そうだったの!
凡夫にもやっと彼女の本質がわかりました。
▼というわけで青木紀代美著『食に添う 人に添う』がギリギリ
昨年末に完成。ほっと一息▼昨年は、こうして菩薩さまと幸せな時間
を過ごしました。今年もいいことがあるような気がします▼皆様にも
良き年でありますように。(山平松生)

「食に添う 人に添う」をご紹介いただきました!

到知」2018年7月号 書評

未熟児で生まれた長男に、日本一安全でおいしい牛乳を探して飲ませたい、という思いがきっかけで食の安全を追い求めるようになった著者。以来、四十年以上、自然農法家など多くの出会いと学びを経ながら、食と命を守ることに献身的な努力を続けてきた。 本書では、自らの足跡を振り返ると同時に、手当て療法というもう一つの活動も紹介。不思議なパワーで人々の苦しみを癒す著者を「菩薩のような人」と呼ぶ人もいるという。「(相手に)添って、添って、添いぬく」という言葉に、その人生観が象徴されている。